戦いの後
「何も力になれずに申し訳ない」
アランは神妙な面持ちで謝罪しながら、タモンに近づいていた。
「でも、俺たちは、長い長い時間を旅してきた。そしてしっかりと役目を終えることができたんだ。今日のことは歴史書に残されることはないかもしれない。だが、俺たちだけでも彼女のことを覚えておこう」
うずくまるタモンの背中に手を添えて、アランはずっと力強く話しかけていた。
「人類は無事に……ではないかもしれないが、残った。俺たちはもとより死んでいるのと変わらない身だ。もうちょっとだけ、これからの時代を生きる人類の安定のために力を貸してやろうぜ。なあ」
どうやら落ち込んでいるタモンがマイの後を追ってしまうのではないかという心配をして励ましてくれているのだと、タモンが気がつくのには数分の時間がかかった。
「大丈夫です。僕は、死んだりはしませんよ」
力はなかったが、笑顔を作ってタモンは顔を上げて微笑んでいた。
「ああ、そうだ。そうだ。こんな綺麗な奥さんがいっぱいいるんだしな」
アランはタモンの返事に嬉しそうに何回も背中を叩いて励ましていた。
周囲を見回せば、心配そうな顔でエレナやマジョリーたちがこちらの様子を窺っていた。
(そう、マイ先輩が言ったように、今の僕には信じられる人が……家族がいる)
守ってあげないとという思いを持って立ち上がった。
「いっぱい抱いてあげて、たくさん子どもを作らないとな。いやあ、俺も見習ってたくさん嫁をもらうか」
タモンが生きる気があることを本当に安堵しているのは伝わるのだが、無理にテンションを高くしすぎて空回りしている感があるアランだった。
「アラン陛下は、まずは東の帝国をなんとかしませんと」
そんな彼に対して横から、そっと入ってきて声をかけたのは彼の魔法使いのピアだった。
「ああ、俺もタモン殿のように帝国から嫁をもらうとするとするさ。同盟を結んだり、武力で脅したり、硬軟両方織り交ぜてな……って、ピア?」
ピアの様子が何かおかしいことに、アランもタモンも気がついた。
マイの時ほどはっきりとわかりやすくはないものの、存在が薄くなっているのだと二人の男は気がつく。
「お前……どうして」
「どうしてと言われましても、私の元の肉体なんて数千年も前に朽ち果てていますから、魔力だけで保っているこの体は消えていくのが当然です」
「……そんな……何も言わなかったじゃないか……」
崩れ落ちるアランを素通りして、ピアはタモンの前に立った。
「これまでお父様の言いつけどおり、冷凍睡眠から解凍される男をサポートしてきましたが、めでたくそれも不要になりました」
「……ああ」
「最後にお父様に会えてよかったです」
ピアはにこやかな笑顔でそう言ったあとで、横のアランに視線を移す。
「そして、最後にサポートできたのがアラン陛下。あなたで良かったです」
「まだ、存在し続けることはできるだろう? 一緒に大陸を制覇しようって言ってくれたじゃないか。ずっとそばにいてくれよ!」
「残っても、何のお役にも立てませんし……もう私がいなくても大丈夫でしょう」
「大丈夫なわけがないだろう!」
「楽しかったですよ、相棒。ああ、フランソワーズさんを大事にしてくださいね」
「ピア!」
マイと同じように透明感を増していた体が、ところどころ光の粒となって最後の明かりを発して消えていく。
タモンは綺麗だなと思いながら、ピアが笑顔で消えていくのを見守っていた。
もっと限界まで体を保つことはできたのだろうけれど、アランに綺麗な思い出を残したまま消えたいのだろうと思うと先ほどのマイの気持ちも理解できた気がした。
「くそおぉ。何で俺をおいていくんだ!」
アランは叫び、泣いていた。
元々の性格なのだろうけれど、タモンよりも大きな動きと声でこの世の終わりだとでもいうように悲しんでいた。
その慟哭を聞いて、タモンたちも大陸の東であったドラマを想像し、さきほどまでとは打って変わり同情して涙を浮かべるものも多かった。
「彼女はしっかり役目を果たしたんだ。笑顔で見送ってあげよう」
床を叩きながら嘆くアランの背中にタモンはそっと手をあてながらそう言った。
何故か、いつの間にかタモンは自分が慰める側になってしまっていた。
「ふー。鎧姿でずっと登り道はしんどいな」
ミハトも戦場を駆け巡ったあとの地下迷宮での戦いだったので、さすがに疲れたように座り込んだ。
タモンたちは、後始末をアランの部下に任せて、地上の城へと戻ったところだった。
王の間で日光を浴びながら地上に戻ってきたことを感じつつ、それぞれが椅子か床に座り休んでいた。
「沙綾の魂も、もう存在していないの?」
タモンは、ふと隣にいるクリスティアネに聞いてみた。
暑いのかローブを脱いで、シャツをぱたぱたと広げて涼んでいる美少女の胸元につい視線が釘付けになってしまう。
「そうですね。もう沙綾さまの魔力はありませんね」
あっさりとクリスティアネは、そう答えた。
少しだけ寂しそうではあったが、特に悲しんでいるという様子には見えなかった。
(あくまでも、一時的な共闘関係だったということだろうか……)
もう少し妹とも話をしてみたかったという気持ちもあったけれど、やはり僕たちはもう過去の人間なのだから、話さなくてよかったなどと考えて少ししんみりしていた。
「ですけど、しっかり沙綾さまの記憶は受け継いでいますから。ご安心ください。お兄様」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて、クリスティアネはタモンに顔を近づけた。
「何が安心なの……」
言葉の真意は分からなかったけれど、タモンはやりにくそうに照れて目を逸した。
「沙綾さまはタモンさまのことを本当に尊敬して大好きでしたよ。妹にそうまで思ってもらえる人なんてなかなかいません。ですので、私も安心して嫁ぐことができるというものです」
「……そういえば、本当に嫁に来てくれるのですか? 北ヒイロまで?」
「ええ、そう言ったではないですか。もう返品はできませんから。できませんから。それとも何か私にご不満でも?」
容姿にも自信がありそうな笑顔を浮かべて、クリスティアネはそう聞いた。
「いや、あんな田舎にトキワナ帝国の皇女さまに来てもらっていいのかなと……」
「言ったではないですか、実利はともかくトキワナやヒイロの国民の感情としてもこれがいい落とし所だと思います。それに……そもそも、タモン様は南ヒイロの皇女さまをすでにお嫁にもらっているのではありませんか?」
「いや、北と南ヒイロは元々近い間柄の国ですし……それにイリーナは皇帝陛下の妹なので、マリエッタ陛下に子どもができれば跡を継ぐことはないので……」
タモンは自分で言い訳のように説明しながらも、南ヒイロのマリエッタ皇帝陛下に子どもができるのはまだまだ先の話で、何かあったらイリーナが南ヒイロ帝国を継ぐ候補になる可能性もあることに気がついてしまった。
ただ、それについては触れないことにしておいた。
「私、本当はあまりトキワナ帝国にとどまりたくないのです」
「それは……なぜですか?」
「幼い妹たちを次の皇位につけようと画策する人たちがおりますので」
少し悲しそうな目をしているとは思ったけれど、たくましくも『だから連れていってください』と笑いながらクリスティアネは懇願していた。
「……なるほど」
今の皇帝陛下の寵愛は、クリスティアネの母ではないのだろう。
それは王家ではよくある話だとタモンも思い考え込んでいた。
「……分かりました。私の妻として、北ヒイロに一緒に来ていただけますか」
帝国で跡継ぎ争いを起こさないようにしつつ命を守るため、向こうから懇願しているのであればもう断る理由はなかった。
本当はまだ若くタモンの感覚でいれば中学生くらいの少女を妻に迎えることに抵抗がないわけではなかったが、もうすでにイリーナもいるだけにタモンはおおらかに考えることにして、クリスティアネに手を差し出した。
「こほん。タモン陛下。その方はどなたなのですか?」
「どういう関係なのかな?」
クリスティアネが、タモンの手を握った瞬間、目の前にエレナ、マジョリー、コトヒが並んで立っていた。特にコトヒは腕を組んで怒りを隠そうともせずに聞いていた。
(しまった)
表情には出さないようにしながらも、顔面の片方のが固まってしまっているだろうとタモンも自分で感じながら恐る恐る視線をエレナたちに向けた。
「トキワナ帝国の皇女クリスティアネと申します。この度、タモン様の妻として迎え入れられていただくことになりました」
立ち上がると丁寧に礼儀正しくお辞儀をして、先輩のお妃たちに挨拶をする。
「え、皇女さま?」
ずっとお供も連れずに地下迷宮に一緒に行動していたので、魔法使いの一人くらいなのだろうとエレナたちはずっと思っていた。ちょっと釘を刺しておこうというくらいの気持ちだったのに、衝撃の事実に少したじろいでいた。
「これからはただのタモン様の妻ですので、先輩のご婦人方、どうぞよろしくお願いいたします」
先輩方を立てるようにしながらも、気品と自信あふれる眼差しにエレナたちは、対抗心を燃やしていた。
とはいえ、エレナはこの婚姻の国家間での意味を即座に理解した。
北ヒイロにとっては利のあることだと計算しつつ、やはり強大すぎる実家の影響力が強いことを心配した。
(でも、すでにイリーナちゃんがいますからね。むしろ帝国出身が二人いた方が、牽制になっていいのかもしれません……)
「ええ、クリスティアネ様。私は第一夫人のエレナと申します。よろしくお願いいたします」
ここは素直に受け入れた方が得策と切り替えたようだった。
釘を差しながらも、エレナはクリスティアネとにこやかに握手を交わした。
これが、このあと長きに渡る正妻派と皇女派の争いのこれが始まりだということを本人たちもまだ知らない。ただ、ライバルになるであろうという予感だけはお互いに持っていた。
二人のにこやかな笑顔の裏に怖い空気を感じながら、マジョリーとコトヒもクリスティアネに近寄りそれぞれ握手を交わすと談笑していた。
「クリスティアネさまは、素晴らしいです」
エレナは不意にタモンの方に向かい直すと、そう言った。
「帝国の皇女様を迎え入れるなんて、さすがです。しかも、若すぎるほど若くて綺麗でいらっしゃる」
どうやら大戦果だと褒めてくれているらしいことにタモンはやっと気がついたが、後半からは少し嫌味も入っているようなのでタモンは少し引きつった笑顔で応じていた。
「で・す・が、そろそろ。夫人を増やすのはやめたほうがいいのではないですか? 旦那さま」
「そうですね。私が最後で」
何故かエレナからもクリスティアネからも、にじりよられてしまっていた。
「はい。もうこれで最後です。最後にします」
背筋を伸ばして、タモンは応じていた。
律儀な彼はこの日の約束を生涯ちゃんと守ることになった。




