馬車の中で挟まれて
「え? タモン君は、お姉さまを助けにここまで来てくれたのだよね?」
一同は、馬車の中へと移動した。タモン、コトヒ、エレナ、マジョリー、ロランの五人もいると豪華な馬車でもかなり窮屈な感じを受けてしまう。
そんな中でのコトヒの楽観的な希望を多く含んだ言葉は、馬車内の空気を重いものにしていた。
「コトヒ様。まずヨム家が今、どうなっているのか教えてはいただけませんか?」
ロランが、性急すぎるコトヒを一旦制止して、情報を聞き出そうとする。もちろん、ヨム家で何が起きているかは大体は把握しているのだけれど、こんな重要人物の当事者から話を聞けるならそれにこしたことはなかった。
「どうって? お母様がお亡くなりになって……。ボクが遊牧民との交易から戻ってきた時には、ランダのやつが実権を握っていてツーキの国に戻ったら拘束されそうになったので、逃げ出してきたってだけさ」
『それくらいは分かっているよね』と不満そうにコトヒは腕を組んでロランに答えた。元主君の娘であるだけにロランとしては、ちょっと威圧的にこられると反論がしにくくて困ってしまう。
「殿は……その、殺されたとかいうことはないのでしょうか?」
ロランは、ずっと懸念していたことを恐る恐る聞いてみる。
「毒殺されたかもしれないという噂も聞いたけれど、元々病気だったとお姉さまも手紙に書いていたし、それは違うかなと思ってる」
「大殿は健在なんだね?」
タモンは横から口を挟んで確認する。
「お祖母様は、無事だよ。無事だけれど、お姉さまとは違うお屋敷に軟禁状態みたい」
元々住んでいたお屋敷のままで、自由には外に出られないということなのだろうけれど、姉の方はまた別の屋敷で軟禁されているというのは救出を考えたら厄介だとタモンは腕を組んで考える。
「ちょっと忍び込んで助けてくるというのは敷居が高そうだね」
「だからミハトたちを連れて、攻め落としに来てくれたんじゃないの?」
ずいぶん簡単に言ってくれると思って、タモンはロランと目をあわせて苦い顔をした。
「ヨム家の兵は強いので、そんな簡単にはいかないよ」
タモンからすれば、ヨム家のお嬢様に、そんな説明をするのは変な感じだった。
「タモン君は、お姉さまを助けたいんだよね」
どうも思っていたのとは違った雰囲気なので、コトヒはタモンに真正面から向かいあって確認していた。
「もちろん。助けるよ」
「そうよね。あれだけ惚れていて仲の良かったお姉さまのことだものね」
ニヤニヤと笑いながら、タモンの様子を眺めている。
「そ、そんなんでも……」
タモンはちょっと言いよどんでしまう。それまであまり話に興味もなさそうだったエレナとマジョリーの二人の夫人が、この話題には食らいつくかのようにじっとタモンとコトヒを見つめていた。
「とにかく、このまま一緒にツーキに押し寄せても勝つのは難しい。だからまず僕たちはエトラ家に向かう」
「ふーん。でもどう見てもランダのやつとエトラ家は組んでそうだけれど、大丈夫なの?」
「あくまで利害関係で組んでいるだけだから、何とかできると思うよ」
さすがにタモンには何も勝算があるのだろうと、コトヒは納得して目を閉じる。
「分かった。でも、早くしてね。さもないと、お姉さまが、怪しい魔法とかかけられて……手篭めにされてしまったりして、その結果、快楽に堕ちてしまうかもしれない!」
コトヒは、本気で心配そうにそう言いながら手を震わせていた。
タモンからすれば、それはさすがに過激すぎる妄想なのではと言いたかったけれど、絶対にないとも言えなかったので、黙ってうなずくだけにしておいた。だいたいはこの手の妄想は、過去の『男王』の逸話のせいでもあるので、血縁関係があるというわけではないけれどタモンとしてはちょっと肩身が狭かった。
「コトヒちゃんは、その間、黒幕を探しておいてもらいたいんだ」
「黒幕って? ランダは、ツキヨにそそのかされているくらいでしょ」
その名前を聞いて、ロランはびくっと反応して暗い表情で床を見つめていた。
「あー。ロラン、ごめん。まあ、でも、あんな尻軽女はさっさと忘れた方がいいよ」
視界の隅に入ってしまったロランを見て、ちょっと気まずそうにコトヒは軽い調子でそう言った。軽いノリで言われれば言われるほど、ちゃんと返すこともできなくてロランはよりいっそう固まってしまう。
「ツキヨもだけれど、さらにもっと裏で手を引いている人たちがいると思う」
「……帝国がとかそういう話よね」
「そう。それを調べて欲しい」
「……と言われてもどうすればいいのか。ボクたち、ツーキには入れないし……」
困っているのだけれど、ちょっと偉そうに腕を組みながらコトヒは考え込む。
「ツキヨや大臣と交易している人を調べて欲しい……例えば……」
タモンは、コトヒの耳元でこそこそと囁いた。
「なるほど! それならボクたちの拠点作りにも使えるね。よし、任せておいて」
秘密にした意味がなくなるくらいに馬車の中で元気に立ち上がっては、揺れて困っていた。
「それじゃあね。また後日。合流しよう」
相談を終えたコトヒは、再びひらりと馬へと飛び乗ると騎兵の隊列に戻ろうとしていた。鮮やかに馬上の人となりゆっくりと馬を操る姿は見事すぎてもう遊牧民の長の娘にしか見えないほどだった。
「タモン君」
手を振り終えて馬車に戻ろうとするタモンを、コトヒは馬上で振り返り呼びかけた。
「ボク、タモン君に会えてよかった! ありがとうね」
元気な声で満面の笑みでそう言いながら大きく手を振っていた。気丈には振る舞っていても、やはり不安は大きかったのだろう。迎える騎兵の人たちもほっとしたような表情で少し明るさを取り戻した自分たちの主を迎え入れていた。
「まあ、ここで出会えてよかったよね」
タモンは、横に立っているロランに笑顔でそう語っていた。
元気を取り戻した騎兵たちは、あっという間に駆けて行って見えなくなっていく。
「はい。コトヒ様に従う兵だけで、ターキの街に突っ込んだりしたら大変だったと思います……」
色々と複雑そうな表情でロランは、元主君の娘の姿を見送っていた。とりあえずコトヒが感情に任せて暴走しなかったことには安心していたけれど、ヨム家を助けたいという気持ちとヨム家にはもう関わりたくなかったという両方の気持ちで揺れ動いているようだった。
「僕たちのやることに変更はないけれど、周りをコトヒちゃんが固めてくれるなら助かるね」
「はい。お館様」
ロランは自分の悩みどころではないのだと、今の主君の真剣だけれど優しい横顔を見て頭を垂れた。
(この人に賭けてみよう)
ヨム家を飛び出した半年前の気持ちを再度確認しながら、馬車へと戻る主君を見送った。
「ちょっと時間を取られてしまったけれど、再出発だ」
タモンは周囲の部下にもそう指示すると馬車の中に乗り込んだ。
真ん中の席に座り、右にはエレナが、左にはマジョリーが座っていた。タモンの考えに賛同してくれてこの危険な旅についてきてくれた妻二人には感謝しかない。
(なんか……でも、さっきまでと違うような……)
左右から密着されている。それは幸せな感触で、この場所に来るまでと特に代わりはない……ないのだけれど、何かちょっと……わずかな空気の違いを感じずにはいられなかった。
「旦那さま」
「旦那さま。私たちは難しいことは分かりませんのですけれど……」
左右の耳に同じようなささやき声が聞こえてくる。
馬車の中には、他にはマジョリーの侍女のランがいるくらいなので部屋の中と同じように『旦那さま』と甘い声で呼ばれて体を擦り寄られてきていた。
「ヨム家の娘たちとは何があったのですか?」
「姉の方に言い寄っていたとか……」
左右から同時にちょっと冷たい声が突き刺さる。あまりにも見事な連係攻撃でタモンは戦慄していた。ついさっきまで柔らかくて心地よい感触だった左右の腕に当てられた胸は、今はちょっと動こうとしても見事にロックがかかったように抜け出すことを拒んでいた。
反対側の席の隅っこに座っている侍女のランは『私は何も見ていません』という強張った表情で、ひたすら外の光景を見ていた。
「ま、前に放浪していた時、一ヶ月くらいヨム家にお世話になった……ですよ」
何となく言葉遣いが恐る恐る丁寧になるタモンに、エレナは更にぐっと密着する。
「それで? 年も近い姉妹と仲良くなったというわけですか」
間違いではないし悪いことではないので、タモンはわずかに顔を上下させて肯定する。
「姉の方に色目をつかって迫っていたというのは本当でしょうか?」
マジョリーは突き刺すような視線を、タモンの右頬間近から送ってくる。
「し、親しくはしてもらっていましたが、そんな仲ではないですよ。さっきは、あまり露骨に否定すると『お姉さまに魅力がないみたい』と怒られてもよくないと思っただけで……」
右も左も向けずに真正面を見ながら、目だけが泳いでいた。
「そうですか……でも、抱いたりしたのですよね」
「し、してないです。コトヒのガードが堅かったですから」
精一杯首を横に振って否定する。
「……ということはコトヒさんが邪魔していなければ、深い仲になりたかったし、なれていたということですね」
マジョリーは拗ねたように口を尖らせていた。
「まあ、いいじゃないですか、私たちと結ばれる前の話ですし。誰を口説いていたとしても。ねえ、旦那さま」
首を振って否定する暇さえ与えずに、エレナは攻め立ててくる。
「それよりも私は、コトヒさんと親しすぎるのが気になりました」
「そうです。距離が近すぎると思います」
「こ、コトヒはこの世界……地方で初めてできた友だちみたいなものなので……」
いつもの親しみやすい笑顔に見えるけれど、エレナの視線は怖かった。タモンは逃走の旅でも感じたことのない恐怖に身震いする。
『頑張ってくださいお館様。ビャグンの街までは、あと一日半くらいです』
向かい側に座っている侍女のランと目が合った。励ますような視線を一回だけもらったのがタモンには嬉しかった。




