79 我儘
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「どう思いますか」
声を落とし、俺は真剣な眼差しをポラに向けた。
「うーん、そうですね。恐らく、油はラーグラ油でいいと思うんです。いくつかトバツが吸収しないものもありましたが、少々匂いがきつい。ラーグラ油は実に味がついていないので、素揚げには向いていると――」
「そうじゃなくて! ルナちゃんのことッス!」
思わず遮った。
「ああ、そっちですか」
ポラは鼻白んだように短く息を吐いて、肩を竦めた。
ヨシュアから聞いた話を今しがたポラに話したところだ。
厨房には俺と彼女の二人しかない。
トバツ・チップスの試作品を食べた後、ロベルトは休憩に入った。(というより、ポラと二人で話がしたかったから入ってもらった)
「そんなことより、料理の方を完成させましょうよ」
ポラは口を尖らせた。
「今やっと使うべき油が決まって、良い感じになってきたところなんですから」
「い、いや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。ルナちゃんが……暗殺者、なのかもしれないんですよ」
「それが、何か?」
「なにか、じゃないですって」
「大した問題じゃないでしょう。今日の私たちの目的はこの店を立て直すことですから」
「ちょっと待ってくださいよ」
俺は思わず、少し声を大きくした。
不味いと思って、すぐにトーンを落とす。
「ポラさん、俺の話、聞いてました? ルナちゃんが暗殺者だとしたら、そもそもこのお店自体が怪しいってことですよ。つまり、マフィアに通じてる可能性もある」
「なんでそうなるんですか?」
「だってそうでしょう。ルナちゃんは、明らかに身分を隠してる。わざと、出来ない給仕を演じてる。それを長い間看過してるということは――つまりロベルトさんもグルってことで、裏の顔があるんじゃ」
「ああ、そんなことを気にしてたんですか」
ポラは手元にある、試作品のチップスを手に取り、まじまじと見つめた。
「それは大丈夫だと思いますよ。ロベルトさんは、本当にただのコックさんですから」
「なぜ、言い切れるんです? 何か根拠が」
「勘です」
ポラは俺の方を見て、にこりと笑った。
「言ったでしょ? 私の勘は当たるんです」
俺ははあと息を吐いた。
「ポラさん。俺、結構真面目に聞いてるんですけど」
「私も真面目ですよ」
「じゃあ、根拠を教えてください」
「根拠、かあ」
ポラはうーん、と短く考えた。
「根拠はシーシーちゃん、かな」
「シーシーさん?」
「そ」
ポラは手に持ったチップスを口に放り入れた。
「うーん、やっぱりサクサク感が足りないですよねえ」
「ポラさん。どういうことか、教えてください」
すぐに料理の話を進めようとするポラ。
俺が話を戻すと、ポラはもう、とちょっと面倒くさそうにふくれた。
「どういうことも何も、今言ったことが全部なんですけど。つまり、今回のこの案件、元をたどればシーシーちゃんが言い出しっぺだってことですよ」
「だから、どうしてシーシーさんが言い出しっぺだと、ロベルトさんが堅気だということになるんですか」
「堅気かどうかは分かりませんけどね。少なくとも、あのおじさん、下衆な人間ではないと思いますよ」
どういうことだろう。
俺は首を捻った。
「だから、何故そうなるんです?」
「忘れたんですか? シーシーちゃんの特性です」
ポラはうん、と伸びをした。
「前に言ったことあると思うんですけど、シーシーちゃんって、人間の本質を本能的に見抜く能力があるんですよね。クズ人間には絶対に懐かない。いくら上辺を取り繕っても、シーシーちゃんにはすぐばれちゃうんです。だからきっと、あの子が手助けしてあげたいってことは、ロベルトさんは助けるに値する人間なんでしょう」
それが根拠。
ポラには珍しく、随分とあやふやとした理由だ。
しかし――
俺は妙に説得されたような気分になった。
確かに、シーシーには陽のオーラが漂っている。
負の人間を跳ねのけるような、太陽みたいに明るい力が。
「それにさ」
ポラは伸びをした格好のまま、俺を見た。
「それにほら、そもそもポチ君だって、シーシーちゃんが拾ったようなものですし」
「お、俺、ですか」
「そ。だから、ロベルトさんもいい人なんです。ポチ君が良い子だったように」
「い、いや、俺は普通ですから」
「ふふ。じゃあ、そういうことでもいいですけど」
ポラはクスクスと笑った。
いや、マジで俺は普通なんだけど。
おかしいのはこの街の方であって。
「けれど」
と、ポラは続けた。
「ただまあ、確かにルナちゃんの方は分からないですね。あの子は確かに、少し怪しいかも」
「やっぱり、そうなんですか」
問うと、ポラは目を瞑って「そうですねぇ」と言って小首をかしげた。
「“赤い月”という暗殺者の名前は私も聞いたことがあります。確か、『バーギト』という名前の新興マフィアのお抱えだったと思いますが。言われてみれば、伝え聞いた容姿と似てる」
「新興マフィア『バーギト』ですか」
「マフィアというには品のない組織ですけどね」
ポラは少し顔を顰めた。
それじゃあ、と俺は言った。
「それじゃあ、もしもルナちゃんが本物の暗殺者だったとしたら――今こうしてただの給仕の振りをしてる理由は何だと思いますか」
確信に迫る質問。
ふむ、とポラは顎に手を当てた。
「一番に思いつくのは、この店を薬を捌く拠点として使っている、ということでしょうか」
「薬の売買拠点――」
「“バーギト”は新しい合成麻薬を作り、それを売りさばくことで勢力を伸ばしたマフィアです。『SDX-37』。化学薬品と魔石の粉、それからケシの実を混ぜた新手の覚醒剤ですね。効能は非常に強く、気分の高揚だけではなく、脳みそを覚醒させて、体中の細胞を全て活性化させる力があります」
「な、なんですか、そのチートアイテムは」
「そうです。まさに反則なんですね。それを使えば、簡単に簡易な軍隊が作れますから。しかも、麻薬の効能で恐怖心すら取っ払ってくれますから。最強です。一時期は、軍隊に横流しをしていると噂も経ったくらいです」
ごくり、と喉を鳴らした。
魔石の粉を混ぜた合成麻薬『SDX-37』。
恐ろしい代物だ。
「ですがもちろん、便利なだけではありません。依存度も半端ないですし、長く使っている人間はほぼ廃人になります。あんまり危ないので、一時期“バーギト”を警察が厳しく取り締まってしまい、薬の捌きが難しくなった。近頃は、彼らは薬以外にも女衒と闇カジノ経営の方にも力を入れてるみたいです」
「薬の売買に困った“バーギト”が、ルナちゃんを使ってこの店で密かにその麻薬の売買をしていると」
「可能性はあるかもしれませんね。この店は目立たないし、さほど富裕層地区からも離れておらず、ゲットーも近い。考えてみれば、ヤクをばら撒くには立地が抜群です」
俺は眉を寄せた。
なんてことだ。
ただの潰れかけのレストランを助けに来たはずが――
とんでもないことになってきた。
「調べましょう、ポラさん」
俺は拳を握り、力強く言った。
「なんでですか?」
だっていうのに、ポラはきょとん、とした顔つきになった。
「い、いや、なんでって、そんなの野放しに出来ないじゃないですか。この店を麻薬の売買に使われたら、ロベルトさんが悲しむ」
「言わなければいいでしょう。これまでバレていないんですから、黙っていればきっと分からない。今日の目的は、あくまでこの『デイジーズ・ファン』の再建なんですから」
「し、しかし――」
「ルナちゃんがこの店をどう利用しようと、この店がデイジーさんの形見であることは間違いない。だから、ロベルトさんのために店を遺す。それでいいじゃないですか」
「それじゃあ、麻薬売買の件はどうするんですか」
「知りませんよ」
ポラは呆れたように首を振った。
「いいですか? 私たちは警察じゃないんです。それとこれとはまるで関係ないでしょう」
「だ、だけど――」
「ポチ君。世の中には知らない方が良いこともあるんです。ルナちゃんの正体を知らないままの方が、ロベルトさんはきっと幸せなんです」
俺は俯いた。
ポラの言うことは正論なんだろう。
シーシーの願いはこの店の存続。
ロベルトの料理が食べられればそれでいいのだ。
だけど――だけど!
それだけじゃいけない気がする。
騙され続けているロベルトと、彼の形見の店を悪用するルナ。
こんな関係は、普通じゃない。
警察だとか法律だとか関係ない。
俺が――
俺が、嫌なんだ。
「ポラさん」
と、俺は言った。
「でも俺、このままじゃ嫌です」
「嫌、と言われても、ですね」
「すいません。たしかにポラさんの意見は合理的だと思います。でも俺は嫌だ。とにかく、ハッキリさせたいです。そして――この店を本当の意味で立て直して、健全にしたい」
俺はポラを見つめた。
全ての想いを込めて、いっそに睨むように。
「……私、忙しいんですけど」
「知ってます。だから、これから一か月、飯の支度は全部俺がやります」
「なんですか、それ」
ポラは苦笑し、はあ、とため息を吐いた。
「仕方ないですね。またポチ君の面倒くさいとこが発動しちゃいましたか」
「すいません。面倒くさくて」
「まあ、いいでしょう。時間があったら、あとで調べてみましょうか」
ありがとうございます、と俺は頭を下げた。
「しょうがないですね。ポチ君、その顔つきになったら、もう引かないですから」
そう言うとポラは、やれやれという風に肩を竦めた。