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シオカラ節の弁明  作者: シオカラ節
ニ 「シオカラ節 感想」解説
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「シオカラ節 感想」解説(4)キャラクター

本話では、本章の冒頭で挙げた私の独りよがりな感想において着目したポイントの最後の部分である、「キャラクター」について述べたいと思います。



エンタメ作品では設定やストーリーと双璧を成す重要なファクターであると私もまた考えており、巷でもキャラクター創作論として様々なハウトゥー本が出されているのがその証左でしょう。


私の弁など先行研究と比べるべくもない戯言でありましょうが、このつまらない雑文をここまで読んで頂いている皆様の如来大悲のような優しさに今回もまた甘えさせて貰い、私なりの「キャラクター」論のようなものを提示致したいと思います。



さて、前話で自称web小説家の皆様のキャラクターは誰も彼ものっぺらぼうの様だ、と私が散々ディスったのは皆様の記憶にも新しいでしょう。


ともすれば、現在進行形で怒りで茹だった蛸のようになりながら読まれている作者の方もいらっしゃるかもしれません。


では何故、皆様の作品のキャラクターが私にはのっぺらぼうに見えてしまうのかをこの機会にご説明させて頂きます。


まずは、皆様の作品の「主人公」を例に取ってみましょう。


その多くは「異世界転生」してきた冴えない俗物的な人物像か、もしくは「落ちこぼれ」のレッテルを貼られた、これまた内向的で慎ましい性格に描かれるのがお決まりなパターンでした。


それ自体に問題は無く、むしろ小市民的なキャラ付けは読者に寄り添った形で主人公に感情移入しやすくさせるような仕掛けとも呼べなくはないのですが、ただ、ここでも自称web小説家の皆様には大きく見落としている点がございます。


それは、「人間」としての肉付けが余りにされていないこと。


気取った書き方をしてしまいましたが、要は、貴方方の描く主人公像には、人物像としての特徴があまりにないのです。


具体的には、廃人ゲーマーであったりギルドの落ちこぼれであったり名も無い冒険者志望であったりと、あくまでも物語の背景としての人物の位置づけでしかされておらず、そのキャラクターの内面的な特徴が全く見えて来ないのです。


もっと踏み込んで申し上げますと、キャラクターの性格をきちんと作者が受肉出来ておらず、おそらくプロット的なものがあったとしても、その記述は「優しい」「ずる賢い」「仲間思い」という短絡的なものでしか無いような気がしてならないのでした。


そして、私が自称web小説家の方々のキャラクターがのっぺらぼうと断罪した最大の要因は、キャラクターの「短所」を描いていない、ということなのです。


現実に目を向けて見ても、人間誰しも長所と短所があります。

私のような捻くれ者でも、よく目を凝らせば一つ、二つは見つかるでしょう。


では、貴方方の作品の主人公はどうでしょうか。


己に降りかかる運命をあっさりと受け入れ、自ら望んだ訳でもない魔物との死闘を淡々と演じ続ける主人公。


周囲には有能な仲間が集まり、多少の無理難題にも嫌な顔一つせず黙々と解決していき、ヒロインとの恋愛についてもピュアで奥手なやり取りしか見せず、あくまで健全なお付き合いに留めておく。


そこには過剰なほどの自己犠牲や誠実さを読み取れなくもないですが、潔白すぎるその性格はもはや人間性からかけ離れた無機質なものとして不気味にすら感じます。


勿論、小説はあくまでもフィクションであるのだから、ある種理想主義的な主人公像を描いてもいいのではないか、という反論もあるでしょう。


それにつきましては二点ほど私も更に抗弁させて頂きたく存じます。


一点目は、貴方方の主人公は読者を惹き付けるようなカリスマ性が全く感じられず、到底理想主義的な人物像には成り得ていない、ということ。


電撃文庫元編集長の三木一馬氏は、主人公のキャラクターに必要な要素として、「愛嬌」と「憧れ」が重要な要素であると述べています。


「愛嬌」とは、いわばそのキャラクターの欠点ともいえる特徴を指し、『とある魔術の禁書目録』上条当麻なら「不幸体質」という常に不運に見舞われるところに読者は同情し、同時に親近感を覚えます。


これこそ私が前述したキャラクターの「短所」の一例であり、皆様の作品の登場人物達に欠けている要素なのです。


そして、「憧れ」とは、読者に羨望を抱かせるような能力、性格を併せ持つ人物設定ということで、こちらはよく槍玉に上がる『ソードアート・オンライン』キリトが一例でしょう。


最早厨二病の代名詞といっても過言ではない彼ですが、クールで飄々としながら、抜群の反応速度とチート能力ともいえる剣術で痛快な冒険活劇を繰り広げる姿に読者は「憧れ」を抱くのです。


ただ、自称web小説家の皆様の主人公とキリト君は同じチート能力の持主であっても、大きく異なる点がございます。


矮小なニヒリズムに囚われていないのです。


矮小なニヒリズムとは、要は「異世界転生」させられた、という巻き込まれた立場をやれやれ、と受け入れ、棚ぼたで手に入れたチート能力を使い、「この人生はイージーモードだなw」と言わんばかりの気取った態度で敵をちょちょいと伸していく、という可愛げのない姿のことです。


要は、貴方方の主人公は己の身に起きていることを何処か他人事のように振る舞っており、何の努力もせず偶然手に入った能力を使って成金になるだけで、そこには人物的な魅力が全く見出せないのです。


この可愛げのなさも、「異世界転生」物批判で糾弾される要因の一つであり、先ほどの「愛嬌」の欠落ともいえます。



人物的なカリスマ性もなければ、読者が共感できるような愛嬌もなく、ただ常識的に無難な立ち振る舞いに終始する人物に、いったい誰が惹かれるのでしょうか。



さて、一点目の反論としては、そもそも貴方方の作品では理想主義的主人公を描くことすら出来ていない、ということでしたが、二点目の反論を挙げさせて頂くと、喩えフィクションであったとしても、登場人物に「人間性」を感じられなければフィクションにすら成り得ないのではないか、ということです。


そもそも、フィクションの醍醐味は、現実には有り得ないことだったとしても、ひょっとしたらこんな世界があるかもしれない、ということを読者が体感出来ることにあると考えます。


それこそ私が前述した「虚実リアリティ」に繋がる話になってくるのですが、キャラクターという側面からも、貴方方の作品にはこのディテールが作り込まれていないのです。


そして、前話でも言及したようにその論拠としては小林秀雄の言うように芸術とは「人間」そのものを表現するところに帰結し、サブカルチャーといえどもそこは避けて通れないと思えてならないのです。


自称web小説家の皆様の作品の登場人物には、この「人間臭さ」が欠落しているからこそ、フィクションとしての面白さに奥行きが出ないのではないか、というのが私の結論です。


では、なぜ皆様の描く人物に「人間臭さ」が足りないのかというと、ひとえに皆様の人間性が影響しているのではないかと睨んでいます。


ただ、ここからの弁は今迄以上に私の身勝手な偏見での憶測になりますので、不用意に傷付きたくない方は以下の部分は読み飛ばされることを強く推奨致します。

(該当部分の段落のヘッダーとフッダーには※を付けさせて頂きます。読み飛ばす目安にして下さいませ。)








よく創作論では、「キャラクターは作者の鏡」という言葉があります。


言い得て妙なもので、私もまたその論を支持しているのですが、それになぞらえると、自称web小説家の皆様の人物像は皆「生きた」キャラクターではなく、ロールプレイングのような役割を当て込まれた性格にしか見えないのが奇妙なところでした。


根本的な原因としては恐らくゲームの影響が大きく、物語の筋に沿って動くことのみを重視し、性格らしきものをそれぞれに取って付けただけなのでしょうが、その根底には皆様の人間性が潜んでいるような気がしてなりませんでした。


そこで、自称web小説家の皆様の人間性について私が邪推すると、多くの方が所謂「陰キャラ」、つまりは内向的で自己中心的な物の見方をしがちな素養があるのではないでしょうか。


なぜそんなことが言えるのかはこれから説明致しますが、最も大きな理由としては、私もまたそうであるからです。


端的に言うと、「類は友を呼ぶ」、というやつです。



勿論そんな抽象的なものだけが主な理由なのではなく、よくTwitterで拝見する皆様の言動がその証左なのです。


シオカラ節誕生の契機となった「感想欲しい」問題にしろ、「#RTした人の小説を読みに行く」問題にしろ、結局のところ貴方方は相手の立場に立って物事を考えることが出来ないから意見がぶつかり、そして輪をかけて問題なのが、自分の意見を否定されるのを極端に嫌がるきらいが見られる点なのです。


おそらく貴方方のキャラクターが周りに何の問題もなく受け入れられ、ちやほやされるのもその傾向に由来するものなのでしょう。


しかしながら、私は言うまでもなく、貴方方も全能どころか人間的にはまだまだ未熟であるにも関わらず、自分に耳障りのある意見に対して全く聞く耳を持たず、自分を受け入れてくれる人間とのみ交流するというのは些か人間として視野が狭いという他無いのではないでしょうか。


無論、それは自称web小説家の皆様だけの特徴だけでなく、「異世界転生」物を好む読者層にも色濃く出てるところです。


時代背景として、現代では終身雇用制が崩壊し、激烈な競争社会に突入しようとしており、ICTの普及により対面でのコミュニケーションが極端に減っています。

また、核家族化が進み社会の多様性が叫ばれる中、個人主義が台頭しており、バブル世代の価値観であった拝金主義やモノの消費行動がめっきり影を潜めるようになりました。


そんな中で、我々若年層の世代における価値観で重視されるのは、「承認」であるのではないかという講演家の鴨頭嘉人氏の言に倣うと、「なろう」でなぜ異世界転生が流行るのかも説明がつく気がします。


ちなみに断っておきますと、私自身はハッピーマイレージ教の信者ではありません。


「異世界転生」物がウケる理由を時代背景からもうちょっと踏み込んで考察すると、情勢が目まぐるしく変化し未来の展望が全く予測できない社会において、せっかく努力していい大学・一流企業に入っても将来安泰とはいかず、実力主義の元いつクビを切られてもおかしくない風潮が蔓延る現状が遠因の様な気がします。


特に学校社会においては部活や勉強、男女交際においてどれもうだつが上がらず燻っている学生・生徒諸君においては、俺はこんなもんじゃない、俺が輝けるステージはもっと他にある、という現実逃避と、努力なんてどうせしたって報われないかもしれないんだから、都合良く自分を馬鹿にしている連中を見返す力を手に入れたい、という浅ましい願望の結晶が「異世界転生」物に現れている気がするのです。


そう、我々カーストの底辺においては他者から「承認」してもらう機会が余りにも少なく、かといって報われないかもしれない努力するのもしんどいし、それだったら「ラノベ」で満たされない己の憂さ晴らしをするか、と消費するのが読者側の深層心理ではないでしょうか。



あくまで偏見ですが。


ついでに申し上げれば、自分の所属しているコミュニティから迫害される、所謂「追放」系の作品も、「俺が評価されないのはどう考えてもお前らが悪い」という手前勝手な被害妄想から来るものでしょう。


その証左が、わざわざ力を手に入れたあとに以前所属していたコミュニティに「ざまあ見ろ」と稚拙な復讐を敢行するところにあります。


『半澤直樹』のように有能にも関わらず組織から理不尽な嫌がらせをされていたならともかくとして、「追放」系の作品の多くは単なる能力不足、落ちこぼれだった所為で失格の烙印を押されているにも関わらず、敢えて復讐したり、反省して謝罪し、改めて助けを求める相手を冷たく突き放すのは逆恨みでしかないのではないでしょうか。




いずれにせよ、「なろう」系小説が小馬鹿にされる真の本質は、このあまりに自己中心的で幼稚なユートピアが成熟した読者の観賞に耐えられないからであると思われます。


この特徴は勿論作家側においても顕著で、皆様の作品には「他人」が介在していないのです。


主人公にしろ他の登場人物にしろ、読者を惹きつけるキャラクターが存在しない、言い換えると「こんな奴実際にいるいる」、「こういう奴と友達になりたいな」、「こんな子と付き合いたいな」と読者に思わせる人物が全くいないのです。


それは、個人主義の弊害というべきもので、ズバリ言いますと、自称web小説家の皆様は「他人」に興味がないのでしょう。


自分の中の人物像の引き出しが家族、親しい友人ぐらいしかないため、キャラクターが画一的なものになりがちで、特に自分より年上であろう年輩の人物においてはアニメやマンガからサンプルを取ってくるしかないので、いかにもテンプレ的なつまらないキャラ付けがされていました。


その結果、物語を読んでも誰も彼も二次元的にのっぺりとしたキャラクターが横に並んで延々と会話しているだけに見え、「会話をスキップ」ボタンを探したくなるほどです。



また、極端な例ですが、Peingの質問箱で、こんな回答をしている作者様もいらっしゃいました。


「最近気になったニュースってあります?」


という質問に対して、


「レバノンの爆発ですかねぇ。


粉塵使えばファンタジー世界でも大爆発は可能なのですが、あそこまでの映像が流れると、使いやすくなりますよね。」


というもの。


これこそ正に「他人」への関心の欠如ともいえ、遠く離れた国の不幸など知る由もない、とむしろショーを眺めるような態度に私はゾッとしてしまいました。


私はこっそりと真意を探るべく、こんな質問をしてみました。


「レバノンの一件を小説に使いやすくなるという感想で済ますのは流石にどうかと思います。

仮に爆発的表現が書きやすくなるとして、現地にいる人の苦しみや家族の悲しみは想像しませんでしたか?

小説家として想像力を働かせるのは大事なことだと思うのですが、どう思いますか?」


それに対して返ってきた答えがこちらです。


「あなたの頭の中の想像力の方がよほど足りないと思います。


私の死だって他人から見ればほとんど無意味です。


そういう、善人ぶった脆弱な価値観の持ち主をたくさん見てきましたが、どいつもこいつも口だけで実際に誰かに共感して誰かを救おうとはしません。


まあ、その豊かな想像力で、私が感涙して大絶賛するほどの小説をぜひ書き上げて欲しいなとは思います。」



私は戦慄しました。


彼の倫理観の欠如自体も問題なのですが、余りにも幼く、自己中心的な答えに対してです。


しょうもないニヒリズムはさて置いたとしても、他人の弁を「偽善」と切り捨て、しかもこちらの属性を勝手に創作サイドだと決めつける態度には頑な自己本位性を感じてしまいました。


無論、彼のフォロワーは創作アカウントが中心なので、バカな作家気取りがケチを付けに来たのだと高を括るのは想像に難くないのですが、それにしても死者を悼むだけで「偽善者」呼ばわりされるとは思いもしませんでした。


彼の弁では、口では綺麗事を並べて行動はしない、という私の「偽善」めいた言動を批判したいのでしょうが、私はただ、レバノンの爆発被害に巻き込まれた方の思いを汲めば、「小説に使いやすくなる」などとは口が裂けても言えない、と言ったまでなのです。


それを、行動しなければただの偽善だと言われるのもよく分からない論旨ですし、そもそも、爆発的表現についてのサンプルが欲しければ『BAD BOYS 2 BAD』でも見た方が余程参考になりそうです。


あの事件からはもっと他に感じることがあるだろう、と思わずにはいられないのですが、彼からすると、私の方が想像力が欠落しているようで、命についても価値が生じるのは自らのものだけらしいのです。


私は怒りというよりも寂寞の思いでこの返答を眺めておりました。


たた、一ついえるのは、「他人」に関心がない人間は芸術で人を感動させることなど出来ないのではないか、ということです。



そこには自分の欲求や自論が呈されているだけで客観的な視点が欠如しているので他者の理解を得るのは難しく、正しく自己満足マスターベーションの域を脱しきれないのではないしょうか。


そして、よくTwitter上で見かける、「なろう小説は中学生でも書ける」という暴言も、この、他人の一切介在しない作者様の幼稚な精神性を批判しているような気がしてならないのでした。









さて、話をまた本題に戻しましょう。


ここまで自称web小説家の皆様の主人公のキャラクターについて申し述べてきましたが、続いてはヒロイン、ライバルといったそれ以外の登場人物について語りたいと思います。


自称web小説家の皆様の作品を拝見していると、主人公以上にキャラが弱いのが他の登場人物達でした。


特にヒロインについては壊滅的で、おそらく貴方方の作品のヒロインの区別を文章で判別するのはとても難しいでしょう。


ここでまた断っておきますと、私は何もヒロイン達の語尾に特徴を付けろと言っている訳ではなく、容姿や性格といったキャラ付けが曖昧だということを申し上げているのです。


特に容姿の記述については酷く、「ワンピース」「スカート」ならまだマシな方で、「スチームパンク風」という一言で済ませてしまう作者様もいらっしゃいました。


おそらく女性のファッションに余りにも縁遠い方々が殆どなのでしょう、一番の近道は彼女でも作れば話が早いのでしょうが、この便利な世の中、幾らでも設定資料集は存在します。


学生諸君は少ない小遣いをはたいて買うのも忍びないでしょうから、図書館にでも行って取り寄せては如何でしょうか。



また、性格についてはもっと複雑怪奇で、大抵勝気な性格と大人しい性格の子を対比させて出して来るのですが、主人公に好意を抱く理由についてきちんと描かれている作品は本当に稀でした。


いっそ一目惚れならそう書いて貰えればいいのですが、なぜか皆様それには否定的で(おそらく作者自身、容姿に自信がないことの裏返しでしょう)、後から取って付けたように「優しい」だの「頼りになる」だのと後付けで理由を持ってくる方が殆どでした。


ちょっと助けてくれたぐらいでそんなにホイホイ好きになるもんかね、ツッコミたくはなりますが、多分異世界では主人公以外の人間はよっぽど頼りにならないのでしょう。



ライバルについても以下にも何処からか借りてきたような如何にも噛ませ役のようなキャラ付けしかされておらず、主人公の活躍を演出するような役割か解説キャラに成り下がる場合がお決まりのパターンでした。


いくら主人公が最強でもそれを脅かすようなライバルが登場し、互いに切磋琢磨するのも悪くはないと思うのですが、やはり、主人公(作者)がNo.1じゃないと気が済まないのでしょうか。



また、悪役のキャラ付けに至っても何とも陳腐な味付けしかされておらず、主人公の踏み台にしかならならないスケールの小さい敵ばかりでした。


敵の強さの演出は勿論なのですが、自称web小説家の皆様の描く悪役には美学が無いのが一番の原因でしょう。


悪党にも悪党なりの考えがあり、人は誰しも自分が「悪」だとは考えません。


「シオカラ節」にしても、歪んだ正義の元行動しているのはもう皆様もお分かりだと思います。


ただ、悪役はそれが極端に先鋭化し、過激になって暴走しているだけなのです。


その「悪党の美学」が貴方方の作品では見てとれず、もし仮に自らの理念さえない純粋悪を描くにしても、読者に嫌悪感を抱かせるような残虐性も見せられてもおりませんでした。


ここでも、自称web小説家の皆様が自分と異なる意見を受け入れない偏狭さが垣間見える気がします。


反対意見を聞き入れることが無いから結局は自分の物差しだけが絶対的な正義となり、反対側の意見を訊くことがないので主人公の正義と対立させるべきもう一つの正義を立てようがないのです。


それこそ、大ヒット作品ではライバルや悪役といった脇役のほうがある意味主人公以上の魅力が備わっているもので、そういった脇役が輝くからこそ、主人公の魅力もまた引っ張られるのです。


例を挙げればキリがありませんが、ラノベ界隈でいえば、一方通行アクセラレータ、ペテルギウスなどでしょうか。



逆説的にいうと、ある意味主役を食ってしまうほどのキャラクターを作れれば、エンタメとしては成功と言えるのではないでしょうか。



最後に、「異世界転生」物をはじめとする「なろう」ファンタジーではお約束の、主人公に使える下僕達についても言及することとします。


私の過去の感想で物議を醸したものとして、「犬の相棒の特徴が、匂いを嗅いで色んな情報を収集する、という人間側に都合の良いところだけに終始している」との言がありました。


それに対して気を悪くされた作者様が私の感想を晒すと、それに呼応したお仲間の作者様が「犬なんだから匂いを嗅ぐのは当たり前だ、何を言っているんだ」と仰っていましたが、私からしたら貴方こそ何を言っているんだと苦笑してしまいました。


私が指摘しているのは犬としての立ち振る舞いがその「能力」のみ描かれていることであり、彼の眷属に獣としての「虚実リアリティ」が全く感じられないことだったのです。


これは今回取り上げた作品に限らず、他作品でも共通して見られた現象で、狼であろうと虎であろうとドラゴンであろうとそこに生物的な生臭さを感じられ無ければ別に獣である必要性すらないのではないかと思えてくるのです。


そして、獣である以上は人間の言うことに従順に従うのもまた可笑しな話です。


まして肉食獣であれば基本的に人間より強い存在で、その格下の生き物に大した理由もなくホイホイと従うのはあまりに現実と乖離し過ぎており、エリザベスの如く中におっさんが入っているのではないかと疑いたくなるほどです。


それこそ、現実では柴犬一頭躾けるのも大変なのに、です。


邪推するに、おそらく件の作者様は精々YouTubeで犬の癒やし動画を閲覧するのが関の山で、犬を飼ったことも無ければ、普段屋外で見かける犬の様子さえきちんと観察することは無かったのだろうなと感じてしまいました。


ですがここで、ドラゴンやらケルベロスやらフェニックスやらの想像上の生き物の描写についてはどうなんだ、というこれまた間の抜けたツッコミが飛んでくるかもしれませんが、最早それは私がああだこうだ申し上げるより、『幻の動物とその生息地』を読まれた方が遥かに参考になるでしょう。


いずれにせよ、人間だけでなく、その従僕ペットに対しても詳細な設定を作り込んで人間同様にキャラ付けを行わなければ、ファンタジー世界が一気にハリボテ化するのは目に見える結果となるでしょう。





以上が、私の「キャラクター」論もどきになります。


前話までとはまた違い、本話では皆様の人間性にまで踏み込んで酷評してしまいました。


しかしながら、キャラクターというのはあくまでも実社会の「人間」をモチーフにして描かれているものである、というのが私の持論でして、無闇に自称web小説家の皆様のことを傷付けようとしていた訳ではないことは追記しておきます。


また、もう一つ付け加えるならば、キャラクターの引き出しを増やすにはやはり実生活において色々な立場の人と交流することが第一に思われます。


昨今のコロナ禍の状況では中々難しくもありますが、特に狭いコミュニティに引き篭もりがちな学生諸君には是非、友人、家族だけでなく色んな人の話を聴いて吸収していってほしいと願うところです。


寺山修司も、「書を捨てよ、町へ出よう」と言っています。


この状況下では中々おおっぴらに町を歩けませんが、それでも、本を読むだけでなく、部活動や様々な経験を通じて、素直に色々な見識を受け入れて欲しいと、私自身の後悔の念から願っております。

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