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43 タガタ


「いや、探しましたよ、リュカ皇子」

 タガタはそう言うと、ボサボサ頭をガリガリと掻いた。

「しかし、無事でよかったです。今、リングイネ殿を呼んでおりますので」


 人のよさそうな笑顔を向ける。


「すまんの」

「事情は聴きませんよ。帰ってきて頂ければ構いませんので」

「事情などない。民草の生活を見物に、物見遊山で出ていただけだ」

「物見遊山?」

「退屈での。逃げ出しただけだ」

「なるほど。それで、文官殿はあのように怒っていらしたのですね」

「……やはり、リングイネの奴、怒っていたか?」

「それはもう。しかし、こうして無事に帰って来てくれれば、全て不問に付すことでしょう」


 そう言って、安堵の息を漏らす。

 それでようやく、彼は俺たちの存在に気付いたかのようにこちらを見やった。


「えーっと、君たちは」

「あ、俺たちはなんつか、リュカ――皇子の……友達ってとこでしょうか」

「はあ、友達、ですか」


 タガタは首を捻った。


此奴こやつらここまで余を連れて来てくれたものたちだ。ねんごろにもてなしてやってくれ」

「やや、そうでしたか。それはそれは、どうもありがとう。あとで謝礼を――あれ?」


 そこまで言った時、タガタはヨシュアで目を止め、「何をやってるんですか、ヨシュア」と顔を顰めた。


 ヨシュアはふんと鼻を鳴らした。

「成り行きでここまでついてきた」

 

「どういうことですか、それは」

「うるせえなあ。俺にも事情がよく分からねえんだよ」

「まあ、なんでもいいですから。もう帰りなさい」

「んだよ。俺にもオペラってやつ、見せろよ」

「キミが見ても面白いものではないですよ。ああいう芸術は、理解するのに大変勉強が必要です」

「ならおっさんにも理解出来ねえだろ」

「うん。出来ません。でも、仕事ですから」

「それだよ。珍しいじゃねえか。おっさんが仕事で富裕地区こんなところにまで出張るなんて」

「仕方ないでしょう。海軍の偉いさんに頼まれたらノーとは言えません」

「あんたは大概の厄介ごとはノーと言わねえだろ」


 ヨシュアはそう言って苦笑した。


「海軍の偉いさん? タガタさん、ここには海軍まで来てるんですか?」

 プリムが口を挟んだ。


「なんだ。プリムちゃんまで来ていたんですか」

 タガタは眉をひそめた。


「はい。成り行きで」

 プリムはにこりと笑った。

「それより教えてください。海軍の偉いさんとは誰ですか? この様子だと、まさか大将クラスまで出てきてるとか」


「君も帰りなさい。今日の富裕層地区プリメイラは危険だ。今すぐゲットーに戻り、出来るだけ家から出ないようにしてください」

「どういうことですか? 今日の第一地区は、そんなに大きなことが起こるんです?」

「詳細は言えません。とにかく、今日のここは最高レベルの厳戒態勢ですから。子供の来る場所じゃない」


「タガタさん、相変わらず記者って人種が分かってないですね」

 プリムはぺろりと下唇を舐めた。

「そんなこと言われて、引き下がれますかって」


 参ったなあ、とタガタは苦笑した。

 それから、話題をそらすように俺の方を見た。


「えっと、キミは? 見覚えのない顔だが、キミも彼らの仲間かい?」


 俺は一歩、前に進み出た。

 それから深くお辞儀をし、「会いたかったです、タガタさん」と言った。


「ん? 私のことを知っているのかい?」

「ええ。お名前だけ」

「すまない。全くピンと来ないんですが――」

「俺は白木綿キャラコ海賊団のタナカと言います」

「キャラコのタナカ?」


 タガタは少し考え、だがすぐに「ああ!」と言って目を丸くした。


「キミがタナカ君か。ミスティエさんとこの新入りの。やあやあ、これは驚いた。まさか、こんなところで会おうとは」

「こちらこそ」


 俺はぐっと唇を噛んだ。


「お礼が遅れて本当に申し訳ありません。タガタさんには、行き場のないムンターの奴隷たちを引き取っていただいたと聞いております。本当に――」


 ありがとうございました、と、もう一度腰を折って頭を下げた。


「いやはや、困ったな」

 タガタはアハハと磊落に笑った。

「頭を上げてください、タナカ君。私のしたことなんて、何にも大したことじゃない」


 タガタに言われて、俺は顔を上げた。 

 すると彼は満面の笑みを浮かべ、俺に向けて手を差し出した。

 

 反射的に握り返す。

 容姿とは裏腹に、大きくて、ゴツゴツした手のひらだった。


「本当に正しいことをしたのはタナカ君、キミだよ」

 タガタは手を握ったまま、それを少し乱暴にぶんぶんと上下に揺すった。

「ムンターの人々は、みな、あなたに礼を言っていました。みんな、泣いておりました。我らを救ってくれた救世主メシアのような人だと」


「お、大げさですよ。俺はただ、提案をしただけで」

「聞いていますよ。あのミスティエ君を説き伏せたそうじゃないですか。あれだけの人物を相手に、なかなか出来ることじゃない」

「あれは船長の器の大きさです」

「たしかに、それもあるね。いやはや、彼女は怖いねえ。地頭が良いうえに行動力もある」


 タガタは眉尻を下げた。


「それで? そのタナカ君がなぜ、リュカ皇子と」

「いや、それが、全くの偶然で」

「偶然?」

「ええ。俺、空き地で野球の練習をやってたんですけど、その時に声をかけられて」

「ヤキュー?」

「ああ、すいません。野球なんていっても分かりませんよね。野球というのはスポーツの一種で――」

「ヤキューというのは」

 タガタは俺を遮った。

「ヤキューというのは、こう、木の棒と丸い石を使ってやる遊びのことですか?」


「は?」


 俺は驚いて目を見開いた。

 どくん、と心臓が大きく跳ねる。


「た、タガタさん、あなた、野球を知っているんですか?」

「いや、直接知っているわけじゃないですよ。ただ、聞いたことがあるだけで」

「誰に聞いたんですか!」


 俺は血相を変え、タガタに詰め寄った。


「教えてください! この世界に、俺以外にも野球を、野球というスポーツを知っている人がいるんですか!」


 頭の中が急に沸騰した。

 もしも、野球を知っている人間がいるなら――


 それはきっと、俺と同じ世界から来た人だ。


 そう考えると、体中から汗が噴き出た。


「ど、どうしたんだい、そんな血相を変えて」

「すいません! でも、俺にとって、それはすごく重要なことで」

「さっきも言いましたが、知っているといっても聞いた話です。それも、随分前に」

「それはどこの、なんという人から聞いたんでしょうか」

「私の父です」

「タガタさんの――お父さん?」


 俺は顔を顰めた。

 一体、どういうことだ?

 タガタさんの父親は、俺と同じ世界から来たのか?


 もしもそうだとしたら――

 タガタさん自身(・・・・・・・)も異世界で移動してきた人間ということになる。


「タガタさん、その話、もう少し詳しく――」

「お待たせしました」


 俺が二の句を継ごうとしたとき、言葉を遮るように、新しく男が現れた。


 リュカの服に似た独特の衣装を身に纏った、禿頭とくとうの老紳士。

 大量の髭が、蜂の巣のように顎にまとわりついている。


 そしてその後ろには、兵士のような人たちが何十人もずらりと並んでいる。


「やあ、リングイネ卿殿」

 タガタは俺との話を打ち切り、お爺さんの方へ振り向いた。

「よかったですね。リュカ殿はこれこの通り、無事でした」


「ええ。全く、肝を冷やしましたわ」

 老人――リングイネは糸のような皺くちゃの目をさらに細めた。


「では、今日の御観覧は予定通りでよろしいですか」

「結構です。ダンダ殿にも伝えておいてください」

「ええ。では、まずはお着換えの方を」

「そのほうが良さそうですな」


 二人はそうして二言三言交わすと、リュカを連れて歩き出す。

 

「ちょっと待ってください」

 俺はすがった。

「タガタさん、質問に答えてください! タガタさん!」

 

「ああ、すまない。今はそれどころじゃないんだ」

 タガタは歩きながら一度振り返ったが、結局はそうとだけ言って歩いて行ってしまった。


 畜生。

 めちゃくちゃ気になる。

 あまりに焦れてしまい、俺は子供のようにその場で地団太を踏んだ。


 Ж


 それから、俺たちはギネーア・ホールの待合室へと通された。

 入場に際してはドレスコードがあるため、一般着の俺たち(俺に至っては野球のユニフォーム姿だ)は服を着かえる必要があった。


 俺はリュカと一旦別れ、ホールのエントランスへと向かった。

 本館に近づくにつれ、警備は物々しくなってくる。

 広大な前庭を抜け、見上げるような玄関間へと入ると、荘厳な光景が俺たちを出迎えた。


 エントランスホールは吹き抜けになっており、天井には神々の闘いを活写した荘厳な天井画が描かれてあった。

 床は色味の違う大理石が放射するように幾何学模様で敷き詰められている。

 外見は宮殿のように綺麗だったが――内装はまた、いつかテレビで見た中世のシスティーナ礼拝堂を想起させる美しさであった。


 俺たちは見知らぬ男に案内されながら、絨毯敷きの廊下を歩いた。

 プリムとヨシュアは芸術品のような内部にはしゃいでいたが、俺はその途中、ずっと上の空だった。


 タガタのことを考えていたのだ。


 あの人は何故、野球を知っていたのか。

 それはこの世界には、俺以外にも俺と同じようにして移動してきた人間がいるということの証左になり得るのか。

 いいや、それはもう間違いのないことのように思える。

 武器屋のシスターも、この世界には「田中」という名前の男がいると言っていたじゃないか。


 名前?


 その時ふと、俺の頭の中に一つの仮説が瞬いた。

 いや、ちょっと待てよ。

 「タガタ=ユゾ」という名前。

 これって――日本人の名前に似てやしないか。


 タガタ=ユゾ。

 タガタ・ユウゾウ。


 ちょっと強引だけど――

 日本名として、あり得ないわけじゃない。


 いや、それはさすがに考え過ぎか。

 タガタさんの顔の造作は鼻が高く、陰影がつくほど彫りが深かった。

 あれはどう見ても、純粋な日本人の顔ではない。


 だがしかし――あり得ない話じゃないんじゃないか。

 そもそも日本人であるかどうかはそれほど重要ではない。

 何人なにじんだろうが、彼が野球という言葉を知っているという事実が大事なのだ。


 いや、しかし。

 だが、そうだとしたら。


 頭の中でグルグルと思考が回った。

 だが――それもこれも、やはり確かなことじゃない。

 やはり、タガタに会って、もう一度ちゃんと話を聞かないと――


「――――っ!」


 と、その時である。

 急に視界がブレ、強力な力で俺の体が真横に引っ張られた。


 そしてそのまま床に放り投げられ、つんのめるように前に倒れた。

 

 一瞬、何が起こったか分からなかった。

 だが、バタンッ、という扉を閉める音がして、どこかの“部屋”に引っ張り込まれたのだと理解した。


 俺は慌てて振り返り――座ったまま壁まで後ずさった。


 Ж


 目の前に、見覚えのない美男美女がいた。


 特に“美女”の方は生半可な美人じゃない。

 黒いドレスに身を包んだ、顔完璧・スタイル抜群のスーパービューティーだ。


 シャドウの効いたアイメイク。

 真っ赤な唇。

 陶器のような白い肌。

 細い腰に豊満なバストと、スリットから覗くすらりと伸びる綺麗な脚。

 胸まで伸びる美しい髪は、まるで宝石のようにサラサラと輝いている。


 完璧だ。


 俺は思わず固まった。

 この世界に――こんなにきれいな人がいるのか。

 エリーの移動魔法で見た景色よりも、信じられない。


 それほどの美しさだった。


 男の方はこれまた非の打ち所がない顔立ちをしている。

 オールバックに撫でつけた黒髪に、シンメトリーの大きな瞳。

 細身の黒いスキニースーツを着ていて、スタイルの良い体の線によく似合っていた。


 この二人、思わず見とれてしまうほどお似合いだ。

 見ているこちらが気後れしてしまうほど浮世離れした美形カップル。


「なーんでテメーがこんなとこにいやがるんだ」


 やがて、美女の方が口を開いた。

 眉を寄せ、不機嫌そうな声。


 どうやら俺のことを知っているようだが――


「こらポチ! なんとか言いやがれ」


 ぽかんと口をあけて呆けていると、美女が怒鳴った。


 ポチ?

 いま俺のこと、ポチと呼んだ?


 俺はごくりと喉を鳴らした。


 聞き覚えのある声。

 ポチという呼び方。

 そして、この下品な言葉使い。


 いつもとはまるで服装とメイクが違うけれど、この人まさか――


「ま、まさか、船長ですか!?」


 驚きのあまり、俺はでかい声を出した。


 美女は腰に手を当て、不愉快そうに顎を上げて俺を睥睨した。

 この女王様のような鋭く美しい視線。


 間違いない。


「まさかってのはどういう意味だ」

 美女は俺の胸倉を掴んだ。

「舐めたこと言ってるとぶっ殺すぞ。この犬っころ」


 美女はそう言うと、死ぬほど不機嫌そうな目線で俺を睨んだ。

 

 俺は目を見開いてごくりと喉を鳴らした。

 どうやら――本当にミスティエらしい。

 女の人って、メイクや服装でこんなにイメージが変わるんだ。

 

 この世界に来て、俺はまた一つ新しいことを学んだ。


「このガキ、お前のところの手下てかなのか」


 そこで、美男の方が口を開いた。

 甘いマスクの割に低い声。

 こちらの方は本当に見たことがない。

 

 これほどのイケメンならば、絶対に覚えているはずだろうし。


「悪いか」

 ミスティエはじろりと男を睨んだ。


「悪くはないさ。だが、白木綿キャラコは人を選ぶと聞いていたんでな」


 男はコツコツと靴音を鳴らしてこちらに歩き、俺をまじまじと見つめた。

 首を伸ばして顔を近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。


「なるほど。たしかに、不思議な匂いがする野郎だな。なんというか、“違う世界”の香りがある。満更役立たずというわけではなさそうだが――」


 男はミスティエの方へ向いた。


「コイツ、どこで拾ったんだ」

「海の上だ」

「海の上?」


 ミスティエはケッ、と悪態をついた。


「テメーのとこの配下の船に乗ってたんだよ。出自は不明だ」

「俺の配下?」

「ゼルビーだ」


 ミスティエの言葉に、男は動きを止めた。

 それから、再び俺を見下ろす。


「ほう。コイツはあの時のゼルビーの船に乗っていたのか」


「あ、あの」

 俺は声が裏返った。

「あの、船長、この方は一体どなたなんでしょうか」


 先ほどから汗が止まらない。

 今しがたミスティエから放たれた言葉が、俺の心臓をぎゅっと握り込んだのだ。


 ――テメーのとこの配下の船にいた。


 ミスティエはそう言った。


 俺がミスティエと出会ったのはゼルビー海賊団の海賊船内だ。

 つまり今、俺の眼前にいるこの優男は、ゼルビー海賊団のボスなわけである。

 そして、ゼルビー海賊団のボスと言えば――


 考えるだけで、体の奥底から震えがした。


 だが、しかし。

 この男が、俺の想像通りの人物だとしたら。


 なぜ、たった一人でミスティエと一緒にこんなところにいるのか――。


「そいつは」


 ミスティエが口を開く。

 嫌な予感が止まらない。


「そいつは、チェスター海賊団の船長――」


 ディアボロ=クルトワだ、とミスティエは言った。


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