85 調査 6
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ルナを追って店の外に出ると、すでに彼女の姿は見えなくなっていた。
くそ。
さすがに足が速い。
周りを見回すと、ヨシュアがよたよたとこちらに向って歩いているのが見えた。
「ヨシュア! お前、ルナちゃんを見なかったか」
駆け寄って問いただすと、ヨシュアは「ルナ?」と言って首を傾げた。
「ああ、あの元殺し屋の給仕か。あいつがどうかしたのか」
「探してるんだ。さっきここを出たはずなんだが」
「見てねえな」
ヨシュアは首を振った。
ということは、反対側に逃げたのか。
厄介だな。
あっちに言ったということは、大通りに出たということだ。
「それより、なあ、シーシーさん、店に戻ってたか?」
ヨシュアが背後で聞いてくる。
「ああ、戻ってた」
短く答えてから、俺は再び走り出した。
だが――数歩進んだところで足を止めた。
向こうの方が足は速い。
街の道にも明るいだろう。
このまま無暗に追ったところで、探せるはずがない。
俺は踵を返して、ヨシュアに詰め寄った。
「ヨシュア。頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
「なんだよ」
「お前らの仲間を使って、人を探してほしい」
「人探しか」
「ああ。さっきも言った通り、ルナちゃんを探してる」
「行先に思い当たるところがあるのか」
「ない」
きっぱりと言うと、ヨシュアは「バーカ」と言って肩を竦めた。
「そんなもん、無理に決まってんだろうが。フリジアがどれだけ広いと思ってんだ」
「多分、ゲットーからは出てないと思う」
「それでも広すぎる」
「けど、不可能じゃないはずだ。“地下道の子ら”を総動員すれば」
「馬鹿野郎。どうして俺がそんな大掛かりのことやらなきゃいけねえんだ」
話にならない、という風に息を吐いて、ヨシュアは歩き出した。
「シーシーさんの寝顔写真」
俺はその背中に声をかけた。
ヨシュアはびくん、と足を止めた。
「な、なんだよ」
「欲しくないか? シーシーさんの寝顔の写真」
「ば、馬鹿野郎。そんなもん、どうやって撮るんだよ」
「俺は月に何度か、シーシーさんの部屋を掃除しに行ってるんだ。その時、いつもあの人、寝てるんだよ」
「ま、マジか」
ヨシュアはごくりと喉を鳴らした。
「い、いや、寝顔くらいなら、俺もうたた寝してるとこ見たことあるしな。別にそこまで欲しくは」
「パジャマ姿だぞ」
俺は遮った。
「死ぬほど可愛いぞ。あの人、寝てるときは天使なんだ」
ヨシュアは下唇を噛んだ。
そしてそのまましばらく黙り込んでいたが、やがてゆっくりと俺の方に来て、
「やります。やらせてください」
といって、俺の手を握ったのだった。
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ルナの捜索はヨシュアに任せた。
俺はその間に、プリムの家に向かった。
3年前の事件を調べようと思ったのだ。
普通なら、よくあるチンピラの事件なんて覚えていないだろうが、プリムは新聞記者だ。
もしかしたら、何か知っているかもしれない。
ゲットーから離れ、港近くに彼女の家はあった。
比較的治安の良い区域の安アパート。
その3階だったはず。
時刻はもう10時を回っている。
忙しいあいつでも、さすがにこの時間には家にいるだろう。
「プリム。俺だ。タナカだ。今、ちょっといいか」
インターフォンがついていなかったので、俺は扉を軽くたたいた。
しばらく待っていると、扉が開いて彼女が顔を出した。
「何よ、いきなり」
プリムは見るからに不機嫌そうに言った。
「あんた、今何時だと思ってんのよ」
「ごめん。実は、ちょっと力を借りたい」
「力ってなによ」
「プリムの調査能力を見込んで」
「なに? なにか事件あったの?」
プリムの目がキュピーンと光った。
一瞬にして、記者の顔つきになる。
「いや、事件って程じゃないんだけど」
俺はそのまま、そこで事情を説明した。
『デイジーズ・ファン』のこと。
ロベルトとその店を助けようとしていること。
新興マフィア『バーギト』と、赤い月のこと。
そして、3年前の事件のことを調べていること。
「何か知らないか。記事によると、第9地区の路上で起きた事件らしいんだが」
プリムははあと呆れたように息を吐き、肩を竦めた。
「あんたね、この街で年間何件そういう事件が起きてると思ってんのよ。いちいち覚えてるわけないでしょ」
「頼むよ。急を要するんだ」
「ったく、知らないわよ、そんなこと」
プリムは腕を組んで口を尖らせた。
だが、必死で頼み込む俺をちらりと見やると、
「……まあ、本社に行けば、当時の記事くらいはあると思うけど」
「マジか!」
「けど、あんたが見た記事と大差ないと思うわよ。この街の聞屋なんて、似たようなことしか書けないんだから」
「なんでもいいんだ。とにかく、手掛かりが欲しい」
俺はじっとプリムを見つめた。
プリムは少し顔を赤くして、目をそらした。
「み、見つめないでよ。暑苦しいわね」
「ごめん! でも、プリムしか頼れるやつがいないんだ」
「……貸し、だからね」
「分かってる」
「しょうがないわね。それじゃあ、準備するから2分待って」
プリムはそう言って、扉を閉めた。
俺は小さくガッツポーズをして、空を見た。
夜空に、月が煌々と浮かんでいた。
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プリムの勤める『ペイパーカット』本社は彼女の家から歩いて10分程度の場所にあった。
大通り沿いにあって、人通りもまだかなり多い。
ガス灯のおかげで、往来は明るかった。
ビルとビルに挟まれた細い鉛筆みたいな雑居ビルだった。
人一人がようよう通れる程度の階段を上り、短い廊下を歩いて、突き当りに扉。
そこがメインのデスクのようだ。
汚れた擦りガラスには、まだ明かりが点いていた。
プリムが「こんちゃーっす」と中に入ると、机に齧りついていた数人の男たちがこちらに目を向けた。
「お、どうした、プリム。忘れものか」
小太りで頭の薄くなった男が、声をかけた。
「すいません。ちょっと、資料室を借りてもいいですか」
「別にいいけど……なんかあったか」
そこで、俺の方を見た。
「なんだ、その男は。彼氏か」
「職場に男連れ込むアホがいますか。知り合いです」
そりゃそうだ、と男はくつくつと笑った。
「編集長はもう帰ったからよ。勝手に使え。使ったら、鍵は返しとけよ」
男はそう言うと、壁の方へ向かって顎をしゃくった。
「サンキューです」
プリムは壁にかかった鍵を慣れた様子で人差し指で掬うと、俺に目顔で合図した。
俺は「お邪魔します」と会釈してから、おずおずとプリムについて行った。
資料室には、圧倒的な量のファイルが積まれてあった。
棚には番号が書かれ、すぐに分かるよう整頓されている。
プリムは「えーと」と言いながら棚の間を移動し、俺が言った日付のところで立ち止まった。
指で細かい日にちを選び、一つ、保管された新聞を取り出した。
「これね。あなたが言ってた事件があった日の新聞」
それを室内灯のあるテーブルの方へと持っていき、二人で念入りに一面から調べて行った。
すると、13面に、それらしき記事を見つけた。
『ギャング同士の抗争。白昼の惨劇』
見出しが派手に踊っていた。
ルナが持っていたものよりも少し大きく、ちょっとだけ詳細に書かれてある。
しかし――やはり、似たようなことしか記されていなかった。
「くそ」
俺は吐き捨てた。
「やっぱり大したことは書いてない」
「だから言ったじゃん」
プリムは肩を竦めた。
「あの事件のことなんて、多分誰も覚えてないよ。なにしろ、もう3年も前なんだもの」
呆れたように言われる。
正論だ。
そもそも、記事を見たところで、ルナやデイジーのことが書かれてあるとも限らないのだ。
やはり、本人に聞くしかない。
しかし――あの様子だと、どうにもそれも厳しそうだ。
ルナは自分を責めていた。
きっとそこには、デイジーさんの死が関係していると思ったんだけど――
と、その時。
こんこん、と資料室の扉がノックされた。
どうぞ、とプリムが言うと、先ほどのお腹の出た中年の男性が顔を出した。
「プリム。そう言えば、夕方、地上げ屋やってる親父が怒鳴り込んで来てたぞ」
「ああ、そうですか。すいませんでした」
「また何かやったのか」
「大通りの再開発、どうもキナ臭いんで。ちょっと強引にやっちゃいました」
「ほどほどにしとけよ。編集長には上手く言っといてやるから」
イエッサー、とプリムは敬礼をして見せた。
男性は苦笑しながら、持っていたコップに口をつけた。
それから、興味ありげに俺たちの見ている記事を覗き込んだ。
「んで、何を調べてんだよ」
「あ、そうだ。リージョさん、『バーギト』のこと、詳しかったですよね」
「別に詳しかねえよ」
「でも、昔、ちょっと取材いてましたよね」
「昔の話だ。あいつらは無茶苦茶だったから、誇張せずとも記事がよく売れたからな。しかし、今はもう完全に小物に成り下がってる」
「じゃ、じゃあ、3年前に女性が殺された事件、覚えてませんか?」
俺は二人の間に割って入った。
「この事件のことなんですけど!」
そう言って、男――リージョに新聞記事をつきつけた。
するとリージョは少し顔を曇らせ、後頭部をほりほりと搔いた。
「ああ、そいつはよく覚えてるね」
「詳しく教えてください! この殺された女性、俺の知り合いなんです」
「知り合い?」
「はい! あの事件の真相を知りたいんです」
「真相、ね……いや、ふむ、そいつはどうかな」
途端に歯切れが悪くなる。
「リージョさん、聞かせてください。お願いします」
「しかし……なあ」
「私も興味が出てきました」
プリムは目を輝かせ、ずい、とリージョに詰め寄った。
「そのリアクション、超怪しいんですけど。3年前、一体何があったんですか」
「……不味いな。あんまり部外者がいる前では言いたくない話ではあるんだが」
「彼は大丈夫です。なにしろ口は堅いですから。私が保証します」
「でもよ、こっちにもメリットが」
「この人、白木綿海賊団の御用聞きなの。仲良くしておいて、損はないと思いますけど」
「白木綿の?」
リージョは訝し気に俺を見た。
「……そいつは船長のミスティエにも、顔が利くのか?」
「もちろん」
「それは……いや、信じられねえな。そんな小僧が」
「でしょ? でも、マジなんですよね、これが。この子、ミスティエのお気に入り」
プリムはぽん、と俺の肩に手を置いた。
「……本当、なんだろうな」
「同僚にまで嘘を吐くようになったら聞屋は終わり。そうでしょ?」
プリムはウィンクをして見せた。
「生意気なこと言いやがって」
呆れながらも、リージョはどこか嬉しそうに口の端を上げた。
それから「しょうがねえな」と前置きをして、口を開いた。
「まあ、古い話だし、もういいだろう。その代わり、絶対に口外すんじゃねえぞ」
やった、と俺とプリムはハイタッチをした。
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「まず、大前提として」
と、リージョは言った。
「あの事件の犯人は、ギャングじゃねえ。当時、逮捕されたガキは替え玉なんだ」
俺は驚いて目を見開いた。
「か、替え玉? そんなことあるんですか」
そうだよ、とリージョは頷いた。
「そして警察もそのことは分かっていた。だが、マフィアから金を握らされて、事実を捻じ曲げたのさ」
「ほ――本当ですか、それ」
「そんなに驚くことじゃねえ」
リージョは肩を竦めた。
「この街ではよくあることだ。そして、そのことをマスコミも気付いていた」
「リージョさんも知っていたんですか」
「もちろん」
「それじゃあ、なぜ」
「何故も何もねえよ。真実より金になったからだろう」
「金になったって――」
「おっと、勘違いするなよ」
リージョは口の端を上げた。
「別に俺たちが賄賂をもらったわけじゃない。上からの命令に従っただけだ」
「……命令?」
「警察とマスコミはギブアンドテイク。特にうちのような零細タブロイド紙は、お上に楯突いたら食っていけねえからよ」
リージョは自嘲気味に笑った。
要するにマフィアが官憲に金をばら撒いて真実を歪めたのか。
そしてマスコミもそれに気付いていながら、虚偽の報道をした。
なんて汚い世界。
しかし、それこそがこのフリジアという街なのだ。
リージョの態度はいかにもそう言いたげだった。
「じゃ、じゃあ、真犯人は――あの事件の真犯人は誰なんですか」
詰め寄るように、俺が問う。
すると、リージョはもう一度、コーヒーをずず、とすすった。
それから、少し間をおいて、
「犯人は『バーギト』のお抱えの殺し屋だよ。組織のボスはそいつがお気に入りでな。警察にパクらせるわけにはいかなかった。当時はまだほんのこどもだったはず。それでも彼女は一流の掃除屋で、3桁以上の人間を暗殺してきた、と言われている」
「――彼女?」
「女なんだよ、そいつは。いいや、少女と言ったほうが良いか」
どきりと心臓が跳ねた。
そこから、ある予感がじわじわと体中に広がっていく。
それはもはや確信めいた響きで、俺の頭を支配していた。
――私に生きる価値なんてない。
ルナの言葉が蘇った。
「そ――そいつの名前は」
と、俺は問うた。
「本名は分からない。だが、夜に映える赤い髪と、今日のような満月の日によく仕事をしていたことから、こう呼ばれた。通称――」
赤い月、とリージョは言った。