【女の正体⑤(true identity of woman)】
N・E・Bと言う頭文字で真っ先に浮かんだのは、妹のナトー。
彼女の名前はナトー・エリザベス・ブラッドショウ。
しかしナトーは自分の名前すら記憶できないほどの赤ちゃんの時に行方不明になっているし、妹を預かった者がその名前を知っていたなら私がイラクの新聞に載せた懸賞金付きの情報提供に応じているはず。
かと言って無視するわけにもいかない。
ナトーとその家族が戦争の続いていたイラクから国外に出て暮らしている場合もある。
固定観念は極端に視野を狭くしてしまう。
ここは一旦N・E・Bをナトーと結び付けて考える事は止そう。
全ては模擬市街戦エリアに設置してある端末を調べれば手がかりは掴めるはずだ。
模擬市街戦エリアに到着した。
可動部の状態をチェックして良好であることを確認した。
「良くメンテナンスされていますね。引き続きこの調子でお願いします」
「ありがとうございます。頑張ります!」
「もしかしてメエキさん、アナタがこのメンテナンスを?」
「はい、まあ私は雑用係の様なモノですから」
メエキさんが照れながら言った。
「ご喧騒を……機械の知識がなければ、ナカナカここまで丁寧なメンテナンスは出来ませんよ」
「ありがとうございます」
お世辞ではない。
小心者で見た目もサッパリしない男だけど、勤勉で手を抜かない正直者。
メェナードさんが信頼するとすれば、このようなタイプの男……やはり私の勘に間違いはない。
各所に設置されている表示機器の破損状況や動作確認を済ませ、いよいよ端末にアクセスするために管理室のある教会に向かう。
この教会は模擬市街戦場に有りながら、日曜日にはミサも行われる本格的な造りにしてある。
厳かな雰囲気。
防弾ガラスで作られたステンドグラスの見える正面には、大きな祭壇があり、その隣にはグランドピアノが置かれている。
祭壇にある箱根細工をヒントに考えて作った“隠し引き出し”を開け、簡単な数字だけの暗証番号8桁を打ち込むと、祭壇に隠してあった扉の鍵が開いた。
扉を開くと、中は空っぽで、特に何も収納されてはいない。
次にメエキさんが教会に設置してあるピアノの蓋を開け、キーとなる楽曲を演奏する。
ところどころで半音上がったり下がったりテンポも時々変わって、真面目に聴いていなくてもタマにイライラしてくる下手くそなピアノ。
だけどコレはワザとに違いなく、譜面を見ずにコノ演奏が出来てしまうメエキさんはナカナカのもの。
実はこの演奏自体が、管理室に通じる通路の鍵になる。
鍵盤数88個で、短音もあれば和音もあり、音符も私たちがよく目にする4分音符(♩)や8分音符(♪)だけでなく倍音符から9連符、更にそれにシャープ(♯)やフラット(♭)、ピアニッシモやメゾフォルテなどの強弱記号、テヌートやスラ―などのアーティキュレーション記号などもつく。
かなりゆっくりと流れる曲、ベートーベンのピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 『幻想曲風ソナタ』通称『月光』の第1楽章でも、たった6分弱の演奏の間に譜面に登場する音符の数は1000個以上もあり、その一つ一つに88種類の音階と先に述べた和音や様々な演奏記号がつくからコレを暗号として考えれば組み合わせは無限大。
演奏が全て終わると扉の床の部分が開き、地下の管理室に降りる通路が現れた。
この床の部分も金庫などで使用される素材に、戦車の防弾板に使用される複合構造をプラスしたものだからガスバーナーや爆発物によって開けることは出来ないから、無理に開けるにはビルの解体作業で使用される重機や掘削機を使用して地道に広げるしか手がない。
つまり密かに侵入したものが、見つからないように開けてしまうことが出来ない構造になっている。
そして中に侵入できたとしても管理用のコンピューターにも、それは言える。
この部分は完全に外部からアクセスすることが出来ない完全なスタンドアローンになっているので、開発者の私でさえもココに来なければ状況を知ることが出来ない。
しかもアクセスするには金庫などに使われるダイヤル式の鍵と、異なる2つの物理的な金属の鍵、そして外人部隊が独自で管理する32桁の暗証文字が必要になる。
厄介なのは、この32桁が英単語と数字の組み合わせだけではない所。
使用できる文字は英語に代表されるラテン文字だけでなく、アラビア文字やキリル文字に漢字や平仮名カタカナに留まらず音符や記号まで使えるから、その組み合わせは無限大に近い。
高性能なノートパソコンに入れ込んだ最新の暗証番号自動解析ソフトを使ったとしても、数十年かかる代物だ。
もちろん各国が競い合っているスーパーコンピューターなら数分で解析できるが、外部アクセス端子を持たないこの端末に外部アクセス端子を増設しようものなら、その時点で全てのデーターはフリーズしてしまうから実質的に不可能となる。
自分で開発しておきながら、その自分でも手に負えない完ぺきなセキュリティー。
メエキさんがダイヤルを回し、鍵を挿し、暗証番号を打つ。
「遅くなってスミマセン」
「大丈夫ですよ」
全て知っている者でも、結構な時間が掛かるのは仕方のないこと。
ようやく表れたコンピューターの画面を開き、管理画面にアクセスした。
「パソコンのデーター管理に、あと1時間ほどかかりますが、どうします?」
「私の手は必要ですか?」
「いえ、信用いただければ私1人で十分です」
「……では、お願いします。扉はどうします?」
「閉めておいてください。中からは簡単に開く構造ですから。メンテナンスが終了するか何か問題があればインターフォンでお知らせします」
メエキさんは、ホッとした表情を見せてその場を立ち去った。
さすがに有能なメエキさんも、この難解なセキュリティー解除を1日に2度も行うのは気が疲れるのだろう。
そして私が付け加えた“信用いただければ”という一言も利いていたと思う。
POCの親会社はフランス中央銀行だけでなく欧州中央銀行や世界各国の国営銀行を管理する最大手。
POC自体も民主主義国から共産主義国まで津々浦々な軍事産業に関与している。
とても信用なしにして、このような商売は出来っこない。
必要なデーターのメンテナンスを行ったあと、ここへ来た本当の用事に取り掛かる。
目的はN・E・Bの正体。
先ずはN・E・Bがインポッシブルクラスをクリアしたデーターを探し出し、その時の監視カメラの映像にアクセスして外見上の正体を暴き出す。
先ずはデーターから。
データーを見て驚いた事は。コイツはプログラムを知っている私よりも10秒も早くクリアしていた。
しかもクリア条件指数もパーフェクト。
このクリア条件指数と言うのは、倒すべき的に対してどのくらいの有効打を与えたかということ。
例えば的に当てたとしても、かすった位ではクリアにならず、的が人間とした場合の反撃能力を奪うカ所に的中すればソノ箇所に応じた得点が記録される。
大雑把に分類すると例えば反撃能力がゼロとなる即死は10ポイント、即死にはならないがしばらくして命を落とす首や大動脈は9ポイント、利き腕が6ポイントと言った具合。
殺したり傷付けたりしてはいけない的に誤射した場合は、同様のポイントがマイナス評価される。
ただ一つ例外があるのは最後のステージに出て来る子供。
いくら敵だと言っても、子供を殺すことに私は反対なので、この子を銃で傷つけた場合だけマイナス評価とした。
もちろん倒すためには何かで怪我をさせなければならない。
殺さずに、反撃能力を奪う怪我をさせれば10ポイントと言う訳。
インポッシブルクラスに登場する50個の敵に対してN・E・Bが記録した得点を見て驚いた。
なんと表記された数字は500。
つまり全ての的に対して、完全に反撃能力を奪っている。
しかも1つの的に対して、全て1発の銃弾で。
“精密機械……それとも……”
ありえない!
私は何かの不正があったのではないかと、直ぐに監視カメラの映像を探した。
そして、そこに現れたN・E・Bの正体に、心が温度のない宇宙に投げ出されるほどの衝撃を覚えた。
“この顔は……”




