77 休憩
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それから。
ロベルトとポラは本格的に“トバツチップス”の研究に入った。
俺も一緒に手伝っていたが、30分も経った頃、自分が二人の邪魔になっていることに気付いた。
俺はホールの方へ戻り、テーブルに肘をついた。
時刻はすでに9時を回っている。
料理の出来に関しては、あの二人に任せた方が良い。
そう思うと、急に眠気が襲ってきた。
今日もタガタのところでいいだけしごかれた。
トレーニングの疲労で、瞼が重くなってきた。
「おい。何寝てんだ」
声がして目をあげると、ヨシュアの姿があった。
俺は目をこすりながら、首を捻った。
どうしてこいつがここに。
「あら、お前、どうしたんだ、こんなとこに」
「シーシーさんに呼び出されたんだよ。お菓子を持ってきてくれって」
「お菓子を?」
そう言えば、ヨシュアは胸に大きな紙袋を抱えている。
先ほどからシーシーの姿も見ない。
「お前ら、ここで新しい料理考えてるんだろ? だから、なんでもいいから手掛かりになるようなもん持ってこいって言われて」
ヨシュアはそう言うと、紙袋の中身をテーブルの上にぶちまけた。
すると、ドサドサと飴玉やチョコバーなどの駄菓子が大量に出てきた。
「い、いや、こういうの持って来られてもな」
俺はその内の一つを持ち上げながら、思わず苦笑した。
ふざけているように見えても、シーシーも、彼女なりに一生懸命考えているのだ。
シーシーは我儘だし傍若無人だし、ときに残酷でもあるけど。
根は良い子なんだよな。
「ま、ゆっくりやろう。まだ時間はたっぷりある」
俺は頬を緩ませながら言った。
「なんだよ、それ」
呟きながら、ヨシュアは俺の隣の席に座った。
「あれ? 帰らないの?」
「なんだよ。いちゃ悪いか」
「いや、別にいいよ。お使いが終わったら帰るのかなと思っただけ」
「いるよ。暇だし」
「そっか。それじゃあ、ついでにお前も考えてくれよ」
「何をだよ」
「だから、新しい料理」
「やだよ。俺ぁ、食えりゃ何でもいいからよ。料理とか全然分からねえし」
「じゃあ、なんでここに残るんだよ」
「いいだろ、別に。俺の勝手だ」
ヨシュアはそう言って唇を尖らせた。
それから、暇そうに椅子をキイキイと揺らした。
なんだ、コイツ。
いつもは忙しないほどよく動いて、用がないとすぐにどこかに行ってしまうのに。
「なあ、ポチ」
そんな風に訝っていると、ヨシュアが突然、低い声を出した。
「実はお前によ、相談してぇことがあんだけど」
「相談?」
俺はチョコバーを齧った。
「別にいいよ。あ、もしかして野球のことか?」
「違う」
即否定。
ヨシュアが本格的に野球に目覚めたのかと、一瞬だけワクワクしたのに。
「でも、きっかけはヤキューだ」
「なに? どういう意味だよ」
「実はよ、最近、ヤキューやってて、シーシーさんと仲良くなったんだけど」
「ああ、そういやそうだね」
「初めはよぉ、憧れの白木綿の乗組員ってことで尊敬してたんだけどよ。最近、その、なんつーか」
ヨシュアは言いよどんだ。
俺は「ははーん」と目を細めた。
「わかった。お前、現実のシーシーさんを見て、がっかりしたんだろ?」
「は?」
「わかるわかる。遠くから見てると、白木綿の乗組員ってみんな強くてカッコいいもんな。でも、あんなの偶像だよ。特にシーシーさんはな。近くにいると、あの人はめっちゃ面倒くせーよな。でもよ。言っとくけど、あの人はあんなもんじゃねえぞ。真夜中にいきなり押しかけて遊ぼうって行ってきたり、定期的に部屋を掃除しろと銃で脅して来たり。まじで無茶苦茶なんだから――」
「そこまでだ、てめえこの野郎! それ以上、シーシーさんを――俺のハニーを悪く言うんじゃねえ!」
ヨシュアは俺の胸倉を掴んだ。
俺は思わず「す、すまん」と謝った。
「で、でもよ、ハニーってのはなんだよ」
「あ、ああ、すまん」
冷静になったのか、ヨシュアは俺から手を放し、今度は逆に、しゅんとしたように俯いた。
どういうことだと俺は訝った。
するとこやつは蚊の鳴くような声で、
「逆、なんだよ」
と、呟いた。
「ぎゃ、逆?」
「……そう。最初はよ、ただの憧れだったんだよ。けどよ――」
ヨシュアは少し目を背け、顔を赤らめた。
「さ、最近、あの人の近くで接していると、妙に胸がドキドキするんだ。彼女が微笑んだり、嬉しそうに笑ってたり、ほっぺたを膨らませて怒ってる顔とか見ると、もうたまらねえんだ。あの無邪気な笑顔が瞼の裏に焼き付いてよ。夜も眠れねえんだ。はっきり言って、可愛すぎるんだよ、シーシーさんって。ああ、あの人って――」
きっと本物の天使なんだ。
ヨシュアはそう言うと、ぽうと浮かれたように微笑んだ。
「……はあ?」
あれが天使?
俺は思わず顎を突き出し、思いっきり首を捻った。
シーシーは天使というよりは――小悪魔だと思うんだけど。
属性は聖ではなく、魔の方がぴったりくる。
だが、どうやらマジだ。
要するにこの男は、あの爆弾娘に惚れちゃったようだ。
「ま、まあ、いいんじゃないかな。好みはそれぞれだし」
俺はアハハと乾いた笑い声を出した。
でよ、とヨシュアは椅子ごとこちらに近づいた。
「本題はここからなんだけどよ。俺、シーシーさんに何かプレゼントあげたいんだけど、あの人、何もらったら喜ぶかな」
なんだその乙女みたいな質問は。
「……さあ。お菓子かなんかでいいんじゃね?」
俺は肩を竦めて、適当に答えた。
「な、なんだよ、その冷めた感じ」
「別に、んなこともないけどさ」
「テメー! 一人だけ大人ぶってんじゃねえぞ」
ヨシュアは俺に詰め寄り、ヘッドロックをかけてきた。
「ポチ。じゃあ聞くがよ。てめえにはいねえのかよ。こう、思い浮かべるだけで恋しくなるような女の子が」
「お、俺?」
言われて、うーんと考える。
この世界に来てから、生きるのに必死で、そんなこと考えたこともなかった。
恋しい、と言われてすぐに思い浮かんだのはリュカの顔だった。
今すぐにでも会いに行きたい。
しかし――あいつは恋人というよりは友達だ。
ヨシュアの言うような“恋愛”の対象と言うと――
まず思い浮かんだのはポラだ。
確かに、異性として意識している人、という意味なら、一番は彼女になる。
一緒に暮らしていても、悶えるようなシーンは何度もあった。
けど――惚れているかと言えば、そうでもない。
どちらかというと、先輩というか上司というか。
結構、怖いし。
では、エリーはどうか。
少し考えて、すぐに「無いな」と思った。
エリーは何しろ謎が多い。
好きになるも何も、俺はほとんど彼女のことを知らない。
あと、やっぱあの人も怖いし。
シーシーは――まあ、無いとして。
最後に。
俺は船長であるミスティエを思い浮かべた。
そうすると何故か、一番に、彼女が笑っているところが思い浮かんだ。
あまり笑う人ではないのに、それどころかいっつも怒ってるのに。
どういうわけか、脳裏に蘇るのは、
でかしたぞ。
よくやった。
そう言って、八重歯を見せて笑っている顔だ。
「おい、やっぱりいるんじゃねえか」
ヨシュアに言われて、ハッと物思いから覚める。
「な、何がだよ」
「だらしねえ顔してたぞ」
「だらしない顔?」
「恋する少年の顔ってやつだぜ。え? 図星だろ」
そう言われると、急に意識してきた。
確かに、俺はミスティエをこの世で一番の人物だと思っている。
強さ。
胆力。
行動力に、知性もある。
そしてなんといっても――超絶美人。
やばい。
なんか、ドキドキしてきた。
もしかして俺――ミスティエに惚れているのか?
「あ、ポチさん」
後ろから声がして、俺は思わず固まった。
振り返ると、ルナが厨房から顔を出していた。
「は、はい?」
「ちょっと、こっちに来てもらえますか。二人が呼んでます」
「あ、ああ、分かった」
俺は返事をして立ちあがった。
ナイスタイミング、と思った。
「じゃ、じゃあ、ヨシュア。ちょっと行って来る」
俺が踵を返して行こうとすると、ヨシュアに「ちょっと待てよ」と服の裾を掴まれた。
「なんだよ。もう、この話は終わりだ。俺、恋愛なんてしてる暇はねえんだ。シーシーさんへのプレゼントなら、あの人武器が好きだから、珍しい銃のレプリカでもあげれば――」
「そうじゃねえ」
ヨシュアは俺を遮り、真剣な面差しで言った。
「今さっきの奴、あれ、誰だ?」
「さっきの奴? ああ、あれはこの店で給仕仕事やってる、ルナって子」
「ルナ?」
ヨシュアはいよいよ眉根を寄せた。
それから小さく「やっぱりか」と呟く。
ここに至り、どうやらヨシュアが真剣になっていることに気付いた。
「どうしたんだよ。まさか、知ってる子か?」
「……ああ。あの顔、よく覚えてる」
「マジか。すげー偶然だな」
ヨシュアは急に口を閉じ、黙り込んだ。
「おい、なんだよ。ルナちゃんのことで、なんかあんのか」
「ああ。アイツは多分、俺らと同じ『地下道の子ら』の出身だ」
「なんだって?」
俺は眉根を寄せた。
ヨシュアは少し目線を上げ、思い出すように語った。
「あの面。あの赤髪。随分と穏やかな顔になったが、間違いねえ。裏世界では有名なやつだった。数年前から、表の世界に戻ったって聞いてたけど。まさか――こんなボロい飯屋で働いていたとは」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんか、極悪人みたいな言い方してるけど」
俺は慌てて言った。
するとヨシュアは「極悪人だよ」と、事も無げに言った。
「赤い月。あの女の二つ名だ。赤みがかった髪をして、月が明るい夜に良く仕事をしていたからそう呼ばれた。――いや、怖れられた、と言ったほうが良いか。奴の仕事は実に見事だったからな」
「仕事って――あの子、何してたんだ?」
ヨシュアは少し黙った。
ぽーんぽーん、と壁掛け時計が鳴る。
緊張を孕んだような、奇妙な沈黙がホール内に落ちた。
やがて時計の音が止むと、ヨシュアは俺の目を見た。
そしてその双眸を少し強張らせながら、
「殺し屋だ」
と、言ったのだった。