表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/147

95 ロベルトとヨシュア


 Ж


 遡ること数分前。

 ワインセラーの階上では、ロベルトが心配そうに扉の前で下の様子をうかがっていた。


「おっさんよぉ、そんな心配しなくても大丈夫だと思うぜ」


 ヨシュアが指のささくれをを弄びながら言った。


「そ、そうだろうか」

「ああ。ポラさんに任せときゃ余裕だ」

「たしかにあの子は口が上手い、けれど……」

「そうそ。なんつっても、一流の交渉のプロだからな」

「交渉のプロ?」

「知らねえの? えーっと、なんつったかな。ネゴなんとか」

「ネゴシエーター」

「そう、それ」


 ヨシュアはニシシと笑いながらロベルトを指さした。


「尊敬してんだ、俺ぁ。ろくに文字も読めねぇ俺からすると、あの人はマジ神なの」

「……なるほど」

「あの白木綿海賊団の乗組員だぜ。あのミスティエが認めてるんだから、ただもんじゃねーよ」


 そう言って、まるで自分のことのように胸を張る。


「ミスティエ?」

「んーだよ。おっさん、白木綿キャラコのミスティエも知らねえのか」


 ヨシュアは半眼になり、呆れたように言った。


「キミは何でも詳しいね。驚いたよ」


 ロベルトは感心したようにうんうんと短くうなずいた。

 ヨシュアはふーんと彼を見た。

 今どき珍しい好々爺だ。


「でもよぉ、おっさん。おっさんも酔狂だよな。あんなヤベー奴を従業員に雇うなんて」

「ヤベー奴?」

「殺し屋だよ。えっと、今はルナっつーんだっけ。やっぱ同情したのか? あの女に」

「なんのことだい?」

「なんのことって、あんたんとこの給仕だよ」


 ヨシュアは階下を指さした。


「今そこで閉じこもってる、あの女」


 ロベルトは顔を顰めた。

 そして、ヨシュアに詰め寄った。


「どういうことだい、それは」

「どういうことって――あれ? おっさん、もしかして何も知らねーの?」

「教えてくれ。君は、ルナちゃんのこと、何か知っているのか」

「……まいったなあ」


 ヨシュアは目線を外し、がりがりと頭を掻いた。


「これ、もしかして言っちゃいけなかった系か?」

「そんなことはない。教えてくれ。殺し屋とは、いったい何のことなんだ」


 ヨシュアは少し躊躇った。

 もしかすると、あとでポラに怒られるかもしれない。

 ポチにどやされるかもしれない。


 うーん、とヨシュアは顎に手を当てて考え込んだ。


 その時、その横を一陣の風が吹いた。

 彼らには視認できないほどのスピードで、何者かがすり抜けた。


「ま、いいか」


 数秒考えた後、ヨシュアはそのように思い直した。

 だって口止めされてねーし。


 ヨシュアは知っていることを話した。

 ルナがマフィアに所属していたこと。

 そこで暗殺者アサシンとして生きていたこと。

 そのことを、デイジーも知っていたことまで。


「そ……それは本当なのか」


 ロベルトは聞き終えると、そう呟いて自分の顔を両手で抑えた。

 そうだよ、とヨシュアは言った。


「今は何か腑抜けみたいになってっけどな。昔はそりゃあ怖かったぜ」


 ロベルトは血の気の引いた青ざめた表情で項垂れた。


「し、知らなかった。私は、何も知らなかった。ルナちゃんが、そんな風に生きていたなんて」


 はは、と乾いた笑い声を出す。

 足の力が抜けて、ついにその場に膝をついた。


「なんて間抜けなんだ、私は。いいや、違う。私には、勇気がなかったんだ。今思えば、おかしい態度のときは何度もあった。知ろうと思えば、いつでも知れたのに。私は――雇い主として失格だ」


 ロベルトは懺悔するように言った。

 謎が全て解けたような気がしていた。

 あの子は、デイジーにだけそのことを話していた。

 私には、きっと言えなかったんだ。

 私が拒絶することを恐れて。

 だから、あんなよそよそしい態度になっていたんだ。


 ロベルトは目をぎゅっと閉じた。

 あのポラという子の言うとおりだ。

 私は、彼女に謝らなければならない。

 あの子にもっと向き合って、もっと相談に乗ってやるべきだったのに。

 ルナは、きっとそうして欲しかったはずなのに。


「別にそんな自己嫌悪になるようなことじゃねーべ」


 と、ヨシュアが言った。

 ロベルトはヨシュアを見上げた。

 

「あんたさ、ここであの女を食わせてたんだろ。何年も育ててやったんだろ。十分だぜ、それで」

「ヨ、ヨシュア君」

「この街で、親みてーな奴がいるなんてのは、それだけで幸せなことだ。それも、あんたみたいな()()()()親なら言うことなしだ」

「しかし、本物の親なら、彼女の異変に気付くはずでは――」

「あんたさ、ドブに落ちたパンを食うために人を蹴り飛ばしたことあるか?」


 ロベルトを遮り、唐突にヨシュアはそんなことを問うた。

 そして、返事を待たず、続けた。


「ありゃあみじめな気分だぜ。とても人間が食うようなもんじゃねえのによ、それを取り合って、他人を蹴落とすんだ。そんでそれを、誰にも取られねえように背中を丸めて食うんだな。ドブの味がするパンを、鼠みてえに貪り食うんだ」


 ヨシュアは何かを思い出すように中空に視線を泳がせた。

 それから「つまりよ」と言って、人差し指を立てた。


「つまり、フリジアで親がいねえってのはよ、そういうことなんだ」

「……ヨシュア君」


 ロベルトは唇を噛み、慰められたように少し笑った。

 ヨシュアは小さく首を振り、ロベルトを見た。


「ま、そういうことだからよ。もしも“赤い月”があんたに文句言ったら、俺がぶっ飛ばしてやるぜ。贅沢言ってんじゃねーぞボケって」


 ヨシュアは口の端を上げた。


「おっさんはよ、もっと堂々としてろ」


 ロベルトはうん、と頷いた。

 それから、目端を拭った。


「すまないね。最近、どうも涙脆くって」

「カッカ。今の話でどこに泣くようなとこがあんだよ」

「年のせいだろうかな」

「まだ耄碌すんのははえーだろ、おっさん。この店はシーシーさんのお気に入りなんだ。しっかりしろよ」

「そうか。そうだね――」


 と、その時。

 いきなり階下から、ドカン、という破裂音がした。

 同時に、もくもくと煙や埃が舞い上がる。


 ロベルトとヨシュアは目を合わせた。

 そして次の瞬間、二人は急いで下へと降りて行った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ