【ザリバンへの潜入①(Infiltrating the Zariban)】
イスラエルのベン・グリオン国際空港でサラと別れた僕は、直ぐにイラクに戻った。
サラともう少し一緒に居たかったが、それよりもイラクの赤十字難民キャンプに隠れているナトーのことが気になる。
彼女は“グリムリーパー(死神)”と恐れられた最恐のスナイパーである公算が高い。
いまはSISCONの柏木サオリに匿われているが、僕や柏木サオリが気付いたように何時何処の組織がナトーの正体に気が付くかと思うと気が気じゃない。
イラク戦争後の動乱のなか、狙撃だけで298人もの多国籍軍兵士を殺害したグリムリーパーは正に凶器。
しかも奴は狙撃だけでなく自動小銃や爆発物の扱いも上手い。
我々POCの内部資料では奴が活躍した僅か3年の間に、狙撃以外の犠牲者も含めると奴の手に掛かって死傷した人間は優に1000人を超える。
奴を狙っている数々の組織は多い。
もちろん我々POCも、その一つ。
奴がどこかの組織に入ったとしたなら、決して平和のために利用されることは無い。
その名の通り、グリムリーパー(死神)として使われるだろう。
もしグリムリーパーの正体があのナトーだとしたなら、僕も奴を狙っていることになるだろう。
でも僕はPOCには渡さない。
ナトーには利用するよりも大切なことがある。
犯した罪を、償わせること。
先ずはザリバンに入隊して、ナトーが本当にグリムリーパーであるかどうかを探らなくてはならない。
僕は……いや、もう僕は卒業しよう。
これからは善良なロビンソン・メェナードは要らない。
必要なのはズルくて悪いロビンソン・メェナードだ。
俺?
いや、俺じゃない。
私だ。
昔、サラに言われた。
今のPOCで出世するには、性格が優し過ぎると。
その時にサラは、自分の一人称には“私”が似合うと言ってくれた。
優しそうな顔立ちで、使い慣れない“私”を使うと、いかにも“厭味ったらしくて、油断が置けない”印象を相手に与えるのだと言っていた。
第一印象が悪いのはマズくないか?
と聞くと、第一印象が良いと相手が期待してしまって余程頑張らないとその後の評価や信頼が落ちてしまいやすいが、逆に悪ければあとは上がるだけだからヤリ易いのだと教えてくれた。
そしていま私はイラクの首都バクダッドの薄汚れたダウンタウンに居る。
この街角で、もう何日も目的の人物が通るのを待っていた。
今夜こそ、奴らがここを通りそうな気がする。
暇つぶしに、煙草は吸えないから、葉巻に火をつける。
キューバ製の上等な煙草。
これもサラからのアドバイス。
しばらくすると通りの向こうからガヤガヤと十数人が騒ぐ声が聞こえてきた。
待ちに待ったチャンス到来ってわけだ。
奴らと交差するように、横道から葉巻を咥えたまま優雅に歩き出す。
当然奴らは避けないし、私も避けない。
必然的に起こる事態は衝突!
もう直ぐ通り過ぎようとしたときドスンと言う鈍い音と共に背中に男の体が当たり、衝撃で咥えていた葉巻が落ちる。
「馬鹿野郎! どこ見て歩いていやがるんだ‼」と、男が叫ぶ。
私は男の叫び声など、どこ吹く風とばかりに落ちた葉巻を拾うと、葉巻に付いた砂を手で払い除けてから火を着け直す。
「コラ、テメー聞いてんのかっ⁉」
男がシャツの襟を掴もうとしたので、重心を移動させて避ける。
空振りに終わった男は、胸倉を掴み損ねたことが癪に障ったらしく、醜い顔を余計醜く歪めて睨む。
「ぶつかっておいて、謝れやコラ!」
「車の事故ではあるまいし、歩行者同士なら良くあること。それともこれも事故同様に謝罪と弁償が必要なのでしょうか?」
「あったりめーだろうが! 謝って弁償しやがれ!」
「歩行者同士の交通事故と言うのは大変珍しい事で、私も良く知りませんので、この場合自動車同士の事故による損害賠償に照らし合わせて賠償させてもらって宜しいでしょうか?」
「宜しいに、決まっているだろうが!」
「では先ずお洋服から」
「おう!」
「アナタの着ている服は、バアヤ地区の古着ショップで3ドル……いや、4,380IQD(※IQD=イラク ディナールと言うイラクの通貨単位で、1ドルは約1460IQD)で購入された服のようにお見受けしますが間違いなかったでしょうか?」
古着ショップが当たったのだろう、仲間たちが笑う。
「服の修理と言うのはあまり聞かないので、新品に替えるようにいたしますか?」
「ったりめえだ!」
また仲間たちが4,380IQD儲かったな、と言って笑う。
「宜しい。では今度は私の番です」
「私の番?」
「今回、お互いの行動を車の事故に見立てたのですから、それを適応させていただきますと最初に合意しましたよね」
「ああ」
「当然、アナタは大通り。私は交差する細い路地からの侵入ですが、アナタたちは充分に左右に避けることも可能だったにも関わらず、私の背中にぶつかってきています。私のフロント。つまり前側にぶつかれば私の責任が大きくなるところですが、今回は背中側なのでアナタの過失のほうが大きくなります。そこでアナタから私への賠償ですが、お互いに新品に交換するのですから、私からアナタに対して6,132,000IQDを要求します。まあ葉巻分800,000IQDも要求したいところですが、勘弁してあげます。しかしアナタは運がいい。私が日頃着ているキートンのスーツだったらこの1,5倍はします」
「600万IQDなんて払える訳ねえだろうが!」
「613万2千IQDですが、どうしましょう……」
「面倒な奴は消してしまえば、払わなくて良くなるよな」
「なるほど、それは名案ですね。でも消せなかったら、どうします? アナタ達のボスが払って頂けますか?」
「しゃらくせー! やっちまえ‼」