あまり甘くないピロートーク
タモンは新しくなった部屋の中でも、後宮の方に出っ張ったスペースがお気に入りだった。日本の旅館の窓際にある広い縁側のように小さなテーブルと椅子をおいて、外の景色を眺めていた。
「ガウンでワイングラスでも片手に飲めたらお洒落なのだろうなあ」
タモンは窓の外を眺めながらそう思った。ただ、実際には質素な布の寝間着姿で、水差しから水を飲んでいた。昨晩までは、月と星が綺麗なこと以外は全くの暗闇だった山の方に、二つの建物ができて、こんな日の出前でもいくつかの灯りが見えて適度に華やかな夜景になっていた。
「お館さま。どうかなさいました?」
景色を眺めているタモンに、エリシアはそっと近づいて、深夜だけに小さな声で話しかけた。
「ああ、起こしちゃった? ごめんね」
裸のままシーツに身を包んだエリシアの姿を見て、タモンは目を細めた。
「いえ、寝相が悪かったりして、お館さまがベッドで眠りにくかったのかと心配になりまして……」
「そんなことないよ」
タモンは笑っていた。本当に気にもかけていない様子だったので、エリシアはほっとして向かいの椅子に腰かけた。
「エリシアは大丈夫?」
「え?」
「うん。ちょっと苦しそうだったから」
眠るというか、意識がなくなる前にベッドでした行為を思い出してエリシアは再び真っ赤になってしまう。
「だ、大丈夫です。思ったよりも……大きくて……痛かったですが苦しそうにして申し訳ありません」
「いいよ。痛い時は痛いって言ってくれたら、もっと優しくできると思う。うん、まあ、さっきは僕もちょっと余裕なかったけど」
照れながら言うタモンに、エリシアの胸は締め付けられるように鼓動を増していたけれど、すぐに冷静になるように心を落ち着けようとしていた。
(別に私は恋人や奥様になれるわけじゃない。部下として、そう部下として……たまにお相手を……)
たまに相手をして欲しいと思っている自分に、エリシアは頭を抱えながら妄想を打ち消そうとした。
「あれが、デネブ、アルタイルで……あれがベガかな」
「?」
夜景をぼんやりと見ていたタモンが、つぶやいたのでエリシアも身を乗り出して窓の外を見たけれど、視線の先を見て星の話なのだとやっと気がついた。
「夏の大三角形っぽいから……。これから、だんだん暑くなるのかなと思って」
「残念ながら、あの星たちは一年中見える星たちですね」
エリシアからは、タモンが最近、自分の常識がこの世界の常識とあっているかを確認しようとしているように思えた。頭がおかしいと思われたくなかったのか、今まではあまり聞いてきたりしなかったことだし、今も親しい人にしかこんな唐突な話をしようとはしない。
(つまり……私のことは信用してくれているということなんですよね……)
エリシアは、表面上はいつものそっけない態度は崩さないようにしながらも心の中では、嬉しい気持ちとこの主人を守ってあげたい気持ちで溢れていた。
(決して、肌を重ねたからといって調子に乗っているわけではありません。いけません)
自分はあくまでも部下の一人。そう自分に言い聞かせるようにエリシアは聞こえないようにつぶやいていた。
「僕はね。こっちで初めて目覚めた時は、『これは僕の妄想が作った夢の世界に違いない』って思っていたんだ」
この話は、以前にも聞いた気がする。この国でずっと生きてきたエリシアからすれば、ピンとこない話だったけれどとりあえずうなずいていた。
「見た感じは、若い女性しかいない世界だしね。魔法で少しくらいの傷なんてすぐ治ってしまうし、料理は十分おいしいし」
あまり女性にも食べ物にも執着がなさそうな主人の言葉を、ちょっと意外には思いながらエリシアは聞いていた。
「『なんて都合がいい夢なんだ』って思っていたんだけど、実際には変なおばさん魔法使いに捕まって無理やり夜の相手をさせられて搾り取られるし、助けてくれたカンナやミハトの仲間は黒焦げにされたり、腕が吹き飛んだり……。そう、さすがにそうなると治らないんだよね……」
タモンは、思い出したくないことを思い出してしまって、少し小刻みに震えているようだった。そんな主人の姿を見て、エリシアは身を乗り出すとぎゅっと両手で手を握りしめた。
「ありがとう。でも、今はまた夢みたいな生活ができて感謝しているよ」
タモンは、エリシアに向かって感謝する。
「いえ、そんな私も助けていただいて感謝しています」
タモンやミハトの前半の冒険は、悲惨だったとは聞いた。冒険というか、怖い魔法使いからひたすら逃亡するだけだったと、奴隷同然の扱いだった自分と比べてどっちが悲惨だったろうとエリシアは考えながら、思わずタモンを抱きしめようとしていた。
(いや、だめ。だめ)
エリシアは、タモンの両肩に軽く手を載せたところで何とか踏みとどまった。
自分だけのものにしたい。あのお嬢さまたちにもミハトにも渡したくない。そんな思いがエリシアに湧き上がっていたけれど、首を振って否定した。
(うまくあのお嬢さんたちを利用しないと、この人も終わってしまう……)
二人はごく近い距離で目を合わせたけれど、何でもないようにエリシアはそのまま離れようとした。
「ふえっ」
しかし、タモンはタックルをするように抱きつくとそのままエリシアの胸に顔をうずめていた。
(ひ、人がせっかく感情に流されないように離れようとしたのに)
抱きつかれたままの姿勢で、しばらくその身を任せていた。
(この人を守っていこう……)
タモンは普段はそんな素振りは全く見せないけれど、これまでの苦労と今も変な緊張した人間関係で疲れているのだろう。エリシアはどこか保護者のような気持ちになって、主の髪をそっと撫でていた。
「まだ、夜も明けていないのに慌ただしいね」
ふと、タモンは窓の外を見ると、後宮の灯りが増えて、人が慌ただしく増えていた。東の空が少しだけ明るく紫色になって見えるけれど、まだ城の周囲は暗くて灯りのないところは人がいるのかも分からないくらいの時間だった。
「まあ、でも朝ごはんの支度をしているだけのようですね……」
沸き立つ湯気などが薄明かりの中で見えて、エリシアはそう判断した。
「特にエトラ家の方が元気ですね。まあ、商家だとこれくらいの時間から元気なものなのかもしれませんね……」
今のエトラ家は商家というわけではないけれど、この北ヒイロ地方の経済に大きな影響を持っていることから商家たちの代表と見られていた。エリシアもちょっと馬鹿にしたようなニュアンスも含みつつも、素直に感心しながら後宮を見守っていた。
「そして、誰か来る……ようですね」
タモンはまだエリシアに抱きついたままだった。
朝日が昇り始めて空が明るくなりはじめるのにあわせて、後宮から一人渡り廊下を歩いてきていた。
「お館さま。起きていらっしゃいますか?」
しばらくするとマルサが、小声でドア越しに呼びかけてきた。
「はいはい。起きていますよ」
タモンは、ドアを少しだけ開けて、マルサに答える。いつも朝早いマルサさんもまだ眠そうだなと、タモンは思っていた。ちょっと頭がまわっていなさそうなマルサは、少し用件を告げるまでに時間がかかった。
「エトラ家の従者が、『朝ごはん』をご一緒にいかがですかと……お誘いがありまして」
「はい。わかりました。しばらくしたら伺いますと伝えてもらえますか?」
タモンからすれば、朝早すぎるとは思っていたけれど、予想通りではあった。
「あら。大丈夫ですか?」
マルサからするといきなりだし、朝早すぎるという印象だったので、断りたい気持ちが強かった。自分たちが朝ごはんを作ろうとしているところだというのにという憤りもちょっとありつつも、主人があっさり受け入れたので素直に従うことにした。
「うん。お嫁さんを焦らしすぎてもよくないしね」
「分かりました。では、そうお伝えしておきますね」
マルサはそっとドアを閉じた。その際に、裸の上にシーツだけをまとっているエリシアの姿を見て、ウィンクをしながら微笑んでいた。
「ぐううう」
エリシアは、こんな恥ずかしい格好でいたことを後悔して、顔を手で覆いながら唸っていた。
「ど、どうしたの?」
「い、いえ、何でもありません」
エリシアは、冷静さを取り戻して椅子に座り直しながら、二つの後宮の様子をちらりと眺めた。
「ここは早いものがちでいいよね」
「はい。いいと思います」
キト家の後宮も人が多く動き出してにぎやかになってきていたけれど、まだ特に何のアクションもないままだった。タモンとエリシアはそんな外の様子をみながら、今後の予定を頭の中で修正していた。
「じゃあ、お嫁さんの朝ごはんを食べに行ってくる」
タモンは、着替えると軽い調子でエリシアにそう告げた。
「はい。いってらっしゃいませ」
エリシアとしても、最初の会食のことをそれほど心配はしていなかった。タモンならばうまくやってくれるだろう。問題は、その後なのだと考えながら普段と変わらない調子で主人を送り出そうとした。
「エリシア」
タモンは、エリシアの耳元にそっと顔を寄せた。いつも、何か良からぬ計画を伝えたりするときと同じ仕草だったので、エリシアは『まさか、今朝の会食から何か企んで仕掛けるつもりでは……』と身構えて主人の言葉を緊張して待っていた。
「昨晩はありがとう。素敵だったよ」
耳元で意外な言葉を囁かれてしまい。エリシアは、腰が砕けてしまい。本当にその場に床に倒れ込んだ。
「は、早く行ってください!」
可愛い声で怒られながらタモンは早足で自室から出ていった。




