男二人
(トキワナの皇帝陛下を置いていけば、逃げることはできるかもしれない……)
タモンは横目で窓を見て脱出できる機会を探っていた。しかし、一時離脱してしまうともうこんな好機は訪れないかもしれないと思い留まる。
下手をすれば、皇帝陛下を追い詰めるところまで戦わないとこの戦争が終わらない可能性もある。
「……何故、貴方様が我々の邪魔をするのですか?」
そう考えつつ、次の一手を探っているとヴァレリアはそう問いかけてきた。
「我々は貴方様の世界を守っておりますのに」
今まで表情を伺うこともできなかったヴァレリアが、わずかに顔をあげると寂しそうな目でタモンの顔を見ている。
機械のようだったヴァレリアの表情から、今は疲れた中年女性のような物悲しさがタモンには伝わってきた。
「何の話……?」
「許せません!」
少しタモンが同情したように近寄ろうとすると、すぐに激高した声と目に変わっていた。
凶悪な魔女かむしろ魔王さえ想像させる激しい怒りのオーラに従えている近衛兵たちさえ怯えた目を一瞬向けていた。
「どういう意味だ?」
タモンには本当に覚えがなく聞きたい気持ちと、少しでも時間を稼ぎたいという思惑があったが、ヴァレリアは一瞬だけ動きを止めて何かを言いかけたがそれだけで近衛兵に攻撃の命令を伝えた。
「かかれ! 殺しても構わん」
殺してもいいという声の前に少しだけためらいがあったとタモンは感じたが、発せられてしまったからには絶体絶命の危機だった。
こうなれば魔法で迎え撃つしかない。クリスティアネと協力しながら、近衛兵に凍らせつつ火の玉を放つが部屋の中で次々と押し寄せてくる兵の相手は厳しい。
魔法にはどうしても休息がいり、詠唱がいる。あらかじめあの手この手でごまかして連射しているように見せているが、近衛兵たちの壁は迫ってきている。
(叫び声さえあげてくれないな……)
(ええ、本当に怖いですね)
タモンとクリスティアネは、そう目を合わせながら念話をする。
近衛兵たちはもう自分の意識で動いていないかのようだった。派手な魔法に怯えてくれずに黙々と仲間を盾にして進んでくる敵は、魔法の天敵だった。
(駄目か、逃げるか……)
悩んでいる間に、もはや二人とも無事に逃げるのも難しいほど追い込まれていた。
操られた人形のような近衛兵たちが次々と襲いかかってくる。
「タモン陛下! ご無事ですか?」
そう思っていたところで、部屋の入り口で激しくぶつかり合う音が聞こえた。味方の兵たちが、皇居の中に突入してきたようだった。
「ショウエ!」
部屋の中に飛び込んできたのは、タモンたちの軍師であるショウエだった。近衛兵たちの壁を乗り越えて、すごい跳躍でタモンの元まで跳んできたように見えたが、ショウエにそんなミハトのような身体能力があるわけがない。おそらくピアが飛ばして送り込んできたのだろう。
ショウエは、前線で戦う武官ではなくあくまでも軍師だった。
お世辞にも強いとはいえない援軍にタモンは戸惑いつつ、むしろ守ってやらないと思い一歩前に踏み出した。しかし、ショウエはそんな心配など無用というように、すばやく飛ばされてきた勢いのままヴァレリアに向きを変えて斬りかかった。
「ぐっ」
ヴァレリアは右腕でショウエの剣を受けながら呻いた。
抑えた右腕からは、血が流れ痛そうに抑え込んでいると、その瞬間に近衛兵たちは自らの意識を取り戻したようだった。
「陛下? クリスティアネ皇女殿下?」
正気を取り戻しまさに襲いかかろうとしていた相手が、自分たちの主だと気がついた兵たちは剣を捨て二人にすがるように近寄っていた。
まだ状況が理解できずに混乱してタモンたちを捕まえようとしている兵たちもいたが、もう、まとまった動きはもうしてこなかった。
「よっしゃー。突っ込め!」
部屋の入り口では、低い声が響いた。
突撃とともに混乱した近衛兵たちは、あっという間に戦意を喪失していくように見えた。
(あれが……もう一人の『男王』か)
タモンはついに姿を見せたその男に目を奪われた。
無謀にも思えるくらいに前線に出て剣を振るっている。
タモンがそれについて注意をするような資格は全くもってないのだが、それはタモンから見ても最前線すぎて不安になってしまう。
しかし、タモンとは違い背が高く逞しい体つきで、易易と長剣を振り回し、綺麗なブロンドの髪が揺れる碧眼の二枚目の姿に思わず見とれてしまっていた。
まるで神話で語り継がれる英雄のようだと思ってしまう。
「おお、君が『タモン』殿だね」
鼻に返り血らしい赤い点を残したままで、その男はタモンを見つけると剣を振るいながら嬉しそうな顔で歩み寄ってきた。
「あ、ええと。もう殺すことはないのではないかと思います」
タモンは、この英雄のような男に劣等感のようなものを感じてしまっていた。血で染まった鎧姿のまま笑顔で握手してきそうな雰囲気に押されながらも、しっかりということは言わなくてはと向かい合った。
「ん? ああ、そうだな」
もう部屋の中と入り口にいる近衛兵たちは戦意を喪失して勝敗は決しているように見えた。
「全員止まれ! トキワナの兵は今すぐ武器を捨てろ! そうすれば、殺しはしない。丁重に扱うと約束しよう!」
部屋中どころか、皇居中に響き渡りそうな大きく威厳ある声で叫ぶと次の瞬間には全員が動きを止めて、近衛兵たちはつぎつぎと武器を手放して石の床にいくつもの金属がぶつかる音が鳴っていた。
「俺はアランだ。よろしくな」
降伏する近衛兵たちの処理を部下に任せると兜を外し血の付いたガントレットを軽く拭ったままで、アランと名乗った男は手を差し出してきた。
タモンは少しべたりとした血の感触に鳥肌が立ちながらも、にこやかに握手を交わした。
「ありがとうございます。助かりました」
「いやあ、そこのショウエちゃんがもう必死にうちの主を助けてくださいっていうものだから、お兄さん本気を出しちゃったよ」
「そ、そんな必死ではありません。わ、我が陛下であれば何とかできましたとも」
男二人が握手している横で、ヴァレリアを拘束し終わったショウエが飛んできた。
「何とかはできたかもしれないけれど、皇帝陛下を奪還するのは難しかったと思う。感謝いたします。ショウエもありがとうね」
アランに礼を言い、隣にきたショウエの頭をなでてあげると小動物のように喜んでいた。
「まあ、これだけ頑張ったからには当然、ショウエちゃんが体で返してくれるんだよね」
「え? な、なんですかそれは」
「一晩くらい俺の相手をしてもらうってことさ。いいもんだよ本物の男女のセックスは、どう? ははは」
端正な顔立ちの二枚目が、いやらしい目つきをしながらわざわざ顔を崩してショウエに顔を近づけてきた。怯えるショウエは思わずタモンの腕の後ろに顔をかくした。
「あー、でも、もう『男』も知っているのか」
タモンの方を向いて、そういえば『今回は』少し違うのだったと思い出したようだった。
「わ、我とタモン陛下はそのような関係ではありませぬ」
「えー。もったいない。俺がたっぷり教えてあげるよ。どうだい? さっそく今晩。ぐおっ」
『アランさま、うちの軍師をからかわないでいただきたいと』タモンが手を広げて、ショウエを守る構えを見せるのと同時にアランは後ろからこづかれたのか後頭部を痛そうに抑えていた。
「痛っ」
アランが振り返った先には、スラリとした体格の美人な騎士が自らの主君を蔑むような目でじっと見ていた。
「あああ、フランソワーズ。これはね、ちょっと西の男王勢力と仲良くなろうと思ってのコミュニケーションだよ。ああ、もちろん。浮気とかじゃないよ。俺は子どもには興味がないからね」
女騎士は兜をかぶったままなので髪型などはよくわからないが、お似合いの背格好をした二人のような気がした。
さきほどまでの嫌味なほど格好いいアラン男王は、ちょっと情けなくフランソワーズに弁明していて、そんな光景をタモンは少し微笑ましく眺めている。
フランソワーズという人が、恋人なのかそれとも妻から監視役として同行させられているのかは分からないが頭が上がらない感じなのはそこまで我が儘な王というわけではなさそうで安心していた。
ただ、タモンの隣でショウエは、変な男に言い寄られないことはほっとしつつも、体つきをみて『子ども』だと言われたことはショックだったようで落ち込んでいた。
「まだ、そんな余裕はございませんでしょう」
「は、はい。そうだね」
厳しい目つきで睨みつけるフランソワーズに叱られて、アランは渋々と残された自分の仕事をしなければいけないと思い直したようだった。
「タモン殿とは色々と話すことがある。だが、それはあとでゆっくりと話そう。まずは、帝都での戦いを止めないとな」
再び真面目な表情の二枚目の顔に戻ってアランはそう言いながら、兵たちも慌ただしく混乱しているなかでソファーへと寝かされたトキワナ皇帝の方を見る。
「トキワナの皇帝陛下は、まだ起きないかい? 停戦の命令を出して欲しいと思ったのだが。困ったな」
「まだ混沌とした意識の中におります。無理に起こさない方がいいかと思います」
トキワナ皇帝の横で心配そうに診ていたクリスティアネは、顔をあげると真っ直ぐにアランの方を向きながらそう言った。
「ご安心ください。私から停戦の命令を出します」
クリスティアネはそう言うと、改めて近衛兵の隊長に帝都内での戦闘も止めるように徹底させるように命令する。
「……君は?」
アランは不可解な顔をしてクリスティアネを見下ろしていた。
いかにも魔法使いという格好だっただけに、治療のためにいるとても若い魔法使いがいきなり口を挟んできたようにしか見えなかったのだろう。
「私はクリスティアネと申します。ここにおります皇帝陛下の娘にあたります」
フードを外し、寝ている皇帝陛下の横に座りながら深々と優雅な動作で一礼する。
「え、ああ、つまりこの帝国の皇女さま?」
床に座っているからということもあるのだが、帝国の皇女さまがあまりにもへりくだったように見える態度にアランの方は戸惑ってしまっていた。
先程の命令に近衛兵たち数名が敬礼をして急ぎ部屋と走って出ていった光景を見て、やっと信じる気になったようだった。
「はい。どうぞお見知りおきをアランさま」
立ち上がり、数歩歩いて近寄るとにこやかな外交用の笑顔とともに握手を求めてきた。
「おお、なるほど。それは助かります。いやーそれに間近でみるとすごい可憐な美少女だ。どうですか? 今晩、俺と二人っきりでお食事など……」
握手を交わした後で、じっくりと顔や体を舐め回すように観察していた。
ショウエとクリスティアネはホボ年齢は変わらないのだが、じっくりと観察した結果としてクリスティアネは口説いていい対象として認識されたかのようだった。
「ぐおっ」
しかし、次の瞬間、アランはまた痛そうにうめき声をあげていた。今度はかなり本気で苛立った態度の騎士フランソワーズがお尻を蹴飛ばしていた。
「まだ、それどころではございません。でしょう?」
アランの耳元で囁いた声がかなり本気の殺意が籠もっていて、タモンは横で見ながら背筋が寒くなってしまった。
(エリシアの方がまだ優しいな……)
似たような関係なのだろうと思いながら、タモンは自分の一番頼れる宰相がエリシアであることに感謝していた。
「そうだな。停戦については皇女さまにお任せするとして、問題は魔導協会だ。まずは今後の方針についてタモン殿と話し合わなくてはな」
しばらく考え込んだのちに急にタモンの方に向き直った。
タモンとしてもそれは望むところだった魔導協会を何とかして先輩を救いだすのだと意気込んで向かい合った。
「陛下!」
アランの部下が叫んだのだが、向かい合った男二人は同時に振り返った。
先程まで確かにあった何かがなくなっている。違和感を覚えながらもそこにあったはずのものがいきなりなくなっていて、何が消えたのかもすぐに理解できなかった。
「魔導協会のヴァレリアが逃げました!」
アランの部下が敬礼しながら報告して、やっとその場所に誰がいたのかを思い出した。
完全に拘束して、タモンとアランの部下たちにも囲まれていたのにも関わらず彼女は縛り上げていた鎖だけを残して煙のように消え去っていた。




