88 隠蔽
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「現場に死体は3つあった。一つは身なりの良い壮年の男、もう一つは黒ずくめの若い青年。そして、最後の一つは中年の女性のものだった」
リージョはすっかり冷めてしまったコーヒーを啜った。
「駆け付けた警官は、その真ん中に一人の少女が立っていたと語った。お前がやったのかと問われた彼女は、無言で頷いたという」
「それがルナ――いや、赤い月」
俺はごくりと喉を鳴らした。
血だまりの中、佇む殺し屋の少女。
現場を想像すると、背中に汗が滲んだ。
そうだ、とリージョは言った。
「誰がどう見ても、殺したのはその少女だった。何しろ一目瞭然だ。現場で生きていたのは、彼女だけだったんだからな。しかも、3体の死体には全て首筋に同一の傷がついていた。決定的だよ。だが、次の日の新聞では、どこにも彼女の名前は出てこなかった。代わりに年端もいかないチンピラ二人が逮捕された。明らかに身代わりだった」
俺は唇を噛んだ。
何が起こったのは分からないが、どうやら、ルナが殺したのに間違いなさそうだった。
ルナの言葉との整合性もとれている。
では――と、俺はリージョを見た。
「では、死んでいた女性は」
「デイジー=ウッドワードだ。彼女の里親となり、フリジア自警団に所属している女史だった」
「フリジア自警団?」
俺は眉を寄せた。
意外な言葉だった。
フリジア自警団と言えば、俺の師匠である、タガタが長を務める組織だ。
デイジーはフリジア自警団の一員だったのか。
「そして、若い男は移民系マフィア『バーギト』のヒットマン。こいつもかなりの手練れだったようだが、腕前の方は“赤い月”とは比べ物にならなかったようだな。首筋を一突きだったらしい。最後に、壮年の男。こいつはその当時のバーギトの大親分であった“トラオレ”という男だった」
「ちょっと待ってください。死んでいたのは、バーギトの親分だったんですか」
「そうだ」
「何故――親分がそんな場所に」
俺は眉根を寄せた。
「たしかに変よね」
プリムが顎に手を当ててふむと唸った。
「組織を抜けた殺し屋にケジメをつけさせるだけなら、組織のトップが現場なんかに行くわけがない」
そこなんだよ、とリージョが言った。
「どうやらこのトラオレという男、“赤い月”に惚れていたようでな。好きな女が逃げたってことで、悋気に駆られて取り戻しに来たってわけだ」
「悋気に駆られた?」
プリムが呆れたように肩を竦めた。
「なによそれ。中年のおっさんが、10代半ばの少女に惚れてたってわけ?」
「そういうことだな」
「勘弁してよ。完全に変態じゃん。しかも、嫉妬に狂うだなんて」
サイテー、とプリムは嫌そうな顔をした。
リージョはくつくつと笑った。
「男と女に年齢は関係ないってことだ」
「やめてくださいよ、リージョさん」
「お前もいつか分かるよ。そういうのは理屈じゃねえんだって」
わからないです、とプリムは怒ったように言った。
「ったく、恥ずかしいったらないわね。はっきり言って、マフィアのボスがそんなんだったら、カッコ悪くて部下に示しがつかないでしょ」
「まさに、そういうことなんだよ」
リージョはぱちんと指を鳴らし、プリムを指さした。
「だから、バーギトの跡目を継いだトラオレの息子は、事件そのものを隠ぺいしたのさ。息子からしたら、これから自らが組のトップになるにあたって『色に狂った親分がいたマフィア』なんてよ、組織の名前に傷がついたら最悪だからな。赤い月も色恋沙汰も、強引に全てをなかったことにした。単なるガキ同士の抗争に巻き込まれた、運の悪いボスってことで手打ちにしたのさ」
「要するに、はあ、ボスの少女趣味を世間に公表されたくなかったってことね」
プリムは鼻に皺をよせ「ダッサ」と言った。
「マフィアも警察も同じさ。何より体裁が大事。あいつらはそれで飯を食ってんだ、容を守るためには手段を選ばないってわけよ」
リージョはプリムの肩に手を置き、はは、と笑った。
笑えませんよ、とプリムは顔を顰めた。
「しかし――そもそも、何故ルナちゃんはデイジーさんまで」
俺は呟くように言った。
そうである。
肝心なのはそこなのだ。
何故ルナちゃんは、バギートの刺客だけではなく、デイジーさんまで殺してしまったのか。
さあなぁ、とリージョは紙タバコとマッチを取り出して火をつけた。
頭薬の燐が燃え、独特の匂いが鼻についた。
「俺たちが知っているのは背景だけだ。あの時、事件の瞬間、一体何があったのか。それは本人にしか分からないことだ。ただ――」
「ただ?」
「デイジーという女性は、謎が多い。俺も当時、少し調べたんだがね。素性が掴めなかった」
「ロベルトさんは、かつて富裕層地域に住んでいたお嬢様だったと言ってましたが」
「ロベルトさん?」
「ああ、ルナちゃん――現在、赤い月が働いてる店のオーナーシェフです。デイジーさんの夫」
「なるほど、あの旦那か。店ってのは“デイジーズ・ファン”のことを言ってるんだな。あんたらそこから来たのか」
「知ってるんですか?」
「取材したって言っただろ」
どうやらロベルトはそこで彼女が働いていることも知っていたようだ。
「それで? お前たちはあの店のなんなんだ?」
「何って――ただの常連客です」
「常連客? 単なる客が、どうしてこの事件を調べてるんだよ」
「どうしてって――どうしてでしょう」
俺が言うと、リージョは呆れたように「なんだそれ」と苦笑した。
「とにかく、実はあのお店が今、経営難に陥ってまして。それで身の上話を聞いている内に、ルナちゃんの素性を調べることに」
「経営難、か。確かにあの辺りは今再開発が進んでる。大きな道路が通って、色んな店が出来てるって話だな」
「ええ、そうなんです。新しく出来た道路に、ライバルのレストランが出来ちゃって」
「仕方ねえな。今あの通りは、それこそ“バーギト”の縄張りだ。今後は裏カジノなんかも出来て、新しい歓楽街になるかもしれねえ」
「バーギトの縄張り?」
俺は顔を顰めた。
「今バーギトって言いました?」
「言ったけど」
「ちょっと待ってください。あの辺り、バーギトが占めているんですか?」
「ああ。あの通りに新しく登記された店は、軒並みバーギトの傘下だよ。規制強化によってオリジナルの創作麻薬が捌けなくなって、奴らは新しく飲食なんかの経営に乗り出したって話だ。その一番手があの辺りの街だったのさ。表向きは健全な店ばかりだが、裏では色々とやってみるみたいだな。いわゆる、フロント企業ってやつだ」
なんという因果だろうか。
レストラン「デイジーズ・ファン」のライバルが、ルナがかつていた組織『バーギト』のフロント企業だったなんて。
そこでふと、頭の中で疑問が湧いた。
バーギトの連中は、何故ルナを生かしておくのか。
ルナは奴らにとって汚点と言うべき存在である。
何より、前のボスの仇敵なのだ。
消しておこうとしても、不思議ではない。
いや、彼らの仁義からすれば、消しておくべきではないのか。
しかも、近くに店まで作っている。
そこには何か――意図や事情があるのではないか。
「あの――それって偶然なんでしょうか」
と、俺は聞いた。
「どういう意味だ?」
「バーギトに因縁のあるルナちゃんが働いてる店の近くに、バーギトが新しく手を伸ばしてきた。偶然にしては出来すぎというか」
「そういうこともあるんじゃねえか。何しろ、再開発される地域はビジネスの大きなチャンスになる」
「しかし――何の理由もないのに、わざわざ」
「理由ならあるさ。新しい道路というのは金になるからな」
「金、ですか」
金、か。
確かにそれなら辻褄は合う。
マフィアの行動原理のほとんどはそれだ。
しかし、何か釈然としない。
明確に言葉には出来ないけれど、どこか気持ち悪い。
「調べてみる?」
よっぽど納得のいかない顔をしていたのか、プリムが口を挟んだ。
「バーギトのこと。そして、デイジーさんのこと」
「調べるって、一体どうやって? まさかプリム、何か心当たりがあるの?」
「私にはないわ」
プリムは肩を竦めた。
「じゃあ、リージョさん、何か知ってるんですか」
俺はリージョの方を見た。
すると、リージョは紫煙を燻らせながら、「いいや」と首を振った。
「悪いけど、俺はこれ以上のことは何も知らねえ」
俺はもう一度プリムの方を向いた。
「どういうことだよ、プリム」
「分からない? 心当たりがあるのは私じゃなくて、あなたの方」
「どういう意味だよ、それ。俺の知り合いに、バーギトとデイジーさんに詳しい人なんて――」
そこではたと気付いた。
そうか。
この街のマフィアに詳しくて、かつデイジーさんとも繋がりがあった人。
それは――
「タガタさん、か」
と、俺は呟いた。
タガタは俺が師事している師匠。
体術やエネルギーの使い方を習っている、フリジア自警団の団長。
ご名答、とプリムは言った。
「弟子の頼みなら、色々と教えてくれるんじゃない?」
確かにその通りだった。
今回の事件を調べるのに、これほどうってつけの人もいない。
しかしーーと俺は壁掛け時計を見やった。
時刻は10時前。
今夜は確か、第3地区の路地裏にある安モーテルのバルで仕事の打ち合わせがあると言っていた。
「……行ってみるか」
俺は呟いた。
正直、あまり行きたい場所ではない。
いいや、場所自体は別にいいんだが、そこにいる人間が問題だ。
第3地区の安バル。
あそこは――“あの人”の行きつけだ。
ということは恐らく、いや間違いなく、今日のタガタの打ち合わせ相手は、その“あの人”。
仕事の邪魔をしたら、きっと鬼のように怒る。
もしかしたら、殺されるかも。
だが――ここまで来たらもう引けない。
引きたくない。
よし、と気合を入れ、俺はリージョの方へと向いて、
「リージョさん、どうもありがとうございました」
と礼を言って立ち上がった。
かといって、ここまで来て引き下がれない。
「礼を言う必要はねえよ」
と、リージョは言った。
「ギブアンドテイクだ。また何かあったらいつでも来い。だが、こいつは貸しだ。それを忘れんじゃねえぞ」
はい、と俺は頷いた。
「それじゃあ、失礼します」
「ちょっと待ってよ」
部屋を出ようとすると、プリムの声が背中から聞こえた。
「まさか、置いていく気じゃないでしょうね」
俺は半分振り返り、肩を竦めて苦笑した。
「はっきり言って、置いていきたいんだけどな。申し訳ないが、ここからは一人で調べたい。……でも」
「でも?」
「プリム、どうせ勝手についてくるんだろ」
プリムは親指を立てながらにっこりと笑い、「もっちろん」と言った。
「ポッチも、だいぶ私のことが分かって来たみたいね」
「誰でも分かるよ。そのキラキラした目を見たら」
「あら、そんなに顔に出てるかしら」
「その代わり、命の保証はしないぞ」
「は? なにそれ、どういう意味?」
プリムが眉を寄せる。
「ま、ついてくれば分かるよ」
俺はばんばんとプリムの肩を叩くと、リージョに会釈をして、そのまま部屋を出た。




