「シオカラ節」の真意
ここまで記述したら読者の皆様も流石に気付くと思われますが、「シオカラ節」が辛口感想を述べた作品は先述のツイートに「自分なら感想欲しい」というリプライを飛ばした作者様と、Twitter上でちょっとした小火になっている時に「シオカラ節」から感想が欲しい、と呟いた物好きの作者様の作品だけなのです。
(他にも自称感想屋さん等目に余る作者様の作品にちょっかいをかけたりしていましたが)
誰かも言っていましたが辻斬りに見せかけて実は回っている界隈は極めて狭いコミュニティだったもので、活動を始めて一週間程度で存在を認知されるところとなりました。
そうすると作者の皆様のネットワーク(Twitter)で話題に昇るようになり、多くは辛辣過ぎる感想に怒り心頭、それに面白がって便乗し感想を欲しいと呟く輩、様々な反応が返って来まして、特に活動初期の尖った感想につきましては作者様からの怨嗟の呟きが数多く見られました。
それどころか偽物まで現れる始末で、ちょっとしたお祭り騒ぎの様相を呈していました。
ここで断っておきますと、私は基本的に同じ作品に二度感想を書いたりしませんので、悪しからず。
そして、返ってきたご意見の大半を占めていたのが、
「自分の意見の押し付け」
「作者に配慮しない稚拙で不愉快極まりない感想」
といったものでした。
私の投稿した感想の詳細については、もしご覧になっていない方がいらっしゃるようでしたらTwitterで「シオカラ節 感想」と検索して頂いたら何作かヒットすると思いますので、そちらをご参照ください。
勿論、私めも上記のご叱責につきましては反論の余地がございません、その通りであります。
信じては貰えないでしょうが、私自身このような活動を行う以前は、こういう評論家気取りで小説や漫画、アニメにケチをつける輩は軽蔑しておりました。
しかし、今回の場合、被害者となった作者の皆様自身が、
「作家ならどんな感想も受け入れるべき」
と豪語していたので、私も忖度せず、エゴに塗れた感想を突き付けたまでに過ぎないのです。
ここで、彼等の気持ちいいぐらい二律背反的な思考に読者の皆様も気付いたでしょう。
あれだけ「作家であれば貴重な読者からの意見に耳を傾けるべき」と宣っておきながら、作者様にとって見るに耐えない批評めいた感想を叩きつけられると途端に態度を豹変させ、読者である「私」のパーソナリティをも否定されたのです。
予め予想出来た結果でありましたが、実に残念でした。
とは言っても、表向きは感想の御礼を述べながら、Twitter上では憤懣を吐き散らかすパターンや、私が「荒らし」認定された以後は黙って感想を削除する、という対処が大半ではありましたが。
ここで、自称ネット小説家の皆様は、いや、それは違う、お前のは唯の誹謗中傷だ、ちゃんとした批評であればきちんと受け入れる、と反論されると思いますが、果たして本当にそうだったと言えるのでしょうか。
少なくとも私は言葉に刺があったとはいえ、あくまでも扱き下ろすのは作品に対してであり、作者様自身の人間性について悪く言ったつもりはありません。(作家性については活動初期は言及しておりました、これについては言い過ぎたと反省しております。)
そして、もし仮に誹謗中傷に近い論評だったとしても、それは「私」の所感であり、それが真理だというつもりもなければ、意見を押し付けている気も無いのです。
私が書いているのは、あくまで「感想」です。
(「ノベルアップ+」・「カクヨム」の『レビュー』機能につきましては、作品を他の読者にオススメする趣旨であった、という趣旨を知らなかったもので、多数のお叱りを受けました。
本件につきましては私の不勉強によるものでして、この場を借りてお詫びを申し上げます。)
受け入れざるものであれば無視して頂いて一向に構わないのです。
とはいえ感想を拒絶する作者様について否定的であったことを踏まえると、やはり貴方がたの行動には矛盾を感じずにはいられませんが。
そして、私の主張の欠陥として、問題となった件の女史と作者様の間の感想拒否について、内容が分からない以上それが至極真っ当な感想であり、作者が本当に唐変木である可能性も十二分にあるのではないか、というご指摘もあるでしょう。
それについては前頁でも触れましたが、私の考えるに、それでも立場が対等な以上、作者が感想を拒否したのであれば読者も甘んじてそれを受け入れるべきである、というのが私の結論です。
そしてそれは、人が嫌がることはしない、という道徳の問題に帰結するのです。
お前が言うな、と切り捨てられて然るべきな言ですが、実は「シオカラ節」という存在そのものが、そのアンチテーゼを意図して創造したのものなのです。
やり口としては非常に悪趣味で、例えるなら子どもが友だち同士でお絵かきを楽しんでいるところを無理矢理取り上げ論っているのと同じことで、アマチュア文壇においては過度な批評めいた感想はご法度なのを承知な上でやっていたことでした。
勿論、匿名でこそこそと顔出しもせず、人の気分を害するような感想を書いて回るという通り魔的なやり方ではなく、それこそTwitter等のSNSで自論を正々堂々と主張すべきだ、という意見も上がるでしょう。
しかし、それで一体何人の方が私の意見に耳を傾けてくれるでしょうか?
少なくとも問題提起という意味では、このやり方により多くの方に、アマチュア文壇における読者と作者の関係について考えるきっかけになったのではないかと思っており、その点においてはこの実験は成功したといえます。
それでも、愉快犯的な私の行動が正当化される訳もなく、この雑文が発表されるときには一先ずケジメとして「シオカラ節」も終焉を迎えるでしょう。
とはいえ、私の感想により筆を折られた方も中にはいらっしゃったようで、その点については本当に申し訳なく感じる所存です。
虫が良い言い方にはなりますが、もしも叶うのであれば、ライト文芸に親しむ一読者として、再び創作に戻って頂けたら有り難く存じます。
そして、その反省を踏まえ、この頃はオブラートを一、二枚重ねて感想を述べるようにしています。
多少表現をぼやかし、初期の活動では詳しく述べていなかった作品についての問題点についても具体的に記述するように心がけました。
(特に私なんかの感想が欲しいと仰って頂いた奇特な作者様の作品について)
しかし、よくよく読んでみたらお分かりになると思うのですが、基本的に私はつまらない作品には遠慮なく酷評しています。
皆様からの主にTwitter上の反応として、シオカラ節の感想がマイルドになったという声が少なからず頂いていたのはこれに起因しているものでした。
結局のところ、今回の自称ネット小説家の皆様の内面を曝露してしまった真の意図としては、皆様に限らず、日頃から他人事を一丁前に論評されているご自身が、己に置き換えた時に果たして筋を通せるのか、ということを提示させて頂きました。
それは自己の客観化ともいえ、作家にとっても必要な視点であるとも思えてなりません。
だからこそ敢えて私はこの悪役を演じていた訳ですが、側から見ると何の生産性もなく、いい歳して些細な事象にムキになっている私は自己中心的で妄執的、傲慢な小物でしかないこともまた否めません。
しかしながら、単なる嫌がらせではなく、私は私なりにちょっとした信念を持って行動していた、ということだけはもう一度記しておきます。
そして、その上で私の一連の行動について、最終的には傍聴人、陪審員である読者の皆様に是非を委ねたいと思い、以上で本章の結びとさせて頂きます。