84 調査 5
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「なーにやってんだ、てめーら」
シーシーの声が響いた。
思わず目を瞑っていた俺は、慌てて瞼を開いた。
棒付きの丸いキャンディーをしゃぶっているシーシーがいた。
もう一方の手で、ルナの腕をギリギリと掴んでいる。
ナイフの刃は、ルナの胸に刺さる寸前で止まっていた。
「は、離して! あなたには関係ないでしょ!」
ルナがヒステリックに叫んだ。
「あ? 関係大アリなんだが」
シーシーは眉を顰め、ヤンキーみたいに顔を傾けた。
「ど、どうしてよ! あんたたちは、この店があればそれでいいんでしょ! 別に私なんていらないじゃない!」
ポラが口角に泡を作りながら怒鳴った。
するとシーシーは半眼になり、
「分かってねえなァ」
と、呆れたように言った。
「うちはな、この店が好きなんだ」
「だからそれはもう分かってるわよ! 私はただのアルバイトなんだから! いなくなったってこの店は残るんだから! もう放っておいてよ!」
ルナは半狂乱になったように叫んだ。
完全に自分を見失っている。
ギャーギャー喚くなボケ、とシーシーは低い声を出した。
「いいか、よく聞けよ。うちにとって、この店はお前とあのオッサンの“光景”なんだ。あのぼろっちいテーブルにおっさんの料理が出て、お前がバタバタと走り回ってる。時々皿を割って、それを見てうちが大笑いする。それがこの店なんだ。だから――」
お前が死ぬことはうちが許さん、とシーシーは言った。
ルナは驚愕したように目を見開いた。
「ど、どういうことよ。意味わかんない」
混乱したように呟く。
「分かれ。理解しろ。そして、うちが満足するように動くのだ」
ニャハハ、とシーシーは偉そうに笑った。
めちゃくちゃな理屈だ。
だけど――とても彼女らしい。
「とにかく、うちの前じゃ死なせねーぞ」
シーシーはさらに腕に力を込めた。
ルナの腕はミシミシと音を立て、彼女はぐあ、とうめき声を上げた。
こらえきれず、カラン、と床にナイフが転がった。
ルナは自分の腕を掴みながら、シーシーを睨んだ。
「あなた――あなたもしかして、私の過去を知っているの?」
「知らねえよ。誰だよお前」
シーシーはキャンディーを口の中で転がしながら言った。
「じゃ、じゃあ、どうして――私のことをそんな風に」
「うるせーなー。なんでわかんねーんだよ。お前はこの店の給仕だろ。ならこの店は、お前こみだろ」
ルナは動きを止めた。
「わ、私、こみ――?」
そして次の瞬間には――その大きな目が、急に潤んだ。
「そりゃそうだろ。当たり前のこと言ってんじゃねえ」
シーシーはチッと舌打ちをした。
「分かったらさっさと上に上がっておっさんを手伝え。テメーは役立たずなんだからよ。その分、動け」
シーシーは飴を口に突っ込み、頭の後ろで手を組んだ。
ルナは床に手をつき、へたり込んだまま、俯いた。
何を考えているのか。
小刻みに震えている。
「ル、ルナちゃん」
俺はそこでようよう声を絞り出した。
「何があったか分からないけどさ。君がこの薬を持っていたことにも、事情があるんだろ? シーシーさんの言う通り、ここはロベルトさんと一度話し合いを――」
「やめて」
ルナは俺を遮った。
「それ以上は言わないで」
「自棄を起こすのはやめよう。落ち着くんだ」
「やめてってば」
「冷静になって話をすれば、きっと分かり合える。だから、本当のことを言うんだ」
「やめてよ!」
突然、大声で叫んだ。
「今さら本当のことなんて、言えるわけないじゃない!」
ルナは目元をぐい、と拭うと、立ち上がって走り出した。
「ま、待って――」
俺は手を伸ばした。
しかし、彼女はあっという間に階段を上がってしまう。
追いかけなければ。
ほとんど本能的に、そう思った。
彼女はやっぱり――良い奴だ。
彼女が殺し屋だろうが、違法ドラッグを隠し持っていようが、関係ない。
掛け値なしに、良い奴なんだ。
俺はそう、確信していた。
なぜなら――
俺はすぐに、半身だけポラの方に振り返った。
「ポラさん、料理の方は頼みます」
「は?」
「俺、彼女を追いかけます」
「え、ええ、それは、はあ、いいですけど」
ポラは持っていた銃を差し出した。
「一応、銃、もっていきますか?」
「要りません」
俺は首を振った。
「けど――大丈夫ですか?」
「大丈夫です。だって」
そこで言葉をきり、今度はシーシーのほうを見た。
「シーシーさん」
「なんだ?」
「シーシーさんは、ルナちゃんのこと、どう思います?」
「どうって?」
「好きですか? 彼女のこと」
「うん。好きだな」
シーシーはこくんと頷いた。
「グズでノロマで、どうしようもねー奴だがな。嫌いじゃねーな」
そう言って、ケラケラと笑う。
俺は口の端を上げ、ポラに視線を戻した。
「そういうことです」
ポラは少し肩を竦めた後、「なるほど」と言って、苦笑した。
「なるほど。納得しました」
「じゃあ、行ってきます」
俺は親指を立てた。
「いってらっしゃい。でも、あんまり遅くならないようにしてくださいね。“ぽてとちっぷす”の味を知ってるのは、ポチ君だけですから」
ポラは、微笑みながら親指を立て返した。
俺はこくんと頷いた。
そして、踵を返して走り出したのだった。