拐かされそうな男
「君の後宮入りを希望する」
そう宣言したあとで、『ふふふ。頼んだよ』と魔法使いは返事を聞くこともなく、跳ぶと空気に溶け込むように消えた。
これだけで、只者ではない魔法使いで、ハッタリが大好きで、さらにはどこにも仕えていない魔法使いだということがタモンには伝わった。
「あの? 今の方はいったい?」
マジョリーとランは馬車から身を乗り出して、よく分からなかった成り行きを確認しようとする。
「とりあえず……味方らしいです」
タモンも、どこか納得できないままで自分に言い聞かせるようにそう答えた。
「そうですね……多分、知り合いです」
しばらく、魔法使いがいた場所をじっと見つめたままだった。声を思い出して、自分の中の記憶と一致させようとする。
「助かるけれど、目の前に立ちふさがらないでくれるのが一番楽なのになあ」
タモンは、ちょっと目を細めて顔を下げるとぼそりとつぶやいた。後ろを振り返ると、キト家の騎馬が目に見えるくらいに迫ってきていた。
『ど、どうしましょう? は、早く逃げた方が……』と慌てて左右に首を振っているランを、タモンは手で制止する。
こうなったら中途半端に逃げて追われる方が危険だとじっと兵隊が来るのを馬車の外で待っていた。
「そこの馬車。待て! 動くな!」
騎馬に乗った先頭の兵隊から、大きな声が響く。ロランよりも大きくがっしりした騎士だった。
騎兵は三騎だけで、他の兵隊数十人や馬車は地面を揺らしながら、背後に迫ってきていた。
「カメリア! あなたなんかに、マジョリーお嬢様の馬車を止める権利があるのですか!」
ランが珍しく大きな声を張り上げて、強そうな騎兵に立ち向かっていた。普段、それほど感情を表に出すことも少ないので、主人であるマジョリーまでもが驚いていた。
「領主様から、誰も逃がすなと言われている」
カメリアと呼ばれた騎兵は大きな声でそう言った。
「なっ」
馬上から威圧的に、こうもはっきりと言われてしまうと、分かってはいたことではあるけれどランはショックを受けてしまう。
「お前たちに我が主の行く先を決めることはできない」
ロランは、タモンの前に立ちふさがるように馬を移動させる。
「では、力ずくで言うことを聞かせるだけだ。いやなら止めてみろ」
キト家のカメリアと馬上でにらみ合う。
堂々とした体格をした二人が馬上で武器に手をかけて一触即発な雰囲気だった。二人の立派な騎士の一騎打ちが始まりそうな光景に、周囲のランたちも固唾を飲んで見守っていた。
お互いの家の関係を考えれば、部下と言えども殺したくはない。そんな二人はしばらくは剣に手をかけながらも、本格的に戦うのは躊躇しているようだった。
「そこの『男』を捕らえておけ!」
カメリアは部下である二人の騎兵に命令する。もうじき到着する後続の兵隊のことも考えれば、このロランだけを自分が止めていれば拘束して終わりだろうという判断があった。
「どけ!」
「いかせないよ」
主人を助けようとするロランと、その邪魔をするカメリアとの間についに戦いが始まった。巧みに騎馬を操りながら、剣で剣を受け止める。戦いなど無縁なランから見てもこの二人の戦いは高度な技術によって剣を打ち合っているのだというのが伝わってきて、ロランが無事であるように必死で祈っていた。
「ふふふ。大人しくついてきてもらおうか」
カメリアの二人の部下は、回り込んで馬を下りると剣でタモンを脅しながら両側からにじり寄ってくる。
(なんか目がいやらしい気がする……)
『この世界の肉食系女子には、自分は性的に希少で誘惑している存在に見えるのだろう』と今、まさに拐かされるお姫様の気分を体験しながら改めてそんなことを考えていた。
「さあ、大人しくしろ」
二人は距離を詰めて、剣先を突きつけながらタモンを取り押さえようとする。
「ミハト!」
腕を掴まれたところで、タモンは叫んだ!
「はっ!」
草陰から、ものすごい勢いで飛び出してきた。
拐かそうとしていた兵隊に飛び蹴りをくらわせたのはミハトだった。決して、大きくはない体に不釣り合いなくらいの大きな戦斧をかかえて、目にも止まらぬ速さで兵隊の一人を倒すともう一人も戦斧の柄だけで腹をついてそのまま地面に抑えつける。
「ミハト様!」
ランは思わぬ援軍の登場に、マジョリーと手を取り合って喜んでいた。
「なんだ!?」
ロランと相対していたカメリアは、振り返るといつの間にか二人の部下が倒されているのを見て、激高した。
「小娘!」
カメリアはロランと向き合うのをやめて、馬首をかえした。
若くて小柄に見えるミハトのことをカメリアは完全に侮っていた。すぐに倒してまたロランと向き合えばいいと考えて、剣をミハトに振りかざそうとする。
「ふん」
軽く気合いを入れるとミハトは、戦斧を下から上へと振り上げた。
「何?」
カメリアは、あまりの速さに大きな斧であると最初は分からなかった。自分が振り下ろす剣よりも遥かに速く振り上げられた大きな斧は、カメリアの剣を二つに割って鼻先で空気を切り裂いていた。
「そんな細い剣は、戦場では役に立たないぞ」
ミハトは豪快に笑っていた。
「次は、馬の首ごとお前の胴体が真っ二つになる」
わずかに戦斧を握る手に力が入る。今度の笑いは、カメリアを恐怖させた。鍛えているからこそ分かるこの規格外の強さは、この一瞬で戦意を喪失させるには十分過ぎた。
「あなたたち、何を手こずっているの!?」
大きな声でカメリアたちを、叱責したのは馬車に乗ってここまで追いかけてきたルナだった。馬車から降りたルナは、後ろに十数人の兵隊を従えてタモンたちを威圧する。
「ルナ」
「マジョリーお嬢様。困ります。言われた通りに大人しくしていていただかなくては……全くいつまでたってもお転婆なままですね」
部下であるランを睨みつけながら、マジョリーの手をとって、連れ戻そうとする。
しかし、マジョリーはその手を振りほどいた。
「ルナも言ったでしょう? 私はもうキト家のお嬢様じゃなくて、タモン様の夫人よ」
マジョリーは、毅然とそう言った。その態度に、小さい頃から面倒を見てきたルナとしては立派になったと目頭を熱くする気持ちもありながら、今の責務を全うするためにはお嬢様の変な反抗は邪魔でしかなくて苛立っていた。
「あなたも……子どもじゃないのだから分かるでしょう?」
ルナはマジョリーに対する自分の気持ちの整理がつかないのか、タモンの方を見ながら言った。
「キト家のような力のある領主には、大人しく従っておいた方があなたたちのためなのよ」
そう言って、後ろの兵隊たちに目配せをする。
じりっと横に並んで迫ってくる兵隊たちに、ランは怯えていたけれどマジョリーをかばって震えながら前に出ていた。
「カメリア! 何をしているの? さっさとその男を連れてきなさい」
ルナは、キト家でも屈指の強さを誇るカメリアが負けたことがまだ分かっていなかった。先ほどから動こうとしないカメリアをまた怒鳴った。
「ルナ様。む、無理です」
カメリアは青ざめた表情で首をぷるぷると横に振りながら震えていた。
その様子を見て、ルナはやっと予想外の何かが起きていることを悟った。
「ふん」
さっきよりも少しだけ気合いを入れて、ミハトは巨大な戦斧を振り回しながら跳躍した。戦斧の遠心力に引っ張られるかのように、小柄な体も勢いよく回転させる。
マジョリーと兵隊たちの間に降り立った時には、兵隊の一人が持っていた槍が砕け散っていた。
「えええ。な、なんだ」
それなりに逞しそうな兵隊たちから悲鳴があがる。直接当たったわけでもないのに、砕け散った槍の衝撃だけで兵隊たちはかなりのダメージを受けていた。何よりも戦斧の動きが速すぎることと、これでも手加減をしたということが伝わってきていた。
「な、何をしているの? これだけの人数がいれば取り押さえられるでしょ」
戦いとは無縁のルナは、先程の一撃の強さも警告の意味も理解ができていなかった。ちゃんと戦いなさいとヒステリックに叫ぶ。
「残念ながら、数でもお前たちの負けだ」
戦斧をすっとルナの方に向けて、ミハトはそう宣言した。
「……ミハト? なんでこんなところに?」
ルナは城でもミハトと話したことはほとんどなかったが、その強さが城中で話題になっていることは聞いていた。そのミハトが目の前にいることに驚きつつ、周囲の違和感に気がついて青ざめた。
「取り囲まれている」
明らかにミハトの部隊だった。目に見えるだけ百人はいる兵隊が周囲をぐるりと取り囲んでいた。
「ミハト! あの人が噂の!」
「二人の化け物のうちの一人!」
キト家の兵隊たちはその名前を聞いて、噂は本当だったと妙に納得していた。人数でも負けてしまった以上、もう涙目になって降参ムードになってしまっている。
「準備周到ってわけね。キト家を完全に敵に回すつもりかしら」
ルナは、この場ではもう敵わないことは理解しながらも、まだキト家の代弁者として強がっていた。
「兄者。このまま、都を落としてしまってもいいんじゃないか?」
ミハトはもう相手にならないだろうと、ルナに向けていた戦斧を肩に抱えて、物騒な提案をする。
「馬鹿にしないで。たかだか数百の兵でビャグンの都に攻め込めると思っているの?」
ルナは、当然モントの城の戦力を知っている。もう一つ砦の拠点があるらしいが、あわせたところでせいぜい二千にも満たない兵しかいないことは調査済みだった。
キト家の兵隊は集めれば、万を超える。その気になれば、圧倒することは簡単なはずだった。
(ただ、集めれば……よね)
今、ここまで都の近くに接近されていては、ビャグンの警備兵だけで戦うことになる。負けはしないと思うが、かなりの損害を覚悟しないといけないかもしれないかもしれないとルナは、計算を巡らせていた。
「ルナ。昨晩、城に残っているメイから連絡があったの」
マジョリーは、考え込んでいるルナに声をかけた。
「連絡? 今、何か?」
「読んでもらえるかしら、別に私が書かせたものじゃないわよ」
そっと前にでると、昨日の夜にメイから来た手紙を手渡した。
ルナは不審に思いながら、紙を開いた。
「む、む。マジェルナの丘にエトラ家の兵が集まっている……?」
思わず声に出してしまったことをルナは後悔したが、相手にはもう知られていることで隠すだけ無駄だった。手紙には、城で噂になっている周囲の慌ただしい様子がいくつか書かれている。キト家の関わっていることもあれば、そうでない情報もあった。
「ルナ」
冷静な、でもちょっと優しいタモンの声に、ルナは落ち着きを取り戻しながら向かいあう。
「何もなかった。僕たちは、アウントの町で騒がれるのを恐れて裏の道から帰る。それだけ」
『それでいいよね』と確認をしてくる。今のルナには拒む力もなく、それどころの情勢ではなさそうだった。
「分かりました」
むしろ、助け舟を出してもらっている。そう考えると承諾するしかなかった。そのまま兵たちには引き上げる指示を出すことにして、自らもこの場から去ろうとする。
「じゃあ、ルナも早くお城に来てね。待っているから」
マジョリーの言葉に、ルナは少し驚いたように振り返った。
「だって何もなかったんでしょ。今まで通りよ。ですよね? 旦那様」
マジョリーはタモンの腕に軽く触れながらそう確認すると、タモンも笑顔でうなずいていた。
(怖いんだか、甘いんだかわかりませんね。この人たちは……)
ルナは肩をすくめながら、『はい』とだけ答えてマジョリーたちを見送った。
「ミハト。ありがとう」
「兄者、今回は、このまま撤収ですか?」
ミハトは、まだまだ暴れ足りないのか肩に抱えた戦斧をぐるぐる回しながら聞いた。
「そうだね。キト家は、敵じゃない。なめられないようにしておけば、それでいい」
「へーい。では、護衛いたしますね」
つまらなそうに撤収の準備にかかるミハトだった。
「ところで、ミハトはもっと早くからここに到着していたよね」
分かりやすくギクリと、体が反応したあとで何事もなかったかのように振る舞うミハトの姿は、タモンには可愛らしく写っていた。
「ま、魔法使いっぽいのがいたので、ちょっと遠くに身を潜めておこうかと」
「それは、そうだね」
タモンは、微笑のままミハトを見つめる。
そのまましばらくの沈黙の間、ミハトの顔には冷や汗が流れていた。
「『もうちょっと、兄者がエッチなことされたりしないか見てみよう』と言ってました」
沈黙を破って、そんな証言をしたのは、ミハトの部隊の中では比較的常識のある副将のアンだった。
「そ、そんなこと言ってない!」
ミハトは、大慌ててで否定しながら、『ああっ、帰還の準備しなくっちゃ』と言いながら、その場から走って逃げ出していた。




