63 聖堂の闘い 4
Ж
「へ……な、なんだ、そ……の不細工な気の流れは」
床にへたり込みながら、ミスティエは俺を見て笑った。
彼女の顔は痣ができて腫れあがり、口の端には血の泡が出来ていた。
あの美しかった顔は見る影もなかった。
それでも俺には、ミスティエの気丈に振舞うその笑顔が、いつも通りに――いや、いつも以上に可憐に見えた。
彼女を彼女たらしめているのは、決して見た目ではないのだと俺は思った。
佳い女と言うのは、どんなに傷ついていても佳い女なんだ。
俺の身体は右腕が不自然に肥大し、オーラも全体的に右側に偏っている。
左に意識を向けると、今度は逆がそうなる。
それが可笑しくて仕方ないという感じで、ミスティエは笑い続けた。
「すいません。抑え込むことは出来たんですが――まだコントロールが上手く行かなくて」
「抗う……んじゃねえ。あるが……ままに、エネ……ルギーを流すんだ」
「分かりました。もう、分かりましたから」
俺は彼女の身体を支えながら言った。
不用意に触ったせいで、ミスティエはぐぅ、とくぐもった声を出して顔を歪めた。
腕が折れている。
「わりぃな……あた……しは少し休む……ぞ、ポチ」
腕の中で、ミスティエは安心したような顔つきになり、目を細めた。
「はい」
俺は顎を引いた。
「お疲れさまでした。任せてください。あとは――あとは俺がやります」
ミスティエは目を瞑り、口の端を上げた。
「生意気……な奴だ。サマにな……ってやがる」
「すいません。俺のために」
「へ。お前……のためじゃねぇ」
俺は感情を堪え、はい、と言った。
ともかくも、これであの野郎を殴る理由が、また一つ増えた。
俺のボスを――船長をこれだけ傷めつけたんだ。
絶対に――
絶対に許さねぇ。
「バチュアイは俺がぶちのめします」
俺はミスティエの腫れた目を見つめながら、拳を握った。
その手を見て、自分の身体が、鈍く発光しているのが分かった。
ミスティエは「そうか」と言い、くっくと肩を揺らして笑った。
「一撃で……」
と、ミスティエは言った。
だが口を動かすとどこかが痛むのか、すぐに辛そうに顔を歪める。
もういいです黙ってください俺がと言うと、彼女は大事なことだと言い、キッと歯を食いしばると、いつものミスティエ然としたしっかりとした口調に戻った。
「一撃で決めろ。いいか、ポチ。仮にパワーが互角でも、奴とお前では、格闘の経験値が違い過ぎる。長期戦になればなるほど不利だ。だから――」
一撃で決めるんだ、ともう一度、ミスティエはの眼を見つめながら言った。
「……分かりました」
俺は頷いた。
ミスティエのおかげで、迷いが吹っ切れた。
やることが決まった。
「あとは私が」
そこでエリーがやってきて、ミスティエを渡すよう手を出した。
頼みます、と言って、俺はゆっくりと彼女にミスティエを託した。
Ж
「いてえな。やってくれるじゃねえの」
ガラガラと瓦礫が崩れて、俺はそちらに視軸を向けた。
すると大きな十字架の下で、バチュアイが立ち上がり、俺を見ていた。
「本当に奇妙な奴らだ。殺そうとするとさらに強い奴が現れる」
バチュアイはコキコキと首を鳴らした。
「いよいよ殺すには惜しい奴らだな。放っておけば、新しい脅威になり得る。そうすりゃ、今よりちっとはこの海もマシになるか」
バチュアイは口の端から流れる血を腕で拭った。
ダメージはイマイチだ。
自分なりにフルパワーで殴ったが、インパクトの瞬間、奴は咄嗟に首を捻って俺の攻撃をいなした。
不意を突かれたはずなのに――これが経験の差と言う奴か。
「もうこれで最後だよ、バチュアイ」
と、俺は言った。
「これから俺がお前をぶっ倒す。そして――リュカを取り戻し、トートルア国の闇を暴く」
「いいぜ」
バチュアイはニヤリと嗤い、挑発的に指をくいくいと曲げた。
「本当にこの俺に勝てるなら、お前にはそれだけの権利がある。その時はお前とミスティエが第3勢力になって、戦争するなり平和裡に生きるなり、好きにすればいいさ」
バチュアイはそう言うと、半身に構えてオーラを爆発させた。
先ほどミスティエに一撃を加えたときよりも、さらに膨大な力。
その時のバチュアイは、破局噴火をする直前の巨大活火山を想起させた。
終末がやってくるのだ、と俺は思った。
全てを灰燼に帰すほどの身も蓋もない熱エネルギーが、目の前の男に内包されていた。
ゴゴゴゴゴ……と地鳴りのような音がする。
気圧の変化によって熱風が吹き、ステンドガラスは割れ、大地が揺れて石床に大穴が穿たれた。
俺は目を瞑り、意識を集中させた。
俺には何の異能力も技も、魔法もない。
剣術も使えないし、戦略も戦術も、何もない。
あるのただ、迸るパワーと、やつをぶん殴れというミスティエの指示だけ。
つまり――右の拳だ。
ここに、“移動者”として覚醒した熱量を、俺の全てを、全細胞から集中させるのだ。
抗うな、とミスティエは言った。
俺の身体の中には、異世界で存在し続けられるだけのエネルギーが蓄えられている。
魔具の指輪によって発露したそれを、あるがままに移動させ、誘導させてやるだけでいいんだ。
息を大きく吸い、それから吐いた。
鼓動を落ち着かせて、無理やり抑え込んだ力を、緩やかに流すのだ。
ゴウゴウという凄まじいエネルギーの奔流がうねっているのを感じた。
だがそれがやがて、キィィィイ――という高音に変化するのが分かった。
暴れていた力が鋭く縒られ、細く尖っていく。
かつてない全能感が俺を支配していた。
俺は強い、という確信があった。
あれほど恐ろしかったバチュアイが、今なら倒せそうな気がした。
俺は瞳を開き、自らの右拳を見た。
その時、自分の身体が先ほどより強く、明るく放光していることに気付いた。
それはやがて目の前のバチュアイの姿を照らし、曝け出した。
闇から引きずり出され、正体を暴かれたバチュアイは拍子抜けするほどに人間だった。
その時の俺には、紛れもない人間に見えたのだ。
何故だろうか。
頭がやけにすっきりしている――
「勝負だ、バチュアイ」
俺は言った。
「いいぜ。ぐちゃぐちゃにぶち殺してやる」
バチュアイは歯を剥きだして笑った。
天窓から、巨大な聖十字架がどすん、と落ちてきた。
それを合図にして――俺とバチュアイはほとんど同時に射出した。