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82 調査 3


 Ж


「ほ、本当に良いんすかね」


 心臓がドキドキしていた。

 この期に及んで、尻込みしていた。

 女の子の部屋。

 それは禁断の大地だ。

 ここに至ってもなお俺が躊躇していると――

 

 ポラは少し怒ったような口調になり、


「さっきからなんなんですか。調べようと言い出したのはポチ君ですよ」


 と言った。


 それはそうなのだが。

 この名探偵、ちょっと行動が大胆過ぎる。


「は、はい。そうっすよね」


 俺はポラにせっつかれるようにして、部屋に入った。

 

 ルナの部屋は実に簡素だった。

 突き当りに机が置いてあり、左手に木製のベッド。

 入ってすぐ右手には本棚ととうを編み込んだ大きめの籠があって、壁との間には掃除道具が無造作に置かれてある。


 ものが極端に少なく、生活感が乏しい。

 飾りやインテリアのようなものは一切なく、酷く殺風景でおよそ女の子の部屋とは思えなかった。

 これではまるで拘置所かなにかのようだ。


 想像していたものと、随分違う。


 壁には一つだけ窓があり、対面にある安普請の民家が月光に照らされていた。

 部屋は半分地下にあるため、少し見上げる形になっている。


「さあて、始めますか」


 ポラは腕まくりをすると、早速、部屋の物色を始めた。

 籠に入った衣類を攫い、ベッドの下を覗く。


 ほ――本当にいいんだろうか。


 俺は胸が痛んだが、いや、もう躊躇うのはやめようと、すぐに覚悟を決めた。

 ポラの言う通りだ。

 

 ルナを調べようと言い出したのは俺だ。

 自分だけ良い子になろうなんて虫が良すぎる。

 もしも余計なお世話だったら――変態とか不法侵入者としての誹りは甘んじて受け、土下座でもなんでもして謝ろう。


 俺はうし、と気合を入れ、まずは本棚を調べ始めた。

 

 本棚、とはいっても、そこに本はほとんど置いてなかった。

 ロベルトが買い与えたのか、いくつか一般教養や作法に関する本があるくらいだ。

 その代わりに、絵の具や筆のようなものが無造作に置かれてある。

 しかし、どれももう長い間使われてないのか、乾き、煤けて、埃をかぶっていた。

 

 背の高い本棚だったので、一番上が見えない。

 俺は手を伸ばしてそこを攫った。

 すると、埃に塗れたその棚に、一つだけ手に当たるものがあった。


 背伸びをして取り出すと、それはチョーカーのような首飾りであった。

 蝶を模した意匠の透かし細工の入った、木製のペンダントがついてある。


 はて、と俺は首を傾げた。

 どこかで見たことのあるデザインだ。


「――あ」


 俺は思わず声を上げた。

 そうだ。

 この首飾りは、ホールにあったデイジーさんの絵、彼女が首から下げていたものだ。


「ポラさん、これ」


 声をかけると、ポラは机の下から這い出てきた。

 チョーカーを見るなり、なるほど、と頷いた。


「このチョーカー。絵に描かれていた、デイジーさんのものでしょうか」


 ポラは顎に手を当て、目を細めた。

 彼女もすぐに察したようだった。


「そう思います」


 俺はこくりと頷いた。


「どこにあったんですか」

「そこの本棚の一番上に」

「一番上?」

「ええ、そうです」

「……ちょっといいですか」


 ポラが手を差し出したので、俺は彼女にチョーカーを手渡した。

 彼女はそれを眺めながら、少し考える仕草を見せた。


 それから本棚の方へと移動し、人差し指でチョーカーの置いてあった場所を撫でた。

 指には埃がびっしりと付着していた。


「妙ですね」


 埃まみれの指を眺めながら、ポラはそのように呟いた。


「妙?」

「ええ」


 ポラは頷いた。


「見てください。このチョーカー、埃がまったく付着していません」

「えっと……それが何か」


 俺は首を傾げた。

 彼女が何を言いたいのか読めなかった。


 ポラははあと短く息を吐いた。


「いいですか。本棚の一番上は埃塗れだったのに、チョーカーだけ埃が着いていないんです」

「そうですね」

「まだ分かりませんか。つまり、ルナさんはこのチョーカーを放置してたのではなく、たびたび手に取っていた、ということですよ。だから、この首飾りだけこんなにも綺麗なんです」

「な、なるほど」


 言われてみればそうだ。

 これだけ艶があるということは、時折取り出して磨いていたのかもしれない。


 だが――


「なぜ、ルナちゃんはそんなことを。もしも彼女が非常な殺し屋だったら、デイジーさんの形見を眺める、なんてことしますかね」

「ふーむ」


 ポラはそう言っただけで、なにも答えなかった。

 その代わり、ふむ、と唸った。

 それから、ドンドン、と足を踏み鳴らしながら、部屋を歩きまわり始めた。


「な、何をしているんですか、いきなり」

「この部屋、もう全部見終わっちゃいました。もうなにかを隠すような場所がありません。それでも何かを隠してあるとしたら――」


 床下です。


 ポラはそう言うと、端から順に床を鳴らして歩いた。

 その仕草を見て、俺はこの世界に来てからの初仕事を思い出した。

 ウェンブリー社の商船の船尾楼で、彼女はこうして奴隷たちが乗っている船倉を見つけた。


 どうやら、完全にスイッチが入ったようだ。


「……ここですね」


 ポラはそう言うと、部屋の右奥、掃除用具の置かれた場所で足を止めた。


 二人で急いで用具一式をベッドの方へと移動させる。

 それからポラは床にしゃがみ込むと、ヘラのようなものを取り出し、床板を一枚剥いだ。

 その要領で数枚の床板を取り除くと、タブレットほどの大きさの隠し穴が現れた。


「紙切れが入ってますね」


 ポラはその穴に手を突っ込み、4つ折りにされた古い用紙を取り出した。

 裏面にも文字がびっしりと書かれてある。

 どうやら新聞のようだ。


「日付は3年前ですね」


 破れないよう慎重に扱いながら、ポラが険しく眉を寄せながら呟いた。


「さ、3年前――?」


 ドキリとした。


 3年前。

 それはルナがこの店にやってきた年だ。

 ということは即ち――デイジーが亡くなったときでもある。


「……デイジーさんが亡くなった事件の新聞記事のスクラップみたいですね」


 一通り目を通したポラからそれを渡される。

 俺はすぐに紙面に目を沿わせた。


『ギャング同士の抗争に一般人が犠牲に』


 そのように見出しが躍っていた。

 拳くらいの小さな記事だったので、詳細は書かれていなかった。

 だが、ロベルトの言った通り、どうやらデイジーはチンピラ同士の小競り合いに巻き込まれたようだということは分かった。

 犯人は未成年の少年で、縄張りに入って来た別の少年との喧嘩の果てに銃を取り出し、威嚇のために撃った凶弾が、たまたま近くを通っていたデイジーに命中してしまったと、記事には簡潔に記されていた。


 どうして、ルナはあの時の記事を持っているのか。

 読み終えると、俺はまずそう思った。

 そして、どうしてそれをこんなふうに隠しているのか。


 ポラの予想はやはり間違っていたのではないか。

 ルナが本物の殺し屋で、この店を合成麻薬『SDX-37』の売買のために利用していただけなら。

 彼女がこんな風に、デイジーさんの思い出を持っているはずがない。

 ルナはデイジーを慕い、今でも想っているのだ。

 そう考えると、デイジーさんの形見であるチョーカーを持っていたことも説明がつく。


 しかし――

 そうなると今度は、なぜルナがこの店でわざとドジなふりをしているのかが分からなくなる。


 デイジーさんはどのような女性だったのか。

 ルナちゃんは、本当に殺し屋だったのか。

 そして二人は、一体どんな関係だったのか。


 様々な疑問が浮かんでは消える。

 だが――この段階ではいくら考えてみても、答えは出そうになかった。


「――あれ。まだ何か入ってますね」

 

 ふと目を落とした時、床下の隠し穴にはもう一つ何か入っているのが見えた。

 しゃがみ込んで、それを拾い上げた。

 

「瓶、のようですね」


 ポラが言った。


「……はい。それも、薬瓶のようです」


 茶色く濁ったガラス瓶。

 理科室によくあった、あの薬品の入った器だ。


「貸してください」


 手渡すと、ポラは無造作に開けた。

 それから中身を覗き、軽く揺らしてから、瓶の上で手を仰いで匂いを嗅いだ。


「間違いない」

 ポラは息を呑んだ。

「この独特な果実のような匂い。これ、『SDX-37』です」

「マ――」


 マジっすか!


 思わず叫び声を上げそうになるのを堪え、俺は目を見開いた。

 心臓がどくん、と跳ねた。

 驚きすぎて、ゲホゲホとむせてしまった。


 『SDX-37』はバーギトが開発した合成麻薬。

 それを隠し持っていたということは――


 決定的だ。


 これ以上ない、証拠。

 デイジーの形見とか、切り取ったスクラップ記事なんて状況証拠は吹っ飛んでしまうほどの。


 間違いない。

 ルナは――赤い月だ。

 彼女はまだ、マフィアと繋がっていたんだ!


「ど、どうします、ポラさん」


 俺は縋るようにポラを見た。


「どうって」

「ロベルトさんに――言うべきでしょうか」

「さあ。私はどっちでもいいですけど」

「それとも警察に」

「それはやめておいた方が良いです」

「で、ではどうしたら」

「ルナちゃんを探ろうと言ったのはあなたでしょう。あなたが決めなさい」


 そう言って、ポラは俺を見た。


 俺は下唇を噛んだ。

 世の中には知らない方が良いこともある。

 ポラの言葉が、頭でリフレインした。


 ――なに、してるんですか。


 突然、背後から声がした。


 俺は反射的に振り返った。


「ル、ルナちゃん」


 暗がりに、カンテラを持ったルナが立っていた。


 体中から汗が噴き出した。

 その視線に、身体が硬直して身じろぎも出来なかった。


 ルナは――ホールで皿を割っていた彼女とは別人のように、冷たい目をしていた。



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