83 調査 4
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「二人とも、私の部屋で何をしているんですか」
ルナは虚ろな目をして、ゆらり、と半歩だけ部屋に侵入した。
穴ぼこのような暗い瞳。
もはや初めて見た時とは別人だ。
「動かないでください」
背後で、ポラが口を開いた。
ロングスカートを捲り、太ももに携帯していたホルスター銃を引き抜く。
「あなたの部屋から違法ドラッグを見つけました。ルナさん。あなたは、移民系マフィア『バーギト』の殺し屋ですね」
ポラは銃口をルナに向けた。
ルナはイエスともノーとも答えなかった。
代わりに、薄っすらと微笑んだ。
自分が殺されるなど、微塵も思っていない笑み。
銃を構えたポラよりも、自分の方が絶対的に強いと思っているのだ。
「なるほど。やっぱり“あの子”ね」
ルナは呟いた。
「ホールに座ってた子。ヨシュアって言ったかしら」
俺はごくりと喉を鳴らした。
ルナから、異様なオーラが漂っている。
「そ、そうだよ。あいつが教えてくれた」
「いやな予感が当たっちゃった。どこかで見たことがあると思ってたけど――思い出したわ。彼は“地下道の子ら”のボスだったわね」
「あいつの子分はこの街の至る所にいる。顔の広さはこの街で一番だ」
残念だったな、と俺は語気を強めた。
「だから赤い月。俺たちはもう、あんたのことはすっかり知ってるんだ」
ルナは目を伏せ、口元に微かな笑みを浮かべた。
俺は奥歯をギリ、と噛み締めた。
「まさか、全部芝居だったとはね。すっかり騙された。まったく、馬鹿みたいだよ。健気なあんたに心打たれて、頑張ろうと思ってた自分が」
「……そう」
ルナは三白眼になり、少し背を丸めた。
「それで、どうするの? 大声を出してみる? それとも、私と闘うつもりかしら」
ぞくりとした。
俺も、曲りなりにいくつか死線をくぐって来たから分かる。
これは――殺気だ。
「いいや――」
と、俺は言った。
「正直言って、まだ迷ってる」
「迷う?」
「あんたの話を聞きたい」
俺はデイジーの形見のチョーカーを取り出し、透かし細工のペンダントを見せた。
「あんた、何か事情があるんだろ。そうじゃなきゃ、彼女の形見を持っているのはおかしい。それなら――ロベルトさんに言うかどうかは、あんたの話を聞いてから決めたい」
「……随分、偉そうに言うわね」
「俺は、この店を立て直したい。それだけなんだ。それには、経済的な面を解決するだけじゃダメなんだ。この店の、ロベルトさんとあんたの問題を解決しないと」
ルナは目を伏せ、せせら笑った。
「馬鹿みたい。どうして部外者のあなたが、こんなお店に真剣になってるのかしら」
「こんな店?」
「こんな店、でしょ。あなたたちにとっては。ゲットーに数多ある潰れかけの汚い店。どうせなくなったって困らないでしょうに」
カチン、ときた。
この野郎。
やっぱり、この店に愛着なんかないのか――と。
「取り消せよ」
と、俺は言った。
「この店は俺とシーシーさんの常連店なんだ。気に入ってるんだよ。だから、侮辱することは許さない」
へえ、とルナは顎を上げた。
「それだけのために、私と闘うのかしら」
「それだけのため? バカな。大事なことだよ。この街にレストランは多いが、良い店ってのはそうそうないんでね」
ルナは俺を睨みつけるように見た。
その時、ふと気付いた。
彼女の眼の奥。
そこには――怯えがあった。
「……お節介なのよ」
「なに?」
「どうして――どうして、私の過去を探るのよ。せっかく、私たちは上手くやっていたのに」
「どこがだよ。あんたたちは上辺だけ取り繕って、お互いに本当の自分を隠していたじゃないか。そんなんで、上手くいってたなんて」
「知った風な口を利かないで!」
ルナは俺を遮り、怒鳴った。
「それがお節介だって言ってるのよ! バレてしまっては、もうおしまいなのに!」
ルナの瞳が揺れた。
怯えの色がどんどんと濃くなっていく。
「おしまい? ルナちゃん、やっぱり何か事情が――」
言いかけて、止めた。
一際大きな殺気を感じた。
――来る。
予感がして、俺は身体を固くした。
ゆらり、とルナの体が揺れた。
それから彼女は、くつくつと笑い声を漏らした。
「おしまいだわ。家族ごっこはもうおしまい」
「家族ごっこ――」
「もう、こうするしかない」
ルナはそう言うと、懐中からナイフを取り出した。
刃渡りの大きな、アーミーナイフ。
月光を反射して、ぎらりと刀身が光った。
――赤い月。
マフィアお抱えの一流の暗殺者。
お前じゃあ、とてもじゃないが勝てないぜ。
ヨシュアの言葉が頭に浮かんだ。
それでも――やるしかない。
俺は息を整えた。
「ポラさん。動かないでください」
ルナを見たまま、俺は言った。
「相手は恐らく、超一流のナイフの使い手です。だとすれば、この距離では銃よりもナイフの方が強い」
師匠の教えを思い出す。
初撃を避ければ勝機はある。
腰を落とし、相手に対して半身になる。
初手に備えて、敵の双眸から目を離さない。
畏れるな。
対峙してしまえば力量差は関係ない。
常に自分の力を発揮することだけを考えるのだ。
「……これでいいよね、おばちゃん」
ルナが呟いた。
「……おばちゃん?」
俺は眉を寄せた。
ルナは目線を中空に泳がせた。
まるで見えない何かを探すように、うろうろと、視線を彷徨わせている。
ここに至り、俺は気付いた。
彼女は、明らかになにか様子がおかしい。
だが――殺気は収まらない。
迸る攻撃の波動が、彼女の細い体から溢れている。
「ごめんね。ごめんなさい。私だけ生きてるからこんなことになるんだわ。ああ、もっと早く、こうすればよかった。だって――」
ルナは、右目から涙を流した。
俺は刹那ぎょっとして、目を見開いた。
――涙?
なぜ彼女が涙を――そう思うや、いきなり事態は急速に動いた。
「だって私には――」
ルナは持っていたカンテラを床に投げ捨てた。
パリンとガラスが割れ、一瞬激しく揺れる炎が彼女の頬をオレンジに照らして、すぐに消えた。
「待て!」
思わず大声で叫んだ。
だが、ルナは動きを止めなかった。
「私には――生きる価値なんてないもの」
ルナはそう呟くと――
ナイフを逆手に持ち直し、自らの胸に向けてその凶刃を振り下ろした。