41 邂逅
「あなた、どうしてこんなところにいるの?」
エリーはいつものように、抑揚も節もない、独特の口調で言った。
いや、それはこちらのセリフですよ、と俺は思ったが、口には出さなかった。
なんだかんだ言って、この人も怒らせると怖い。
しかしこの人――いつも意外なところに出没するな。
「お、おい、タナカ」
ヨシュアが俺の服を引っ張りながら耳打ちした。
「エリーってまさか、白木綿の副船長の?」
「そうだよ」
「そうだよってオメー……マジかよ。っていうマジかよ!」
ヨシュアは目をキラキラさせながら興奮気味に言った。
そうかと思ったら急に大人しくなり、もう一度「……マジかよ」と言い、それきり見とれるようにうっとりとエリーを見ながら、黙りこんだ。
「……美しい」
やがて、ヨシュアは呆けたようにそう呟いた。
その様子を見て、思わず苦笑する。
エリーはヨシュアの憧れの女性らしい。
「エリーさん、俺たち、今ちょっと追われてて」
俺はエリーの方へ向き直った。
「追われてる?」
「そうなんス。それで、シーシーさんちに匿ってもらおうかと思ってここに」
簡単にことの顛末を伝える。
聞き終えたエリーは事も無げに「そう」と言って髪を耳にかけた。
「でも、残念ね。どうもあの子、今留守みたい」
「マジですか。でも、エリーさんは何故ここに?」
「船長の命令。今から仕事だから、シーシーを呼んで来いって」
「船長の命令?」
俺は顔をしかめた。
「今日、船長は確か富裕層地区のオペラホールへ行ってるんでしたよね」
「ええ。ただの偵知の予定だったんだけどね。どうも事情が変わったみたいで」
「事情が?」
「うん。どうも、第一級首の賞金首たちがあそこに集まるって情報が入ってね。急遽、私たちも呼ばれたの」
「第一級の賞金首――」
俺はごくりと喉を鳴らした。
それって――
「それって、3大海賊団の船長ですか」
俺の代わりに、プリムがずいと前に出て聞いた。
「……あなたは?」
「『ペーパーカット』の記者です」
「新聞記者」
「あなたは、キャラコ海賊団の副船長、エリー=グラントさんですよね?」
「ええ」
エリーは小さくうなずいた。
「教えてください。今、この街で何が起こってるのか」
プリムが問い詰める。
だがエリーはそれには答えず、無言で俺たちを順番に見た。
そして、俺の後ろに控えるリュカに視軸を止めると、そのままじっと見つめた。
その時、微かに面相に揺らぎが見えた。
俺はおやと訝った。
彼女が動揺を露にするのは珍しい。
「……その子は?」
「分かりません。ただ、今現在、街中で追われてるのはこの子みたいです」
ありのままを答えると、エリーはまた「……そう」と言い、しばし黙考した。
リュカについても、なにか知っているのか。
ミスティエの指示で動いているなら、その可能性も十分ある。
「パキーニョ。プエルスタ」
そんな風に考えていると、突然、エリーは聞き覚えのない言葉を発した。
思わず眉を寄せる。
な、なんだ?
「キントルワズ、モーモトレム」
困惑していると、リュカがエリーの言葉に呼応して、俺の前に出てきた。
「リュ、リュカ?」
思わず顎を出す。
今のエリーの言葉――リュカだけは分かったみたいだった。
二人は俺たちに構わず、どんどん会話を進めていく。
「トントゥール、アガリ。トエ」
「カー」
「ボンテグル、トクリトニタ」
「カー」
そこで、エリーは一つ頷くと、リュカに向かってスカートの裾をつまんで優雅に礼をした。
「トルア、ミュッヘンボールジ、ブエガノ」
「シーアン。ポテイクル、ゾーノウ」
「カー。ポテイアガー、ドゥンベルア」
リュカは首を振った。
エリーはもう一度「カー」と言い、今度は小さく目礼をした。
「プジット。ムル、フェンナルンブカーノ?」
「トート……ムンカシルア、コーゴ」
リュカは苦笑し、今度は短く頷いた。
俺とプリムは目を合わせた。
そして、お互いに首を振った。
な――なんなんだ?
「な、なに? それ、何語? 二人で何しゃべってるわけ?」
こらえきれず、プリムが口を挟んだ。
「なるほど。事情はなんとなく分かったわ」
エリーはプリムを無視して、一人ごちた。
それから俺の方に目線を向けた。
「タナカ君。この子は私が預かるわ」
「え?」
「よくやったわ。お疲れ様。今日は、もう帰っていいわよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。こんなワケの分からない状態で帰れって言うんですか?」
「うん」
「い、いや、うんって――一応、俺もリュカのことが気になるし」
「この男の子は極めて高度な政治的存在なの。あなたには負えないわ」
高度な政治的存在?
そんなよく分からない言葉で納得できるわけがない。
「ちょ、ちょっと待ってください」
と、俺は言った。
「どういうことですか、それ。何の説明もなしにはい終わりなんて、納得できないです」
「聞き分けなさい」
「で、でも」
「これは副船長命令よ」
有無を言わせぬ口調。
俺は俯いた。
そう言われてしまえば返す言葉もない。
俺はちらりとリュカを見た。
ここで別れてしまったら、もう二度と会えないのではないか。
リュカはどうやら他国から来た国賓のようだし、俺のような庶民とは住む世界が違い過ぎて――
もしかするとこれが、俺とリュカの今生の別れとなってしまうんじゃないか。
そんな予感が胸を締め付けた。
「それでは参りましょうか。宰相もお待ちになっていることでしょう」
エリーが手を差し伸べる。
リュカは少し躊躇った後、それを握り返した。
「リュカ!」
俺は彼の名を呼んだ。
リュカは立ち止まり、半身だけ振り返った。
「リクタ。今宵は楽しかったぞ」
そう言って、目を細める。
「今日という日は、余が生涯で唯一、自由を得た日だった。そのような日に、お主に出会えたことは幸運であった」
「な、何言ってんだよ」
俺は下唇を噛んだ。
「そんな、最後の別れみたいなセリフを吐くんじゃねーよ。リュカ、お前は俺の野球チームの一員だろ。いつでも会えるはずだろ」
リュカは少し下唇を噛み、それからふっと微笑んだ。
「そう……そうであったの」
「俺は、いつもあの空き地で待ってるから。今度はピッチングを教えてあげるからよ」
「そうだの。そうなったら――いいの」
乾いた風が吹いて、リュカの前髪を揺らす。
月明りで陰影の付いたその表情は、少し泣いているように見えた。
その顔はただの子供そのもので、政治とか海賊とか、そんなものとは程遠いように思えた。
――またいつか、あの空き地で。
もはやそれが叶わぬことを、リュカは理解している。
そう感じて、俺は拳をぎゅっと握り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
プリムが口を挟んだ。
「よくわかんないけど、私も連れてってよ! こんな宙ぶらりんのまま帰れないわ」
「貴様もここまでにしておけ、プリム」
と、リュカが言った。
「嫌よ! こんな上ネタ、おいそれと転がってないもの!」
「これ以上は危険だ。本当に死ぬかもしれぬ」
「またその脅し? は。舐めるんじゃないわよ。特ダネのためなら、私は死んでもいいんだから!」
プリムはそう言い、リュカに抱き着いた。
「私みたいな小娘がこの街でのし上がるには、こうやってスクープをあげるしかないんだからッ!」
「いい加減にしなさい」
エリーがイライラした声を出す。
「記者風情が、あんまり海賊を困らせるもんじゃないわ。言っとくけど、私、気が長い方じゃないから」
背筋が凍るような視線。
無表情だが――すごい迫力である。
ミスティエが煮えたぎるマグマだとしたら、エリーは全てを凍らせる絶対零度の細氷だ。
「ななななな、なによ、ぜぜぜぜ全然怖くないんだけど」
みっともないほど声が震えている。
俺は口の端を上げた。
だけど、そうだよな。
俺も、このままリュカと別れるなんて嫌だ。
無言で前に進み出る。
そして膝を曲げて屈みこみ――反対方向から、俺もリュカに抱き着いた。
「何してるのかしら?」
エリーが額に青筋を立てる。
「俺も――ついて行きます」
「へえ。副船長のいうことが聞けないのワケね」
「す、すいません。聞きたくないです」
「先日の仕事のようなワガママを、また言う気なの?」
「す、すいません」
「覚悟は出来てるのね」
「で、出来て無いですけど――お願いします。連れてってください」
俺はぎゅっとリュカを抱きしめた。
まだもう少しだけ――こいつらといたい。
「タナカ。私は船長のように甘くないわよ」
「せ、船長より厳しいって、物理的にあり得るんスか」
「あの人は口が悪いだけで甘い人。なんだかんだ言って、弱い者を過度に痛めつけたりはしない。でも――」
エリーは目を細めた。
そして、手のひらを俺の額に向けた。
「でも、私は違うわよ。ワガママを言うなら、容赦はしな――」
と、エリーはそこで動きを止めた。
それから、急に辺りを伺うような素振りを見せた。
「どうしたんですか?」
と、俺は聞いた。
彼女はさらに、ゆっくりとぐるりを確認した。
それから「……囲まれてるわね」と呟いた。
「か、囲まれてる?」
「このアパートの周りに、20……いえ、30人いる」
「マ、マジですか」
廊下の踊り場に、急に緊張が走る。
尾行られていたのか、それとも待ち伏せされていたのか。
どちらにせよ、そうであるなら不味い状況だ。
「ど、どうしますか」
俺は聞いた。
するとエリーは、「面倒ね」とため息まじりに言う。
「どうやら囲んでいるのは素人じゃなさそうだわ」
「素人じゃない?」
「殺意の消し方がプロの戦闘員だわ。気付かなかった。どうも、ここを張っていたようね」
エリーは一人ごちるように言い、もう一度、はあと息を吐いた。
「仕方ないわね。とりあえず、全員で移動するしかないわね。ここに置いて行ったんじゃ、あんたたち全員殺されちゃうし」
「こ、殺――される?」
「間違いなく死ぬわね。戦闘能力が違い過ぎる。でもそうすると、船長に文句言われるかも。だからタナカ。あなたの処分はギネーア・ホールで決めることにしたわ」
「ギネーア・ホール?」
「彼女がいるオペラホールよ」
エリーはそう言うと、目をつむった。
ほとんど同時に、彼女の周りに円を描くように風か巻き上がる。
ヒィィィイ――という甲高い音が微かに響いている。
それを合図にしたように、外廊下の両脇から銃で武装した男たちが突入してきた。
顔を布で覆っており、完全武装の男たちだ。
大量にいるのに、足音がほとんどしない。
もはや、聞かなくても分かる。
今回の追手はハズレの方だ。
「や、やべえ、来ましたよ!」
俺は慌てた。
「ど、どうします、エリーさん」
「全員、合図を出したら外に飛び出なさい」
目を閉じたまま、エリーは言った。
「そ、外に?」
「ええ」
「でも、ここ3階ですけど」
「口答えしない」
迷っている場合ではない。
俺はリュカを抱え、低い手すりに足をかけた。
プリムもヨシュアも、それに倣う。
追っ手どもはもう目の前まで来ている。
「行くわよ。いち、にの――」
さん、と、エリーが言った。
加速をつけた大量の武装男たちが飛び掛かる。
すんでのところで奴らの攻撃をかわし、俺たちは空中へ飛び出たのだった。