44 リュカ
世界一危険な海を牛耳る3大海賊団の一つ。
チェスター海賊団。
その頂点に君臨する男、黒羽のディアボロが、目の前にいる。
背骨に氷柱を突っ込まれたような衝撃だった。
「よろしく」
ディアボロはにこりと笑い、手を差し出した。
優しそうで柔和な笑顔。
だが――それが余計に恐ろしかった。
この男が本気になれば、きっとフリジアの街ごと壊滅させることが出来るのだ。
化け物。
その言葉が脳裏に瞬いた。
俺は思わず「ひぃ」と短い悲鳴を上げ、背後の壁まで一目散に逃げた。
「臆病者め」
男――ディアボロはくつくつと笑った。
「せ、船長! どうして、ディアボロと一緒にいるんですか!」
俺は這いつくばるようにしてディアボロから逃げ、ミスティエの方へ避難した。
ミスティエの足元。
ここは多分、フリジアで一番安全な場所だ。
「ポラから聞いてねえのか」
ミスティエは不機嫌そうに言った。
「仕事だ、仕事」
「仕事って――彼らと共闘するのはまだ先の話じゃなかったんですか」
「今日は下見だよ」
「下見?」
「そうだ」
ミスティエはそこで「離せ、鬱陶しい」と縋る俺を蹴飛ばした。
スリットから白く眩しい太ももが露になる。
「す、すいません」
俺は謝り、すぐに立ち上がった。
「で、でも、下見ってどういう意味ですか? そう言えば、ポラさんも今日は偵察がどうとか言ってましたけど」
「そのまんまの意味だ。今日、あたしたちは宿敵を見に来たんだ」
「宿敵?」
「もうすぐ王に即位する、次期トートルア国王だよ」
ミスティエの代わりに、ディアボロが答えた。
「これまで公に一切姿を見せなかった、謎の第一位皇子だ。チェスターの調査でも、名前だけでついに姿は確認できなかった。そいつが今、このギネーア・ホールにやってきている」
「と、トートルア――?」
全身に鳥肌が立った。
トートルアと言えば、白木綿が間接的に反政府組織と手を組んでいる国だ。
いずれ、俺たちはトートルアの国王軍と戦うことになる。
その国の皇子を、白木綿と黒羽が偵察に来ている?
「リュカ皇子」
無意識に、俺は呟いた。
そう。
リュカだ。
二人が言っているのは――間違いなくあの子だ。
「なんだ?」
ミスティエは右眉をピクリと上げた。
「お前、リュカ皇子を知っているのか?」
ズバリだ。
血の気が引いて、俺はよろめいた。
なんということだ。
リュカが、トートルアの次期国王だなんて。
刹那、リュカの笑顔が頭に瞬いた。
アイツがまさか白木綿の敵対者だったなんて――
「……ポチ、お前、どうしてここにいるんだ」
ミスティエが訝し気に聞いてくる。
「なぜ、皇子のことを知っている。そもそも、どうやってこのホールに入った。一から説明しろ」
「そ、それは――」
俺が説明をしようとしたとき、コンコン、と扉をノックする音がした。
「船長。私です」
ポラの声だ。
ミスティエは少し間を置き、「入れ」と返事をした。
「報告します」
姿を現したポラは、入室するとすぐに口を開いた。
「船長、どうやら今しがた、リュカ皇子が無事に帰って来たようです。観覧は予定通り行われるようで、VIPたちが再びホールへ集まって来ていま――あれ?」
ポラはそこで俺に目を止めた。
「ポチ君じゃないですか。どうして、こんなところに」
「それを今聞いているところだ」
ミスティエはじろり、と再び俺に目を移した。
「お、俺は」
つばを飲み込んで、改めて説明を始めた。
「今日の昼から、一通り船の手入れが終わったので貧困層地区でトレーニングをしていたんです。そうしたらそこで、見知らぬ子供と知り合ったんス。それが結構いいやつで、一緒に遊んでる内にすげー仲良くなって。じゃあ一緒にご飯でも食べようかって移動してたら、いきなり色んなやつに追われて」
「なんと!」
ポラが素っ頓狂な声を出した。
「リュカ皇子の逃走を手伝っている男がいるという情報が入って来てましたが、それ、ポチ君だったんですね」
「どういう運命してやがる。全く、ワケのわからない野郎だな」
ミスティエが深い息を吐く。
ポラはなんだか嬉しそうにうんうんと頷いている。
「で、どうやってここまでやって来たんだ」
「そ、それで、逃げてる内にシーシーさんの家にたどり着いたんです。でも、シーシーさんはいなくて、その代わりにエリーさんがいて。彼女にここまで連れて来てもらったんです」
「エリーが?」
「はい」
ミスティエはポラを見た。
ポラは首を横に振った。
「エリーの奴、ここに戻ってたのか」
「多分、道に迷ってるんだと思います。このホール、とてつもなく広いですから」
「は。アイツの方向音痴はどうにかならないのか」
ミスティエは頭を掻いた。
「つまりポチ。お前は今日、リュカ皇子と一緒にフリジア逃げ回ってたわけだな」
彼女は話を戻した。
はい、と頷く。
するとミスティエは「なるほどね」と呟き、短い間、思案した。
「……皇子の野郎、なにか言ってなかったか?」
「なにかって言うのは」
「なんでもいい。皇子が語っていたこと、それによってお前が気付いたこと。なんでもいいから話してみろ」
俺はうーんと唸り、少し考えた。
「そう言えば、ジュベ海賊団から首飾りの貢物をもらったと言ってました。何でも、超レアな魔石のようでしたけど」
「ジュベ海賊団?」
ミスティエは、今度はディアボロを見た。
ディアボロは口の端をニィと上げた。
「どうやら噂は本当だったようだな」
なんとも不吉で、不気味な笑みだった。
美しい顔に入った亀裂のようで恐ろしい面相だった。
「第一王子の背後にはジュベがいる。くっく。面白いじゃないか。さて。これで、第二皇子はどう出るか」
「まるで面白くないね」
ミスティエは肩を竦めた。
「下手したら他国をも巻き込む戦争じゃねえか。うんざりするくらい面倒だ。こいつはギャラを10倍にしてもらわないと割に合わねえ」
「第二皇子?」
俺は口を挟んだ。
「あの、リュカ以外にも、トートルアには皇子がいるんですか?」
「ええ」
ポラが頷いた。
「トートルア国王第二位の継承権を持つ、ディディエ皇子です」
「ディディエ皇子?」
「そうです。リュカ皇子と継承について争っていると噂されている皇子です。最も、実際に争っているのは本人ではなく、それぞれの背後にいる王族や貴族、それから教皇たちでしょうけれど」
あんな子供が、国の頂点を決める争いに巻き込まれているのか。
俺は思わず眉根をひそめた。
一体、あのような年端も行かぬ少年に何が出来るというんだろう。
――自由を持つ此奴らは美しい
地下道で暮らす子供たちを見たとき、リュカが言っていた言葉を思い出す。
あの時のリュカの瞳。
本当に羨ましそうに目を細めていた。
「……しかし」
と、俺は言った。
「それじゃあもしかして、もう一方の追っ手、あれは第二皇子である――ディディエの手先だったのか」
「もう一方の追っ手?」
「はい。リュカが言っていたんです。自分を追っている人間は2種類いて、一方はアタリで、もう一方はハズレだと――いや、とすると、つまり」
そこで、俺ははたと気付いた。
ヨシュアの話では、この街には今、見覚えのない海賊が上陸している。
そして、アタリの追手がジュベ。
そうなると、ハズレの追っ手はミュッヘンかチェスターとなるが――
ディアボロの様子からして、どうやらチェスターは追っ手を差し向けていない。
となると、その追手は――ミュッヘンしかいない。
「もしかして……ミュッヘン海賊団と第二皇子が繋がっている――?」
俺は一人ごちた。
「そのようですね」
ポラが頷く。
「つまり、第一皇子にはジュベ。第二皇子にはミュッヘン。そして、彼らと戦う革命軍には――チェスター海賊団が、それぞれバックについているわけですか。これは、はあ、トートルアの内紛がさながらアデル3大海賊団の代理戦争と言った様相を呈してきましたね」
「そのようだね」
ディアボロは目をつむり、肩を竦めた。
「いやはや、面白い。面白いね。こんなに胸が高鳴るのはいつ以来か」
「……とぼけやがって」
ミスティエはディアボロを睨んだ。
「ディアボロ。テメー、どこまで知っていた」
「そんな怖い目をするな、ミスティエ」
ディアボロはミスティエに歩み寄り、愛でるように目を細めた。
「だから言っただろ。俺にはお前が必要なんだって。キャラコがいれば、ジュベよりもミュッヘンよりも、戦力が頭一つ抜け出す」
ディアボロはそう言うと、彼女の顎先をつまみ、くいと上げた。
刹那の刻、見つめあう美男美女。
それは画になりすぎていて、まるで映画のワンシーンのように出来すぎていた。
「舐めやがって。何も知らないフリをしていたのか」
「知っていたわけじゃない。あくまで、その可能性に備えただけだ。なにしろ、トートルアの潜在的エネルギー資源は膨大だ。他の海賊団が黙ってるはずがない」
「ハイエナ野郎め」
ミスティエはディアボロの手を振り払った。
「そう怒るな」
そう言って、苦笑する。
「考えても見ろ。トートルア国民にとって、どうなることが一番の幸福か。ディディエ皇子はともかく、リュカ皇子が王に即位すれば、今以上に民は辛酸をなめることになるぞ。どうせリュカ国王なんてのは傀儡に過ぎない。実質的には、野蛮で頭の悪いジュベが裏で政を操るんだからな」
「知ったことか。あたしはただ、不本意な仕事を請け負ったことにムカついてるんだ」
「そうか。しかし、俺はだからお前が好きなんだよ、ミスティエ」
ディアボロはにこりと笑った。
ミスティエは死ぬほど嫌そうな顔で「は」と短い息を吐いた。
「まあいい。一度請け負った仕事をグチグチ言っても仕方がねえ」
ミスティエはそう言い、俺を見た。
「ポチ。お前は引き続き、リュカ皇子の傍にいろ。出来るだけ、奴から情報を引き出すんだ」
「情報を?」
俺は眉を寄せた。
「お、俺に、スパイになれと?」
「なんの文句がある」
ミスティエは顎を引いた。
「お前はキャラコの一味。これは仕事なんだ」
「しかし」
「口答えをするんじゃねえ」
ミスティエはぴしゃりと言った。
「いいか。自分の立場を考えて行動しろ。皇子が友人だなんて勘違いは許さねえぞ。あいつは敵将だ。いずれ、戦うことになる」
俺は俯いた。
ミスティエの言うことは正論だった。
彼女の言うことは、一から十まで、いつだって当たり前に正しい。
「もう行け。あまり時間があくと怪しまれる」
ミスティエに言われて、俺は小さく「はい」と返事をして踵を返した。
でも――と、頭の中で繰り返していた。
でも、そんな簡単には割り切れない。
それくらいには、俺はリュカのことを気に入っていたのだ。