花息吹く、大地のように
以前、自分のHPに掲載していた話です。暇つぶしによければどうぞ。
プロローグ
今でも彼らを初めて見た時の事を覚えている。 あれは、今は無き故郷の町で豊穣祭が執り行われた秋の事だった。 その日は町全体が眠る事知らずで、大いに盛り上がったものだ。 それでも一晩中踊りあかす事は疲れる事であったので、人々が仮眠を自由に取って再び祭りに参加出来る様に設けられたプレハブが、町の至る所に設置されてあった。プレハブの室内はそう広くは無かったが、それでも軽く二十人はごろ寝出来るほどの広さはあり、この仮眠場に訪れた人々は、親しい誰かと集って夜が明けるまで語り合ったり、毛布を持ち寄って眠ったりする微笑ましい光景が伺えた。 そんな人たちの取り巻く輪から、彼らは離れていた。 逆光で良くは見えないが、鋭い切り付ける刃物を思わせる容貌の女が窓辺に座り、精悍な顔だちの男がその隣に立ち尽くす。 気配は無い。 意識しないとその場に人がいるのか疑うほど、闇に溶け込んだ一対だった。外は晴天だったお陰か、澄み渡る深い闇に降るような星空で、彼らはそれを何をする様子もなく、黙って見ているのだ。 少年は、それをほんの少し離れた場所から友人たちの談話にくるまれたまま、時折眼差しを向けた。
「……セイジュ」
彼らをチラチラ見ていたのに気付いた幼馴染みであり友人でもある、カイヤ=スルウが服の裾を引く。 振り返った少年…セイジュ=リィに、小さく首を振った。
「彼らに係わる事は利口な事じゃないぞ」
何故だと言わないばかりに首を傾げるセイジュに、カイヤは肩を竦めて見せた。
「だって、町の者たちが言っている。 あいつらは災いを呼ぶって」
セイジュは不思議そうに目を瞬いた。
「災い?」
カイヤは小さく頷き、彼らに顎を杓って示した。
「実際、彼らが立ち寄った場所では、災害や流行り病が跋扈したって噂だ。……中には、戦で焼け出された町もあったというぞ」
信憑性に欠ける様な出来事の噂をカイヤは口にしたが、後日本当に町が戦火によって失う事となり、カイヤと交わした冗談の様な噂話が、冗談では済まされない事態に陥った。
カイヤは二つ下の従兄弟、シャン=スルウを連れて焼失した町を出た。 セイジュも幼馴染みと共に町を出たが、多くの戦災に巻き込まれ脱出を図った人々の波に飲まれ、はぐれてしまった。
1
金の髪は珍しい。 それは自覚していた。自身が随分と色白な事も知っている。 顔の造作が人々に大変好まれる質の物だという事も、幼馴染みから散々言われてきたから知っていた。 だからといって、この状況は望んだ事ではなかった。揺られる幌馬車の中で、歯噛みしながら、埒も空かない事をあれこれ考えていた。膝を抱えてため息をつきながら辺りを見渡すと、ここに捕らえられた同じ年頃の少年少女が、身を寄せ合って、またはすすり泣きながら僅かに零れる幌の隙間から覗く陽の光を見つめている。 悪路を進むのか、時々跳ね上がって馬車の荷台に乗る者たちは転がり回る。 強かに背を打つ者、幌の骨組みの掴まってどうにか凌いだ者、様々だった。
「……人買いか?」
飢饉で食料を得るために子供を売る話はそう珍しい事ではない。だが、回りの状況は、どう見ても納得ずくで連れてこられた者たちとは違う様子だった。時々保護者である親の名を呼ぶのを耳にして、この幌馬車の持ち主が、混乱に乗じて捕らえた事が判る。 実際、セイジュ自身もそうだった。 気がついたら当て身を食らって幌馬車の中だ。
(……何処に連れていくのだろう?)
セイジュは膝を抱えてため息をつく。 ふと、捕らえられた者たちの中に、一人だけ冷めた表情をしたまま、膝を抱いている少女が居るのを見つけた。 漆黒の髪は艶やかで長く、切れ上がった瞳は深く青い。 人形めいた整った小作りな幼い容貌は静かで、セイジュより若干年下の様子だが、何故かすすり泣く他の者たちより随分と大人びた雰囲気を醸していた。 セイジュは暫く迷ったが、他にする事も無かったし興味もあったので、時々馬車の揺れにふらつきながら少女に近づいた。
少女は、セイジュが目の前に立ったのに気付くと、顔を上げた。
「……だれ?」
「ぼくは、セイジュ。セイジュ=リィ。セトの町であいつらに掴まった」
少女は少し躊躇ったあと、仄かに笑った。
「私は、カシュラーテ。カシュラーテ=シシン。占い師のカシュと呼ばれているわ。……お姉様と一緒に旅をしていたの」
声を震わせ、それ以上は言えないらしく、キュッと唇を噛みしめた。
「ぼくは幼馴染みの家に行く予定だった。町同士の争いで、帰る家を失ってしまったから」
「……帰る家が無い?」
「そう。新しい帰る家になるはずの、幼馴染みの家に行くつもりだったけど、どうやらこの状態では、諦めるほかには無いみたいだ」
話の内容は、かなり悲惨なものだったが、セイジュがそう悲観的な様子では無いので、カシュは小さく頷くと笑顔をどうにか作った。
「お姉さまは、どんな方なんだ? もしよければ話して欲しいな」
仄かに芽生えた不安を振り切るように、セイジュは幌馬車の縁に背を預けて尋ねた。 話題を変えて、気分を紛らわそうと思ったのだ。
「代わりに、先程の話に出てきた幼馴染みとその従兄弟の話をしようと思うけど」
カシュは、セイジュが意図するものが何か判ったらしい。 一つ頷いて「いいわ」と承諾した。
「優しい人よ。 人の世話をやくのが大好きで、料理が上手で。でも、性格からじっとしている事が苦手なの。 いつも動き回って、自分で出来る事を探している。 ……私たちの両親を、流行り病と事故で亡くしてからは、近くの道場に通って自分をきたえていたっけ。
……とっても強いのよ?」
思い出しているのか、カシュは小さく笑い声を漏らした。
「私が、占いの才…特に先見の能力を持っていたから、随分商人や権力者に狙われた事があったけど、点々と住む場所を変えながら姉は守り通してくれた。 最近まで、ザズという町に腰を据えてほそぼそとした暮らしを送っていたけど、ある日、やっと馴染んだ町に、私を狙った人達が押し入ってきて、町長に私を引き渡す様に要請してきた。 ……町長は優しい欲に駆られて行動をする人じゃなかったけど、町の人達をたてに取られ、泣きながら姉に土下座し、引き渡す約束をしてしまったと告げたわ。 勿論、姉は…ラージェニは怒り狂ったわ。 たった一人の妹をあいつらに渡すのかと。 ……町長が帰った後、夜逃げしようとも言ったわ。 だけど、逃げたら町に火がかけられる。 大きな戦いが起きて沢山の人が死ぬ。 ……それが判ったから、姉の提案に頷かなかった。 相手の提案を飲んだの」
少し沈みがちな表情を自身で自覚したのか、無理やり笑みを浮かべると、セイジュを見た。
「……幼馴染みの事だよね? 頭がいい奴だな。あいつは」
セイジュは促されるまま、幼馴染みの顔を脳裏に浮かべながら、色々な仕種を思い出した。
「カイヤ=スルウと言ってね。 一言で表現してしまうと、金持ちのボンボンだ。 おまけに、ぼくたち位の歳の子と比較すると、天才と評されるほど、やたらと血の巡りがいい。
腕っぷしは普通並だけど、その頭で厄介事を避けてきたと言っても言い過ぎじゃないと思うな。 性格も悪いぞ? カイヤの従兄弟のシャンも悪いが、シャンは口が悪いだけで、実質的な被害は無い。 カイヤの場合は性格がネジ曲がっているから、あいつを怒らせて無事だった奴など、そう居ないんじゃないかな」
幌馬車は相変わらずガラガラとうるさい音をたてながら揺れていた。 だが、前方が妙に騒がしい。 馬車を操る誰かと誰かが争っている様子だった。 だが、それも殆どが回りの雑音にかき消されていてセイジュたちの注意を引くものとなっていない。
「まあ。 でも、大丈夫だったのですか?」
セイジュは驚いて目を見開くカシュに、肩を竦めてみせた。
「それが…ね。 カイヤは学校で覚えめでたきという奴だった。先生うけも良い。 近所の人たちからも可愛がられていた。 凄まじく“外面がいい”んだ。 結果、抗議に来た者たちが非難を受けるはめに陥る。 ……で、カイヤの側にいるシャンが潤んだ瞳で、カイヤに合わせる。 いいコンビだよ。 ツーカーの仲だな。 で、怒鳴り込んで来た者たちは、すごすご家に帰るわけだ。 そして親に怒られる。 理由はこうだ。“恥をかかせやがって!”」
カシュはクスクスと、少女特有の高い声で笑うと、潤んだ涙を抑えて“凄い幼馴染み”ね、と言った。 と、馬車が急にその速度を落とし、停止した。 その時になって、外の様子が奇怪しい事に二人は気付く。 怒鳴り合いと激しい剣劇が聞こえ、悲鳴が響いた。
セイジュはカシュを背後に庇いながら、じっと幌の垂れ幕を見つめ続ける。 他の子供たちも、すすり泣く事を止め、顔を強張らせながら、硬直していた。
「カシュっ!」
幌の垂れ幕が引かれ、焦る様な声が響いた。
「………姉様?」
カシュは、驚いた様に顔を上げる。 セイジュはそんなカシュを振り返った。
「カシュ、無事?」
もどかしい様に幌の垂れ幕を乱暴に引き開けると、一人の髪の長い女剣士が入ってくる。カシュは、初め震えていたが、その女剣士の姿を見ると、駆け寄って抱きついた。
「姉様……姉様っ!」
女剣士は、安堵のため息をソッと漏らして、しがみついてきたカシュを抱きしめた。
「無事でよかったっ……」
ギュッと抱きしめて、幌の中で震えている他の子供たちの方へ顔を向ける。
「あなたたちを助けに来たのっ! この幌を出なさいっ。 新手が来る前に別の馬車に乗り換えるわっ」
カシュは、女剣士と頷き合うと、他の子供たちを急かして幌の外へ出た。セイジュも一緒に外へ出る。外へ出ると、子供たちは女剣士に誘導されて、近くの木陰に留めてある幌馬車に乗り込んでいる所であった。
(よく、ぼくたちの居場所が判ったな)
今までセイジュたちが乗っていた幌馬車の横には、打ち負かされた三、四人の男たちが倒れている。 女剣士は、子供たちを誘導し終えると、彼らが簡単に動けない様に、持参した縄で縛り上げて転がした。
「姉様、強いって言ったでしょう? それに、一人でやっつけた訳じゃないみたいだし。ほらっ、乗っちゃって」
セイジュは、側に居たカシュに急かされて、新たに用意された幌馬車に向かった。 そこで足を留める。幌馬車の側に、二人の男女が立っていた。セイジュは呆然とその姿を見つめる。
(彼らだっ……!)
脳裏から離れない、豊穰祭で見かけた不思議な一対だ。
「……乗ってっ!」
カシュに腕を引かれ、我に返ると慌てて頷き、幌馬車に乗り込んだ。 セイジュが乗り込んだ後、女剣士が幌の垂れ幕を閉める。セイジュは、荷台の前方の御者台に座る女剣士に、彼らの事を尋ねた。
「あ…あのっ! 彼らは?」
顔を覗かせたセイジュに、女剣士…ラージェニは、「えっ? ああ。彼らね」と笑みながら答える。
「町が彼らを雇ったというべきかしら。……流浪の幻星剣士。 彼らは唯一邪気を浄化する力を持っているの。 その為に世界各地を旅して回っているとも言うわ。 ……お陰で、随分誤解を呼んだみたいだけどね。 あっ、見ていて」
並んで立っていた二人の内、女の方がふいと消えた。残った男の腕に、翡翠の色をした刃を持つ見事な一振りの剣が代わりに現れる。
それを、無造作に大地に向かって振り下ろした。 セイジュは、空を裂く剣圧を聞いた気がした。 同時に激しい閃光と、凄まじい破壊音が耳を打つ。
セイジュは思わず目を閉じて耳を塞いだが、ラージェニに肩を揺すられて目を開けると、何事もなかったかの様に、消えたはずの女が立っていた。 そして、地面を真っ二つに裂いたかの様な地割れが大地を横に広がり、かなり迂回しないと簡単には追ってこれない様になっている。 セイジュは、男が不思議と心惹かれる翡翠の刃の剣を振るった時に、なにか得体の知れないモノの絶叫を聞いたような気がした。 それをラージェニに言うと、ラージェニは驚いたような顔をする。 共にセイジの言葉を聞いていたカシュがちょっと目を細めて微笑んで、
「それは、感受性が高いから聞こえたのよ」
と、言った。 何の事を言っているのか判らなくて困惑した表情をすると、小さく笑ってこう言い添えた。
「普通の人は、そういうのを聞いたり見たりする事は出来ないの」
セイジュは少し考え、カシュを見る。
「……カシュは見る事が出来るの?」
カシュは頷いた。
「わたしの場合は血筋かしら。……姉様はそこまで強くはないけど、でも、かすかに声を聞く事が出来るんだって」
「……それは、いいことなのかな?」
セイジュの問いに、カシュは皆の乗っている幌馬車の方へ戻ってくる二人を見ながらほろ苦い笑みを浮かべた。
「いい事も悪い事もあるわ。“受け止める力”が強ければ強いほど、見える視野も広がってくる。 するとね、見えない人達との壁にぶつかる事が出てくるの。 ……それが、辛いこともある」
「…………」
セイジュの視界の中で、幻星剣士と呼ばれた二人が馬車に乗り込むと、セイジュの前に座り込んだ。 セイジュは彼らを陽光の下で見た事は無かった。セイジュは少し躊躇ったあと、じっと見つめる。 剣を振るっていた男に、姿を一時消した女が寄り掛かって目を閉じていた。
「……なんだ?」
セイジュが見ているのに気付いた男が、顔を上げると問いかける。
「お兄さんたちは、名前をなんていうのですか?」
少し緊張した様子で問いかけるとジッと待った。 青年は、驚いた様子で目を丸くしたが、しばらくしてフッと笑う。 明るい褐色の瞳が温かい色を映し出し、無骨で大きな手が、目の前に座るセイジュの頭を撫でた。
「俺は、ジャンパードという。 ジャンパード=スカイラス。 ジャンでいい」
そうして、自分の肩に寄り掛かって眠る女を顎を杓って示す。
「……こいつは相棒だ。呼称、レシェン。そう、俺が付けた。……名は、無い」
セイジュは驚いてジッと眠りつづける女を見つめる。 ややして、再び視線をジャンに戻した。
「あの…聞きにくい事なんですけど」
「なんだ?」
もじもじするセイジュが可笑しくて、くすりと笑い声を漏らす。
「なんで、名前がその方には無いのですか?」
ジャンは一瞬口ごもったが、セイジュの興味津々な様子を見て、「いっか」と独りごちる。
「……随分昔には、あったらしい。 だけど、本人が忘れてしまったと言っているから、俺も知らないままなんだ」
昔と聞いて、セイジュは首を傾げる。 目の前の二人はどうみても二十歳中頃ほどの外見をしていたからだ。 まあ、確かにセイジュの歳から比べると、昔には違いなかったが。
馬の嘶きが聞こえ、ガタンと幌馬車全体が揺れて動きだした。軽快な歯車の音が、先程は暗い未来を想像させたのに、今はただ安堵だけを呼ぶ。 気が抜けたのか、そっと幌の中を見渡すと、積み荷に寄り掛かってウトウトする者たちや、外の景色を眺めて笑顔を浮かべている者たちも居る。
「……名前は何というんだ、坊主」
初めて、ジャンの方から声がかかった。
セイジュは驚いてシュウの方に振り返る。
「セイジュ=リィ」
そう名乗って、覚悟を決めた様にこう言い添えた。
「……セトの町で、ジャンさんたちを見かけた事があります。 ……ずっと、気になっていたんです」
すると、ジャンは面白そうな表情をする。
「セト……? ああ。少し前に立ち寄ったあの町だなっ、祭りのあった。 だけど、確か色々な怪しい俺たちの噂が流れていただろう? 戦乱を呼ぶとか、滅びの先駆けとか。そんな噂の主を目の前にして、感想は?」
セイジュは少し複雑な表情をする。 今はその町は無いのだ。セイジュはそこで育ったが、故郷の消失と共に多くを失って居た。 ふと、澄んだ音色が聞こえた。 何事かと思い、音のする方へ顔を向けると、ジャンに寄り掛かって眠っていた女が、いつの間にか目を覚ましていた。 間近で見たその容貌は、甘さがかけらも無い鋭利な物だったが、不思議なほど静かである。不可思議な藍と翡翠の斑の瞳が、悲哀を込めてセイジュに注がれた。
女が口を開くたびに“音色”が流れるが、それは“言葉”では無い。 だが、ジャンは判っているのだろう。 女の言葉を聞いている内に眉を潜め、一つ頷いた。
「俺たちが間に合わなかったのだな。……相棒が…レシェンが済まないと言っている」
セイジュにそう言って、一つため息をつくと、相棒の髪をクシャリと撫でた。 悲しげに目を伏せる女のその様子が、見る者を切なくさせる。
「お前のせいじゃない。 泣くなっ、それより一刻も早く、抱え込んだソレを吐き出させてやらないとな……」
セイジュはジャンの相棒の側に少し寄ると、「大丈夫だから」と、言った。
両親や住む場所を失った時の事は忘れようにも忘れられないし、悲しくもあったが、だが、決して目の前の二人の責任では無い。 おずおずと手を延ばし、レシェンと呼ばれる女の頭をぎこちなくではあったが撫でた。
「ぼくの町、セトを救おうとしてくれたのでしょう? お姉さん。有り難う」
2
「シャン。カイヤはどうした?」
十五年ほど時が過ぎた。 あれからセイジュたちはそれぞれの町に帰る事が出来た。 捕らわれていた他の子供たちも、身寄りのある子はその親元へ、無い子供たちは、その町の町長に預けられた。 町長は、それから多分預けられた子供たちの里親を探してくれただろうから、今はそれぞれの家庭で生活を営んでいる事と思う。セイジュはカイヤたちが居る町へ行った。 カシュとラージェニはそれを見届けた後、再び旅に出た。 ジャンとレシェンは、町にたどり着く前に、幌馬車を下りた。 「何処に行くの」と尋ねるセイジュに、ジャンは笑って「荒れ地に花を咲かせに行くんだ」と、冗談みたいな事を言う。
「また会える?」という問いにも「会えないほうが懸命だろう」と、小さく笑って手を振った。ジャンがそう言った意味は、判る。彼らがそこに居る理由は、邪気に汚された土地を浄化するためなのだから。 明るい褐色の瞳を持つ男と、その相棒。 セイジュが「有り難う」と言った時、ふわりと笑ってくれた。
不可思議な色の瞳が和んで、小さく首を振る。
あの脆い微笑が忘れられなかった。 災難が振りかかるのは嫌だったけれど、そんなのとは関係無しに、また会いたかった。 あの二人に。 それらの出来事が、町の警備隊にセイジュが剣術を習いはじめたきっかけだ。
現在では町を警護する警備隊の一人として籍を置いている。
「カイヤなら、町の外へ買い出しに行っているよ。時間だし、もうすぐ帰ってくる」
シャンは、この町に来た数年後、医者の家の助手となった。 今ではこのあたりではちょっと有名なお医者さんである。
「足りない薬でもあったのか?」
「うん。 この所、裂傷を抱えた怪我人が増えててね。 化膿止めが足りないんだ。 手術を安全に行うために、麻酔薬も必要だし。
……薬剤師であるカイヤは、余計に仕入れる必要があるって、馬車で出掛けた」
「そうか」
セイジュはそれから何時もの日課である町の外の見回りに出た。 町に出た時点で、血相を変えたカイヤと出会う。
「セイジュっ。 手伝えっ! 怪我人だっ」
馬車に乗せられた男たちは、四人。カイヤの話だと、他は死んでいたという。 止血をカイヤが行いながらセイジュが馬車の御者台に座り、手綱を操る。 カイヤと出会った場所は、町の目と鼻の先だったので、患者にとって幸いである。 なるべく身体に負担をかけない道を選びながら馬車を走らせると、町に程無く着いた。 そこから病院への近道を通って馬車を飛び下りる。 近くを通った人々に手伝ってもらい、馬車の怪我人を院内に運び込んだ。 運ばれていく怪我人の内、セイジュは一人に見覚えがあった。 我が目を疑う様に何度か瞬き、蒼白なまま震える声で呼びかける。
「……ジャン?」
何かの噛み傷なのか、下腹部の肉がごっそり持っていかれていた。 露となった傷口の生々しい様は、鮮血に染まった全身も相まって、目を覆いたくなるほど酷たらしい。 セイジュの呼びかけに、十五年ぶりに会ったジャンは、どす黒い顔色で、ぼんやりと目を開く。 辺りを暫く虚ろに見渡していたが、セイジュの顔を認めると微かに笑んだ。
「……よお、坊主。 大きくなったな……」
セイジュは、忙しそうに動き回るカイヤを見、次にシャンを見る。 シャンはジャンの診察をしていたが……痛ましげに首を横に振った。 セイジュは目を見開き、ジャンの閉ざされた未来を憂い、深く目を閉じる。
セイジュの様子に、ジャンは苦笑した。
「判っている。それより、あいつを頼む」
あいつと言われて、ジャンの傍らにいるはずの彼の相棒が居ない事に気付いた。
「なんで、わたしに?」
「俺にはさして知り合いが居ない。 任せる相手も居ない。 このままでは、あいつは一人ぽっちになってしまう……」
そう言って、一つ苦しげに息継ぎをすると、目を閉じた。
「……あいつは、実は“人”では無い。俺たちの呼び名を知っているだろう? 幻星剣士って。 それは、大地の聖霊と盟約を交わした俺の先祖が、聖霊から下賜された鉱物、幻星石を元に作りだされたものだからだ。 俺たちの呼称もそこから来た。 あいつは……レシェンはその鉱物自身なんだよ」
セイジュは驚いて目を見開いた。
「意思のある剣。 大地の聖霊の末裔。 自然の自浄作用の歯車の一つ。……俺は、あの剣を刀鍛冶だった親父から継承した。 親父はそのまた親父に継承されてね」
ジャンは再び目を開くと、セイジュの瞳を見つめた。
「……邪気を限りなく吸収する剣。 その邪気は剣によって浄化され、新しい命として大地に注がれる。……俺は、あいつが好きだった。 親父が彼女を扱っているのを見て育ったから、彼女と言葉が交わせる様になる事を夢見ていた。 だから、彼女を継承する事で、代償を背負う事も知っていたし、それはそれで構わないと思っていた」
「……代償?」
ジャンは聞き返したセイジュに一つ頷いて騒がしい院内の天井を見つめる。
「“人”じゃなくなること。……怪我さえ負わなければ、俺はどれだけ時を隔てようとも、死なないんだぜ? 俺、こう見えても優に三世紀は生きてるんだ」
頭の座りが悪いのか、ふらふらと頭を振る。
それが失血の為だとセイジュには判った。紙の様に白い顔色。もう、一息でも気を抜けば、この世から去ってしまいそうな儚さがある。
「……そのままにしておけばどうなる?」
ふと思いついた疑問。ジャンは目を細めた。
「邪気はあいつの糧だ。……そうだな、消滅するだろうな。そのまま放っておけば。だから、剣を継ぐ後継者が居ないようであれば、俺が死んだあと、剣を大地へ葬ってくれ。 大地に彼女を帰す事は、彼女を消滅から救う事になる。 大地に葬られた剣は、形を無くし、自然と一体化する。 彼女は元々大地から生まれた命なのだから」
セイジュは考え込んだ。色々思案していたが、一つ覚悟を決める。
「……ジャンは、わたしにそれらの選択を一任するのだな?」
ジャンは静かにセイジュの顔を見つめた。
「“契約”の仕方を教えてほしい」
ジャンは長々とセイジュを見つめていたが、嬉しそうに笑うと、冷たくなりかけた手をセイジュに延ばした。
「“レシェン”は俺がつけた“契約”の名だった。 だから、新しい絆を結ぶために、剣に“新しい名”を与えてやってくれ。 多分、俺が消えると安定を失い、暴走をはじめる。居場所は、この町の外れの森。……そこで、邪気と俺たちは戦っていたんだ」
セイジュがジャンの腕を取ると、ジャンはギュッと手を握り返す。 想いを託す様な力強さだった。
「ジャン?」
隣で何気なしに二人を振り返った看護婦が悲鳴を上げた。
「……頼んだぞ……」
痛ましげにセイジュはギュッと目を瞑る。
セイジュの目の前で、ジャンは笑みを浮かべたまま、砂に変じた。 そのままグズグズと身体崩していく。 悲鳴を聞きつけ、カイヤが駆けつけた。 形を崩し、ジャンは一掬いほどの砂の山と化す。
「セ、セイジュ?」
カイヤは呆然とその光景を見つめた。 回りにいた人達も、ざわざわとジャンの身体を横たえていたベットの回りに集まって来る。
セイジュは、ギッと顔を上げると、シャンの病院を飛び出した。
「セイジュっ!」
病院の入口に留めていた馬に跨がり、町の外へ駆けだしていく。
慌ててカイヤはセイジュを呼び止めるために病院を飛び出したが、既にそこにはセイジュの姿は無かった。
エピローグ
一面に、芳しい色とりどりの美しい花々が、大地を覆い、所々に見える無骨な岩を彩っていた。 その中央に、長い金の髪の青年が見事な剣を大地に突き刺し、立ち尽くしている。
『ジャンは眠れるかな。 セイジュ』
涼やかな音色が風の様に響く。 大地に突き刺さっていた剣が消えて、代わりに一人の女が座っていた。
「ジャンは、大地の剣が作りだした生気を吸って生まれ変わったこの景色のある場所に、来たがっていた。 だから大丈夫だ」
ほんの少し前まで、ここはかさかさの荒れ地だった。 生きとし生けるモノの居ない死の大地。 世界には、まだ枯渇する大地が数多存在する。 それは、人間が生活する為に作り替え、そうしてその無理が大地に影響を及ぼした結果なのだ。 セイジュは目を細めて大地の剣の化身である“フィラ”を見る。
セイジュは静かにフィラの側に来ると、花畑を感傷に浸りながら見つめる、自然の具現に手を差し出た。
「さあ、行こう」