【追跡者②(Tracker)】
ルーシーのアパートへ向かう帰り道。
閑静な住宅街の行く先の路肩には、あの青色のポルスキ・フィアット/FSOが止まっているのが見える。
「サラ、あの車よ」
私が車に気が付いてから直ぐにルーシーも気が付いた。
「どうする? 引き返す?」
「そのまま行く」
「そのまま行くって、撃たれるだけよ! 相手は狙撃のプロなんでしょう!?」
狙撃兵からは逃げられない。
それはイラクで、あの伝説の狙撃兵『グリムリーパー』を見たから知っている。
奴には私に優しくしてくれた友達のオビロン軍曹たちや、恋人のローランドを殺された。
狙撃兵から確実に逃れる方法は2つ。
奴に倒されるよりも先に奴を倒すか、奴が的を外すかだ。
残念ながら私たちは狙撃用の銃はおろか、拳銃も携帯していないから、先に奴を倒すのは無理。
残された道は、奴が的を外すのを待つだけ。
だが偶然に身を任せる訳ではない。
「いい、ルーシー。私は右側を注意するから、アナタは左側を注意して見て」
「いいけれど、何を見るの?」
「マズルフラッシュよ」
マズルフラッシュとは、銃口から弾丸が飛び出すときに見える発砲炎。
これは火薬の爆発による圧力で銃弾が押し出される銃の特性上、見えにくくすることは出来るが消すことは出来ない。
「そのマズルフラッシュを発見してどうするの?」
「膝の力を抜いて伏せるのよ。でもできれば、その時に声を上げてくれれば見えていない私も同じ動作をすることが出来るわ」
撃たれた後で逃げられるかどうかは、お互いの距離による。
通常の狙撃銃ならば、銃口初速は約800m/s(秒速800メートル)
人間の平均的な反射反応時間は、約0.2~0.25秒。 若く日頃から鍛えている私達なら反射反応時間は確実に0.2秒を越えることは無い。
マズルフラッシュは光なので、その速度は秒速29万9792.458キロメートルだから、目に見える範囲ならばゼロと言っていい。
つまり相手が400m離れた距離から撃ってきた場合、銃弾が到達するまでに掛かる時間0.5秒となる。
これに対して、私達の反射反応時間は0.2秒なので、そのマズルフラッシュを見て直ぐに膝を折って倒れ込めば銃弾を避けることが出来る。
その際に合図の言葉を掛ければ、私達のお互いの距離は1mなので声は発声後0.0029秒後に相手の耳に届く。
仮にルーシーがマズルフラッシュを発見して私に合図を送ったとしても、ルーシーの反射反応時間(0.2秒)+合図が届く時間(0.0029秒)+私の反射反応時間(0.2秒)の合計(0.409秒)が、銃弾の到達時間(0.5秒)を下回るので2人のどちらかが狙われたとしても回避することは計算上可能となる。
もっとも相手は私を狙っている可能性が高いので、奴の狙撃距離が200m以上であればギリギリなんとかなる。
ところが奴の狙撃より先に、違うお客さんが私たちを待っていた。
丁度公園の横を通っていた時に、トラムの駅の陰から奴等は現れた。
数は8人。
どの男も背丈は優に180㎝を越えるばかりでなく体格もプロレスラー並みに良い。
ただのチンピラではない。
「どうする?」
ルーシーが不安そうに囁く。
「無視」
「無視!?」
「そう。たちの悪いナンパと同じ」
「そうね」
私の冗談にルーシーが明るく返事をした。
さすが!
気持ちの切り替えが早い。
歩くスピードを緩めずに、男たちの方に進んでいる時、公園のベンチに座ってこっちを見ている男に気が付いた。
“あの男だ”
青色のポルスキ・フィアット/FSOに乗る、狙撃を得意とする殺し屋カール・アダムスキー。
“この8人の男たちは、奴の部下なのか?”
とりあえず奴が狙撃銃で私たちを狙っていなかったことだけは確かなようで、その点ではホッとした。
「よお、お嬢ちゃん。顔を貸しな」
「取り外しは出来ないから無理。それにアンタに貸すつもりなんてないわ」
「なんだと!この女‼」
男は大きな声を出したと思うと、その声を合図に私の服の襟を掴もうとした。
襟を掴まれそうになった時の対処方法は、私が習っていた合気道の世界では基本中の基本。
どんな大男であろうとも倒す自信はある。
伸びてきた大きな手を逆に掴むと、その手を捻りながら肘を中心にして曲がらない方向に捻じると、案の定男は簡単に倒れた。
しかし倒した男は直ぐに起き上がり、仲間に「やっちまえ!」と乱暴に指示を出した。




