46 開演前2
「その男は誰ですか」
ギルティは上半身を左右にゆらゆらと揺らしながら、俺を指さした。
俺は息をのんだ。
この男が――悪名高きジュベ海賊団の副船長。
不気味な男だ。
ミスティエやディアボロとは違う恐ろしさがある。
まるで実体のない亡魂と対峙しているような、薄気味の悪さ。
「余の友人だ」
リュカは威厳を示すように顎を上げて答えた。
「友人?」
「そうだ」
「友人とはどういう人間のことですか」
「貴様、友人を知らんのか」
リュカは眉を寄せた。
ギルティは「ええ」と短く答え、表情の乏しい顔でコキと首を鳴らした。
「友人とは、仲の良い人間のことだ。打算を超え、互いに助け合い、心許せるもの」
「なるほど。それが、友人」
「そうだ。タナカは友だ」
リュカは言った。
するとギルティは、何の感情もないような顔で首を横に振った。
「であるなら、リュカ殿。あなたは嘘を吐いている」
「嘘? 嘘とはなんだ」
「あなたに友人などいない」
ギルティは断言した。
「皇子の人生は全て文字で読むことが出来る。皇子の動きは生まれてから今この瞬間まで、普く“元老院”によって把握され、ファイルされている。それ以上のこともそれ以下のことも起こっていない。カレンダーの日付と同じだ。だから俺もあなたの人生の全てを知っている。皇子に――」
友などいない、とギルティは言った。
リュカは身じろぎもせず、彼を見つめていた。
この言葉は誇張でも侮辱でもなく、ありのままの真実なのだろう。
なんて悲しい人生だ。
ずきりと胸が痛んで、俺は唇を噛み締めた。
さて、とギルティは無表情で淡々と続けた。
「ではリュカ殿。改めて聞きます。この男は一体、誰なんですか。教えてください。正直に。正確に」
「言葉を慎め」
リュカは顎を引き、ギルティを睨んだ。
「たかだか相談役の分際で、余を問い詰めるとは何事だ。分を弁えろ」
ギルティは相変わらずの能面顔で、リュカを見た。
穴ぼこのように、色のない瞳。
「気分を害したのなら申し訳ありません」
ギルティは頭を下げず口だけで謝った。
「しかし、防犯上の問題がある。こちらの把握していない人間のことは全て教えて頂きたい」
「今朝、市井で出会った御人のようだ」
リュカの代わりに、リングイネが答えた。
「どうやら、白木綿海賊団の一味らしい。名前はリクタ=タナカ」
「白木綿?」
ギルティは首だけを曲げてリングイネの方を見た。
「こいつは面白い名前が出た。あそこのミスティエとかいう女はうちの船長も興味を持っていた。たしか、面白い剣を持っているやつだな。やつの部下がリュカ皇子に近づいているということは――もしかして、俺たちに近づくつもりなのか」
「いいや、どうやら本当に偶然出会っただけみたいだ」
「偶然?」
「白木綿は誰の味方にもならないことで有名だ。リュカ様の話からしても、裏はないとみていいだろう」
「……偶然ね」
ギルティは首を曲げ、俺を見た。
俺は体の芯から震えあがった。
真正面から見ると、トラウマになるほど怖い目をしていた。
感情のない獣――いいや、違う。
この眼光は、生き物ですらない。
無機質なマシーン。
或いは、すでにこと切れた死骸の目。
「念のため、つけておくか」
つと、ギルティは意味深なセリフを吐くと右腕を上げ、その手のひらを上に向けた。
そのポーズに何の意味があるのかは分からないが――ほとんど同時に、強烈な悪寒が俺を襲った。
目には見えないが、あの手の上で何かが起こっている。
そしてそれは、俺にとって絶対によくないこと。
それも――命を脅かすほどにヤバイことだ。
チクタクチクタク……
やがて、どこからともなく時計の針の音が聞こえてくる。
不気味なリズムは徐々に大きくなってくる。
それはまるで俺の命を刻んでいるような不吉さだった。
咄嗟に俺は後ろに飛び、思わず身構えた。
どのようにガードすれば良いかすら分からず、俺は腕を十字にクロスさせて、顔と胸をガードした。
本能が言っている。
これは生命の危機だと。
ギルティはゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
右手には何も見えないが、禍々しさは加速度的に増している。
逃げなきゃ――そう思っても、恐怖で足に根が生えたように動けない。
チクタクという時計音がどんどん膨らんでいく。
俺は戦いた。
死が――死が迫ってくる。
「そこまでだ」
リュカは顔を顰め、不機嫌そうに言った。
ギルティはぴたりと動きを止めた。
「その男に手を出すことは、余が許さんぞ」
「……殺しはしませんよ。保険を打っておくだけです」
「その必要もないと言っている」
「それを判断するのはあなたじゃない」
「……貴様」
リュカは声音を低くした。
俺は驚いた。
今まで聞いたこともないような、怒気を孕んだ声だった。
「そのような口吻は看過できんぞ。貴様、余を置物かなにかと考えているのか」
「まさか。ただ、皇子は警護のプロじゃない」
「だからなんだ。図に乗るな、海賊ごときが」
「ごとき?」
「良いか。これが最後の通告だ。その男に――」
その男に触れるな、とリュカは言った。
ギルティは相変わらずの能面ヅラで、俺を見つめていた。
そしてそのまま、短い間動かなくなった。
「……これは驚いた」
ギルティはくるりと踵を返した。
「今日、何があったのかは知らないが――前に会った時とは別人のようだ」
そう言って、リュカを見つめる。
「余は――余は、単なる飾りではない」
リュカは意志をこめた瞳で見返す。
ギルティは俺の方を見て、それからもう一度リュカに視軸を戻した。
「なるほど」
と、ギルティは言った。
「この少年が皇子を変えたわけか」
ギルティはお道化るように両手を広げる。
「これはこれは、見損なっていた。まだ幼くとも――皇子も立派な女だということか」
「黙れ」
リュカは遮るように言った。
「余計なことをごちゃごちゃと。いいからさっさと用件を言え」
ギルティはもう一度、「カカカ」と真顔で笑い声を上げた。
「まあいいでしょう。たしかに、時間はない」
ギルティはそこでようやく話を戻した。
殺意が消え、俺は全身から力が抜けた。
「厄介な情報が入って来たのでね。皇子にも伝えておこうかと」
「厄介な情報?」
「どうやらこのホール内にはミュッヘン海賊団が紛れ込んでいる。確認できているメンバーは格上から副船長のバルテッリ、甲板長のナーガナーガ、狙撃隊隊長のムストリ。それから、傘下の雑魚どもが数十人ほど」
「思ったよりも多いな」
リングイネが口を挟んだ。
顔を顰めている。
「副船長まで来ているとは。ディディエ皇子は、まさか本気でここを戦場にするつもりなのか」
「当然だろう。奴らからすれば、皇子を殺すにはフリジアは良い舞台だ」
「不義の子らめ。天罰が下るぞ」
リングイネは忌々し気に吐き捨てた。
ギルティは肩を竦めた。
「よもや天に頼るわけにもいかない。だから予め、この情報を海軍連中に流しておいた」
「海軍に?」
「そうだ。俺たちは万が一にもリュカ皇子に死なれては困る。警備を最高レベルにまで引き上げさせておく」
「元より警護は完璧だろう」
「どうかな。たしかにメンツは揃えてあるようだ。だが、それ故に緩みが伺える」
「まさか」
「奴らは狡猾だ。それは強さとは無関係に脅威になる」
「……分かった。伝えておこう」
「もう伝えてある。直きに、警護のプランの変更を話に海軍の幹部がやってくるはずだ。リュカ皇子におかれては、是非、やつらの提案に真剣に耳を傾けておいてください」
ギルティが話し終えたとき、コンコン、と扉を叩く音がした。
「リュカ皇子。少しよろしいですか」
扉の向こうで、どこか聞き覚えのある声がする。
「いいタイミングだ」
ギルティは俺たちを見ながら言った。
「それでは、リュカ殿。くれぐれも死ぬことだけは避けてください。俺たちも遠くから見守ってます」
ギルティはそれだけ言うと、スー、と下半身から煙のように姿を消した。
するとようやく、部屋に充満していた禍々しい空気が霧散し、胸がつかえるような閉塞感が消えた。