55 教会
Ж
アリーナから隠し通路に飛び込んだ瞬間、俺はよろりとよろめいた。
目の前が真っ暗で、前後左右すらつかめない。
これは手探りで前に進まねばなるまい。
右手を壁につき、そのように覚悟して歩き出したが、それが杞憂であることがすぐに分かった。
どのような仕組みになっているのか、俺が歩き出すと通路の壁が、部分的に明滅を始めたのだ。
元の世界に人感センサーライトと言うものがあったが、それに近い。
俺が通るところにだけ、壁が蛍の光のように点滅して通路を薄暗く照らし、通り過ぎるとその煌めきは消えていく。
明滅は強く、そして幻想的だった。
まるで夜空に輝く星たちの輝きだった。
よく見ると左右の壁ではなく、天井と床までも、ゆっくりと繰り返し発光していた。
「これも……魔石の力かの」
俺の腕の中で、リュカが呟いた。
「……さあ。そうかもな」
俺は辺りに見惚れながら答えた。
この世界の文明ではおそらく創れない装置だ。
きっと、俺のまだ知らない不思議な力が働いているんだろう。
それから、俺たちは無言で歩いた。
幻想的な光景だった。
まるで幼いころに見たプラネタリウムのど真ん中を、或いは、本当の宇宙を進んでいるみたいだった。
喧騒から離れると、自分の立場が否応なく思い出された。
ここから抜け出せば、リュカは国へ帰り、俺は海賊に戻る。
そうなれば、もう二度と会うことはないだろう。
例えあうことがあったとしても、きっと敵同士だ。
心がまた、チクリと痛んだ。
そう思いながらも、やっぱり俺は無言で歩き続けた。
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暗闇の中を、マリアに言われた通り右へ右へと進む。
もうずいぶん長い間、歩いていた。
時折、遠くの方から爆発音のようなものが聞こえた。
本当に広いホールだ。
ずっと同じ光景に、このままどこにもたどり着かないのじゃないかという錯覚に陥った。
だがやがて、景色に変化が現れた。
目の前に、光の浮かばない壁が出てきた。
よく見ると、扉を縁取るように縦長に光が漏れている。
俺はその壁を、ゆっくりと手で押した。
ズズズ、という重い音をさせながら、扉が開いた。
出てきた場所は明るくて、一瞬、目がくらんだ。
慣れてくると、そこが聖堂のような場所であることが分かった。
広い教会だった。
蝋燭や柱で装飾された室内には、整然と長い木椅子が置かれてあった。
2重に折上げられたアーチ形の天井も高く、祭壇の両脇には巨大なパルプオルガンが設えてあった。
壁にはステンドグラスがはめ込まれ、床には赤い絨毯が敷いてある。
清潔で、敬虔な場所であった。
降ろして、とリュカが言ったので、言うとおりにした。
リュカは身廊を通って祭壇の前まで行くと、ほえー、と言いながら高く祀られた聖櫃を見上げた。
「すごいの」
リュカは目を輝かせながら言った。
「リクタ。随分と大げさなところだが、ここは、一体なにをする場所なのだ」
呑気な奴だ、と思った。
今すぐにでも追手が来るかもしれないのに。
しかし、長い間城に閉じ込められていた彼女にとっては、見るもの全てが新鮮なんだろう。
或いは、無理やりにでも楽しもうとしているのかもしれない。
この国で過ごせる残された時間を惜しむように。
「俺もよく知らないけど」
そのように前置き押しながら、リュカの横に向かって歩く。
「みんなここに来て、神様に祈ったり、懺悔したり、許しを乞うたりしてるんじゃないかな」
「神様? ここには神様がいるのか」
「多分ね。だから、結婚式とかも教会でやるんだと思う」
「結婚式?」
リュカは首を傾げた。
「結婚式とはなんだ?」
「お前、ほんと何にも知らねえな」
俺は苦笑した。
変なところでは妙に詳しいのに、こうして誰でも知っているような常識的なことを知らなかったする。
知識が斑で、偏っているのだ。
「好きあってる男女が家族になる儀式のことだよ。そのことを、神様に認めてもらうんだ」
「へえ。それじゃあ、余とリクタもここで結婚できるのか?」
リュカはそう言って、無垢な瞳で俺を見上げた。
俺は思わずぶっと吹いた。
「ち、違うよ。好きあうって言うのは、恋愛話、要するに恋人同士の話だ。俺たちみたいに、仲間とか友達とか、そういう関係のことじゃない」
「ふむ。なるほどの。でも、リクタよ。例え結婚ではなくとも、神に友人を家族として認めてもらうことは出来るのではないかの」
「は?」
「つまり、余とリクタが真の友情で結ばれていることを、ここで誓うのだ」
「い、いや、そういうのは聞いたことないけど――まあ、出来なくはないんじゃないの」
「よし。それじゃあ、ここで余は神に誓うぞ」
リュカはそう言うと、その場に片膝をついた。
それから、彼女は顔の前で手を組んで目をつむり、
「余とリクタは友人じゃ。それをここに誓う」
そのように呟いた。
やがて眼を開けると、今度は俺の袖を引っ張りながら、「ほれ」と言った。
「ほれ、リクタ。今度は主の番じゃ」
「お、俺?」
「そうじゃ。お主は、余の友人であろ?」
「ま、まあ、そうだけど」
「それじゃあ、ほれ、神に誓え」
リュカはほれほれと急かした。
「い、嫌だよ。恥ずかしい。こんなの、聞いたことねえし」
「してくれんのか?」
「しねえって」
「どうしても?」
「どうして――う」
そこで俺は動きを止めた。
リュカが目を潤ませてこちらをみていた。
俺は「分かったよ」と渋々言ってから、こほん、と空咳をした。
「えー、俺、田中陸太は、リュカと友人であり続けます。これでいいか?」
「誓え」
「ち、誓います」
俺は目を瞑り、見よう見真似で祈りを捧げた。
「これでいいか?」
もう一度問うと、リュカは「へへ」と満足げな笑みを浮かべ、俺の腕に絡みついてきた。
俺は気恥ずかしくなり、ゆっくりとそれを解いた。
「さ、行くぞ」
リュカは踵を返して歩き出した。
その背中を見ながら、俺は唇を噛んだ。
この部屋から出れば、そこは出口だろうか。
もしもそうならば、今が最後の機会だ。
本当のことを言うラストチャンス。
――田中陸太はリュカと友人であり続ける。
先ほどの誓いが、脳みその中をぐるぐると回った。
このままでよいはずがない。
リュカに真実を隠したまま、友人などと言ってはいけない。
言おう。
俺は意を決して、ぎゅっと拳を握った。
「リュカ」
俺は彼女の名前を呼んだ。
「ん?」
リュカは少し進んだところで足を止め、半身だけ振り返った。
「……あのさ。ちょっとお前に、言っておきたいことがあって」
「なんだ?」
「その、なんつーか」
俺はリュカから目を背け、俯いた。
「お、俺さ、お前に隠し事してて」
「隠し事?」
「うん。それも、最悪の隠し事」
リュカは眉を寄せ、「なんじゃ」と言って体ごとこちらに向いた。
捨てられることに怯えている幼子のような、寄る辺ない表情をしていた。
ずきりと胸が痛んだ。
だが――言わねばならない。
俺がリュカと友達でいるために。
俺は頭を振り、口を開いた。
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それから。
聖堂の祭壇前で、俺は自分のことを洗いざらい話した。
自分がいずれリュカの敵となる組織と関与していること。
それが革命軍及びチェスター海賊団であること。
俺の所属している白木綿海賊団は彼らに依頼され、武装蜂起による革命に手を貸そうとしていること。
つまり――俺は、リュカの敵であることを。
「……すまん。今まで言えなかった」
俺は頭を下げた。
「だから、本当は俺にはお前の仲間の資格はないんだ。俺は――お前の敵なんだ」
リュカは黙っていた。
じっと、俺の目を見つめている。
俺は耐え切れず、目を背けた。
あの瞳。
失望しているのか、それとも落胆しているのか。
つと、リュカは俺のスネの辺りを思い切り蹴った。
いてっ、と思わずつぶやいた。
「馬鹿者。どうして、余にそんなことを言った」
「どうしてって――」
「そのような秘密情報を漏らせば、お前の組織内での立場が危ないであろう」
「……俺の立場?」
「良いか。今の言葉は二度と吐くな。余は、聞いてないことにしておく」
リュカは腕を組み、プイ、とそっぽを向いた。
俺は混乱した。
想定していたリアクションのどれとも違う。
リュカは俺を責めることも、自らの運命を嘆くこともしなかった。
ただ、俺の身を心配したのだ。
リュカは少し俯き、呟くように続けた。
「……立場なんか関係ない。そんなことはどうでもいいのだ。たとえ敵同士でも、友達でいられることもある。だから、黙っていればよかったのだ」
声が震えていた。
強がりであることは明白だった。
涙が出そうになって、俺は目を伏せた。
こいつは、なんていい奴なんだと思った。
リュカは国に帰ればまた自由を失い、ただ言われることをこなすだけの日々に戻る。
命を狙われながら、誰とも笑いあうことなく、生きていく。
それなのに――この期に及んでも、まだ俺なんかを慮ってくれるなんて。
「逃げよう」
俺は言った。
「悪い。俺、スゲー馬鹿だからやっぱこれしか答えが出ない。お前を救える方法が思い浮かばない」
「余を救う?」
「そうだ。お前は、王様になんてなりたくないんだろ?」
「それはそうだが……でも」
「なら、助ける」
俺はリュカを遮り、肩に担いだ。
それから、大声で言った。
「もう難しい話は無しだ。俺がこうしたいから、こうする」
「阿呆! そんなことで解決すると思うのか」
「知らねえよ。でも、俺はそうしたい」
「ワガママを言うでない」
「言うさ。だって俺は」
俺はそこで言葉をきり、ギリ、と奥歯を食いしばった。
それからリュカを抱き上げて、言った。
「俺は、海賊なんだから。海賊は自分の思うように気ままに生きるんだ。好き勝手に生きて何が悪い」
――パン、パン、パン
と、その時。
教会内に、手を打つ音が響いた。
俺とリュカは、反射的にそちらを見た。
すると、整然と並んだ長椅子の間から、金髪の男がむくりと起き上がった。
「同感だよ、白木綿のガキ」
下品な金髪をライオンのように逆立てている青年だった。
右耳にピアスをジャラジャラとつけ、右頬に不思議な意匠の刺青を入れている。
「海賊ってのはそうじゃなきゃな」
青年は立ち上がり、ダルそうにこちらに向かってヨタヨタと歩き出した。
「好きなもんは侍らせ、気に食わねえ野郎は全て殺す。欲しいもんは根こそぎ全て奪い取る。蹂躙し、略奪し、支配する。それが俺たちの本分ってもんだ」
白いタンクトップに安っぽい生地のズボンを履いており、やや猫背で気怠げに体を揺らしている。
細身だが、その肉体には過不足の無い彫刻のように美しい筋肉がついており、まるで鉄線を依って創り上げたような鋼鉄の綱を想起させた。
――誰だ、この男。
俺は眉を寄せた。
一見するとただのチンピラだが――この男を見ているとなぜか胸騒ぎがする。
「だが、コイツは渡せねえなあ。大事な王の卵だ」
男はニヤニヤ笑いながら、べー、と長いベロを出した。
「……バチュアイ」
と、リュカは言った。
「貴様、こんなところにいたのか」
心臓がどくん、と跳ねた。
俺は目を見開いて、青年――バチュアイを見た。
この男がアデル湾を牛耳るアデル3大海賊の船長――
ジュベ海賊団のバチュアイ=シルベストルだって?