「シオカラ節 感想」解説(0)前文
本章では、「シオカラ節」の感想について、皆様からの反論やご指摘、そして大変残念なことに私の意見について少なからず曲解されている部分について、改めて解説という形で申し開きをさせて頂きたく存じます。
その上で、私の考える「ライトノベル論」的な一考察を挟み、私の感想についての解説とさせて頂ければと思い、こうして筆を執った次第であります。
さて、「シオカラ節」の感想のついて、特に初期のものについては大いに賛否両論が巻き起こっておりました。
その多くが「否」だった訳ですが、その反論を拝見したところ、私の意図するところと大分ズレが生じていたものでした。
率直に申し上げて、その不幸なすれ違いの所為もあってか、私を論破するに至ったものは見つからず、是非この機会に私の浅はかな愚行に対して改めてお叱りを頂ければと思いますが、まずは皆様が誤解されている私の言に関してもう少し詳しく述べていきます。
この章では、私の感想において、私がweb小説の感想を書くにあたって着目した三つの点において論点を整理し、私の感想について解説を致します。
一、文章表現について
ニ、設定・ストーリーについて
三、キャラクターについて
これらの項目に沿って私が拝見した数多のweb小説の問題点について解説し、それにより私の感想の真意が作者の皆様に伝われば幸いです。
正直なところ、自分の文章を自分で解説するという行為自体余り乗り気ではなかったのですが、(松本人志氏の言を借りると、「自分で自分のネタを解説するって一番ダサいやつ」)先述の通り、余りにも私の意を汲みとってもらえなかったものですから、渋々言及することにしました。
更には、曲解どころか話が飛躍し、私の言を自分の都合の良いように切り取って解釈する作者様も後を絶たないのも現状です。
それについては一々言及するのは途方も無い労力を使うので最早放って置きますが、この機会に一言だけ申しておきますと、私は基本的には自分で言及しない限りは、作品全体に目を通している、とだけは言っておきましょう。
つまりは、途中までしか読んで無いからそんな感想になる、ということではなく、全部読んでもそんな感想にしかならなかった、ということです。
私が見落とした部分については、私の落ち度ではありますが、逆に読者に伝わらなかった、とも言い換えられるとも言えるのではないでしょうか。
確かに、私も感想を書くにあたり作品を隅から隅まで目を通していた訳ではございません。
特に、私にとって面白くないと感じてしまったものについては早々に拝読を打ち切ってしまったものもありました。
しかし、それの何が問題なのでしょうか。
皆様お忘れがちですが、当方は別に文芸評論家でも何でもないのですから。
あくまで一読者として、ああでもないこうでもない、と、自らの勝手な弁を申し上げたに過ぎないのです。
それが問題だと仰るのであれば、あらすじにでも、「批評めいた感想お断り」と一言添えるか、感想欄を閉じてしまうのが賢明でしょう。
そして、これから申し上げる私の弁につきましても、あくまでそこら辺のエンタメ好きのおっさんが喚いてる程度のものとして捉えて頂ければ幸いです。
きっと血相を変えて自称専門家の方々が私の弁の粗探しに躍起になること請け合いでしょうが、そもそも「シオカラ節」自体、単語の初歩的なスペルミスをやらかす様な知ったか振りの間抜けです。
本格的な文芸批判をお望みであれば、『ネオ高等遊民』さんにでも名著をお聞きになった方が余程有意義でしょう。
とはいえ、折角の機会ではあるので、私めも皆様の作品を通して自らの思うところを存分に吐露することと致します。
何かと忙しい現代社会、「シオカラ節」なんぞの長ったらしい戯言に一から十まで付き合ってられるかよ、と唾を吐く方向けにまとめとして総評を付けさせて頂きましたので、是非そちらだけでもご覧下さい。
それでは、第二章、開廷致します。