侍女ランの苦悩
ランは普段はマジョリーお嬢様の身の回りのお世話をしている侍女だった。
ただ、何故か今は旅行についての話し合いに参加させられている。いつもだったら、同じ侍女のメイがこういった話には参加するのだけれど、彼女は風邪を引いて今日は倒れてしまっていた。
(こんな偉い人たちの話し合いに参加させられても困ってしまうのですが……)
この城の宰相のエリシアや、自分の上司でもあるルナが参加していた。こんな偉い人たちが参加するなら自分が口をはさむことはないと、ただ大人しく座っている。
「朝に出立いたしましょう。ゆったりと景色を眺めながらでも、夕方には到着いたします」
キト家を仕切るルナが、キト家本家とのすり合わせや、馬車や警備の手配を進めていた。タモンやマジョリーに加えてエリシアなど城を治めている人たちにもあわせて、今回の旅行の計画を説明している。
「警備に関しましては、国境のアウントの町でキト家の兵隊も合流するということでしょうか」
エリシアは、タモン側の代表として警備に対して意見を出していた。
「国境……?」
ルナは、訝しげな表情と口調を隠そうともしなかった。キト家から見れば、この城は前の魔導師たちが不法に占拠していた領地でそれを実質的に引き継いだタモンたちも国とは認めていなかった。もっと言うならば、北ヒイロ地方は、本来全てキト家の下に統治されるべき領地であるというのがキト家の中でも強硬派の考えだった。
(ルナ様は強硬派なのよね……)
「いえ、何でもありません。アウントの町まではこの城の兵に警護していただきましょう……」
ランからすれば、ルナが珍しく大人しく何も言わずに引き下がったのでほっと安堵していた。ランからすれば、ただの里帰りのこんな旅行の話でもめないで欲しいという気持ちしか無かった。
「帰りは、アウント-スタにある別荘で一泊してからお戻りになられるのがいいかと思います」
ルナの提案に、それまであまり興味がなさそうにただうなずいていたマジョリーが自慢気に話に入ってきた。
「いいと思います。歴史ある別荘で少し小高い場所から見る景色は絶景です。この季節とても綺麗な花畑が見られて素敵ですよ」
自らの旦那様に向かってアピールをする。
「あと、温泉があることでも有名ですね」
エリシアはぼそりとつぶやいた。わずかに鋭い眼光が向けられた気がするけれど、ルナもマジョリーも怯みはしなかった。
「うん。まあ、いいんじゃない。一日くらいなら寄り道しても、エリシアは留守をよろしくね」
タモンは穏やかな表情でそう決断していた。エリシアはちょっと不満そうな顔を見せたけれど、何も言わずに決定には従うことにしたようだった。
「それでは決まりですね」
ルナは了承が得られたので、軽く手を叩いてこの打ち合わせを終わりにした。
(計画通りって顔をしていますね……)
ランは、自分の上司の横顔を見ながら良くない予感を抱いていた。
出発の当日は、豪華な馬車の中に、タモンとマジョリーの夫婦に加えて、侍女のランが同席することになった。
(これって……私、邪魔じゃない?)
主人夫婦二人の向かい側に座っているランはそんな居心地の悪さを感じながらの道中だった。極力、二人の視界に入らないように隅っこで小さくなっているのだけれど、主人はそんな配慮は気にもせずに話しかけてくる。
「ルナは後ろの馬車なのね」
マジョリーがどこかに出かける時は、いつもルナは一緒だった。マジョリーはちょっと不安そうに後ろの馬車を振り返った。
「あまり乗っている人が多くても馬が大変でしょうからと……」
「そう? あと一人くらい大丈夫だと思うのだけれど……」
(ルナ様は、自分ではいちゃつく夫婦と同じ空間にいたくなかっただけですよね……)
(『私も後ろの馬車がいいです』)
ランはルナにそう言ってみたけれど、却下された。
『世間知らずのお嬢様が変なことしないように誰かが見張っておかないと』と言って、その役目を押し付けられた。まあ、警備の問題もあるのだろうと思いながらも、こんなお邪魔虫な自分は嫌だとランはますます縮こまっていた。
「旦那様は何をしてらっしゃるの? あら、お絵かきですか?」
気がつけば、タモンは板と紙を取り出していた。
「まあ、お上手なんですね」
タモンは、炭のようなものを手に周囲の山や木といった風景を描写していた。マジョリーは顔を傾けながらじっとその様子を眺めて喜んでいる。ランも反対側からちょっと覗き込んで見せてもらった。一色だけだし、華やかなものではなかったけれど、移動していく馬車の中で手早く割と綺麗にスケッチを終えていた。
(お館様は、この周辺は初めて見る景色なのでしょうか。ずいぶん熱心ですね)
ランは不思議な生き物を見るかのようにタモンを観察していた。どこか読めない人物だとこの数週間の付き合いでさらにそう思うようになっていた。
(でも、何となくいい感じですね)
ランは、マジョリーの顔を反対側の席から眺めながらちょっと安心していた。
マジョリーは、周囲の風景を描いている旦那様を覗き込んでは楽しそうにしている。絵に描いてある山や建物を解説しては、自慢気にしている姿は特に印象的だった。
(正直、うちの世間知らずでプライドは高いけれどポンコツなお嬢様は夫婦生活とかうまくいかないだろうと思っていましたが……意外とうまくいくかもしれませんね)
まだ結婚して一月も経っていないけれど、寛容に自然体でマジョリーを受け止めているタモンの姿を見ていると大丈夫かもしれないと安堵した気持ちになる。
(とはいえ、ルナ様たちは何か企んでいそうなんですよね)
ランはちょっと不安になりながら、後ろの馬車を振り返る。
エトラ家に勝たなくてはいけない。出し抜きたい。その気持ちはランも同じなのだけれど、今のマジョリーお嬢様を見ていると、この自然な笑顔が悲しみに曇るようなことがないようにしたいと心から思う。
アウントの町では、町をあげての歓迎ムードだった。
キト家の衛兵が出迎えてくれると同時に、町中の人たちが門から町の通りに溢れかえっていた。
「のんびり絵を描いている場合ではなさそうですね」
タモンは、残念そうに道具をしまうと護衛の交代にあわせて馬車の外へと降り立った。
「おおー」
我らがマジョリーお嬢様と一緒に並んでいる『男』を見て、アウントの町人たちはどよめいた。
(人気ですね……まあ、珍獣みたいな扱いなのでしょうけれど……)
ランは予想以上に多い、アウントの町の民衆に驚きながら、ちらりとタモンの様子を窺ってみる。予想通りにタモンは、表面上はにこやかに周囲に手を振りながらもこの扱いに困惑しているようだった。
「大人気ですね」
マジョリーは嬉しそうにタモンに寄り添っていた、でもちょっと自分より人気なのが悔しそうだった。
「まあ、私は二週間くらい前にも通りましたから、ちょっと飽きちゃったのでしょう」
マジョリーが髪をかきあげるとアウントの町の人から黄色い歓声が起こっていた。ただ、やはり注目を集めているのは『男』のタモンだった。
「何を張り合っているんですか……」
ランはぼそりとつぶやいて、自分の主人を窘めた。今は民衆には仲の良いアピールをする時でしょうと思ったけれど、ちょっと我がままを言って旦那様を困らせながらも、楽しそうにしている姿は町の人には十分魅力的に見えているようだった。
「お似合いの二人ですね」
「マジョリー様もあんなに楽しそうでよかった」
そんな声がランにも聞こえてきた。自分と違って民衆はいつも作られたような笑顔しか見ていなかったので、本当に楽しそうに見えるのかもしれないと納得するとちょっと頬が緩んでしまう。
「『男王』の兵は、ここまでで結構です」
「なぜですか、お館様の警護は必要でしょう」
「ここからの警備は、我がキト家にお任せください」
ランが熱狂的な民衆に囲まれている夫婦から離れると、城から護衛してきた騎士の隊長とルナが何やら揉めているのが聞こえてきてしまった。
(隊長さんは、ロランさんだったかな……。三人の偉い軍人さんの一人で……。あの城の中ではまともな人よね)
ロランは二十代後半で、背が高くてたくましい体をしていた。ルナと比べると一回りくらい大きく見えてしまう。短く揃えられた髪型と真面目な人柄は、質実剛健という印象を与える騎士だった。
「失礼ながら、元『山賊』が多いと聞いているそちらの兵隊を、我が領地に入れることに抵抗のある人が多いのです」
(ルナ様、本当に失礼なことを言っているな……)
「……確かに、その不安があることは分かります」
ロランは怒るのではないかとランは思っていたけれど、意外なことにその点はあっさりと受け止めていた。
ロランは元々はヨム家に仕えていた騎士だったけれど、訳があって騎士団を辞めていたところをタモンたちに出会い、今や『男王』の軍勢を束ねる一人になったと言われている人だった。
(色々思い当たることもあるのでしょうね……。ロラン様、苦労してそうですね)
ランは、軍のことはさっぱり分からないながらも、ちょっとロランの方に同情しながら話を聞いていた。
「では、せめて私一人くらいはお供させていただけないでしょうか。もし、このままでお館様に何かあったら、私としても慚愧に堪えません」
その言葉を聞いて、ルナはちょっとだけ考えを巡らせていた
「分かりました。何かあったら私たちだけが責められてしまいますしね。ロラン様だけは、特別に許しましょう」
「ありがとうございます。では、そのように手配を進めます」
妙に恩着せがましいルナの言葉に、不満を言うこともなく一礼するとロランは走っていった。
「よろしいのですか?」
「まあ、一人くらい問題ないでしょう。噂に聞く化け物二人だったら、何とか排除したいところでしたけれど」
キト家の騎士に対して、ルナはうまくいったことに安堵しているように余裕の表情だった。
「そういうわけだから……ラン!」
「え? は、はい」
突然振り返って自分のことを指差したので、ランは驚いて直立不動で固まってしまった。
「『男王』が変な動きをしないか、見張っていなさい。何かしてそうならすぐに連絡を」
(ええ!?)
(お館様の方を監視とか……)
すでに馬車に乗りこんだランは顎を手の上に載せながら、タモンの姿を目で追っていた。
「ここまでありがとうね」
そのタモンは、ここで戻る護衛の兵隊に別れの挨拶をしている。
「あと、これ、ミハトに渡しておいて」
あわせて、さきほど描いていた絵とお絵かきの道具を渡すと手を振る。押し付けられた兵も、ちょっと困ったような顔をしていたけれど、ここからは観光気分ではないという意識なのだろう。
(危ないです。今、一緒に引き返した方がいいですよ)
ランは戻ってくるタモンとロランに心の中で呼びかけていた。
(何を考えているのか私は……。私はキト家の侍女なのに)
まだ一月も経っていないのに、かなり『あちら側』に肩入れしている自分に気がついて戸惑っていた。
(でも、キト家が乱暴なことをすると決まったわけではありませんし……)
キト家は、権謀術数は大好きでも大した実行力はないから、今のように衰退したのだとランは思っている。このまま、何もなく帰れることを祈っていた。
(何事もなく帰りたいと祈る事自体が、『あちら側』なのでしょうか……まあ、私はあくまでもマジョリーお嬢様の侍女。お嬢様が幸せになれるようにたちふるまいます)
そのマジョリーはといえば、走り出した馬車の中で脳天気な笑顔でタモンにくっついていた。
「あ、旦那様、あの丘の向こうにあるのが我が家の別荘です。綺麗なところですよ」
タモン側の外の風景に対して、指を指して説明しながら、ぴったりとくっついてそのまま離れようとはしなかった。
(ああ、何か作業をしている時は旦那様の邪魔をしないのですね。偉いですねお嬢様……)
ランは自分の主人に対して、犬や猫に対するような感想を持ってしまう。絵を描くということをしなくなったタモンに対して、今は遠慮なくいちゃつこうとしているようだった。
「温泉もあるんですよ。広いお風呂がございます」
手を絡めて、タモンの腕に胸を当てるように密着していた。ランのことなどいないかのように、ひたすら艶っぽい目でタモンだけを見つめて誘うような声で囁いていた。
(降りたい。この馬車、降りたい……)
ランは、目のやり場にも、『一緒にお風呂に入りますか』と誘っておきながら、自分で照れている主人の声が聞こえてしまうことにも真っ赤になってもじもじしながら困り果てていた。




