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86 月


 Ж


 ルナは3人兄妹の末っ子として生まれた。

 煉瓦作りの小さな長屋の一角。

 埃っぽい乾いた街の片隅にあるスラムだった。


 彼女にとって両親とは敵であり、家庭とは地獄だった。

 勝手に外に出ることは許されず、残飯のような粗末な食事を与えられ、光のない狭い穴倉のような部屋に詰め込まれた。

 兄妹はみな教育は受けておらず、読み書きすらまともに出来なかった。

 子供らはまるで家畜のように育てられた。


 父は溶接工をしており、母親は縫製工場に勤めていた。

 父親は重度のアルコール中毒者で、ことあるごとに家族に手を上げた。

 俺の人生が上手くいかなくなったのはお前らのせいだ。 

 俺はもっと稼ぐ力があるはずなのにお前たちが邪魔しているのだ。

 お前らも、お前を産んだ母親も、この俺には相応しくないゴミだ。

 そのようになじりながら踏みつけられた。


 母親は自分に矛先が向けられることを恐れて、見て見ぬふりをした。

 時には父に命じられて、子供らを殴りつけることもあった。

 

 その日も父親は暴れていた。

 言葉にもなっていないような怒号を吐きだしながら、父親は2つ上の姉を蹴り倒し、馬乗りになって顔面に拳を叩きつけた。

 いつもは嵐が去るのを待つように怯えているだけのルナたちだったが、その日は違った。

 5つ上の兄がナイフで父を背後から刺したのだ。

 だが、それは右肩辺りに刺さったため致命傷にはならず、父親はさらに激高した。

 兄の手からナイフを奪い取ると、彼の手にそれを突き立てた。

 そうして動けなくしてから、長男の顔を原型がなくなるほどに殴り続けた。

 その時、兄は絶命した。


 ルナはその姿を見て、意識が途切れた。

 あまりの光景に頭がショートした。

 気がつくと、目の前で父親が息絶えていた。

 全身を100ヵ所以上を刺されていた。

 父親もルナ自身も血だらけだった。


 ふと見ると、姉がこちらを見ていた。

 ルナは抱きしめてもらおうと近寄った。

 すると、彼女はまるで化け物を見たように叫び声を上げた。


 ルナは家を飛び出した。

 10歳の時だった。


 Ж


 外の世界も楽ではなかった。

 誰もご飯を与えてくれなかったし、雨風を防ぐ場所を教えてくれなかった。

 

 しかし、自由があった。


 両親よりも怖いものもなかった。

 出てみると、もっと早く出るべきだったとさえ感じた。

 流浪するようにルナは生きた。


 ルナは同じような境遇の人間を観察し、彼らがどのように生きているかを学んだ。

 解放されているモスクで寝泊まりし、月に何度か食事ももらえた。

 鉄くずを拾い、残飯を漁り、生き延びた。

 

 そうして過ごす内、ルナはあることに気付いた。

 金だ。

 この世は金で出来ているんだ。


 どうやら、大人はみんな、それを取り合っている。

 殺し合い、騙し合い、奪い合っている。

 金があれば、人間は生きていける。

 

 ちょうどその頃、孤児の子供たちが結成した“地下道の子ら”という団体がフリジアの街で暗躍を始めたころだった。

 マフィアは彼らに目をつけて、麻薬の運び屋をやらせたり、或いは直接売人に仕立てたりしていた。

 死を恐れず、野生と化した彼らは、闇の組織からすると非常に安価で効率の良い労働力だった。


 ルナは“バーギト”というマフィアに拾われた。

 マフィアの手下は金になった。

 最初は他の子どもたち同様、麻薬の運び屋・売子をやっていたが、組織のボスに別の能力を見込まれた。

 

 ルナは戦闘能力に長けていた。

 運動能力が頭抜けて高く、ナイフの使い方が非常に上手かった。

 また、彼女には道徳心というものもなかった。

 どんな相手も無感情で殺せた。

 彼女には命乞いも説法も届かなかった。

 育ってきた環境と長い間の放浪生活、それから父殺しという十字架が、ルナを無慈悲な獣へと変貌させていた。


 仕事は月のある日を選んだ。

 暗い夜は嫌いだった。

 穴倉に住んでいた時のことを思い出すから。


 ある日。

 ルナは初めて仕事に失敗した。

 相手は富裕層地域に住む政治家だった。

 そのボディガードの男は非常に強かった。

 男はフリジア騎士団の団長で、名前をタガタと言った。

 ルナは初めて自分より強い人間に出会った。

 

 そのことに、彼女は酷く狼狽した。

 自分は強くなければ意味がない。

 相手ターゲットを殺さなければ、存在する価値がないのだ。


「SDX-37を使え」


 ある日、バーギトのボスに半ば強引に()()を打たれた。

 初めてしくじった日から3日後のことだった。


 合成麻薬『SDX-37』。

 それは魔石と麻薬を混ぜた“バーギト”の主力商品。

 脳を解放させ、細胞を覚醒させ、能力を最大限に引き出すことが出来る悪魔の薬だ。


 その薬を飲めば、今よりさらに強くなれる。

 仕事の成功率も上がる。

 おまけに、恐怖心や疲労感は無くなり、得も知れぬ多幸感に包まれる。


 疑似的な悦楽には微塵も興味がなかったが、仕事の成功率があがるなら、ルナにも拒否する理由はなかった。

 暗殺しごとの成功。

 その時には既に、それが彼女のアイデンティティとなっていた。


 それから。

 ルナは仕事の量を増やした。

 いくら寝なくても疲れなくなった。

 月が明るい夜には血塗れの少女に気を付けろ。

 ゲットーではそんな合言葉が囁かれるようになっていた。

 ルナは赤い月となった。


 

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