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61 聖堂の闘い 2


 Ж


「次は少し強めで行くか」

 

 バチュアイはへらへら笑いながらそう一人ごちると、すー、と息を吸った。

 ゆらゆらと上半身を揺らし、半眼になり舌を出して呆けたような仕草さを見せたかと思うと、急にぴたと動きを制止すると、今度は一転して真剣な面持ちになり、拳をぐ、と握って何事かを呟いた。

 短い詠唱の後、奴の背後に先ほど同様に黒い“もや”が浮かび上がった。


 あれだ、とエリーは思った。


 あの煙。

 あの見ているだけで命が削られるような、名状しがたい恐ろしく不吉な気体。

 あれのせいで、この聖なる場所が完全に穢れてしまった。


 あの黒い霧こそが――バチュアイの恐怖の正体なのだ。


 “もや”はしばらく揺蕩ったあと、またぞろ少女のかんばせに収束していった。

 息をすることも憚られるような邪悪な空気。

 今度は先ほどより遥かに濃い。


 なんと禍々しいオーラであろうか。

 エリーはぐっしょりと汗をかきながら、息を呑んだ。

 船長はとんでもない相手と対峙しているのだと、改めて理解した。


 強弱だけの話ではない。

 奴は――()()のだ。

 

「……船長、大丈夫ですか」

 エリーは通信用魔具(魔石を埋め込んだ特殊な道具)を通して、ミスティエに話しかけた。

「先ほどのアガレスとの戦闘でダメージを負っているはず。一旦、強化魔法を解き、回復した方が良いのではないですか」


 彼女は戦闘が始まってからずっと、遠距離から身体能力及び物理防御を向上させる補助魔法をかけ続けていた。

 彼女の専門は攻撃魔法だが、バチュアイ相手では生半可な魔法は通用しない怖れがあった。

 故に、ミスティエはエリーにはずっと自分を強化させるよう指示していた。


 限界まで重ね掛けを続け、それを維持しろ。

 あたしを強化させ続け、鋼鉄を穿つように尖らせる。

 そのことにのみ集中しろと。


 だからこそ、先ほどの“アガレス”の強さは脅威だった。

 ここまで魔法による激成持続を続けたミスティエが、たかだか異能の一匹と互角の戦いをしたのだ。


ノーだ」

 と、ミスティエは言った。

「痛みは問題ない。このまま、ギリギリまで強化魔法を続けろ」


「しかし、骨が」

「いいから言うことを聞け。これから大事なことを話す」

「大事なこと?」

「作戦を変更する。どうやらポチの覚醒まで持ちそうにない。お前たちはリュカ皇子を連れて、今すぐここを離れろ」

 

「なんですって?」

 エリーの声が硬くなる。

「どういうことですか。私たちだけ、おめおめと逃げおおせろと」


 信じられない気持ちでエリーは聞いた。 

 ミスティエは「そうだ」と即答した。


「承服できません。今補助魔法を解けば、船長あなたは確実に死ぬ」

「これは決定事項だ」

「冷静になってください。勝ち目がないなら、全員で逃げればいいでしょう。私たちが本気を出せば、勝つことは不可能でも逃げることは出来るかもしれない」

「不確実だな。どうせギャンブルなら、あたしはポチに賭ける」

「――ポチに?」

「そうだ。あいつは戦うと宣言し、あたしはそれに乗った。もはや賽は振られたんだ」

「しかし、船長あなたを残して逃げるなんて――」


 エリーは言葉を飲んだ。

 例え――例え敵わぬ相手でも、海賊団とは運命を共にする。

 生きるも死ぬも私たちは一心同体のはず。


 彼女は、船長の言葉が初めて理解できなかった。


「勘違いするな」

 と、ミスティエは言った。

「あたしは別に、諦めて言っているわけじゃない。ただ、()()()()()()()()()()()のを避けたいだけだ」


 船長が私たちを殺す?

 エリーは顔を顰めた。


「……分かるように説明してください」

 

 と、エリーが問う。

 するとミスティエは、「“狂戦士の剣(ダーインスレイヴ)”を使う」と短く答えた。


「ダーインスレイブを?」

 エリーは眉をひそめた。

「まさか――船長、それはあまりにも危険では」


「くっく。この期に及んでは、もはや是非もなかろう」

 ミスティエはふう、と息を吐いた

「ほら、奴を見ろよ。化け物がまた、生まれるぞ」


 ミスティエの目線の先で、黒い“もや”がまた徐々に人間の形に収束していく。

 今度は――2匹だ。


「しかし――」


 口を開きかけて、エリーは口を閉じた。

 船長の言う通りだった。

 あの悪魔のような男を相手に、手段を選んでいる場合ではない。


 エリーはミスティエの方に目を戻した。

 すると彼女はこちらをちらりと見て――にやりと笑った。


 いつもの不敵な笑み。

 その表情を見て、エリーは幾分か、冷静さを取り戻した。


 エリーは「了解しました」と短く言い、通信を切った。


「ポラ」

 次に、エリーはポラに話しかけた。

「船長からの命です。これから戦闘が激化する。リュカ皇子を連れて教会を出なさい」


 なんとなく察していたのだろう、ポラはさして驚いた様子もなく分かりました、と頷いた。


「エリーさんはどうするんです」

「私はギリギリまでここで魔法をかけ続ける。船長が“変身”したら、すぐに後を追う」

「……了解です」


 躊躇いがちにそう言うと、ポラはリュカの元へ走った。


 Ж


 リュカ皇子は身廊の真ん中あたりで呆けたように佇立していた。

 うろんな表情をして、ぽかんと口を開けたまま、光のない瞳でくうを見つめていた。


 様子が変だと、ポラは思った。


「リュカ皇子」

 話しかけると、リュカは無言で瞳を向けた。


「ここは危ないです。教会の外に逃げましょう」

「……逃げる?」

「そうです。ここにいては危険だ」

「何故、貴様ら白木綿キャラコが余の心配をするのだ」

「私にも分かりません。が、うちのミスティエの判断です」

「ミスティエ、か。お前たちは、はあ、不思議な海賊だの」


 リュカは抑揚無く答えた。


「だが、余のことはもう放っておいてくれ」

「そうはいきません。船長命令です」

ともを置いて、余だけ逃げるわけにはいかん」


「友?」

 ポラは眉を寄せた。

「それはポチ君のことですか?」


 リュカはそうだとも違うとも答えなかった。

 ポラはリュカの手を握った。


「ポチ君のことなら心配は要りません。きっと、船長と共にバチュアイを倒してくれます」

「もう二度は言わんぞ。余は、ここにいる」

「皇子……ここにいたら死ぬと言っているんです」


 ポラは懇願するように言った。

 だがリュカは、それからはもう一度も口を開かなかった。

 その場に留まり、ただ、虚ろな瞳でバチュアイたちを見ていた。


 そこではたとポラは気付いた。

 彼女の体がぼんやりと、銀色に鈍く光っている。

 あの光はなんだ――?


 ポラは額に汗を滲ませながら、ごくりと喉を鳴らした。

 その光輝を見ていると、どういうわけか心臓の鼓動が早くなった。

 大災害を予期した鼠のように、本能が今すぐリュカ皇子から離れろと訴えている。

 

 トートルア国王の正統なる血脈。

 この子もまた――只者じゃないのだ。


 Ж


 ミスティエの眼前で、黒い“もや”は完全に2人の少女の姿に変わった。


 背の低い女の子は透かし模様の入った襟首にフリルのついた漆黒のゴスロリ衣装に身を包み、身の丈の数倍もある十字架の槌を持っていた。

 顔は青ざめていて大きな目に小さい黒目、整った顔つきだが、ぞっとするような三白眼を持つ娘だった。

 もう一人の少女は爬虫類のような面相に美しいロングの金髪という異形の姿だった。

 人間と鰐のハーフ。

 銀色の鎧を着込み、長い爪に鋭い牙。

 口先からは先の割れた舌をチロチロと出し、息を吐くと口の間から炎の切れ端が漏れ出ていた。


「“異端審問官インクイジター”と“不死竜ウロボロス”だ」

 と、バチュアイが言った。

「2人同時に出すのはいつぶりだろうなぁ」


 バチュアイは薄ら笑いを浮かべながら、逆立てた金髪に手を突っ込み、ガリガリと頭を掻いた。

 どういたぶってあたしを殺すか。

 そればかり考えている顔つき。


 しかし――2匹か、とミスティエは思った。

 どうやら、こいつはまだ自分をかなり侮っている。

 その内に、一気にカタをつけるのだ。


 ミスティエは無言でバチュアイを睨んだ。

 そうして、“こいつを殺すのだ”と強く意識した。

 強く強く、無意識に刻み込む様に。


 狂戦士の剣(ダーインスレイヴ)は自らの意志を手放す代わりに、普通ならば引き出すことの出来ない潜在能力を最大限まで引き出すことの出来る“付与異能力”だ。

 それを発動させてしまえば、自分の意志はほとんど残らない。

 周りに対して、敵も味方もなくとにかく襲いかかるだけだ。

 

 しかし、強烈に想えば理性の残滓は存在し得るはず。

 意識と無意識の闘いになるが――自分を信じるのみだ。


 エリーたちがここからいなくなれば、教会内に残るのは自分を除けばポチとバチュアイだけ。

 後は無意識の自分が、バチュアイを“敵”だと認識してくれることを願うだけだ。

 

「どうした。なにを黙りこくってる。まさか、ビビって口もきけねえのか」

 バチュアイはイラついたように言った。

「それとも何かまだ企んでいるのか?」


 ミスティエは口の端を上げた。

 それからすーと息を吸い、「狂戦士の剣(ダーインスレイヴ)」と呟いた。


 宙空に一閃が入り、その切れ目から光が漏れ出る。

 ズズズ、と言う音がして、そこから一振りの剣が現れた。

 刀身が大きく曲がり、その背に炎のような尖りがついた深い紫紺色の異形剣。

 柄頭には猿の頭蓋がはめ込まれており、鍔には痛々しい棘がいくつも誂えてある。

 仰々しい封魔の護符札が幾つも貼られてあったが、ミスティエはそれを無造作に剥がした。


「ほ」

 バチュアイは目を細めた。

「なんだ、そいつは。面白い形の剣だが――また何か曲芸があるのか」


「うるせえ奴だ。今見せてやるから、黙ってろ」


 ミスティエはそう言うと、太もものナイフホルダーから匕首あいくちを引き抜き、それで自らのてのひらを一筋、斬りつけた。

 手のひらには赤い線が浮かび上がり、皮膚の裂け目からたちまちに血があふれ出した。

 そのままぐ、と握り込み、現れた魔剣にポタポタと自らの血液を垂らす。

 異形の大剣はそれを飲み込むように沁み込ませると、ぼぅ、と微かに明滅した。

 ミスティエはそれを視認すると、その魔剣の柄を握り込んだ。


 ――さあて、鬼が出るか邪が出るか


 途端にぐうとくぐもった声を出し、刹那、ミスティエは体を大きく痙攣させた。


 全身に強烈な電流が突き抜けた。

 その衝撃は凄まじく、酷く段階的に、強さを増していった。

 それはやがて脳を焼き切るほどに体の内を猛り狂い、彼女の体を蝕んだ。 

 

 その痛みが限界に達するのとほとんど同時に、ブチュンッと脳みその回路が途切れる音がして――


 ミスティエの意識は完全に途切れた。


 Ж


「和平を求めても手遅れだ」

 それは既に、ミスティエの声音ではなかった。

「我は普く存在を消し去るまで消えない。祈りは神に届かず、またここではそれを聞くものもいない。在るのはただ血と殺戮と、決して癒えぬ一閃の傷のみ」


 ミスティエの美しい目がぐるんっ、と回転し、瞳孔の収縮した蛇目のような瞳になった。

 長い髪は逆立ち、バチバチと全身に鈍い光を帯びる。


「お前――何者だ?」

 バチュアイは顔を顰めた。


 ミスティエは問いの応えの代わりに、ただ「殺す」とノイズのような声を発した。

 そこには最早、およそ人間らしい理性の色は消えてなくなっていた。


 な、なんだこの女。

 さっきまでと全く違う。


 変身した。

 姿かたちはさほど変わってねえが、明らかに変質している。


 何をどうやったのか知らねえが――


 この野郎は比べ物にならねえほど強くなってやがる!


「――こりゃあとても“二人”じゃ足りねえよなァ!」


 バチュアイは目を見開き、ぶるりと身震いをした。

 それから瞳を爛々と輝かせ、心から嬉しそうに、 


「この女、マジで面白れぇ」


 と呟いた。


 歓喜するバチュアイの背後でさらに黒い“もや”が増えた。

 それは不吉な形に象られて、やがて“6人の少女”がミスティエを囲んだ。



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