『婿殿』
「もっと強くなったら相手をしてあげよう」
エトラ家の答えはシンプルなものだった。
フカヒの街に入ると、珍しい『男』と二人の若くて美しい夫人の共演に街の人たちは熱狂的に出迎えてくれた。エトラ家主催の歓迎パーティでも、豪華な食事とともにこの地方の富豪や権力者たちが入れ代わり立ち代わりタモンたちに挨拶をしては、祝福と歓迎の言葉をかけてくれた。
ただ、表向きの華やかさとは異なって、交渉の席では現実的だった。
「我々は、強いものに従うよ。その中で金儲けができればいい」
(さすがは、この地方一の実力者……)
タモンは、カーテンで遮られたうす暗い部屋の中で、かなりお腹が出て丸くなった中年と机を挟んで向かいあっている。このライヒ・エトラは、長年フカヒ周辺を治める領主でこの地方全体に大きな経済力を持っている人物だった。
面と向かってなおタモンにもエレナの母ポジションなのか父ポジションなのかは未だによく分かっていなかったが、人の良さそうな柔らかそうなほっぺたといつも細くなっている目が印象的な優しそうな外見だった。ただ、実際の交渉にそう簡単には応じてくれたりはしない。意見は鋭く、その際の声には迫力があった。
「私は、君のことは気に入っているよ。だからこそ、エレナを送り出したのだしね。このまま『婿殿』と呼ばせて欲しい」
この世界で『婿殿』と呼べる相手がいる事自体がある種のステータスだった。伝説の物語でしか聞いたことのない珍しいことなので、貴重品を集めて飾っておきたいのと同様に、この金持ちは娘を投資のために差し出してそう呼べる関係を築きたい。そういう趣旨のことを告げられた。
「もちろん、エトラ家と敵対するつもりはありません」
「それならヨム家に関わる必要もないだろう。今、内紛中というなら話は別だが、すでに実権はランダ一派に奪われている。あいつらのことが好きなわけでも、信頼しているわけでもないが、もう時期は逃した」
「もうしばらくは、モントの城で大人しくしてはどうかな?」
ライヒは葉巻をくわえながら、そう言った。こんな葉巻が似合う女性も中々いないと思いながら、タモンは眺めていた。
(田舎で種馬として生きていろということか……)
別にそれでも悪くないと思っていたけれど、そういうわけにもいかなくなったのだ。タモンは力をこめて机に両手をおいてぐっと顔を近づけた。
「キト家が動いてくれます」
「キト家が?」
この話は、さすがの大商人ライヒにも全く寝耳に水だったらしく。葉巻に火を付けようとした手を止めて大きく目を見開いた。
「なるほど……。そのための人質というわけか、あのキト家のお嬢様を連れてきたのは……」
「はい」
軽く笑い飛ばしたあとで、ライヒはタモンに目をじっと見据えたあとで額に手を当てて考え込む。
「……いや、それはキト家の内部を説得するための言い訳だ。あのキト家が愛娘のためとはいえ、こんなに素早く決断するわけがない……」
(キト家のことをよく分かっていらっしゃる)
タモンは素直に感心していた。ただ蔑んで文句を言っているだけの間柄ではないことを教えてくれていた。
「何がある?」
ライヒは葉巻などはもう机の端にどけて、タモンに真正面から向かいあって尋ねた。
「失礼。何があるのですか? 婿殿」
少し興奮してしまったことを侘びて、あくまでも対等な客人として姿勢を正して向かい合った。
「ヨム家の……ランダを裏でそそのかしているのは帝国です」
「ふむ……それはいつものことでないかね。うちだって、表でも裏でも色々と取り引きはある」
ライヒはつまらない答えでがっかりしたという態度を隠そうともしないで、また深く椅子に腰掛けて葉巻に手を伸ばそうとする。
「南のヒイロ帝国ではないのです」
「……何?」
ライヒの手が再び止まる。聞いた言葉をもう一度頭の中で理解しようと嚙み砕いているようだった。
北ヒイロ地方は、南のヒイロ帝国と密接な関係にある。山脈で隔てられているので帝国に支配されておらずエトラ家やキト家などそれぞれの地方の領主が治めているが、大きく影響は受けている。
帝国としてもその気になればいつでも占領できるが、行き来するのが不便なので、逆らわないなら自治は認めて献上品などをもらうくらいの方が都合がいいという考えだった。他の国からすれば、あくまでも北ヒイロ地方もヒイロ帝国の支配圏と思っているので侵攻するようなことはしてこなかった。
「そんなことはしない……今まではだ」
「思い当たることがあるようですね」
じっと二人は目を合わせた。しばらくの沈黙の後にタモンは手紙を取り出して、ライヒに手渡した。
「これは?」
「ヨム家の跡取りに調べてもらった交易の記録です」
「……なるほど、不自然なほど我々を経由しないで東からの武器、装備を仕入れているな」
ライヒは見た手紙の内容をぱっと見て理解していた。『もっとも、追い出されたヨム家のお嬢さんからの報告がどの程度信用できるかは疑問だが』と付け加えてもいた。
「ヒイロ帝国は近いうちに内乱になるかもしれない……」
ライヒは、ぼそりとつぶやいた。大事な情報のはずなのに、何の取り引きもなくタモンに教えていた。それだけもうこの『婿殿』と腹を割って話したいという気持ちが強く伝わってきた。
「最終的には、ヒイロ帝国にも勝つことが目的でしょう。でも、その前にこの地方を抑えておきたいのは何故でしょう」
タモンはくるりとライヒに背を向けると歩きだした。
「最初は、僕が狙いだと思いました。でも、ヨム家の動きを見ているとどうも違う」
(なんか刑事みたいだな)
タモンはちょっとそう思いながら、自分の動きに酔いながら窓際まで歩いてカーテンを少し開けた。
「この街には、すごい『魔法使い』が眠っている。違いますか?」
殺人事件のトリックを見抜いたような口ぶりで、振り返りながらタモンはそう言った。
「お館様。いかがでしたか?」
街の外れでロランやミハトたちが、一人で寂しくと歩いてくるタモンを出迎えた。今回は連れてきた兵も多いので、全員が街の屋敷や宿屋に泊まることもできずに、街の外れの簡易兵舎に泊まっていた。
簡易兵舎と言っても、タモンたちからすれば十分な施設だった。設備に関しては、モントの城よりいいところもあるので喜んでいる兵士もいるくらいで、山脈に近い乾いた風も心地よくて、いかにも過ごしやすい裕福な街ということを実感させてくれる。
「おかえりなさいませ」
二人の夫人も、兵舎から顔を出して出迎えてくれる。夜は警護の都合もあるので、さすがに街の中央の屋敷に泊まることになっていたけれど、昼間はこちらの兵舎に滞在していた。荒くれ者の兵たちのことも気をつかって、兵たちからも慕われてすっかりと溶け込んでいるようだった。
(体育会系の部活のマネージャーみたい……な)
いがみ合っていたりしないのは、タモンにとって嬉しいことだったけれど、あまりにもお姫様を慕う騎士団のような兵士たちの忠誠心の高さにちょっと嫉妬してしまう。
「駄目だった。エトラ家は兵を出したりしてはくれない」
二人の夫人の他、集まってきた兵たちの前でタモンは首を振った。
「でも、敵対はしないし、邪魔もしないということですよね」
真正面にいる当のエトラ家出身のエレナは、力強く励ますように拳を握りしめながらそう確認した。ちょっと暗く静かになった周囲の空気が一変する。
「そうだね……勝ったら認めてやるということ」
タモンもちょっと微笑んだ。
「では、私、この街の商人たちにもう話はしてまいりました。武器や食料。あとは何人か魔法使いも借りられると思います」
手際のいいエトラ家のお嬢様の発言に、タモンをはじめ周囲の兵からも『おおー』と感嘆の声があがる。
「心配することはありません。エトラ家は、勝った方に従うということです」
エレナはそう断言する。
「キト家は、すでにお館様に力を貸すことになりました」
経緯は省いていたけれど、キト家のマジョリーもそう説明すると兵たちは更に盛り上がった声があがっていた。
「つまりこの戦でヨム家に勝てば、兄者がこの地方の支配者になるということだな」
背が低いので、集まりの中で埋もれていたミハトがひときわ大きな声で宣言した。
一瞬、周囲の兵からは、改めて今、自分たちが重要な場所にいることを認識した沈黙があった。ただ、すぐに興奮した熱狂に変わった。
「勝つぞ!」
「やりましょう!」
ミハトは部下たちの力強い言葉に満足してうなずいた。
「我らが王に勝利を! 後宮を増やしてみせましょう」
ミハトの周囲に響く大きな声に、兵たちも拳を振り上げて雄叫びをあげる。
これは、ミハトが考えた言葉ではなく、伝説の男王アンに対して最後の戦に出兵する将軍が言った有名な言葉をそのまま拝借して言っただけだった。兵たちも歴史になぞらえて、よき男王に仕えているという意識を持って高揚していた。
「そうですね。後宮が増えるのですね」
「ヨム家の娘を、当然、手に入れるんですよね」
周囲の熱狂の中で、その輪の中心にいる二人の夫人だけがその言葉に対してじっとりとした視線でタモンのことを見ながら、にじり寄っていた。




