49 緞帳
それから。
俺は誰もいない控室に連れられてきた。
豪華だけでも何もないその部屋で、オペラの開演まではここで待機するように命じられた。
なんだかすごいことになってしまった。
目まぐるしく展開が動いたが、ようやく一息つけた。
しかし、と俺は下唇を噛んだ。
どうにも気分が晴れない。
リュカに隠し事をしていることが、ずっと胸につかえている。
あいつは俺を信じて、少しでも一緒にいようとしているのに、これが最後だと知っているかのように、俺のそばにいたがっているのに――
俺はあいつにチェスター海賊団との、延いてはトートルア革命軍との繋がりを黙っている。
最低だ。
口では仲間だなんだといいながら、本当のことを何一つ話していない。
リュカがこの街を離れる前に、もう一度、二人きりで話がしたい。
切実にそう思った。
その時には、リュカに真実を話すべきなんだ――
いや、話はそう簡単ではないのだ。
俺は頭を振った。
俺がリュカに本当のことを話すということは、白木綿がチェスター海賊団と裏で繋がっていることまでばらしてしまうことになる。
それはミスティエたちに対する裏切りだし、もっと広い目で見ると、チェスターと手を組んでいるトートルアの革命軍のことまで売ってしまうことになる。
ミスティエは俺を拾ってくれた恩人。
そしてポラやシーシー、エリーは同じ一味に属する仲間じゃないか。
彼女たちを自分の都合で危険に晒してよいわけがない。
果たして、俺はどうするべきなんだろう。
誰も傷つけないように振舞うのはどうしたらいいんだろう。
――お前は甘すぎる。海賊には向いていない。
いつか言われた、ミスティエの言葉が脳裏に浮かんだ。
きっとそうなんだろうと思う。
俺は海賊のなりそこないなんだ。
自己嫌悪のように考えていると、ふと、天井からガタガタという音がした。
俺は思わず立ち上がり、音がする方を見上げた。
異音は段々と大きくなり――やがてガタンッと大きな音を立てて真四角な穴が開いた。
天板の一部が外れたのだ。
「ジャン!」
死ぬほどダサい効果音を発しながら、見知った顔が覗いた。
ポラだった。
「ポ、ポラさん!?」
俺が驚いていると、よっと、と言いながらひらりと降りてきた。
「な、なんてとこから出てくるんですか」
「えへへ。ちょっと迷っちゃいました」
ポラは笑いながらポンポンとスカートを叩いた。
「ど、どうやってここまで来たんですか?」
俺は聞いた。
このホールは今、厳戒態勢でセキュリティは厳しい。
特にこの最重要VIPの部屋が密集しているエリアはより峻厳であるはずだ。
「ギネーア・ホールには隠し通路がたくさん作られているんですよ」
ポラはにこりと笑った。
「この建物を創った人間は当時の教皇から特別な命を受けていたんです。宗教弾圧の歴史的な背景もあり、信者たちの要塞ともなり得る設計をしているんですね」
「でも、一般人にもバレているなら、“隠し通路”の意味はないですよね」
「いえいえ。この事実はずっと隠されてきたので、歴史家ですら知っている人間はほとんどいないですよ」
それじゃあどうしてあなたは知っているんですか。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
ポラの情報収集能力は今さら言及するまでもない。
「で、状況はどんな感じですか」
ポラが聞く。
「状況、ですか」
俺は頭に手を当てた。
「それが、はあ、リュカと一緒に劇を見ることになりまして」
「へえ。随分と皇子に気に入られたものですね」
「あいつ、俺以外に友達いないから」
「友達、ですか」
ポラは微かに眉根を寄せた。
「ポチ君、皇子の友達なんですか」
「え? ああいや、まあ、なんていうか、その」
「甘い考えは消しておいた方が良いですよ」
珍しくポラが真剣な声音を出した。
「リュカ皇子の置かれている状況は、ポチ君の思っているよりずっと深刻です。友情ごっこなどしている場合じゃない」
「友情ごっこなんて。俺はただ――あいつのことを気に入っているだけで」
「感傷は排除すべきです。残念ですが、ウェンブリー社の時とは違います。今回ばかりはポチ君に救える相手ではない。仲良くなると、それだけあとが辛くなりますよ」
ポラは俺の心中を見抜いてるかのように言う。
実に理論的でまっとうな意見。
俺は目を伏せ、拳をぎゅっと握り込んだ。
「それはともかく」
ポラは続けた。
「ポチ君がリュカ皇子と行動を共にするとなると、世間は白木綿とトートルアは友好関係にあると見るでしょうね。ふむ。これは利用できるかもしれない。当然、第二皇子の陣営もそのように誤解するはず。うーん……ちょっと待ってくださいね」
ポラは黙り込み、何やら考え出した。
室内には短い間、沈黙が落ちた。
カチカチカチと時計の音が大きくなる。
ギルティを想起させる、なんとなくいやな音だ。
「あの、ポラさん」
沈黙から逃れるように、俺は言った。
「なんですか?」
ポラが思案を中断して、俺を見る。
「あの」
俺は一瞬、口を開けたまま固まった。
俺はこれからどうするべきなんでしょう。
リュカを救えないにしても、せめて傷つけたくないんです。
そのように聞こうとしたが、口の中から言葉は出てこなかった。
先ほどの口ぶりからして、ポラはリュカの事情など全く考慮には入れそうにない。
甘えるなと断じられて終わりだ。
ポラの答えは今さら聞かなくとも分かっている。
しかしそれでも、俺は誰かに相談したかった。
どうすることが正解なんでしょうか、と。
「なんですか?」
焦れたように、ポラが聞く。
「ああいえ、その」
俺は無理やり質問を変えた。
「ポラさん、海軍のクロップって知ってます? クロップ=リージョってひと」
「クロップ大将ですか? もちろん知ってますよ」
ポラは頷いた。
「有名人ですからね」
「や、やっぱそんなすごい人なんだ」
「うん。すごい人です」
「強いんですか?」
「それはもう。めちゃくちゃ強いです。多分、この国で一番強いんじゃないですかね」
「ま、マジですか? それって――うちの船長より?」
「そうですねえ。船長、2人分ってとこでしょうか」
「船長2人分!?」
「ゴリラで換算すると500頭分」
「ゴリラ500頭!」
俺は驚いて目を見開いた。
落ち着いて考えるとゴリラの例えは全然ピンと来なかったが――ミスティエ2人分というのはイメージとして凄さが分かりやすい。
この国に――いや、この世界にミスティエよりも強い人間がいるなんて。
はあ、と思わず吐息が漏れる。
今このホールには、どれだけモンスターたちが集まっているんだろう。
「なんですか? まさか、クロップさんまで来てるんですか?」
「はい。リュカの護衛だって」
「本当ですか、それ」
どひゃー、とポラは化石のようなリアクションで驚いた。
「びっくりですね、それは。海軍もかなり本気ということでしょうか」
「なんでも、ミュッヘン海賊団の幹部が来ているらしいです」
「ふむ。それは予想通りなんですけど――クロップさんが来てるってことは、もしかして船長のキュリオ=オー=フォーが来たとか言ってなかったですか?」
「それは、はい。現在フリジアにいるのは副船長までだと言ってました」
「それはとりあえず一安心ですね。奴まで来ていたら、本当にフリジアが火の海になってしまう」
ミュッヘン海賊団の船長、キュリオ。
存在は知っていたが、名前は初めて知った。
「そいつ、そんなに危ないんですか」
「私もよく知らないですけどね。世界一の魔法使いであると聞いてます」
「世界一の魔法使い――」
「普く最上位魔法を操り、凶悪な召喚獣を使役すると言われています。本気になれば、この街を焼き払ってしまうくらいの力はあるでしょう」
そんなにヤベーやつなのか。
俺は、ごくりと喉を鳴らした。
「そういえばあの、ずっと疑問に思っていたことなんですけど」
つと、俺は聞いた。
「なんですか?」
「その、サヴァル中将は、やたらオペラ劇の席に拘っていたんですが、劇の最中にそんな警戒する必要はあるんでしょうか」
「どういう意味ですか?」
「なんていうか、第二皇子の立場からすると、リュカの命を狙うことなんていつでも出来るわけですよね? 極端な話、わざわざフリジアにいる時を狙わなくなって、トートルアで暗殺してしまえばいいわけで。劇中だけをことさらに警戒するのは何故なのかなって」
「ふむ。それは良い質問ですね」
ポラは人差し指を立てた。
「ポチ君の言っていることは最もです。単純に確率でいえば、きっとその方が効率的でしょう。ですが、第二皇子陣営のミュッヘン海賊団からすれば、このお披露目会はこれ以上ないほどのアピールの場なんです」
「アピールの場?」
「はい。現在、世界中の人間はトートルアの次期国王は継承権第一位であるリュカ皇子が即位すると確信している。それが当たり前だと考えている。その先入観を覆し、次の王様はディディエなのだと世界に見せつけるには――“世界中のマスコミが注視する公衆の面前でリュカ皇子に死んでもらうこと”が一番の宣伝になる」
「リュカに死んでもらうことが――宣伝」
鳥肌が立った。
なんとおぞましい言葉だ。
「そうです。おそらく、サヴァル中将は“それ”をこそ危惧しているんです。つまり、“オペラ劇の真っただ中に皇子が殺されてしまう”という可能性です」
「オペラ劇の最中に?」
俺は眉を寄せた。
そうです、とポラは顎を引いた。
「要するに“演出”です。劇中に暗殺されるなんてことになったら、世界中の耳目を集めるトップニュースになる。リュカ皇子は殺された、だから次期皇子はディディエだと強力に印象付けることができる。そしてそれは同時に、警備を任されたラングレー海軍の名前を大きく傷つけることにもなる得る」
「な、なるほど」
まんまと皇子を暗殺された間抜けな海軍。
世界中からそのようなレッテルを張られてしまうわけか。
「クロップさんを呼び出したのもそのためでしょう。絶対に“事件”が起きぬよう、念には念を入れている。几帳面で心配性のサヴァル中将らしいですね。はっきり言って、船長であるキュリオが来ているならともかく、副船長クラスならサヴァルさんとタガタさんがいればなんとかなりますからね」
「あの二人なら、3大海賊団の副船長レベルなら問題ないと」
「むしろお釣りがくるでしょうね。そのくらいあのコンビは強力です。加えて、トートルアの護衛兵もいて、恐らくはジュベ海賊団も変装してどこかで見張っているでしょうし。正直、ここまで固められてしまうと、ミュッヘン海賊団も手を出せないのではないかと思います。諸般の事情を鑑みるに、仮に劇中にリュカ皇子を襲うという計画があったとしても、現実的にそれは実行されないんじゃないかと思います。ディディエ陣営から考えると、今日の催事はチャンスではありますが、逆に言うと失敗の許されないミッションでもありますから――」
ポラがつらつらと話していると、部屋の扉がノックされた。
「タナカ様。そろそろ開演時間になります」
俺のお付きの人間の声がする。
「ああ、もうこんな時間ですか。少し話過ぎましたね」
ポラは小声で言うと、ぴょん、とテーブルの上に上がった。
「それじゃあ、ポチ君。最後に私たちの立場を話しておきます」
「俺たちの立場、ですか」
「白木綿海賊団としての立場です」
ポラは人指し指を立てた。
「いいですか。私たちとしては、今回は、リュカ皇子にもディディエ皇子にも目に見えた助力はしません。ただし、リュカ皇子にはここで死んでもらっては困る。そういうスタンスです」
「わ、分かりました。死んでも――リュカは守ります」
「いえ、ポチ君は自分の命を守ることに集中してください」
「え?」
「さっきも言ったように、リュカ皇子の護衛にはプロが関わってますから。ポチ君は邪魔にしかならない。出来るだけ大人しくしててください」
「は、はあ」
分かりました、と俺は俯いた。
……そうだ。
そのくらい、今の俺は弱いのだ。
ポラは「よっ」と言いながら机から天井へとジャンプし、天井裏へとよじ登った。
そこから顔を出し、俺を見下ろしながら続けた。
「その代わり、しっかりマスコミにアピールしておいてくださいね」
「あ、アピール?」
「いかにもリュカ皇子の親友なんだという顔で歩いてください」
「そ、それは何故」
「その話はあとでします。それじゃ、出来るだけ死なないでくださいね」
ポラはついでのようにそう言ってウィンクをすると、天板を元に戻して去っていった。
「タナカ様?」
もう一度、お付きが声をかけてくる。
「あ、ああ、すいません。今行きます」
そう言って、俺は扉まで駆け足で向かった。
その前で立ち止まり、両手でばちん、と頬を打った。
いよいよだ。
ジュベ海賊団とミュッヘン海賊団。
ディアボロとミスティエ。
ラングレー海軍。
世界中のVIPとマスコミたち。
トートルア国元老院とディディエ皇子の側近。
そして――リュカ皇子。
それぞれの思惑が交差するオペラ歌劇『美しきエレーナ』。
その緞帳が、いよいよ上がる。