表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/147

51 マリア


 マリア=ホーネットは貧しい農民の子だった。


 都会フリジアから遠く離れた農村。

 枯れた大地をなんとか耕し、そこに身を寄せるようにして暮らす人々の間に彼女は生まれた。

 その村では子供も歩くようになればみな労働力であり、朝から晩まで農作業を強いられた。

 そうでもしなければとても食べてはいけない。

 人間が住むには、あまりに黄昏たそがれた土地であった。


 マリアは幼いころから美人だと評判であったが、彼女の一生は生まれた瞬間に決まっていた。

 村の娘は生涯、村の娘。

 農民の子は一生、農民。

 彼女の故郷にはそのような旧い考えが半ば法律のように根強く残っており、勝手に村から出ることは絶対に許されなかった。

 その掟を破れば、本人はもちろん、その家族・親類までも“脱村人”として村内で迫害された。

 

 自分はこの村で育ち、働き、結婚をし、子を産み育てる。

 マリアにはそれ以外の道はなかったし、また、彼女自身もそれ以上を望むこともなかった。


 だがある日のこと。

 都会から、農業指導をするために大学から遣わされた学者の一団がやって来た。

 当時の国は一次産業に輸出のほとんどを頼っており、国策として農業を強化しようという動きがあったのである。


 彼らは、農作技法以外にも色々なものを村にもたらした。

 娯楽小説やファッション、それから紙タバコなど、ろくに文化に触れてこなかった田舎者には衝撃的なものばかりだった。


 その中に、「音楽」があった。

 学者たちは田舎での暇な暮らしを少しでも楽しもうと、レコードを持ち込んでいた。

 農民の子供たちは、物珍しい学者の住む家に遊びに行っていた。

 他の子どもは彼らがくれるお菓子に夢中だったが、マリアは違った。

 蓄音機から流れるメロディに、そして何よりもその“歌声”に心を奪われた。


 そして、学者たちから、世界には「歌劇女優」という職業があることを知った。


 マリアはその日から、夢を持つようになった。

 時間を作っては学者たちの元へ赴き、歌を教えてもらった。

 マリアは見よう見真似で歌った。

 すると彼らはたちまちその歌声に酔いしれ、褒めたたえた。

 中には涙するものまで現れた。

 それほどに、彼女の才能は頭抜けていた。

 彼女は洒脱な大人たちに認められたのが嬉しくて、両親の目を盗んでは学者たちの元へ通い詰めたのだった。


 マリアには才能があった。

 幼い彼女の歌声に、世間知らずの村人たちさえも舌を巻いた。

 マリアはいよいよ嬉しくなって、家に帰ってからも、夜中に抜け出しては滝つぼの近くでこっそり歌の練習をした。

 満点の夜空の下で、マリアは『女優ディーヴァ』になることを夢見たのである。


 やがて、学者たちは日程を終えて街へと戻ることになった。

 マリアは彼らに「自分もいつか都会に行き、歌を歌いたい」と伝えた。

 すると学者らの中で一番偉い地位であったアルベルト博士が、「もしもいつか都会に来くるころがあれば私の元に来なさい」と言ってくれた。


「君には才能がある。私はそれほど歌手に明るいわけではないが、きっと成功するだろう」


 そう言ってくれた。


 マリアは有頂天のままに、家族に相談した。

 だが、父と母に猛反対された。

 いいや、反対ならまだいい。

 2度目からは、もはやほとんど話すら聞いてくれなかった。

 マリアの話はただの御伽噺であるかのように一笑に付され、二度と口にするなと釘を刺されたのだ。


 その中で、唯一、三つ年上の姉のユーミルだけは笑わなかった。

 真剣に、深刻に、マリアの話をまともに聞いてくれた。


「いいわ。マリアが本気なら、私が二人を説得してみせる」


 その日から、ユーミルの説得の日々が始まった。

 あまりにしつこいので、ユーミルは父親に頬をぶたれた。

 それでも彼女は諦めなかった。

 その姿勢は鬼気迫るもので、マリアは少し恐ろしくなった。

 私が姉を変えてしまった。

 なにかとんでもないことをしてしまったんじゃないか。

 そう思うと、怖くなった。


 しかし、結局最後まで両親を与すことは出来なかった。

 当然のことだった。

 歌が上手い、などということは村を出る理由にはならない。

 例え私たちが許しても、村人らが許すわけがない。

 そんなことをすれば恐ろしい罰が待っているはずだと、両親は語った。


 業を煮やしたユーミルは、無断でアルベルト博士に手紙を書いた。

 

「今から半年後、マリアをあなたの元へ向かわせます。妹をよろしくお願いします」


 慣れない書き文字で、そのようにしたためた。

 

 半年というのは、それまでにマリアの電車賃を貯めようと思ったからだ。

 ユーミリが何年も密かに貯めていた分と、これから半年分とを合わせれば、なんとかその額に届く算段だった。


 どんなに頑張っても、復路の分は無理だった。

 だが、片道分だけで十分だと、彼女は考えていた。


 ああ、神様。

 どうか、全てがうまくいって、マリアが幸せになれますように。


 夜、一人きりになると、ユーミルは星空にそのように願った。


 Ж

 

「マリア。あなたはもう、この村に帰ってこなくていい。例え歌劇女優になれなくとも、アルベルトさんの元で働きなさい」 


 半年後。

 出発の日の夜。

 きっかりフリジアまでの片道切符分のお金を渡しながら、ユーミルは言った。


「姉さん。私、やっぱり受け取れないわ」

 と、マリアは言った。

「私が村を出たら、姉さんや父さん、母さんが酷い目に合うでしょう」


「その話はもう済ませたでしょう。気にしなくていいって」

「でも」

「よく聞きなさい、マリア。あなたは何も悪くない。私は、私の人生をあなたに賭けただけなんだから」

「姉さんの人生を?」

「そう。ずっと黙っていたけれど、私はこの村が嫌いなの。ずっとずっと、大嫌いだった。陰気で、貧しくて、絶望しかないもの」

「それじゃあ、一緒に逃げましょう」

「それは出来ない。私には両親の面倒を見る義務があるし、そもそもそんなお金はない。それに」

「それに?」


 ユーミルは言いにくそうに口ごもった。


「私は……マリアのように美しくないから。きっと、足手まといになる」


「そんなことない」

 マリアは大きく頭を振った。

「そんなことないわ」


「いいの。私は自分の運命を知ってる。この村で暮らして、この村で死ぬ。でも――あなたは違うわ」

 ユーミルはマリアの顔を両手で掴んだ。

「マリア。あなたはこの村の外で幸せになるの。あなたの才能は、きっとそのために神様が与えてくださったんだもの」


 姉さん、とマリアは呟いた。

 両目から涙があふれた。


「……でも、私、姉さんが恋しい。離れたくない」

「私もよ、マリア。けど、あなたは行かなくちゃいけない。こんな痩せた土地に縛られてはいけないの」

「でも――でも」


 マリアは両手で自らの顔を覆い、慟哭した。

 自分はなんて未熟で、なんてずるい女なんだろうと思った。

 姉の気持ちを利用し、家族を捨て、自分だけ苦難から逃げようとしている。


 ユーミルはマリアを抱き寄せた。

 そして、呵責を赦すように妹の髪を優しくなでた。


「綺麗な髪。向こうに行っても、大事にしてね」


 マリアは、彼女にしがみつくように抱き着いた。

 互いに、これが今生の別れとなると予感していた。


「辛くなったら、星を見上げなさい。私も毎晩、星を見てるから。あなたの成功を、神様に願ってるから」


 最後に、耳元でユーミルがそう呟いた。


 Ж


 数年後。

 マリアはアルベルトの援助のおかげで才能を見出され、歌劇女優として給料を得られるようになった。

 彼女の人気はやがて国中に知れ渡り、考えられぬような大金をもらえるまでに成長した。


 忙しいスケジュールの合間を縫って、マリアは姉のユーミルをフリジアに呼ぼうと、生まれ故郷に戻った。

 田舎に戻ると、マリアの家族は家を追われ、川のほとりに建てたボロ屋で暮らしていた。

 村人たちから酷い扱いを受けていたのであろうことが、すぐに分かった。

 

 姉は酷く痩せていた。

 艶のあった髪の毛はすっかり油が抜けてパサパサになっていた。

 ユーミルには許嫁がいたはずだったが、未婚のままだった。


 現状を知り、胸を締め付けられるようだった。


 だが幸いにも、姉は健康には問題が無いようだった。

 母もかなり老け込んではいたものの、少し腰を悪くした程度であった。


 父は死んでいた。

 病死だと言っていたが、詳しい話は最後まで聞かされなかった。


 マリアは二人に泣いて詫びた。

 私のせいでこうなった。

 何年も待たせてしまった。


「いいのよ、マリア。そんなことより、よく顔を見せて」


 ユーミルは笑って、マリアの顔を両手で包んだ。

 苛烈な農作業でボロボロになった手のひらは、自分の知らない彼女の人生を想わせた。


 それから、マリアはユーミルと母親をフリジアへと連れて行き、自分の住む屋敷に住まわせた。

 彼女は、二人の面倒は一生自分が見ると、堅く心に決めていた。

 これまでの贖罪をするように、彼女は姉たちに尽くして暮らしたのだった。


 そして、一週間前のことである。

 いつものように家に戻ると、ユーミルと母の姿が無かった。


 こんな夜更けに二人が出かけることなど考えられない。

 そのように訝っていると、突如、男が煙のように姿を現した。


 男はミュッヘン海賊団の副船長だと名乗った。

 取引があると言い、マリアの顎をつまんだ。


「姉と母を返して欲しいなら、俺たちの計画に力を貸せ」

 と、男は言った。

「一週間後、この国にトートルアの皇子がやってくる。そいつを、ギネーア・ホールにおけるオペラの大観衆の前で殺す。演目は『美しきエレーナ』。女優おまえの力がいる」


 当日トートルア皇子と謁見し、特別な魔石を皇子の体のどこかに張り付けろ。

 身につけたもの同士の位置を瞬時に入れ替える物理魔石。

 それを演劇中に発露させ、皇子を舞台に上げる。


 そこで――大観衆に“皇子の死”を見せつけるのだと、男は語った。


 話を聞くだけで血の気が引き、頭がくらくらした。

 なんという馬鹿げた計画だろうかと思った。

 世界中にアピールするために、それだけのために、幼い子供を公開処刑にするなんて。


 だが、断ることは出来なかった。


 海賊は狡猾だと聞いていた。

 アルベルトから、奴らと半端な交渉をしてはいけないと教えられていた。

 事実、姉を狙うあたり、奴らが自分のことを調べ上げていることは明白だった。


 マリアはすぐに了承した。

 その代わり、絶対に姉を返せと訴えた。

 傷一つでもつけていたら、あらゆるコネクションを使ってお前たちを全員殺してやる、と。


 葛藤はなかった。

 マリアにとって、姉のユーミルよりも大事なものはこの世になかったから。


 Ж


「ごめんなさい」


 混乱する俺に、マリアが呟いた。

 それから、俺の腕に縋りつきながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返した。


「ど、どういうことですか! なぜあなたがここにいるんだ!」

 サヴァルが怒鳴った。


 それを契機に、アリーナは怒号と悲鳴で混乱の極みに陥った。

 

「……実行フィジカ系魔石マテリアか」

 クロップが呟いた。

「こいつはぬかった。まさか、女優ディーヴァがユダだとは思わなんだ」


 自らの失態に顔をゆがめる。

 その顔を見て、俺もようやくことの重大さが頭で理解できた。


 ――強いとずるいは違う。


 ギルティの言葉を思い出す。

 いくらクロップが強くとも、裏をかかれれば勝てない。


 俺は立ち上がり、舞台を臨んだ。

 リュカを――リュカを助けなければ。


「ラングレー海軍の諸君、そこから動かないでいただきたい!」


 舞台からどでかい声が響いた。

 その場にいた全員が、壇上に目を戻した。


 すると――舞台の上では、仮面の男がリュカの胸倉を掴み、首にナイフを当てていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ