密談の温泉
「ロラン様」
ロランが自分の名前を呼ばれて振り返ると、廊下を少し早足でかけてきたのは、ここ数日ですっかり親しくなったキト家の侍女ランだった。
いつものメイド服を揺らしながら、ロランと目が合うとわずかに微笑んでくれる。
最初は嫌われているのではないだろうかと思うくらいに、無表情だったことを考えれば、今の微笑みでもロランからすればとても嬉しいことだった。
ここは、静かな景観地アウント-スタにあるキト家が保有する歴史ある別荘。
タモンたち一行は、ビャグンの都で一晩を過ごして、キト家に人たちにも都の群衆にも表面上は温かく見送られた。
半日かけて、キト家のこの別荘に立ち寄ることは当初の予定通りで、ここまでは何も問題はない旅を続けている。
護衛でしかないロランも、こんな綺麗な別荘に泊まれることを感謝しながら、西端の部屋から東端の部屋まで、真っ直ぐ通っている廊下さえ美しくて感嘆しながら歩いているところだった。
「ラン殿。どうかいたしましたか?」
ロランは優しく呼びかけた。
ランは息を整えるのを待つ間、周囲に人がいないことを確認すると、上目遣いにロランを見ながら誘った。
「一緒にお風呂に入りませんか?」
「女性ばかりの世界だから、一緒にお風呂に入ることはよくあること。でも、ちょっといい感じになった二人の……特に猫っぽい側にお風呂に誘われたなら、それはもうかなり夜の寝室までご一緒してもいいというサイン!」
そういう解釈でいいんだよねと豪華な湯船に浸かりながら、ちょっと変なテンションでタモンは確認する。
「はい。そうですね」
隣に寄り添った裸のマジョリーが楽しそうに答える。黒い大理石で作られた浴槽は十数人入っても問題なさそうな広さで、白濁している温泉のお湯が張られていた。シンプルな作りで派手さの無い色彩だけれど、それが一層の高級感を出している空間だった。
露天ではないけれど、大きな屋根をいくつも大きな石柱が支えている風通しもいいキト家自慢の温泉施設だった。
(ローマのお風呂とかがそのまま進化したら、こんな感じなのだろうか……)
タモンはそんなことを考える。周囲に見える美しい花畑も含めてさすがキト家の歴史ある別荘と称賛するしかなかった。
「だから、ロランはそれを聞いて興奮で鼻血出して倒れちゃったと」
頭に手ぬぐいを載せてすっかりリラックスして温泉を満喫しているタモンは、向かいにいるロランを見ながら笑った。
ロランも裸になり、肩まで湯船に浸かっていたけれど、主人夫婦やランの裸を見ることに罪悪感があるのか、目をあまり開けずに静かにしていた。
肩幅のあるがっしりした体型だけれど、素肌は綺麗だと他の三人からもちょっと意外な発見を喜ぶ眼差しで見られていた。ただ、腕にはいくつかの傷が残っているのがもったいなくもあり、武人としての格好良さを出してもいる。
「鼻血は出していません。倒れてもいません」
この半日ですっかりと主人にからかわれる立場になってしまったロランは、目をつぶったまま口を固く結んで真面目に答える。
「ロラン様、申し訳ありません。紛らわしいお誘いで……」
タモン夫婦と向かい合わせのランは隣にいるロランに謝っていた。
ランも恥ずかしくてかなり顔は赤いのだけれど、もともとお湯に浸かっているのと湯気で目立たないのが幸いと思っていた。
四人はお風呂の中で、向かい合わせに座っている。タモンからすればいかにもハーレムの見本のような眺めだったけれど、三人からはちらちらと興味ある視線が向けられては、目があうと恥ずかしそうに申し訳なさそうに目を逸しているのに気がついた。
(まあ、この世界なら、僕の裸の方が価値があるのか……)
タモンからすれば、見たいと思ってもらえる価値があることは嬉しく思いながらも、恥ずかしさと少しの怖さも感じていたので、温泉が白く濁っていて適度に体を隠してくれていることに感謝した。
「それでですね。こうして集まっていただいたのは、他の従者たちには聞かれたくない相談があるからです」
ロランと一緒にお風呂に入り、男の体を間近で見てランは舞い上がっていたけれど、困っていそうなタモンを見てやっと我に返って話を切り出した。
「え、そうなの?」
マジョリーだけは本気で驚いていた。
「ロラン様と一緒にお風呂に入りたい口実作りだと思っていたわ」
「ち、違います。お嬢様は少し黙っていてください」
しばらく真っ赤になったあとで何とか冷静さを取り戻すと、ランは改めて真面目な声で説明を続けた。
「キト家は、お舘様たちをこの別荘に留めておきたいと考えています」
ランの言葉を聞こうと静かになり、お風呂に注がれている水の音だけがはっきりと聞こえていた。マジョリーだけは、ぽかんとした顔で首をかしげながら何も言わずに聞いていた。
「ここに『男王』にずっといてもらって、キト家で専有したままにしておきたいのです」
ほとんど、マジョリーにだけ説明するようにマジョリーに向かい合って話を続けた。
「モントのお城に帰って欲しくないということよね。昔の『男王』ミド王様みたいに……」
あまりキト家の動き自体に納得できてはいないようだったけれど、マジョリーはうなずいていた。
「お二人に確認させていただきたいのです。このままキト家に保護されて、生きていくという道もあります。多少の自由は無くなるかもしれませんが、安全に暮らしていくことはできるかとは思います」
ランからすれば、本当はマジョリーにだけ先に聞いておきたいことだった。ただ、昨日からずっとべたべたしてお館様から離れる様子がなかったので、仕方なく今、まとめて意見を聞くことになってしまった。
ランの説明に、真っ先に答えたのは意外にもマジョリーだった。
「そうね。でも、もう私はあのモントのお城が自分の家だと思っているわ」
冷静な声でしっかりと言い切った。
「お母様たちは、もちろん愛しているし、尊敬しているけれど、私は旦那様を信じています。モントの城で支えていきたいと思っています」
マジョリーがこんなにもはっきりと家の言いつけ通りではなく自分の意志を示したことに、幼い頃から見てきたランとしては目頭が熱くなる思いだった。
(ちょっと色ボケが入っている気もしますけれど……)
今も裸のまま腕に絡みつこうとする姿は、付き合いはじめた恋人の勢いのままのような気がしてしまうので、ランとしては数年後に、もし愛が冷めた時に全然違うことを言いだしたりしないかだけは心配だった。
「私たちはもちろんモントの城に帰ります」
ロランは、簡潔に宣言した。予想通りの答えだったけれど、慌てた様子もなく主人の代わりに答えているということは、これくらいのことは想定していた行動だったのだろうとランは受け取った。
「それに……今回来てみて改めて思ったけれど……キト家はこのままだと安全ではないかな……と」
ちょっとのぼせたように、タモンは上を向いてぼーっとした表情で答える。
「それは……ヨム家のことですか?」
ランの言葉に、隣のロランはびくんと反応してお湯が少し揺れた気がした。キト家と繫がっているかもしれないことはまだ言っていないだけに、『余計なことを言ってしまっただろうか』とランは後悔したけれど、聞いてしまったことはもう取り戻せない。
「うん。どうだろう、分からないけど」
タモンはとぼけた答えだった。キト家が思ったより古臭くて頼りないくらいのことを娘の前であまりはっきり言うのもどうかというニュアンスで三人とも納得はしていたけれど、ランだけはそれに加えて『ロラン様の前では話しにくいことがあるのかもしれない』とタモンの泳いだ目線から感じとっていた。
「まあ、明日の朝にはさっさと帰ろうか」
「お館様。それは悠長すぎます。おそらく川にかかった橋は今晩には都から来た兵によって封鎖されてしまいます」
ランはこの屋敷の三方が川で囲まれていることを教えた上で、『私が囮になりますのでその隙に……』という提案までしてくれようとした。
「大丈夫。大丈夫。でも、そうだね。明日の朝はちょっと早起きして、出立しよう」
タモンは軽い感じでそう言うと立ち上がって、風呂から出ようとした。
「本当にそれで!」
拘束はされないとしても時間が経てば経つほど逃げるのは難しくなると、ランは訴えたかった。だが……。
「あ、え」
タモンが立ち上がったので、ランとロランの目の前には『男性のもの』が白く濁ったお湯をはじいて現れた。
「こ、これが男性の……」
「うわあ……」
希少なものを見てしまったという興奮で、先程、訴えたかったことなんて頭から吹き飛んでしまい。そのままロランとともに何も言えずに真っ赤になって固まっているだけだった。




