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64 聖堂の闘い 5


 Ж


 勝負は瞬く間に決した。


 凄まじい巨大エネルギーがぶつかる瞬間、聖堂内は音が消え、青白い光があふれた。

 

 刹那の刻。

 実時間では1秒にも満たなかっただろうが、俺とバチュアイの間ではそれが極限まで引き延ばされていた。


 俺の拳とバチュアイの拳は真正面からぶつかりあった。

 まさに力と力の勝負だった。

 バチュアイは俺の力を受け流し、戦闘技術に依る勝負に持ち込むことも出来たはずだが、奴はそれをしなかった。

 力でも俺を上回ってやる。

 そのような、戦闘狂としての矜持を感じた。

 バチュアイはイカれた野郎だが、戦いにプライドは持っていると思った。

 

 激しい衝突に、聖堂内を爆風が吹き荒れた。

 燭台は吹き飛び、整然と設えられた長椅子も石床ごと剥がれてしまった。


 俺は「ンギギギギギ」と顔をくしゃくしゃにしながら拳を全力で押した。

 バチュアイはいっそ喜んでいるような顔をしながら、狂人のような目つきでそれを押し返した。


 だが、刹那。

 その顔が曇るのが見えた。


 熱量に押され、徐々にバチュアイの拳が緩くなるのを感じた。

 いける。

 俺は「ぬおおおおお」と咆哮し、全身全霊を込めて、拳を突き出した。


 その時、俺とバチュアイのエネルギーはほとんど同レベルであった。

 あとは根性の違いだと思った。

 俺は歯を食いしばった。

 リュカを守るんだと思うと、さらなる力が湧いてくるようだった。

 バチュアイは目を見開いた。

 そこに一瞬、怯えの色が浮かび、すぐに消えた。


 こいつは一体、何のために闘っているのか。

 

 滅びの瞬間、俺の頭にそんなことがよぎった。

 

 そしてやがて。

 ギュルンッ、と言う肉が抉れるような音がして――


 俺の拳が、バチュアイの身体を貫いた。


 Ж


 拳はバチュアイの胸の中央を貫通し、心臓を的確に破壊していた。

 その肉体はギュウギュウと締まり、やがて弛緩し、肉の隙間から赤黒い血がどくどくと流れ出した。


「てめ……ぇ」

 バチュアイは喘ぐように言い、血まみれの手で俺の顔を掴んだ。

「何者だ……何者だよ。この俺を殺すなんてよぉ……絶対おかし……いぜ」


 俺はバチュアイの身体から無言で拳を抜いた。

 するとバチュアイは、ごふっ、と大量の血反吐を吐いた。


「これが……死か。たまら……ね……ぇ」


 身体を己の血で真っ赤に染めながら、バチュアイはヨタヨタと彷徨うように歩いた。

 表情は恍惚としていて、正気ではなかった。


 その足跡に、夥しい量の血液が痕をつけていった。

 聖堂の中央まで進むと天を仰ぎ、丁度祈りを捧げるような体勢になって、その場に膝をついた。


 俺ははあはあと激しく息を切らしながら、その様子を眺めていた。

 全ての力を出し尽くしていた。

 気を抜けばその場に倒れてしまいそうだった。


 だが――やった。

 バチュアイを倒した。

 俺は安堵し、ミスティエへと目を移した。


 すると彼女はエリーの回復魔法を受けながら、親指を立てた。

 その口が「よくやった」と動いていた。


 俺は立ち上がり、ふらつく足取りで、彼女たちの方へ歩き出した。

 その瞬間――背後でバタンッという音がした。


 慌てて振り返った。

 すると、バチュアイが仰向けに倒れていた。


 俺はその様子を見て、踵を返した。

 そこでようやく実感が湧いたのだ。

 人間を――殺してしまった。


 俺はバチュアイの方へと歩み寄った。

 罪悪感がないことが不思議だった。

 たしかにバチュアイは悪者だったが、果たして、俺にこの男を殺す権利はあったのか。


 バチュアイは叫び声をあげるように大口を開け、こと切れていた。

 念のため、脈を図ると、完全に息絶えていた。


 死んでいる。

 俺は視線を漂わせ、そして血だらけの拳を見つめた。

 どういうことだろう。

 人を殺したというのに――あまり心が動かない。


 この世界に来て、そして強くなって、俺は確実に変わったのだと思った。

 それが良いことなのか、それとも悪いことなのか。

 俺には判然としなかった。


「リクタ!」


 リュカの声がして、俺は顔を上げた。

 リュカが、俺の方を見ていた。


「……リュカ」


 俺は呟いた。


 彼女の顔を見ると、途端に心が和らいだ。

 そうだ。

 俺は、友人を守ったんだ。


 それは――良いことのはずだ。

 そうだろう? リュカ。

 その答えを聞きたくて、俺は脚を踏み出した。


「リクタ! まだだ!」


 だが――リュカがそのように叫んだ。

 俺は眉を寄せた。


 なんだ?

 なんの話だ?

 リュカは一体、何を言っているんだ?


 次の瞬間。

 俺の身体を、凄まじい悪意が包み込んだ。

 

 背後に、()()()()

 だが、振り返りたくない。

 振り返ればそこに、とんでもない化け物がいるような気がする。

 

 意を決して、俺はゆっくりと踵を返した。

 するとそこには、やはり、バチュアイの死体があるだけだった。

 俺はただの杞憂かと、ほっと胸を撫でおろした。


 だが、すぐに異変に気付く。

 なにかが――()()()()


「なんだ――あれは」


 シューシューと、ガスが漏れ出るような音がする。

 死んだはずのバチュアイの身体から――


 黒い()()が漏れ出ている。

 その“もや”はバチュアイの上に溜まっていき、穢れた雲のようになって揺蕩い始めた。


「あーあ、何やってんだか。本当にやられてやんの」


 女の声がした。

 聞き覚えのない、若い女の声だ。


「ねーわ。まじねーっすわ。もっとしっかりしろっつーの」

 

 今度はギャルのような軽口。


「貴様ら。軽口を叩くな。主様の危機だというのに」


 諫めるような凛とした精悍な声。

 次々と声の数が増えていき、やがて場違いな女子トークが始まった。


「危機ぃ? どっこがよ。この男、遊んでるだけじゃん」

「自分も同意っす。最初から私たちを使えばよかったのにと思うっす。そうしたら楽勝だったっす」

「貴様ら、使役主をなんと心得ているのだ。大体、我らで勝てなかったから主様は」

「はいはい。ほんと、アガレスは堅いんだから」

贖罪山羊(アザゼル)蠅の王(ベルゼブブ)、無駄口はその辺にして。もう直きに()()()()

「そのようですね。では皆様、この辺りにしましょうか」


 場違いに明るいトークが続く。


 どうやら女たちの声は()()から聞こえているようだった。

 その中で、アガレス、と言う名が聞こえた。

 あれはたしか――ワルキューレの一人。


「うるせえぞ、てめぇら」


 俺は心臓が止まるかと思った。

 これは――バチュアイの声だ。


「だが、確かに言う通りだな。どうやら俺は、少しこいつを甘く見ていた」


 そう言うと、バチュアイはことも無げにむくりと起き上がった。


 血の気が引いて、俺はよろけた。

 どういうことだ。

 やつの体には――間違いなく、大穴が開いていた。


 いいや、実際に今も開いている。

 拳大の穴が、その細い体にぽっかりと。


 しかし――既にその血は止まっていた。

 その穴から、向こうの景色が見えている。


「不思議そうだな、白木綿キャラコ


 バチュアイはにやりと笑った。


 ――嘘だ。


 俺は全身から汗が噴き出し、金縛りになったように動けなくなった。

 嘘だ。

 嘘だ嘘だ。


 さっき、この男は確実に死んでいた。

 心臓も止まっていたし、脈もなかった。

 呼吸だってしていなかった!


「この俺を()()()褒美に、種明かしをしてやるよ」


 バチュアイは淡々と語った。

 この男が、あまりに前と同じ調子であることが、恐ろしくて仕方がなかった。


「た――種明かし?」

「そうだ。だがその前に、褒めておいてやるよ。ショックだったぜ。まさか、()()姿()に戻らなければ、勝てないとは」


 バチュアイはそう言うと、大きく息を吸い込んだ。

 すると、奴の身体に幾つか変化が見られた。


 まず、バチュアイに開いた傷にはうにょうにょとした触手のようなものが顕れ、その穴を埋めていった。

 そうしてものの数秒で、傷は完全に塞がってしまった。

 次に、バチュアイの頭上に揺蕩っていた黒い“もや”が、徐々にバチュアイの身体に吸い込まれて行った。


「心臓が止まると“発動”するようになっているのさ」

 バチュアイは言った。

「“7人の葬送者(ワルキューレ)”の真実ほんとう能力ちからが発動するように」


「ほんとうの――力?」

「そうだ。あいつらはただの思念体じゃない。俺のエネルギーを貯めておく“外部装置”なんだ」


 エネルギーを貯めておく?


「元の姿は不完全でな。こうしてねえと、すぐに肉体カラダが耐え切れず腐っていくんだ」

 

 説明を続けながら、みるみるうちにバチュアイの肢体は青黒く変色し、変形していった。

 額にはぼこぼこと不揃いで不格好な角のような凹凸が隆起し、皮膚を破って牙が伸び、肘や膝といった間接からは骨が突き出た。

 よりグロテスクに、より非人間的な形態フォルムへと変わっていく。


 まさしく怪物だ。


 醜悪なのはその容姿だけではなかった。

 バチュアイのオーラはさらに禍々しいものとなり、その空気を吸うだけで体の中が汚されて行くようだった。

 思わず俺は腕で鼻を塞いで、臭気に顔を顰めた。


「お前は――人間ではないのか」


 と、俺は問うた。


「人間だよ。正真正銘」

 バチュアイは自らの米神を指しながら言った。

「ただ――ここをちょっと改造いじくられてるがな」


 徐々にだが確実に――内包されたエネルギーも遥かに増幅されてていく。


()()()()()()()()()、お前は楽には死ねねぇぞ」


 やがて全ての“もや”を体に取り込んだバチュアイは、体にある5つほどある“目”全てで俺を見た。

 それから巨大な蝙蝠のような翼を広げて、糸を引かせながら肥大化した口を開いた。


「さてと……どう殺すかな」


 バチュアイは首を曲げ、俺を眺めた。

 7重にダブった声音だ。


「お前ら、どう思う」


 バチュアイは嗤い、一人ごちた。

 いいや――独り言ではない。

 彼女ワルキューレたちに、相談しているのだ。

 

 不気味に光る双眸に、俺は震えた。

 心臓を掴まれたような悪寒。

 彼の眼を見ていると、自らの死体が脳内で鮮明にフラッシュバックした。


「うわあああああああ」


 恐怖に駆られて、俺は叫んだ。

 頭が真っ白になって――無造作に殴りかかったのだった。

 

 Ж


 俺は残っている力を全て使って、バチュアイを殴った。

 半狂乱で、とにかく滅茶苦茶に拳を叩きこんだ。

 その一撃一撃には、先ほどの力と変わらぬほどの出力は出せているはずだった。


 しかし。

 バチュアイはそれらを防御することもなく、全て、立ったまま受け止めた。

 拳は当たっているはずなのに、ダメージは0だった。

 ズガガガガガッ、という打撃音だけが空しく聖堂内に響いた。


「足りねえな」


 バチュアイをそう呟くと、俺の腕を造作もなく掴んだ。

 ミシリと力を入れただけで、骨が簡単に折られた。

 喘ぐ間もなく、すぐに腹に蹴りを入れると、今度はそのまま床に叩きつけた。

 

 そして、俺を踏んだ。

 なんの感情もないような顔つきで、俺をただ踏み続けた。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も、ただ踏み続けた。


 そしてやがて、俺の意識が途切れそうになると、ようやくそれを止めた。


「勝手に死ぬんじゃねえよ、てめぇ」


 バチュアイは顔を顰めた。

 目は釣りあがり、血管が浮き出ている。

 明確な怒気を孕んだ、怒りそのもののような表情。

 このような貌をした生物を見るのは初めてだった。


「……う……あ」


 俺は最早言葉を発することも出来なかった。

 強い。

 次元が――違う。


 バチュアイは俺の髪の毛をぐいと掴み、首をもたげた。


「あら、よく見るとこの子、可愛い顔してるわね」


 その時突然、バチュアイの声が女性のそれに変わった。


 同時に、目の前のバチュアイの目や鼻、そして口がぐにょりと動いた。

 外殻はそのままに、顔の造作だけ、とても可愛らしい女の子に変化したのだ。

 

「たまらないわ、この顔。連れて帰って奴隷にしようかしら」


 さっきと違う声。

 声が変わると、少女のかおもまた別の貌に変わる。


「同感。実は結構、美形じゃない? 口元とか超エモいしさ。私も、死ぬまで飼い殺すのに一票」


 また別の声がする。


「馬鹿者どもが。主様を一度殺したこの男を生かしておけるものか」


 また別の声。


 声音が変化するたびに、その面相も次々に変わっていった。

 おぞましい輪郭の中で、美しい少女たちの貌が浮かんでは消えていく。


 彼女の審議は、まるで俺の同級生が放課後に教室に残ってするくだらない話のように、ぐだぐたと続いた。

 どうやら、俺を生かすか殺すか、生かすならどうやって苦しめるか、殺すならどう楽しむかを話し合っているようだった。


「結審が出た。判決ジャッジメントだ」


 やがて――最後に、バチュアイの顔に戻った。

 

「お前はここで殺す。だがさっきも言ったように、ただでは死なさん。指を折り、爪を剥がし、肌を焼いて腸を引きずり出してやる。だが、安心しろ。お前が息絶えるまで、意識は残るように施術してやる。この俺と同じように、頭を開き、脳をいじくってやる」


 バチュアイはかっと目を剥いた。


 爛々と黒色こくしょくに輝くその双眸に、俺はおののいた。

 およそ話の通じそうにない、嗜虐的で猟奇的な精神病質者サイコパスの瞳。


 俺はこれから自分が()()()()()を想像すると、自然と目の端から涙があふれ出た。


 怖ぇ。

 怖ぇよ。

 誰か――誰か、俺をこのモンスターから救ってくれ!


 だが、俺にはもはや抗う力は残されていなかった。

 喘ぐように口を開けて言葉を発しようとしたが「あう」というノイズが漏れただけで、それはすぐに霧散していった。

 もう、悲鳴さえ上げることが出来ない。


 本物の恐怖だ。

 これが、真の絶望と言うものだ。


 バチュアイの手が俺に伸びる。

 ゴツゴツと節くれだった、悪魔のような手が俺の首に。


 ――もう良いだろう、バチュアイ


 だがその直前。

 バチュアイの恐ろしい悪魔の腕を、横から小さな幼子おさなごの細い手が掴んだ。

 


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