92 アジト
Ж
“目的地”へ向かう途中、ミスティエはバーギトについて教えてくれた。
彼女はベテランの新聞記者であるリージョより何倍も組織に詳しかった。
あまりに彼らのことに詳しいので、移民系マフィアのことを調べているのかと思ったが、そうではなかった。
ミスティエは別に特別バーギトに詳しいわけではない。
この女は――この街のことなら全て把握しているのだ。
「“バーギト”の狙いは、貧困地区と富裕層地区の境界を曖昧にすることにある」
「ゲットーとプリメーラを?」
「奴らは余所者だからな。土着連中が大きな顔をしているのは、そうやって縄張りを区別しているからだと考えたんだ。だから奴は、スラムや貧民街にも金が流れるような仕組みを作りたかった。その手始めとして、フリジアの真ん中を通る道路の整備計画に目をつけた。つまり――第3地区にあるメラー通りの再開発プロジェクトだ」
メラーストリートとは、デイジーズファンのある町だ。
「そ、その話と今回の事案。なにか関係があるんですか」
息を切らしながら、俺は聞いた。
まあ聞け、とミスティエは俺の頭をぽんぽんと叩いて続けた。
「だが、あたしの知っている限りでは、本当なら奴らは第2地区に近い場所を狙っているはずだったんだ。第3地区には大きな河川がある。水はけが悪くインフラの整っていないスラムでは、川の近くは洪水が起きた時には厄介だからな。それなのに、奴らは途中で矛先を変えた。おかしいと思っていたんだ。だが、お前の話を聞いてピンときた。あいつらの意図が、な」
ミスティエは往来を颯爽と歩く。
ただ闊歩しているだけで、往来を行く見知らぬ男たちが俺たちを振り返った。
彼らはすれ違う時、小声で「おい、ミスティエだ」と口々に囁いた。
大剣を背負った、スタイル抜群の金髪美女。
風を切って歩くその姿は、それだけで十分絵になった。
「……つまり船長は、3年前の事件と今回の再開発には『デイジーズ・ファン』を巡って関りがあると」
と、俺は聞いた。
ミスティエは歩いているはずなのに、めちゃめちゃ早い。
俺は遅れないように必死について行く。
「ま、概ねそうだな」
「では、奴らにはどういう意図があったんでしょうか」
「それを今から聞きに行くんだろ。まあ、おおよその予想はつくがな」
ミスティエはにやりと笑った。
「聞きに行くって――それじゃあ」
俺は聞いた。
「いい加減に教えてください。一体、これからどこに行くんですか」
だから言ってるだろうが、とミスティエは前を向いたまま言った。
「バーギトの現在の大親分。トラオレの息子のところだ」
Ж
交差点を右に曲がると、ひと際大きな通りに出た。
出来立ての道路だが、歩行者はまばらで少ない。
背の高い真新しいガス灯が、路肩で蝋燭の火のように等間隔で設えられている。
おかげで貧困地区の夜なのに随分と明るい。
ふと見ると、路傍に何かの碑のようなモニュメントが置いてあった。
この一角だけ見ると、とてもスラムに近い場所とは思えない。
やがて、道路脇に真新しい一際大きな飴色の建物が見えた。
ミスティエはその数十メートル先にあるビルを顎でさしながら、あそこだ、と言った。
ビルは細長かった。
平坦な建築物が多い中で、一つだけタワーのように聳えている。
リヴァプール商会の本部と同じか、それ以上の高さだ。
エントランス前の短い階段の前には幌の付いた大きな蒸気車が停まっていた。
そして、入り口にはガタイの良い黒服の男が二人、辺りを威嚇するように立っている。
どうやら、マフィアというものはどこも似たようなものらしい。
「おい」
ミスティエはその守衛の前に仁王立ちした。
男たちは無言で眉根を寄せた。
「お前らのボスに話がある。通らせろ」
「アポイントは」
「ねえよ、んなもん」
「なら出直してこい」
「いいから、あたしが来たと伝えろ」
ミスティエは二人の胸倉を掴んだ。
「3年前の事件で話がある。オメーの親父の話だ。それだけ言えば伝わるはずだ」
もはや名乗ることすらしない。
相変わらず、無茶苦茶な言い分だ。
「駄目だ」
と、守衛は表情を崩さずに言った。
ミスティエはあーん、とヤンキーみたいに眉を寄せた。
「おめーら、あたしが誰だか理解って言ってんのか」
「お前が誰だろうが関係ない。約束が無いものは通せん」
「三下。そのすくねえ脳みそでよく考えろ。相手が誰かを」
「てめえこそ頭がイカれてやがんのか。ここはマフィアの本部だぞ。帰れ、このビ〇チ野郎」
「……あぁ?」
空気が凍るのが分かった。
ミスティエは額に青筋を作り、ゆっくりと背中の大剣を抜いた。
可視できるほど、全身に怒りのオーラが漲っている。
気のせいか、八重歯が牙のように伸びたような。
――まずい。
これはマジ怒ってる。
と思った刹那。
ミスティエは大剣を思い切り振りおろし――
地面にズガンッと叩きつけた。
衝撃で、大地が揺れた。
刀は地面に深くめり込んで大穴を開け、ビキビキと亀裂が稲妻のように男たちの股下を走った。
生じた振動で俺はバランスを崩し、思わずたたらを踏んだ。
「このビル、お前らもろとも平地にすんぞ糞蠅共」
ミスティエは般若のように恐ろしい顔で、男たちを睨みつけた。
「わ、分かった」
ひび割れた岩畳を見て、守衛たちは一瞬にして態度を軟化させた。
顔は急に硬直し、みるみるうちに汗が滲んでいく。
完全に格付けが済んだ瞬間だった。
ミスティエの言葉は伊達や酔狂ではない。
手練れである彼らには、それが分かったのだろう。
「早くいけ、チンピラ。別にお前らをぶっ殺して押し入ってもいいんだぞ」
「あ、ああ」
「ああ、じゃねえ、この鼠野郎。返事は“はい”だ」
「は、はい」
守衛たちは小刻みに震えながら尻餅をつき、踵を返して競うように入口へと消えていった。
ああ、怖。
俺は胸の前で手を揉みしだきながら、怒りがこちらに向いてこないようにひたすら小さくなっていた。
「ああ、おっせえなァ!」
だっていうのに、15秒くらい待った後、ミスティエは不機嫌そうにそう怒鳴り、ずかずかと躊躇なくビルへと入っていった。
せっかちすぎるだろうと思ったが、これくらいの傍若無人ではもうあんまり驚かない自分がいた。
「……お、お邪魔しまーす」
俺はまるでコソ泥のように歩きながら、彼女について行った。
すでに罪悪感が無くなっている自分が、ちょっと怖い。