62 聖堂の闘い 3
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ポラは胸の前で手を揉みしだきながら、教会内で闘いの行く末をただ見守った。
バチュアイの顕現させた6人の不吉な少女たちは、ミスティエを取り囲み、一斉に攻撃を開始した。
だが、そこからはスピードが速すぎて、ポラにはほとんど視認できていなかった。
激しい破壊音と共に教会内ではそこかしこの壁に穴が開き、床が揺れ、天井は焼け落ちていく。
その様を、彼女はただ頭を下げて怯えながら見ていた。
まるで自然災害だ、とポラは思った。
人間に出来るのは、ただ祈り、過ぎるのを待つことだけだ。
ポラはリュカを庇うように抱き、教会の隅で丸まった。
彼女は結局、エリーの言うことを聞かず、その場に留まり続けた。
自らの意志で、この戦闘を見守ろうと決めたのだ。
考えてみれば、ミスティエの命令を無視したのは初めてのことだった。
それはもしかすると、真摯で無垢なリュカの瞳に打たれたのかもしれなかった。
自分だけ逃げるわけには行かない、とこの幼い皇子は言った。
まさにその通りだ。
白木綿海賊団が亡くなれば、どうせ自分には他に居場所などない。
その時、つと、自分たちの周りに薄い半ドーム型の光が包んでいることに気付いた。
少し離れたところでエリーが防御壁を作り、ポラたちを守っていた。
どうやら――彼女もここでミスティエを見守ろうと決めたようだった。
彼女の魔法はどれも高位のもので、時折やってくる戦闘の飛び火をなんとか食い止めてくれるだろう。
それは二人に比べてあまり脆く、気休めにしかならないかもしれないが、ポラは、それをとても心強く思った。
魔法を発露し続け、エリーは汗だくになりながらも、どこか少しうれしそうだった。
平素あまり感情を見せない彼女にしては、とても珍しいことだった。
相手はあのバチュアイだ。
いくらうちの船長でも、例えダーインスレイブを使っていても、分が悪すぎる。
だが逃げない。
船長が死ぬなら、自分も死ぬ。
エリーも、そのように考えているのに違いなかった。
その気持ちはよく理解できた。
なぜなら、とポラはエリーと同じく、少しだけ口の端を上げた。
なぜなら――私たちはみんな、ミスティエに惹かれたものたちだから。
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6匹の邪悪と一匹の獣が暴れまわっている。
エリーはその超高度な戦闘に、目を奪われていた。
バチュアイの呼び出した思念体らしき生物、“7人の葬送者”の強さは凄まじかった。
一人ひとりが震えあがるほどに強いのに、彼女たちはバチュアイの指令の元、完璧に動きに統制がとれている。
アガレス単体と、彼女たち6人のグループでは強さが爆発的に増している。
1×6が6ではなく、60にも600にもなっているわけだ。
ワルキューレたちは実に個性的だった。
有能な魔法使いもいるし、防御に秀でた壁役もいる。
さらには不気味な蟲使いと十字架を持った異能使い、それから単純な物理攻撃が得意な武闘家がいて、挙句に口から炎を吐く合成生物のような少女までいた。
特色の違う彼女たちの攻撃のバリエーションは多様性があり、組み合わせは無限だった。
一人ひとりが専門職に特化しているおかげで、各々が補い合って脆弱性を極めて小さくし、反対に攻撃には相乗効果を高めている。
ミスティエはそれらの攻撃を普くすべて読み切り、或いは予測で避け、時にはあえて死に至らない攻撃を受けながら、一つの判断ミスも犯さないまま反撃を繰り返し、徐々に少女たちの体力を削り取っている。
信じられない。
ワルキューレどもは恐らく世界最強の小隊だ。
あれだけの強さの者たちが、あれだけ秩序立った動きをしている。
どんな軍隊にも、あのような意思疎通の取れた組織はいない。
そして船長は――そのさらに上をいっている。
異形の少女6人を相手に踊るように闘うミスティエを前に、エリーはその美しさに見惚れた。
間違いない。
船長は、魔剣に全てを飲まれていない。
あの理性的な闘い方には、ミスティエの知性が宿っている。
ダーインスレイブは契約者の能力に依存する。
それは攻撃力や防御力だけの話ではなかったのだ。
呪われの魔剣は、その者の知力・経験・センス、全てを引き出すのだ。
なんてすごい人。
エリーは場違いにうっとりした瞳でミスティエを見た。
うちの船長なら――世界最強と謳われるあのバチュアイにも勝てるかもしれない。
教会内を破壊しながら、弱い者の体力から徐々に剥ぎ取りながら、緻密にミスティエはワルキューレを追い詰めていった。
このままいけば勝てる。
バチュアイに――彼女の牙が届く。
「なるほどなるほど。こりゃあすごい。こいつらじゃ、どうやら勝ち目がねぇ」
やがて、バチュアイが半眼になりそのように言った。
すると、先ほどまでミスティエを取り囲んでいた少女たちは一斉に姿を消した。
急に戦闘音が止み、教会内には奇妙なほどの沈黙が落ちた。
バチュアイがワルキューレを全て納めたのだ。
いよいよ奴が来る。
エリーはごくりと唾を飲み込んだ。
果たして、バチュアイはどれほどの力を持っているのか。
ダーインスレイブを使ったミスティエは奴に匹敵できるのか。
しかし、どういうことだろうか。
エリーは眉根を寄せた。
たしかにこのまま行けば、ミスティエはワルキューレ全てを制圧するように見えた。
だが、それでも彼女たちを引っ込める理由はない。
ワルキューレと共に、バチュアイ自身も戦えばよいのだ。
もしかすると、奴はワルキューレを出しているとき、自身は戦闘が出来ないのではないか。
それはつまり――まだミスティエにも勝ち目が残っている、ということだ。
「くっく」
と、バチュアイは肩を揺らして嗤った。
「まさかこの俺が、ディアボロやキュリオ、或いはクロップ以外の人間と直接戦闘することになるとは」
激しい戦闘でボロボロになった聖堂のど真ん中で。
ついに、バチュアイ本体が動いた。
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地獄の蓋が開いたようだった。
奇妙で不思議で、そして濃い瘴気のようなオーラが、バチュアイから発せられた。
殺意と言うには、あまりに下卑た気配だ。
ワルキューレと同種の空気だが、バチュアイのそれはもっと純度が高い。
悪の権化のような禍々しさだ。
ミスティエはダーインスレイブを肩に乗せ、顎を上げた。
その仕草はやはり、どこか元来のミスティエの面影を残していた。
バチュアイはにやりと笑うと、半身になり腰を落とした。
右の手で拳を作り、膝を緩く曲げる。
左腹に肘をつけ、大股を開いてミスティエに向けて構えをとった。
それから。
「カッ」と、微かに嗤った。
ヒュン、と空を切るような音がして、刹那、バチュアイの体がブレた。
次の瞬間、バチュアイはミスティエの間合いに入り、その腹に拳をめり込ませた。
ミスティエには視認すらも出来ないほどのスピードであった。
超速度に、二人の世界では既に色が消えていた。
景色は全てが線上に間延びし、ミスティエとバチュアイは誰の目にも知覚できない二人の世界に閉じられているかのようだった。
腹に大穴が開いたような激しい衝撃と共にミスティエは後方に吹き飛んだ。
バチュアイはそれを追いかけ、足首を掴むと、そのまま体ごと振りかぶって無造作に床に叩きつけた。
ミスティエは血反吐を吐き、床にめり込んだ。
割れた石床でバチュアイはミスティエに馬乗りになると、彼女の顔面に向けて拳を叩きつけた。
ズガン、ズガン、という鉄球がめり込むような地響きと轟音を立てて、ミスティエの顔に拳が叩きこまれて行く。
そうして止めとばかりに、バチュアイは一際大きく振りかぶり、最後にもう一度顔に打ち下ろした――
その直後。
ガギンッ、という、鋼鉄がぶつかるような音がした。
ミスティエが大口を開け――その拳に噛みついていた。
それからガウッ、と思い切り顎を閉じ、バチュアイの拳をかみ砕いた。
「なんて女だ!」
バチュアイは刹那、喜びに打ち震えた。
このアマ――
この俺の拳を食いちぎりやがった!
その隙を見逃さず、ミスティエは上半身を起こして、剣の柄についた猿の頭蓋骨でバチュアイの鼻を思い切り殴りつけた。
そうしてマウント状態から抜け出すと、ミスティエは立ち上がり体勢を整えた。
バチュアイの攻撃で彼女の右の眼球は赤く染まり、頬骨は砕けていた。
痛みはあったが、それどころではなかった。
興奮で頭がねじ切れそうだった。
殺す。
絶対に殺す。
黒褐色の唾を垂らしながら、ミスティエは迸る殺意で小刻みに震えていた。
グルルルと唸ると、ミスティエは地煙を上げて突進した。
それからバチュアイを超高速で斬りつけた。
バチュアイは斬撃を避けもしたが、さらに加速したミスティエの動きに体勢が整わず、いくつか肉体で防御した。
それらはバチュアイの身体を斬ることは出来なかったが、殴打することは出来た。
ミスティエは目を剥き、滅茶苦茶に殴りまくった。
だがバチュアイは冷静だった。
壁に押し込まれる直前にミスティエのつま先を踏むと、床に張り付いて体を回転させミスティエの脛を踵で蹴り上げた。
ミスティエは僅かに体勢を崩し、その隙にバチュアイは無軌道に跳躍して天井に張り付いた。
「この俺を殴ったな、ミスティエ」
バチュアイは逆さまのまま、狂ったように目を血走らせ、嬉しくてたまらない、と言う風に、ミスティエの血と涎のついた自らの右拳を舐めた。
ミスティエに噛みつかれたせいで、バチュアイの手の骨は砕け、肉が殺げ落ち、拳全体が歪に歪んでいた。
傷痕がズキズキと傷んだ。
だがバチュアイにとっては、その痛みは喜びだった。
それがバチュアイの生きる意味だった。
とはいえ――だ。
とはいえまだ、コイツは“俺たちの領域”には届いていない。
バチュアイはミスティエをそのように評価した。
こいつは強いが、まだまだ発展途上だ。
どうやら今はまだ、俺やディアボロ、キュリオの域には達していない。
殺すのは惜しいが――そりゃあこの戦闘に対する侮辱だよなァ。
バチュアイはぺろりと唇を舐めると、ミスティエを殺すことを決めた。
ドギュ、という音を立てて、ミスティエがバチュアイに向けて突進してきた。
先ほどよりも、さらにスピードは上がっているようだった。
剣戟も加速度的に早くなっていき、その太刀は人間の限界を超えているようにすら思えた。
だが、バチュアイはそれらを全て躱した。
全ての攻撃が視認できたわけではない。
それでもミスティエの剣は全て空を切った。
完璧な回避を可能にしているのは、バチュアイの勘と経験による予測だった。
それはほとんど未来視に近かった。
自分で考えるまでもなく、勝手に体が動くのだ。
あまりに当たらない攻撃に苛立ち、ミスティエは僅かに大振りになった。
その隙にバチュアイは背後に回り、渾身の右ストレートをミスティエの背中に叩き込んだ。
それは彼女の身体を貫通するほどの勢いで深くめり込み、内臓と骨に致命的なダメージを与えた。
ぐぎゃ、と蛙が呻くような声がして、ミスティエはよろめいた。
それは彼女の断末魔だった。
ミスティエはそれでもなお、ぶんと剣を振って反撃を試みたが、すでにそのスピードは見る影もなかった。
バチュアイは上半身を反らして事も無げにミスティエの攻撃を躱すと――おもむろに彼女の右腕を掴み、さらにその骨を無造作に折ったのだった。
勝負は一撃で決まっていた。
ミスティエはヨタヨタと歩いた後――ダーインスレイブを手から離した。
その瞬間、爬虫類のような瞳が元のミスティエのそれに戻った。
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意識の戻ったミスティエは、すぐにそれを察した。
即ち――勝ち負けの趨勢に。
「なるほど……ね。あたしの負け、か」
ミスティエは呟き、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
彼女は疲弊し、傷つき、全ての力を使い切っていた。
「お前はよくやったよ、白木綿」
バチュアイは狂気じみた笑みを浮かべながらゆっくりと歩き、ミスティエの首を左手で掴んだ。
そしてそのまま持ち上げ、彼女はさながら首吊りのような状態になった。
「死ね。ミスティエ」
バチュアイのゴツゴツと骨ばった指が徐々にミスティエの白く細い肌に食い込んでいく。
力を入れるたびに、ミシミシと首の骨が嫌な音を立てた。
「しかし、そうだな」
と、バチュアイは目を血走らせながら言った。
「お前は特別だ。最後に言葉を遺させてやる。言いたいことがあるなら言え」
ミスティエは鬱血した顔色のまま、にやり、と嗤った。
そして、呻くように、
「お……せぇぞ――ポチ」
と、呟いた。
「あん? ポチ?」
予想外の言葉に、バチュアイは眉を寄せた。
そして次の瞬間。
そのバチュアイの右頬がぐにゃりと歪み、ドギュオッ、と言う音ともに、彼の身体は錐揉みに回転しながら大聖堂に祀られた聖櫃の奥へと吹き飛んでいった。