71 お節介
シーシーは激怒した。
彼女の贔屓にしている料理店が潰れるというのだ。
理由は明快だった。
大通に新しく大型のレストランが出来たせいで、客足が急激に遠のいてしまったのである。
シーシーの大好きなそのお店は『デイジーズ・ファン』と言い、いわゆる大衆食堂であった。
路地裏に傾くようにひっそりとたたずむその店の両脇には、場末の飲み屋と怪しい石売りの店が軒を連ねていた。
幌は破れ、窓ガラスは茶色くくすんでいる。
看板のネオンは切れ、昼間でも薄暗い店内は、ただでさえ開いているのか閉まっているのか分からない。
すれたチンピラでも、常連以外はちょっと入るのを躊躇してしまうような店。
だけど、味は天下一品。
それが食堂『デイジーズ・ファン』である。
Ж
「というわけで! 今から会議を始めるぞ!」
シーシーはそう言い、目の前のテーブルに足をドカン! と乗せた。
時刻は夕刻前。
俺とポラが寝食している海賊船の船内である。
ちょうどその時、ポラが夜ご飯の材料を買って帰ってきたところで、俺たちは食事の準備を始めようとしていた。
「こーら、お行儀悪いですよ」
ポラはニコニコ言いながら、買って来た食材を冷やし室に仕舞った。
その残りをテーブルに乗せ、着替えのために寝室(と言ってもカーテンを引いただけだが)へ向かった。
「うるせー! この緊急事態に、行儀が良いも悪いもねーだろ!」
そう叫ぶとシーシーはテーブルに完全に飛び上がり、そこでクルクルと回り出した。
ポラが買ってきた野菜がばらばらと床に落ちた。
俺はあ、と思わず口を開いたが、シーシーはさらに勢いを増し、ギュルルルと回転し始めた。
「い、いや、シーシーさん、回らないでください」
「うっせー! これが回らずにいられるか!」
「け、煙が出てます!」
「出してるんだ! こいつは緊急を知らせる狼煙だ!」
「知らせる必要ありませんから! もう知ってますから! それに、緊急事態なら回ってる暇もないのでは!」
そう進言し、荒れ狂うシーシーの足を掴もうと手を伸ばした。
するとその手はするりと避けられて、代わりにドカッと顎を蹴られた。
「たしかに! 回ってる場合じゃねーな!」
シーシーはピタッと止まり、テーブルから降りた。
俺ははあと息を吐いた。
疲れる人だ。
いやマジで、このテンションはフルスロットルの時のオランウータン並だ。
ため息を吐きながら、床に散らばった野菜たちを拾い集める。
その中に、トバツの実が混じっていることに気が付いた。
トバツの実とは、俺たちの世界で言うところの「じゃがいも」みたいな野菜だ。
みたいな、というか、まんまじゃがいも。
この地域では、大体、スープに入れたり蒸したりして食べる。
これがあるということは――今日は俺の好きな料理かも。
「で、なんですって?」
俺は布巾でテーブルを拭きながら、改めて聞いた。
するとシーシーはむーとむくれながら、事情を話した。
「おっさんの飯がもう食えなくなるかもしれないのだ!」
シーシーは興奮気味に語った。
単純な話だった。
要するに、行きつけのレストラン『デイジーズ・ファン』が経営難に陥っているからなんとかしてやりたいらしい。
『デイジーズ・ファン』。
実は俺も、何度かシーシーと行ったことがある。
めちゃくちゃ安くて美味い店だ。
たしか、店長がすごく腰の低い、押しの弱い人だったことを覚えている。
シーシーが何度もツケにしていたから、よく覚えている。
「はあ、それはしょうがないですよ」
カーテンの向こうで着替えをしていたポラが言った。
「なんだと! もっかい言ってみろ!」
「しょうがないと言ったんです!」
「うるせー! 何度も言うな!」
「どっちなんですか」
カーテンがシャーと開き、ポラが部屋着で現れた。
薄いシャツ一枚なので膨らみが二つ、嫌でも目に入る。
うーん……いつまでもこの姿は慣れない。
「でもね、シーシーちゃん、それはしょうがないですよ」
ポラは人差し指を立てた。
「客商売というのは難しいんです。みんな新しいもの好きですから」
「うるせー! そんなたわ言で片付けられるか、このたわけ!」
「気持ちは分かりますよ。あのお店、私も好きですし」
「なら、どーにかしようじゃん! いい店なんだから、絶対なんとかなるだろ!」
「そんな簡単には行かないんですよ」
ポラはシーシーの向かい側に座った。
「個人店の経営というのは本当に大変なんです。料理が美味い、接客が良い、なんてサービスだけでは立ちいかない。まず、あそこの店は立地が悪い。通りすがりに入るというお店では無いですからね。一度客が離れちゃうと、それを取り返すのは本当に難しい。加えて、第3地区の再開発でメラー通りに新しい道路が出来ましたからね。これから、あの通りにはたくさんお店が出来ると思います。そうなると、ますます客足は遠のいちゃう。きっとあの路地裏商店街にある店は全滅でしょうね。残酷なようですが、これが時代の流れということです。むしろ、借金がかさむ前に店を畳むという店長さんの意向は懸命かもしれなブフッ――」
したり顔で話していたポラの首筋に、「とうっ」とシーシーが延髄蹴りをかました。
「ベラベラうるせー! うちは100文字以上のセリフは身体が受け付けないんだ! 生理的に無理なんだ! んなゴタクは良いから、あの店が潰れない案を出せ、コノヤロー!」
シーシーは何故か顎をしゃくれさせた。
「いったいなー」
ポラは首をさすりながら、口を尖らせた。
うーん、と俺は唸った。
この二人。
傍で見ていると本当に飽きない。
「でも」
と、俺は言った。
「でも、ポラさん。俺からも出来ればお願いしたいです。手を貸してあげてください。あそこの店長さん、良い人そうだし」
「無茶言いますねー。そんな簡単な話じゃないんですけど」
ポラは腕を組み、何か考え込むように目を瞑った。
それからすぐに右目を開いて、
「じゃ、こういうのはどうです? シーシーちゃんが投資して、新しい店を立地のいいところに建てる」
「トーシ?」
「お金を出すってことです」
ポラは人差し指を立てた。
「そうすれば、きっと繁盛しますよ。もともと、味はいいんですから」
ね? とポラはシーシーを見た。
シーシーはきょとんとした表情で、不思議そうに首を傾げた。
「なんですか、その可愛い顔は」
「うち、金持ってないぞ」
「そんなことはないでしょう。あんなに稼いでおいて」
「全部使ってるもん」
「は?」
「一円も持ってない」
「は?」
今度はポラが首を傾げる番だった。
「な、何に使ったんですか」
「何って、飯食っておもちゃ買ってたら無くなった」
「ギャラ、出たばかりですよね」
「うん」
「い、いや、うんじゃなくて」
「普通なくなるだろ。一週間もあれば」
ポラははあと息を吐いた。
俺はその横でうんうんと頷いた。
分かる。
分かるよ。
「でも、いいんじゃないですか。それじゃあ根本の解決にならないですし」
と、俺が言った。
「どういうことです?」
「いえ、シーシーさんがお金を出してあげても、それは一時しのぎにしかならないんじゃないかなって。立地の良いところに店を出したら、そこでまた競争があるわけですし。あの店が店の魅力で客を取り戻せないと、結局、同じことになっちゃう気がして」
「まあ――それはそうかもですね」
「でしょ? シーシーさんも、だからポラさんに聞きにわざわざここにやって来たんですよ」
「そう、かなあ」
「そうですよ。同じ状況に陥ったら、俺も絶対、ポラさんのとこに来ます。何か助言してくれそうだから」
「私はコンサルタント業なんてしてないですけど」
「そういうことじゃないです。ポラさんは確かに博識だけど、知識の問題じゃない」
「どういうことです?」
「ポラさんって、ほら、なんだかんだ優しいから。それを、俺たちみんな知ってるからさ」
ポラは難しい顔になった。
まずい。
喋り過ぎた。
俺は慌ててすいませんと頭を下げた。
「ド素人が知った風な口を利いちゃいました」
「ああいえ、いいんですよ」
ポラはにこりと笑った。
今の難しい顔は、照れていたのかもしれない。
「ポチ君って、ほんとずるい人ですよね」
「そ、そうっすかね」
「うん、ずるいずるい」
ポラは微かに目を細めた。
それから、しょうがないですね、と苦笑した。
「それじゃあ、ちょっとそのお店に行ってみましょうか」
「ほんとか!」
シーシーの顔がパァっと輝いた。
「はい。ついでだから、そこでお夕飯を済ませちゃいましょうか」
「いいけど、多分、今日はもう閉めてたぞ。客いねーから」
「そうですか。それじゃあ、台所だけ借ります。幸い、材料はありますから」
ポラはそう言って、紙袋をぽんぽんと叩いた。
「前から、本格的なキッチンで料理してみたかったのよね」
「行くのか!?」
「ええ。いずれにせよ、話し合うなら現場に行かないと」
「よし! よしよし! じゃあ決まり!」
オー、とシーシーが言い、右手を突き上げた。
釣られるように俺も手を上げたが、ポラはテキパキと出かける準備を始めていた。