80 調査
Ж
というわけで。
今日の俺たちにはミッションが一つ増えた。
一つは、デイジーズ・ファンを救う料理を開発すること。
そしてもう一つは、ルナの過去を調べ、真実を明らかにすること。
ポラは前者を重要視し、俺は後者が大事だと思っている。
意識に差はあれど――両方必要なことなのだ。
憂いなくこの店を経営するには、二つを同時に解決することが肝要となる。
「また、駄目でしたねえ」
ロベルトはそう言うと、短く息を吐いた。
「でも、最初よりはかなり近づきましたよ」
と、俺は目の前に置かれた竹ざるに目を落とした。
中には先ほど揚げたトバツの実が十枚ほど入っている。
その内の一つを口に放り込み、「うん」と頷く。
「味はポテトチップスにかなり近づいてます。あとは食感と、油くささ」
「そこが問題なんですよねえ」
ポラは首を捻った。
「どうして上手くいかないんでしょう。厚さも時間も、もう何度も試したのに」
あれから数時間。
何度も何度も試行を繰り返しているが、どうにも上手くいかない。
「まあ、根気よくやるしかないですな。トライ&エラー。新しい料理を開発するには、一も二もなく根性です」
ロベルトはガッツポーズを作るように、腕を上げた。
どうやら、ロベルトにも料理人としての何かに火がついたらしい。
当初と比べると、こうしてトバツの実を使ってポテトチップスを作ることにも随分とやる気になっている。
「しかし、さすがに一息つきましょうかね。こういう時は間をあけたほうがいい」
ロベルトは「お茶を淹れよう」と言うと、竈の方へ行って鍋を火にかけた。
「シーシーさん、帰ってきませんね。どこ行ったんでしょう」
「まったく、適当なんだから。言い出しっぺの癖に」
ポラは少しほっぺを膨らせた。
彼女は精神的に成熟している反面、時々、こうした子供っぽい仕草を見せる。
「そう言えば、ルナちゃんも姿が見えないようだが」
ロベルトが戻ってきて、俺とポラと自らの前に、それぞれ赤茶けた色のお茶が入ったカップを置いた。
俺とポラは「ありがとうございます」とてんでに礼を言った。
「なにか用事で出て行ったのかな。それとも、今日はもう疲れて寝ちゃったかな?」
茶を一口すすり、ロベルトは首を捻った。
「ルナさんは、この店の住み込みですか」
と、ポラが聞いた。
「うん。厨房を出て左に曲がったところに、彼女の部屋があってね」
「彼女、夜中に出て行ったりするんですか」
「どうかな。店が終わると、私たちはお互いにほとんど干渉しないから」
「しかし、一緒に暮らしていたら、なんとなくわかるでしょう」
「分かる、と言いますと?」
「彼女の素行というか」
「素行?」
ロベルトは眉を寄せた。
ポラさん、なかなか踏み込んだことを聞く。
「彼女の素行はまるで悪くないよ。私に悪態をついたことは一度もないし」
「そうですか。では、交友関係はどうです? 例えば、不良の彼氏がいるとか」
ここに至り、ロベルトは何か察したようだった。
少し首を傾げながら、「ポラさん」と言った。
「あなた、一体なにが聞きたいんです? ルナちゃんがそう見えるってことかい」
「まさか。ただの世間話ですよ。この辺りは治安が悪い。若いルナさんには誘惑も多いだろうと思って」
ロベルトは訝りながら、それでも口を開いた。
「ルナちゃんに悪い虫はついていないよ。まあ、私は彼女の交友関係を把握しているわけじゃないがね」
「じゃあ、この店にガラの悪い連中は来ないんですか」
「そんなはずないでしょう。この店は、そう言った人たちのためにある店だ」
「その中に、ルナさんと個人的な付き合いのある連中がいるのでは」
「いない、と思いますが」
「そうですか」
「……ポラさん、あなたやっぱり、うちの従業員に何か思うところがあるんですか」
ポラは少し間をあけた。
それから「実は」と低い声を出した。
「実は、ルナさんのことについて、妙な噂を耳にしまして」
「妙な噂?」
「ええ。私の友人にヨシュアという、この地域に明るい人間がいるんですが、その男曰く、ルナさんが質の悪い不良どもとつるんでいるのを見たことがあるっていうんです」
そんなことヨシュアは言っていない。
思わず眉を顰めたが、すぐにその意図を理解した。
ポラはカマをかけたのだ。
ロベルトは「まさか」と即座に首を振った。
「それは見間違いですよ。まったく、あり得ない」
「なぜ、そんなことが言えるんです? 彼女の交友関係は把握できていないんですよね?」
「把握してなくても分かる。あんなに良い子が――そんなはずがない」
ロベルトは強く否定した。
「そうですか。それならいいんですけれど」
ポラは微笑みながら言った。
「それでは、ルナちゃんはどういった経緯でこの店に来られたんですか?」
ポラは無遠慮にズケズケと質問を続ける。
ロベルトはいよいよ顔を顰めた。
厨房の空気がだんだん不穏になっていくのが分かった。
どうしてポラはこんなにもルナのことを執拗に聞くのか。
ロベルトの顔はそう不審がっている。
見かねて、俺は「ポラさん、その辺で」と小さく言って袖を引っ張った。
が、それは華麗にスルーされた。
ポラは俺を見ようともせず、ロベルトを見据えている。
「……それは前に言った通りです。3年ほど前に、デイジーが連れてきた子です」
「なるほど。ストリートチルドレンだったわけですか」
「多分、そうだろうね」
ロベルトの抑揚のない答えに、今度はポラの方が眉を顰めた。
「多分? ロベルトさん、あなたは、ルナさんの過去を知らないんですか」
「ああ。デイジーも教えてくれなかったし、私も聞かなかったからね」
「何故、聞かなかったんですか?」
「何故、って」
ロベルトは苦笑し、肩を竦めた。
「それはポラさん。あなただって、この街に生きているなら分かるでしょう。人の過去を探ったって、良いことは一つもない」
「たしかにそれはそうかもしれませんね」
そう言って、もう一度茶をすする。
「しかし、それも時と場合、人間関係にもよるでしょう。あなたたちはもう3年間も一緒に働いている。いわば家族同然ではないですか。それなのに、彼女の過去を知りたいとは思わなかったんですか」
「思わないですね」
ロベルトは即答した。
「ルナちゃんが話したいことがあれば、いずれ自分から話すでしょう。私から詮索するようなことはしたくない」
「なるほど。あくまで、彼女を信じていると」
「そうです。私と彼女には、信頼関係があるんです」
ポラはもう一度なるほど、と言って、くすりと笑った。
「では最後に一つだけ、教えて頂けますか」
ポラはカップを机に置き、上目使いでロベルトを見た。
「なんでしょうか」
ロベルトは明らかに苛立っている様子で答えた。
「ルナちゃんは、どんな子ですか」
今さらな問いに、ロベルトは首を振った。
「なんですか、その質問は。もう何度も言っているじゃないですか。とても良い子だって」
「彼女が良い子なのはもう分かりました。しかし、それ以外には何もないんですか? 本当に、ルナさんのこと、何も知らないんですか?」
ポラの不躾で直截的な口吻に、ロベルトは今度こそムッとした顔つきになった。
「……ポラさん。あなた、さっきから少し無礼ではありませんか。確かにあなた方の好意は嬉しかった。しかし、別に助けてくれとこちらから頼んだわけではない。それなのに、人の店の内情を探るような真似をして」
ロベルトは短い間、ポラに視線をぶつけた。
しかし、すぐにポラの方がにこりと笑って、「申し訳ありません」と言って立ち上がった。
「お気を悪くしたのなら謝ります。うん、そうですね。どうやら、料理の開発が上手くいかなくてお互いに少しイライラしてますね。私、夜風に当たってきます」
行きましょうか、と言って、ポラは俺を促した。
「え?」
「ポチ君も来るんです」
ポラはロベルトからは見えないようにウィンクをした。
「あ、ああ、はい」
俺は慌てて立ち上がった。
厨房から出るとき、一度ロベルトを振り返った。
すると彼は、怒りの収まらぬという顔つきで、背を丸めてお茶を啜っていた。