93 息子
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前に来たことがあるのか、ミスティエはビル内を迷うことなく進んだ。
5階の一番奥にある部屋。
下品なほど装飾された扉の奥に、“バーギト”のボスはいた。
「よう、バルバトフ」
ミスティエは扉を蹴飛ばして中に入ると、ニッカと八重歯を出して笑った。
こういう時は本当に楽しそうな顔をする。
室内は豪華な装飾で彩られた目がチカチカするような部屋だった。
突き当りのソファに、上等な服を着て、大股を開いた男がいる。
「……ミスティエか」
総髪を後ろに撫でつけた男――バルバトフは顔を顰め、吸っていた葉巻を灰皿へと押し付けた。
どうやらこいつがボスのようだが――意外と若い。
まだ30にもなっていないのではないか。
「お前らは出とけ」
と、バルバトフは言った。
「だ、大丈夫ですか」
「関係ない。どの道、お前らじゃあ勝ち目はない」
いいからいけ、とバルバトフが顎をしゃくる。
へ、へい、と言いながら男たちは逃げるように退室した。
「評判通りだな。常識のない女だ」
豪華なソファの背もたれに体を預けながら、バルバトフは目を細めた。
同行しておいてなんだが、全く同感である。
しかし――さすがの胆力だ。
いきなり海賊の親分に押し入られたというのに、まるで臆した様子がない。
「随分羽振りがいいじゃねえか、ドラ息子」
ミスティエは部屋を見回しながら皮肉を言った。
「何の用だ」
「ちょっと話を聞かせてもらおうと思ってよ」
「話?」
「ボスの話だ」
「俺の?」
「お前じゃない。お前の――親父だ」
ドンッ、とミスティエは豪奢なテーブルに手を乗せた。
「3年前の事件。トラオレが死んだとき。お前は現場にいたな」
「なんの話だ。順序だてて話せ」
「面倒くせぇな。聞かれたことだけ答えろ」
「そんな道理が通るか馬鹿野郎」
「あたしの気が短いのは知っているだろ?」
「知ってるさ。気が短い“フリ”、だろう」
「くっく。そうだな。だが、同じことだ。あたしは“フリ”で人を殺せるぞ」
ミスティエは背中に背負った巨大な剣を抜いた。
その切っ先を、ゆっくりと奴の顎に当てる。
「俺を殺す?」
バルバトフは気色ばみ、立ち上がった。
「あんまり舐めるなよ、ミスティエ。たしかにお前と喧嘩するのは得策じゃねえ。だが、命が惜しくて日和るような奴はマフィアじゃねえ。聞きたい話があるなら、きちんと仁義を通せ」
「仁義、ね。若いくせに、古くせぇ言葉をやがる」
ミスティエは顎を上げ、バルバトフを見下げるように睥睨した。
まあいいだろう、と口の端を上げる。
「面倒くせーが教えてやる」
と、ミスティエは俺の首根っこを掴んだ。
「こいつの知り合いが、お前の親父が死んだ事件の真相を知りたがってるのさ」
「……誰だ、この男は」
「あたしの部下だ。こいつは“赤い月”の知人でな。3年前の事件を調べてる」
赤い月。
その言葉を聞いて、明らかにバルバトフの顔色が変わった。
「――3年前の事件?」
「お前らが隠蔽した事件だよ。お前の親父が、少女に入れ挙げて起こしたみっともない事件だ」
「……なるほど」
バルバトフは顔を顰めた。
「だが、今さらそんなことを知ってどうする。あれはもう、うちの若い衆が捕まって終わっただろう」
「終わってなんかない」
と、俺は言った。
「それで、苦しんでる女の子がいるんだ。何年も何年も、事件のことで悩み続けている。だから、真実をはっきりさせないといけない」
「くだらない」
バルバトフは言った。
「そんなくだらない理由でわざわざ来たのか。帰れ。俺は忙しいんだ」
バルバトフは鼻に皺を寄せて言った。
ちょっと待てよ、と俺は言った。
「くだらない、の一言で終わられたら困るんだ。あんたが何か知ってるんなら教えて欲しい」
「おい、口の利き方に気を付けろよ、小僧」
バルバトフはドスの利いた声で俺を睨みつけた。
「お前らにとっては重要だろうが、そんなことは知ったことじゃねえんだ。さっさと帰れ」
「嫌だ」
俺は首を振った。
「何か知ってるなら教えてくれ。態度が悪かったなら謝る。お願いだ」
俺は腰を曲げ、きっちり頭を下げた。
たっぷり1分以上、そうしていた。
「ポチはしつこいぞ」
ミスティエはカカッと嘲笑した。
バルバトフは思いつめたような表情になった。
それから絞り出すような声音で、
「……知ったことか。お前らに話すことは何もない」
帰れ、とバルバトフはもう一度言った。
取り付く島もない。
なにか話したくない事実がある。
そう感じ取れる拒絶だ。
「意地を張るじゃねえの」
ミスティエは口の端を上げた。
「なにか隠してるとしか思えねえな」
「何でもねえ。あんな事件、どうでもいいから忘れたんだ」
「嘘を吐くなよ、バルバトフ。親父が殺され事件じゃねえか。それに、お前にとって“赤い月”がくだらねえはずがねえだろ」
ミスティエは少し目を見開いた。
「……何の話だ」
「とぼけるんじゃねえ。お前が“赤い月”に特別な感情を抱いてるのは分かってんだ」
「特別な感情?」
思わず体を起こし、俺は口を挟んだ。
「ど、どういうことですか、船長」
「考えてみりゃあ分かることだろ」
ミスティエはベストのポケットに手を突っ込んだ。
「“赤い月”はバルバトフの親父の仇だぞ。バーギトの組長の仇敵でもある。居場所も掴んでいる。それなのに、何故、この男が奴を見逃しているのか。理由が無ぇ訳が無ぇだろ」
俺はハッとした。
言われてみればその通りだ。
いいか、とミスティエは説明を始めた。
「こいつはわざわざ第3地区の『デイジーズ・ファン』の近くに店を構えて、“赤い月”を監視するような真似までしてるんだ。そうまでして、その女に執着してる。だが一方で、直接なにか攻撃するわけでもねえ。ただ見守っているだけだ。はっきり言って、相当ねじ曲がった行動原理だ。一筋縄ではいかない、複雑な情念が見て取れる」
ミスティエはタバコを取り出し、口に咥えた。
黒鳥の意匠がついた高級そうなライターで火をつけ、紫煙を吐く。
「バルバトフ。お前はあの事件の日、一体何をした」
ミスティエは三白眼になって問うた。
バルバトフは唇を噛み、深刻そうな顔つきになった。
だが、決して口は開かなかった。
その顔を見て、俺は確信した。
もはや返事を待つまでもない。
ミスティエの推理は当たっているのだ、と。
「……ミスティエ。てめぇの方こそ、何を企んでやがる」
と、バルバトフは言った。
「むん?」
思わぬ切り返しに、ミスティエは右眉を上げた。
「むん、じゃねえ。お前が、白木綿海賊団の船長が、こんな小僧の頼みだけで動くはずがねえだろうが」
バルバトフはミスティエの胸倉を掴んだ。
それから懐から自動拳銃を取り出し、彼女の首に突きつけた。
そして鼻先がつきそうなほどの至近距離で、
「もう一度言うぞ、クソ女。マフィアを舐めるんじゃねえ。取引するなら、お互いの手の内を見せるもんだろうが。目論見があるんなら、今、ここで、はっきり言え」
そう凄んだ。
恐ろしい迫力だった。
以前の俺なら、怖くて震えあがっていたかもしれない。
「……なるほど。いいぞ、バルバトフ」
だって言うのに、ミスティエはいっそ嬉しそうに笑った。
「苦肉の策にしては良いところをついてくる。なかなか察しが良いぞ。オメーはどうやら、くっく――やはり、あの先代とは一味違うな」
「黙れ。親父を侮辱するんじゃねえ」
「ボンクラをボンクラと言って何が悪い。色に狂って死んだ間抜けな糞ジジイだろ」
「てめぇ……」
バルバトフは銃口をギリ、とさらにミスティエに押し付けた。
「なんだ? あたしを撃つか?」
首に銃口をあてがわれたまま、ミスティエは撃ってみろと言わんばかりに目を剥き、不敵に笑った。
まるで怯えた様子はない。
当然だ。
ミスティエには、この状態でもなお、自分が勝つという絶対的な確信があるのだ。
「いいか、バルバトフ」
と、ミスティエは言った。
「あたしはお前を高く評価してるんだ。規制が厳しくなると、すぐに合成麻薬『SDX-37』に見切りをつけたのも慧眼だったぜ。あんな粗悪な毒物に縋るようじゃ、組織は終わりだったろうからな」
「……随分と俺たちのことに詳しいじゃねえか」
「当然だ。手を組むなら、オメーらがどれだけの“頭”を持ってるか調べておかねえとな」
ミスティエはにやり、と笑った。
「手を組む、だと」
バルバトフは顔を顰めた。
当然だ。
急に話の潮目が変わった。
ミスティエの考えが――読めない。
「どういうことだ、それは」
「あたしはお前の計画には賛同してるんだ」
「俺たちの計画?」
そうだよ、とミスティエは肩を竦めた。
「別にことさらに移民野郎の肩を持つ気はねえがな。確かに今のフリジアはちっとばかり息苦しい。この調子じゃあ、早晩この街の経済的成長が止まるのも目に見えている」
「ちょ、ちょっと待て」
「この街には、お前のような動ける悪党が必要だったんだ。とはいえ、行動力があるだけの馬鹿じゃ困る。だからどうなるか泳がせて様子を見ていたんだがな――お前は合格だよ、バルバトフ君」
「ちょっと待てって言ってるだろうが!」
バルバトフは怒鳴った。
「お、お前――俺たちのこと、どれだけ知ってやがるんだ」
「どれだけ? 全部知ってるさ。お前らが今回の計画のために、誰に、いくら金をばら撒いたかも、な」
バルバトフはそこで初めて、恐れ戦いたような顔を見せた。
表情は恐怖に染まっている。
もはや、どちらが銃を突き付けているのか分からない。
まあ聞けよ、とミスティエはソファにどっかりと座った。
「あたしもお前と同じ考えでな。富裕層だの貧困層だの、くだらねえと常々考えていた。糞金持ちどものせいで、金の巡りが停滞してるんだ。垣根をなくし、不文律をぶち壊せば、今ある形骸化したいらねえ役職を全て掃除できる。そしてそこに息のかかった人間を配置すれば、大きな金の流れに乗れる。お前の考えは正しいよ、2代目」
ミスティエは三白眼でバルバトフを睨んだ。
バルバトフは額に汗を滲ませながら、ネクタイを緩めた。
「……まいったぜ。お手上げだ。お前と喧嘩するのは、どう見ても得策じゃねえ」
バルバトフはゆっくりと銃を下ろした。
苦く笑いながら、その手をホールドアップする。
「どうやって調べやがった。恐ろしい女だ」
「それだけじゃねえぞ。お前らが抱えてる課題も知ってる」
「何?」
「悪党が強引に道理を通そうと言うんだ。お上が黙っているわけがねえもんなァ」
「ちょ、ちょっと待て――」
「お前らは今、フリジア再開発庁の役人に手こずってる。そうだろう?」
バルバトフを遮り、ミスティエはにやりと笑った。
「テ、テメエ――」
バルバトフは戦慄したように息を呑み、ごくりとつばを飲み込んだ。
すでに顔は汗でびっしょりだ。
「だから、あたしが手を貸してやってもいいと言っているんだ」
と、ミスティエは悪い顔で言った。
「あたしの息がかかった政治屋と、優秀な不動産仲立人を紹介してやる」
「政治屋?」
「お前らは今、政府に意見が出来る人材が欲しいだろ。喉から心臓が出るほど」
「そ、それは――」
「ま、要するにお前のフロント事業が上手くいくようにお膳立てをしてやると、そう言ってるんだ」
バルバトフは顎に手を当て、思案するような素振りを見せた。
汗をぐい、と腕で拭き、呼吸を整える。
「……美味すぎる話だな。俺たちにとって、都合が良すぎる」
やがて、バルバトフは口を開いた。
「条件は何だ」
「条件?」
「ああ。まさか、お前がタダで働くわけがねえだろ」
「それはもう言っただろ」
「なんだ?」
バルバトフが首を傾げる。
ミスティエは俺の首に腕をかけ、ひき寄せながらこう言った。
「3年前の事件の真相を、ポチに全て話すことだ」