45 開演前
それから、俺とプリム、それからヨシュアは各々用意されたタキシードに着替えた。
ヨシュアは初めて着る正装やこれから始まる演劇に、プリムはこのホールを包み込んでいるえも知れぬ緊張に、それぞれワクワクしていたが、俺はとてもはしゃぐ気にはなれなかった。
リュカの正体が判明した今、一体、彼にどう接すればいいのか。
出来るだけ情報を聞き出せ。
ミスティエはそう命じた。
まさかあんな子供から、ジュベ海賊団とトートルア軍の戦力でも探り出せというのだろうか。
このまま計画を隠し、リュカを殺すために必要な情報を集めろというのだろうか。
「タナカ様」
一人思案に暮れていると、背後から声をかけられた。
振り向くと、そこにはスーツに身を包んだ見覚えのない男が立っていた。
「リュカ皇子が呼んでおられます。一緒に来ていただけますか」
「リュカが?」
「少しお話をされたいとのことです」
話、か。
俺は少し躊躇ったが、はい、と頷いた。
リュカの控室は廊下に出て10分ほど歩いた先にあった。
そこへ至るまでに、たくさんの人間とすれ違った。
彼らはみな豪華に着飾っていて、俺なんかとは住む世界が違う人種ばかりだった。
部屋に近づいていくほどに、徐々に人気は減っていき、最終的には俺と案内だけになった。
途中、何度も、しつこいほどにセキュリティチェックが行われた。
俺はそのたびに怪しまれた。
どんなに綺羅を着ても、育ちというのは見抜かれてしまうものらしい。
部屋に着くと、案内は自らは扉の脇に控え、俺に中へ入るよう促した。
扉の両脇で瞑目するいかつい守衛にビビりながら、扉を開いた。
ものすごい部屋だった。
シャンデリアや煌びやかな調度品が部屋を敷き詰め、目がチカチカした。
テーブルにはフルーツが盛られ、淹れたての紅茶が湯気を立てていた。
リュカの周りには2人の女中がおり、忙しなく彼を着付けていた。
「よく来たな」
リュカは俺を見るなり、破顔した。
「悪いが、もう少し時間がかかる。楽にしていろ」
「あ、ああ」
俺は近くの椅子に座った。
リュカはすっかりドレスアップしていた。
先ほどまで来ていた妙な衣装ではなく、襞の多いまるでウェディングドレスのようなワンピースを着ており、黒髪も綺麗に梳られて美しく輝いていた。
頭には宝石の散りばめられたティアラまで乗っている。
間抜けなことだが――部屋の雰囲気に飲まれていた俺は、そこでようやく違和感を覚えた。
ウェディングドレスにティアラ?
そうだ。
これは――女性用のドレスじゃないか。
「リュ、リュカお前――女の子だったのか」
俺は思わず立ち上がり、目を見開いた。
「なんだそれは。無礼者め」
リュカは不満げに唇を尖らせた。
「で、でも、みんなお前のことリュカ皇子って」
「皇子だ」
「お、皇女だろ、どう見ても!」
「うるさいの。余の国では継承権のある王の子は全て皇子と呼ぶのだ」
「しかし」
「なんだ。余が女だと、何か不都合でもあるのか」
リュカは反論しようという俺を制してぴしゃりと言った。
それから「もうよい」と着付けていた女中に言った。
彼女たちは目礼をし、すぐに部屋を出て行った。
二人きりになると、リュカは俺の方にツカツカと歩いてきた。
「どうだ。綺麗だろ」
リュカはにんまりと笑い、腰に両手を当てて胸を張った。
「さ、さあ。よくわかんないけど」
「どういう意味だ。これだけ着飾っても、まだ不満というのか」
「いや別に、不満ってことはないけど――なんつーか、泥だらけのリュカも可愛かったし」
「なんだそれは」
「野球をやってるお前も結構サマになってたぜ」
「本当か?」
「元野球部の俺が言うんだから間違いない」
そう言って、俺は親指を立てた。
リュカはへへ、と嬉しそうに微笑んだ。
少し顔を赤らめている。
「しかしお前、本当に本当の偉い人だったんだな」
俺は近くにあったやたら派手な椅子に腰かけながら言った。
トートルアの内情を聞くべきか、まだ迷っていた。
「なんだ。信じていなかったのか?」
リュカはトコトコと歩き、俺の膝に乗って来た。
俺は少し驚いたが、まあいいかとそのままにさせておいた。
「普通信じないだろ。いきなり皇子なんて言われても」
「余も驚いたぞ。なにしろ、市井に降りたのは初めてだったのでな」
「へえ。王族ってのは、やっぱり街に出かけたりはしないんだ」
「無論だ。余は生まれてから、宮廷から出たこともなかった。父親である王が臥せってからだな。ようやく、外の景色が見れたのは」
「外の景色が見れたって――それまではどこでどうしていたんだ?」
「ずっと城内の一室に幽閉されていた」
俺は思わず目を見開いた。
「ゆ、幽閉だって?」
「王は臆病者でな。世継ぎを人前に晒すことを極度に恐れていたのだ」
「じゃ、じゃあお前、自由に出歩いたのは今日が生まれて初めてだったのか?」
「そうだの。まともに夜空を拝んだのも初めてかもしれん。月というのは、はあ、美しいの」
思わず、閉口した。
なんという人生だ。
俺の陳腐な想像力では追いつきそうにない。
「それで――フリジアに来てから逃げ出したのか」
「うむ。おそらく、これが最初で最後の自由であろうからな」
「よく……逃げ出せたな。監視はきつかっただろうに」
「リングイネが手を貸してくれたのだ」
リングイネ。
俺たちがここに来た時にリュカを迎えに来た禿頭のお爺さんの名だ。
「余の世話係だ。元が貧乏貴族の出だからか、考えが俗世に近くての。世の中のことを教えてくれたのもやつだ。だからきっと、余を憐れんで協力してくれた」
「憐れむ、だって?」
俺は眉を寄せた。
先ほどから気になっていた。
最後の自由だの哀れむだの、リュカの口ぶりはこれから王となろうとしているものとは思えない。
「どうしてそんなに悲観しているんだよ。リュカ。お前、王様になるんだろ? なら、これからはそれこそ何もかもが自由じゃないか」
俺が問うと、リュカは俺の顔を見上げた。
それから、はあ、と大きなため息を吐いた。
「お前は幸せものだの」
「な、なんだよそれ」
「余はただの神輿だ。彼奴らからすれば、無知で都合のいい飾りにすぎない」
「彼奴らって?」
「権力に憑かれた老人どもだ」
リュカは短く言い、俯いた。
俺には、それ以上聞くことは出来なかった。
彼女の、年齢に相応しくない疲弊しきった横顔を見てしまったから。
――リュカ皇子はただの傀儡だ。
ディアボロの言葉を思い出す。
ヤツの言っていたことは、きっと正解なんだろう。
しかしなによりも残酷なのは、そのことをこの年端もいかない子供が自覚していることだ。
リュカはこの年で、もはや自らの運命を悟っている。
自分の人生は、自分のものではないのだ、ということを。
「リクタ」
と、リュカが言った。
「なんだ」
と、俺は返した。
「最後に、お前とこうして話が出来てよかった」
「なんだよ、それ」
「貴様は、余が思っていた通りの男だった」
「……どういう意味だよ」
「初めてお前を見たとき、何か特別なものを感じたのだ。どこか遠くへ連れて行ってくれそうな、余を解放してくれるような、そんな異国の匂いがした」
「俺に……そんなことは出来ないよ」
「そうだの。でも、空を飛べた」
「そうだな。ありゃ楽しかったな」
俺が笑いながら言うと、リュカも「そうだの」と言って笑った。
それきり、室内には沈黙が落ちた。
壁にかけられた大時計の針のチクタクという音がやたら耳につく。
「……王になるの、嫌か?」
ふと、俺は口を開いた。
「なに?」
膝の上のリュカが、俺を見上げる。
「王になるの、嫌か」
もう一度、問う。
するとリュカは少し黙った後、こくん、と小さく頷いた。
俺は思わず、拳をぎゅっと握りしめた。
それは多分、俺にだけ見せる彼女の本音だった。
「……リュカ」
と、俺は言った。
「なんだ」
「俺と一緒に、どこかへ逃げるか?」
「なに?」
「もう一度、エリーさんに頼んでさ。あいつらのいない場所まで飛んで逃げるんだ。フリジアでもラングレーでもトートルアでもない、いいや、この世界ですらない、遠く遠く、異世界の果てまでぶっ飛んでさ」
「この世界でもない場所?」
「そう。白状するけど、実は俺、この世界の人間じゃないんだ。だから、一緒に向こうの世界に行って、王とか国とか権力とか、そんなの全部放っておいて、一緒に暮らすんだ」
「なんだ、その絵空事は」
リュカは眉根を寄せた。
俺は構わず続けた。
「そうしたら、リュカを俺の家族に紹介するよ。お前と違って大した家柄じゃないけどさ、優しくて世界一の両親なんだ。きっと、リュカのことも受け入れてくれる。そうだ。一緒に、野球部にも顔だそう。あいつら馬鹿だけど、根は良い奴らだからすぐ仲良くなれる。そうして全部忘れて、みんなで仲良く暮らすんだ。向こうの世界にはさ、遊園地ってのがあってさ。それがまたすげー楽しいとこなんだよ。お前って、絶叫系好きそうだから、絶対気に入るぜ。あ、絶叫マシンってのはさ、なんていうかこう、小さい電車みたいにレールがあって――」
俺は話し続けた。
とにかく、くだらない話を延々と。
最初は訝っていたリュカも、やがて目をつむり、俺の戯言を心地よさそうに聞き始めた。
口を動かしてないと、胸が苦しくて仕方なかった。
この子はまだほんの子供じゃないか。
それを、大人たちがよってたかって利用し、閉じ込め、その人生を縛り付けている。
そう想うと、自らの無力が悔しく仕方がなかった。
彼女をどうにかしてやりたい。
でも――俺なんかがなんとか出来る規模の話じゃない。
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やがて、コンコン、と扉をノックする音が響いた。
リュカと俺は目を合わせた。
それが合図だった。
俺たちだけの時間は、もう終わり。
「入れ」
リュカはぴょんと俺の膝から飛び降りた。
「失礼します」
入って来たのはリングイネだった。
声から察してそうだろうなと思っていたが――
その横にいる連れの男を見て、俺はぎょっとした。
顔を白く塗りたくり、ピエロのように右目に真っ赤なダイヤのペイントを入れている。
髪の毛は腰まで伸びる金髪のロングヘアで、顔中の至る所にピアスを開けていた。
「リュカ様」
リングイネは半歩、前に進み出た。
「開演前に、ジュベ海賊団のギルティ=モア副船長がお話があるとのことでしたのでお連れしました」
ジュベ海賊団の副船長だって?
俺は思わず立ち上がり、身構えた。
「うむ」
リュカは頷いた。
「こんにちは」
ピエロ男――ギルティはつま先を鳴らし、お道化るように頭を下げた。
それはまるで、機械音で合成したような声だった。