57 異物
以前上げた第57話「悪党2」は諸事情によりボツにしました。
読まれた方、混乱させてしまい申し訳ありません。
こちらが正しい第57話となります。
Ж
「……船長」
俺は下唇を噛み、頭を下げた。
「俺――俺、どうするべきか、分からなくて」
混乱していた。
助けられたという想いより、怒りと情けなさでいっぱいだった。
「涙を拭え、ボケ」
ミスティエはぴしゃりと言った。
「あたしの乗組員を名乗るなら、情けねェ面は許さねぇぞ」
はい、と頷き、俺は目元をごしごしと拭いた。
それから、もう一度「すいません」と謝った。
「だが」
ミスティエは俺をちらと見た。
「だが、さっきの啖呵はなかなかのものだった」
褒めてやる、とミスティエは言った。
「――そんなことないです」
俺は俯き、ぎゅっと拳を握った。
「俺は弱い。本当に弱いです。あいつの言う通り、弱虫の俺には何もできない。口先だけじゃあ――何も変えられないんです」
ミスティエはふっと笑った。
なにか意味を含んでいるような笑い方だった。
いつものひねくれた笑みではなく――何か楽しむような真っすぐな表情だった。
「その通り。お前は弱い。だから強くなる必要があるのさ」
ミスティエは肩を竦めた。
「だが、それは良い“気付き”だよ、ポチ。どうやらお前は今、やっと海賊の始まりに立った。今のお前なら、話してもいい」
「話してもいい? なんのことです?」
「お前自身の話だよ」
「俺の――?」
俺は眉を寄せた。
ミスティエは「そうだ」と言い、今度は少し顎を上げ、俺を見下ろすような三白眼になった。
「なんだぁ、いきなり現れやがって、ベラベラと」
バチュアイは不機嫌そうに言った。
「挨拶くらいしろよ、白木綿ども。俺ぁ無礼者が大嫌いなんだ」
バチュアイがヨタヨタと歩いてくる。
迸る殺気を撒き散らしながら、死の脅威が近づいてくる。
「せ、船長、とりあえず話は後で」
「いいや、今だ。今話す。今がその時だ」
だっていうのに、ミスティエはバチュアイを完全に無視して続けた。
俺は眉を寄せた。
どういうことだ、と思った。
この逼迫した状況で、一体何の話があるというのか。
俺の想いをよそに、ミスティエは俺を見た。
俺の目を、双眸を見つめた。
「間違いねぇな」
と、やがて口を開いた。
「ポチ。お前、この世界の人間じゃないんだろう」
Ж
「止まりなさい!」
敬虔な聖堂に、ポラの声が響いた。
彼女の言葉に、バチュアイは歩みを止めた。
「なんだぁ? テメー」
「私は白木綿のポラ。交渉人です」
と、ポラは言った。
「この教会は完全に包囲されています。バチュアイ。大人しく退きなさい。我々はリュカ皇子に危害を加えるものではありません」
ポラの背後にはエリーと、それから海軍の軍服を着た男たちがいた。
彼らは扇状に広がり、いずれも、バチュアイに向けて臨戦態勢をとっていた。
「あぁん?」
バチュアイは嬉しそうに顔を顰めた。
「なんだなんだ、お前ら。ぞろぞろ湧いてきやがって」
ポラは身廊を通り、バチュアイに近づいた。
「外部にはラングレー海軍も控えてます。軍事封鎖を敷いているため、仲間も来ませんよ」
「なんだそりゃ。だからなんなんだ?」
「退いてください、と言っているんです。ここで戦うことは双方にとってメリットはありません」
「余計なお世話だ。価値があるかどうかは俺が決めることだ」
お前じゃねえ、とバチュアイは唾を吐き、いかにも大儀そうにゆらゆらと上半身を揺らした。
「ったく、ゴチャゴチャうるせえ野郎だ。俺は駆け引きなんかしねえんだ」
「そういうわけには行かないはず。あなただって海賊の長なんですから」
「バーカ。一番偉ぇからこそ、俺は好き勝手やっていいんだ」
ポラはわざとらしくはあと短い息を吐いた。
それから睨みつけるようにバチュアイを見た。
「あなたは自身が強いばかりに、私たちを過小評価している」
「そりゃあそうだろうが、雑魚が」
「力と権力は別のもの。人間とは群れで戦うものですから」
「どういう意味だ、そりゃあ」
「バチュアイ=シルベストル。あなたの船の乗組員は、全て我々が身柄を拘束しております」
「あぁ?」
その時、バチュアイの顔色が変わった。
たしかに、とポラは続けた。
「たしかにあなたの言う通り、私たちであなたに勝つことは難しい。しかし、あなたの部下なら話は別」
「お前――手下を人質にとって、この俺を脅そうというのか」
「そうです。交渉が決裂した場合、あなたたちの部下は――」
皆殺しです、とポラは言った。
「ほぉ」
バチュアイは顎をさすりながら、目を細めた。
「くだらねえハッタリだな。俺の部下がそう簡単にやられるか」
「さて、それはどうでしょうか」
ポラは口の端で微かに笑った。
「たしかにあなたたちの部下は強い。例え海軍の手を借りても、我々だけでは手に負えない。だが――今の私たちにはそれに負けない“理由”がある」
「理由だと?」
バチュアイは少し沈黙し、顎をあげた。
それから「……ディアボロか」と小さく呟いた。
「その通り」
ポラは頷いた。
「ジュベ海賊団副船長のギルティは非常に多くの島や土地を支配下に持っていますね。仮にここで彼が死ねば、それらは直ちに全てチェスター海賊団に奪われることになるでしょう。なぜならその全てを、私が把握しているからです。なんなら、ここで諳んじてもいいですが」
バチュアイの顔から完全に余裕が消えた。
「……なるほどなるほど。テメェ、どうやら単なる馬鹿じゃねえな」
「あなたもそうでしょう? ただの馬鹿なら、いくら強くても支配者にはなれない」
「言うじゃねえか。女」
「私はあなたを信用していますから。バチュアイ=シルベストルが愚者ではなく、一端の頭領であることを」
「信用ね」
バチュアイはくっく、と笑った。
「随分と頭と口が回るな、姉ちゃん。さっきのガキと言い、面白ぇ海賊だな、白木綿は。だが――」
バチュアイは目を見開き、白い歯をむき出した。
「それでもやっぱり、結局俺はお前らを殺すことになると思うぜ」
「そうかもしれません」
ポラは額に汗を滲ませながら、にやりと笑った。
「交渉決裂なら、それでも構いません。しかし、それは私の話を聞き終えてからにしてください」
Ж
――お前はこの世界の人間じゃないだろう。
ミスティエの言葉に、どくん、と心臓がはねた。
船長は、俺が異世界からやってきた人間であることに気付いていた。
俺がこの世界ではなく、別の世界からきた転移者であることを。
驚きと共に、また別の疑問が湧いてくる。
それでは、なぜそのことをこれまで黙っていたのか。
「ポチ。あたしがお前を拾った理由が分かるか」
と、ミスティエが問うた。
「俺を拾った理由――?」
少し考えたが、見当もつかない。
俺がミスティエに拾われた時――あの時、俺はただただ怯えていただけだ。
「異物だよ」
と、ミスティエが言った。
「お前には最初から、言葉に出来ない微かな違和感があった。存在が揺らいでいる、とでも言おうか。ここにいてはいけない、或いは、ここにいるべきではない。そんな“異物”のような感覚だ」
「俺が――異物」
俺は自分の手のひらを見ながら、呟いた。
確かに、それは得心の行く話ではあった。
事実、俺はここの世界の人間ではない。
かつて、とミスティエが続ける。
「あたしはかつて、一人だけお前と同じような人間を見たことがある」
「俺のような人間? だ、誰ですか、それ」
俺は思わず前のめりになって聞いた。
するとミスティエは少しポラたちを気にするような素振りをしてから「タガタの師だ」と答えた。
「タ、タガタさんの――師匠?」
その時、頭の中でカチリとパズルがハマるような音がした。
そうだ。
たしかに、タガタさんは言っていた。
――ヤキュウというスポーツの話は父親から聞いたことがある。
野球を知っているということは、即ち、俺と同じ世界から来た人間だということ。
全身に鳥肌が立った。
やはり、俺以外にもこの世界に移動してきた人間がいたのだ。
Ж
「その男は恐ろしく強かった。弟子のタガタが強いのも当然だと思えるほどに、な」
と、ミスティエは言った。
「強かった?」
俺は眉を寄せた。
「何故、過去形なんです。その人、今はどこに」
俺が問うと、ミスティエは短く「死んだ」と答えた。
そうですか、と俺は目を伏せた。
その人にはもう会えないのか。
強烈に悔しさが競りあがって来た。
「今のお前は、その男に似ている」
ミスティエは続けた。
「姿かたちはまるで違うが、な。あの男にも、強い“異物”感があった。世界から“拒絶”されている、という匂いがした」
「せ、世界から拒絶――?」
心惹かれる話だった。
ミスティエの言った通り、それは俺そのものの話だったからだ。
俺は何故、この世界に来たのか。
なにか使命があってやってきたのか。
だが同時に、大きな疑問も浮かんでいた。
何故ミスティエは、この場でそんな話をするのだろうか。
教会内では、ポラがバチュアイと交渉を続けている。
あの理不尽な男が、対話に応じている。
さすがポラだと思う反面、彼女の話術はいつもより迂遠であえてぼやかしているように感じた。
まるで――
そう、まるでこの話をするための“時間稼ぎ”をしているようだ。
そして、とミスティエは続けた。
「そしてその“拒絶”こそがその男が強い理由だったんだ。世界に拒否されながら、それでも存在を続ける。それは途方もないエネルギーのいることだ。それはまさに宇宙意志への叛逆であり、人間には到達できない神の領域と言える。逆に言うなら、それほどの人間でなければ次元の違う平行世界で存在し続けることは出来ない」
ミスティエはそこで言葉を切り、俺を見た。
「その男はそういった人間のことを“移動者”と呼んだ」
「移動者――?」
俺はごくりと喉を鳴らした。
「そう。世界移動を許されたもの。何者かに選ばれしもの」
「そ……その力が、俺にもあるんでしょうか」
「さてな。なにしろサンプルが少なくて話にならん。この話も、全てそのおっさんの受け売りだしな。だが、可能性はある。あると、あたしは思っている」
「可能性――」
「さて。長々話したが、そろそろ時間もなさそうだ」
ミスティエは改めて、俺の双眸を見た。
「最後に、お前に質問がある」
「なんでしょう」
「お前、強くなりたいか?」
「はい」
「バチュアイの野郎に向けた啖呵は嘘じゃねえんだな?」
「はい」
「友達をコケにされて、許せねぇんだろう?」
俺はミスティエを見かえした。
そしてありったりの意志を込めて「はい」と頷いた。
「どうしても、あの野郎を一発ぶん殴ってやりたいです」
ミスティエはにやりと笑い、「そうか」と言った。
「いい目だ。それじゃあ、こいつをお前にやる」
ミスティエはそう言うと、俺に向かって手を差し出した。
反射的に手を出すと、手のひらにころん、と何かが落ちてきた。
指輪だ。
「な、なんですか、これ」
俺は目を上げた。
「自分の能力を最大限に引き出すための魔石がついている。お前が本当に異世界人なら――これで化けるはずだ」
「魔石――ですか」
「そうだ。だが、この魔石は乾坤一擲の魔性の道具だ。お前に覚悟がなく、上手くコントロール出来ないならパワーは逆流する。下手を打てばエネルギーを全て吸い取られて、最悪の場合は死んでしまう」
息を呑んだ。
シルバーに躑躅の意匠が入ったシンプルなリング。
つけたら死ぬかもしれない魔具。
「いいか、ポチ」
ミスティエはぐい、と俺の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「人間には急速に成長する瞬間というものがある。お前の場合、今がその時の刻だ。お前が本物の“移動者”ならば、見事に――」
化けて見せろ、とミスティエは言った。
互いの息が触れるほど近い。
ミスティエの怖ろしいほど整った顔が、目の前に迫った。
俺は指輪をぐっと握り込んだ。
それから大きく顎を引き、はい、と言って頷いた。
ミスティエは刹那、至近距離で俺を見つめた。
俺も、その瞳から目を離さなかった。
彼女の瞳は不思議な色をしている、と場違いに思った。
見る角度によって、その色が変わるんだ。
それは極限まで研磨された石英のようで、思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。
やがてよし、とミスティエは頷き、俺を突き放した。
「指輪はレアものだ。壊すなよ、ポチ」
にやりと笑いながら言うと、彼女はバチュアイたちの方へ向かって跳んだ。