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91 厨房にて


 Ж


「さっきは済まなかった」


 ポラが厨房に戻ると、開口一番、ロベルトがそう言って頭を下げた。

 少し意外だったので、ポラは戸惑ったものの、すぐに笑顔を作って「いえいえ」と顔の前で手を振った。


「ロベルトさんが謝る必要はありません。悪いのは100%こちらですので」


 非礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした、とポラは深々と頭を下げた。

 謝罪は彼女の本音であった。

 先ほどは調査のためにわざと失礼なことを言った。

 嫌われて詰られて、追い出されても構わないとさえ考えていた。 

 事情を知らないロベルトからすれば、いきなり小娘に喧嘩を売られたようなものだ。


「いや、ポラさんは悪くないですよ」


 だって言うのに、ロベルトは殊勝な態度で応じた。


「ムキになったのは私の方だ。大人げなかった。あなたの言っていることがあまりに的を射ているから、頭に来たんだ」


 ロベルトは口惜しそうに唇を噛み、もう一度、済まなかったと頭を下げた。


 ポラは思わず頬が緩んでしまった。

 この街にも、まだこんなお人好しがいるんだなと思った。

 なんとなく、うちのポチと被る。


「ところでロベルトさん。さっきからルナちゃんの姿が見えないんですが、どこか出かけていくところに心当たりはありませんか。今すぐ居場所を知りたいんですが」


 ポラは聞いた。

 ロベルトはルナのプライベートは知らないと言っていたが、念のためもう一度、聞いておいた方が良いと思った。


「ルナちゃんを探しているのかい?」

「ええ、少し」

「申し訳ないんだが、さっきも言ったように、私はほとんどあの子のことは知らなくて」


 するとロベルトは、また同じように首を振った。

 また同じ質問をしたのに、今度は嫌な顔ひとつしない。


 それどころか彼は、さらに言い訳を重ねるように口を開いた。


「本音を言うとね」

 と、ロベルトは言った。

「デイジーがいなくなってから、私は彼女とどう接すればいいのかよく分からなくなってしまっていてね。昔は本当の家族のようだったのに、今は上辺だけを取り繕って、お互いに心を閉ざしてしまっているような違和感がある。彼女の存在がいかに大きかったか。恥ずかしい話だが、今さらのようにそれを痛感しているんだ」


 ロベルトはすっかりしょぼくれている。

 ずいぶんと赤裸々に話す。

 彼自身、彼女の話を誰かとしたかったのかもしれない。


 だが、まだ本心ではない。

 嘘を吐いてるわけではないが、まだ心の奥底で本意を隠している。


「そうですか」


 と、相槌を打つ。

 そのとき刹那、ポラはルナの正体を話そうかと考えた。

 その方がお互いのために良いではないのか。

 この二人のすれ違いの主因は、おそらくそこにこそあるんだろうから。


 しかし、それは私がバラすことではないだろうとすぐに思い直す。

 ルナが何年にも渡って隠し続けた秘密。

 それは、彼女自身から伝えるべきだ。


 そんなことないと思いますよ、とポラは言った。


「ロベルトさんとルナさんは、今でも十分、家族のように見えます」

「家族だなんて、そんな良いものじゃない。私はあの子のことを知らないんだから」

「父親と娘なんてそんなもんでしょう」


 ポラは肩を竦めた。


「隠し事があったり、確執があったり。踏み込めないところがあったり。それが当たり前です」

「そうだろうか」

「ええ」


 ポラはにこりと笑った。


「ロベルトさん」

 と、ポラは言った。

「このお店、もうちょっと頑張ってみませんか。ルナさんのためにも」


 ロベルトは少し俯いて考えるような仕草を見せた。


「あの子、ここが無くなったら悲しむでしょう」

「……どうかな」


 ロベルトはいかにも自信なさげに自嘲した。


 ふむ、とポラは唸った。

 やはり、と思った。


 やはり彼は、この店を続けること自体に二の足を踏んでいる。

 そして、そのことを隠している。

 いくら新料理の開発が上手くいって、経営難を克服したとしても、これではまるで意味がない。


 ポラは、意味がないことが大嫌いだ。

 

「ロベルトさん、この店が無くなったらどうするんですか」


 と、ポラは聞いた。


「別の仕事を探すよ。少しは蓄えもあるし」

「では、この店は取り壊すんですか」

「そうなるね」

「では、ルナさんはどうなりますかね」

「彼女はまだ若い。こんな店に囚われず、もっと稼ぎの良いところへ行くべきだ」

「放り出す、ということですか」

「違う」


 ロベルトは少し語気を強めた。

 だがすぐに態度を改め、こほん、と空咳をした。


「あの子自身が、この店を出たがってるんだよ」

「彼女がそう言ったんですか?」

「いいや。でも、長年一緒に働いていれば、そういうのはなんとなくわかるもんだ」


 ポラは目を細めた。

 やっと本音が出た。

 彼が隠していた、ルナへの猜疑心が。


「どういう、意味ですか」

「私がルナちゃんの足かせになっているんだよ。確かに、あの子は建前ではこの店を惜しんでいる。しかし、どんなに明るく振舞っていても、時々不意に距離を置くことがあるんだ。きっと、彼女が今ここで働いているのは、デイジーを失った私を憐れんでのことなんだろう。でも、本当はこんな店から出て、自由に生きていきたいんだよ。あの子は優しい子だから、そんな素振りは見せないけどね」


 ロベルトは寂し気に言い、意味もなくテーブルを撫でた。


 頬杖をつきながら、これは重症だな、とポラは思った。

 仕方ない。

 あんまりこういうのは得意ではないんだけど――


「ロベルトさん」

「はい?」

「先ほど、なんとなくルナちゃんの心が分かる、って仰いましたね」

「ああ」

「実は私も、彼女の気持ちがなんとなく分かるんです」

「どういう、意味だい」

「私はルナちゃんと同じ女ですし、歳も近いですから」

「ああ、そういう意味では、そうかもしれないね」

「その私から言わせてもらえれば、ロベルトさんは“ちょー的ハズレ”って感じです」

「え?」


 ポラは肩を竦めた。


「いいですか。まず大前提として、オッサンに若い女の子の気持ちなんて絶対に理解できないんです」

「お、オッサン?」

「はい。ですから、余計な忖度はウザいだけなんです。こっちの気持ちを読もうとして、上手く立ち回ろうとするオヤジは大嫌いなんです」


 ロベルトは驚いたように目をパチパチさせた。


「で、でも、デリカシーがない人間も嫌いだろう」

「ええ、まあ」

「ど、どっちなんだい」

「どっちも嫌いですね」

「そ――そんな理不尽な」

「理不尽なんです。あやふやなんです。だからあなたの役目は、深読みなんてせずルナさんの態度をそのまんま受け取って、お節介をして、しっかり嫌われてあげることです」

「お節介をして、ですか」

「そうです」


 ロベルトは戸惑ったような表情を見せた。

 本当に大丈夫なんだろうか、と言う風に、目が泳いでいた。


 ポラはくすりと笑った。

 また少し言い過ぎたかな、と思った。


「でも、安心してください」

 と、ポラは言った。

「そもそもルナさんは、この店も、あなたのことも、心の底から愛していますよ」


「その、根拠は」

「根拠は、勘です」

「か、勘?」

「女の勘は当たるんです」


 ポラは胸を張った。


「信用してください。私も、女の子やってきましたから」


 ポラはにこりと笑い顔を作った。

 ロベルトはちょっと元気になったように、目を細めて微笑んだ。


「では最後にもう一つだけ、聞かせていただけますか」


 と、ポラは聞いた。


「なんですか?」

「ロベルトさんの方は、ルナさんを愛していますか」

「なんだい、その質問は」


 ロベルトは照れ臭そうに、苦笑した。


「教えてください。彼女に何があっても、愛せますか」


 ポラは真面目な顔つきで、重ねて聞いた。

 ロベルトは態度を急変させたポラに戸惑ったような表情を見せた。


「愛せますか」


 三度、ポラが問う。

 ロベルトは少し間をあけて、「ああ」と頷いた。


「あの子の面倒は私が見る。例え、彼女がこの店を離れても。絶対に不幸にはさせない」

「それはデイジーさんへの義理ですか」

「違う」

「言い切れますか」

「もちろん。あの子は、私の娘みたいなものだから」


 二人はしばらく無言で見つめあった。

 しゅんしゅんと火にかけたケトルが沸騰している。


「そうですか」


 やがて、ポラは頬を緩ませた。


「な、なんだい、今のは」


 ロベルトは照れ臭そうに鼻先をほりほりと搔いた。


「なんでもありません。でも、聞いておかなくてはいけないことでした」


 ポラは笑った。

 そうかい、とロベルトは恥ずかしそうに言った。


「よく分からないけど、納得しておくよ。しかし、キミはなんというか、ズルいね。誘導されて、思わず何でも喋ってしまう」

「よく言われます」


 ポラはくすりと笑い、厨房を見回した。

 冷室の横に一つ、それから反対側の壁にもう一つ。

 デイジーの写真が飾ってあった。


 つと、なぜ自分はこんなにもこの店のことを心配しているのかと思った。

 私のほうこそ、完全に余計なお世話だ。

 はっきり言って、私らしくもない。


 うーん。

 ポチ君のお人好しが移っちゃったのかな。

 ポラは自嘲気味に微笑んだ。


 写真の中のデイジーは、とても楽しそうに笑っていた。


「実はもう、ここが潰れたときの彼女の再就職先は内定していてね」


 と、ロベルトが言った。


「なんの話です?」

「メラー通りの大きな店から引き抜きの話があったんだ。ここが駄目になったら、ルナちゃんをうちで働かせてくれないか、とね」

「ルナさんを――引き抜く」


 ポラは眉根を寄せた。

 メラー通りと言えば、ここのライバル店がある場所だ。

 その店が近隣店から人材を引き抜くというのはあり得る話だが――


 果たして、あんなドジだらけの給仕をわざわざ引き抜くだろうか。


「だがその話は、断ることにするよ」

 ロベルトが言った。

「キミと話をして、決心がついた。なんとしてもこの店を立て直し、もう一度やってみようと思う」


 ポラはロベルトの声で物思いから覚めた。


「そうですか。それは何よりです」

「よーし、それじゃあ料理の開発を再開しましょうか。やる気があっても、経営が成り立たなければ意味がない」


 ロベルトはそう言うと、子供のように腕まくりをして見せた。


 ポラは「ええ」と頷いた。

 微かに、胸の奥がざわついていた。


 Ж


 それから二人はトバツの実をスライスして油に入れた。

 揚げる時間を測りながら、ひたすら何度もトライ&エラーを繰り返した。


 しかし、どうにも上手くいかない。

 柔らかすぎたり、反対に硬すぎたり。

 どうしても、正しい揚げ時間が分からない。


 やはり、ポチの言う『ポテトチップス』なるものの再現は不可能なのではないか。

 やがて口数が減り、そんな空気が漂い出したころ――


「うぃーっす」


 突然、厨房の扉が開いて、ヨシュアが現れた。


「あ、ポラさん。ポチの野郎、帰ってないっすか」


 ポラは眉を顰めた。


「帰ってませんけど……どうして君がここに」

「いやね、あいつにルナって女の子を探してくれって頼まれたんすけど」

「ポチ君が、あなたに?」

「あら、知らないんですか。なんか、そいついきなり飛び出して逃げちまって行方が分からないみたいで。んで、人海戦術でローラー作戦でやってんすけど、どうにも要領を得ないんで。さすがにちっとはヒントがねーかなと――」

「どういうことだい、それは」


 ロベルトが口を挟んだ。


「ポラさん、ルナちゃんが逃げたって、一体何があったんだ」


 不穏な空気に、ロベルトが低い声を出す。


 ポラは短く息を吐いた。

 ルナの正体を話すわけにはいかないが――ともかくロベルトに事情だけでも話しておく方が良いかと思い直した。


「実は彼女、今すごくショックを受けていて。今、みんなで行方を捜しているんです」

「ショック?」


 ロベルトの顔色が変わる。


「それは一体、どういうことだね。説明をしてくれ」

「訳があって、詳細は教えられません」

「なんだ、それは」


 ロベルトがいよいよ訝しむ。


「どうして説明が出来ないんだね」

「私から話すべきではないと思うからです。話すなら――ルナさんの口からじゃないと」


 ポラが言うと、ロベルトは短く数度頷いた。


「なるほど。先ほどからあなた方の様子がおかしかったのは、ルナちゃんのせいですか」

「はい。ただ、思った以上にややこしい話になってまして――」

「私には言えない、と」

「詳しい話は彼女から」


 ポラは念を押すように言った。

 ロベルトははあと不快息を吐いた。


「まあいい。よく分からないが、とにかくルナちゃんを探しているんだね」

「そうです」

「そういうことなら、行き先に思い当たる節がある」

「え? でも、さっきは彼女の行き先に覚えはないって――」

「それは彼女の遊び場所を知らない、と言ったんだ。()()()()()、どこで何をしているか分からない、とね」

「どういう意味ですか、それ」


 ロベルトは厨房の入口の方へ眼をやった。


「あの子は昔から、なにか嫌なことがあったら絶対に行く場所があるんだ。昔はよく、中から鍵をかけてしまって、そこに閉じこもって出てこなくなった。そういう時は、いつも私とデイジーで説得したものだった」


「ど、どこですか、そこは」


 ポラが聞いた。

 するとロベルトはああ、と頷いてから立ち上がった。

 そして、顎をしゃくって、


「こっちだ。行こう」


 そう言って歩き出したのだった。



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