40 出口
それから、俺たちはヨシュアの案内で再び地下道を歩いた。
彼は歩くのが早く、ついて行くのが精一杯だった。
待ってくれと言っても、ああ悪いと言うだけで、またすぐに速足に戻る。
やがてリュカが遅れ始めた。
俺は途中からリュカをおぶって歩いた。
「すまんの」
リュカは俺の肩に顎を乗せ、そう言った。
気にすんな、と言って、俺はリュカの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
後ろを振り向くと、何故かヨシュアだけではなく、数人の少年がついてきていた。
彼らは何やら楽し気に喋っているが、言葉の発音や訛りがきつくてよく分からなかった。
10分ほどで出口についた。
ヨシュアが地下道に詳しいのは本当らしく、一度も迷わなかった。
プリムの話では30分はかかると言っていたので、これはかなりの時短になった。
地下道は薄暗く、汚い。
こんな場所は一秒でも早く出たかったので、俺はホッとしていた。
「……ここ?」
だって言うのに、出口の手前でプリムはやけに訝しそうに言った。
「ああ」
と、ヨシュアは顎を引いた。
「随分近かったわね」
「最短距離で来たからな」
「間違ってない? いくらなんでも早すぎるし」
「第13地区のメラーモブストリートの31アベニューだろ? ここで間違いない」
ヨシュアはキッパリと言い、早く出ろよ、と俺たちを促した。
第13地区のメラーモブストリート。
31アベニュー。
その出口はシーシーの住むアパートの近くだ。
結局、俺はシーシーの家で匿ってもらおうと思っていた。
本当ならポラやエリー、或いはミスティエに助けを乞いたい。
しかし、ポラたちはオペラホールに行っているし、エリーの家は住所を知らない。
シーシーは気まぐれで助けになるか分からないが――他に逃げる場所もない。
プリムは訝し気に階段を上がった。
俺たちもそれについて行く。
ボロボロの石階段はところどころ欠けていて、慎重に上がらないと崩れて転がり落ちてしまいそうだった。
外に出ると、街並みはかなり暗くなっていた。
久しぶりに吸う外気に俺は大きく息を吸った。
目の前には小さな商店があった。
その斜向かいには古いバルがあり、ネオンがチラチラと点いたり消えたりしている。
頭上では蝙蝠が蒼い闇に乱舞していた。
「ここ……どこ?」
プリムが眉根を寄せて聞いた。
「……」
ヨシュアは返事をしない。
「ねえ、ヨシュア。ここ、本当にメラーモブストリートなの?」
ヨシュアはやはり答えず、にやりと口の端を上げた。
そして言葉を発する代わりに「ピィ!」と指笛を吹いた。
すると、店の軒先や間から、ぞろぞろと大柄な男たちが出てきた。
「……どういうこと?」
「悪いなプリム」
彼はようやく口を開いた。
「こいつら、随分と金払いがいいもんだからよ」
そう言って、銃をズボンから抜く。
そしてその銃口を――俺たちの方へ向けた。
俺は目を見張った。
刹那、訳が分からなかったが、すぐに状況を察した。
まさかこいつ――
俺たちを売ったのか?
「実はよ、俺のとこにもそこの坊ちゃんの手配書が回って来てたのよ。捕まえたら一か月は働かなくていいってよ、そんなこと言うもんだから」
ヨシュアはしょうがない、という風に肩を竦めた。
俺はとっさに踵を返し、再び地下道へ逃げようとした。
すると――今度はヨシュアの子分たちが入口の前に立ちふさがった。
彼らは全員、銃を携帯していた。
「お、お前ら――俺たちを裏切ったのか」
俺は肩越しにヨシュアを睨んだ。
「さっき会ったばっかなのに裏切るも何もねえだろ、バーカ。言っただろ? 俺たちは金が全てだって」
「汚ぇぞ」
「は。海賊が何を綺麗ごと言ってやがる。お前たちだって、俺らと一緒だろうが。この街のルールだぜ。簡単に――」
信頼する方が悪いのさ。
ヨシュアはそう言って、ベーと長いベロを出した。
「私としたことが――油断したわ」
プリムは悔しそうに唇を噛んだ。
「そういうことだぜ、プリム。オメーはまさか卑怯だなんて戯言言わねえよな」
ヨシュアはアハハとのけ反って笑った。
「……そうね。でも、これは貸しだわよ」
「分かってるさ。記者とはこれからも仲良くやるつもりだ。このおっさんたちにも、プリムだけは傷つかさねえように言ってある。だから、大人しくしてな」
プリムは鼻に皺をよせ、は、と吐き捨てた。
「要らない気遣いだわ。私はそんなに軟じゃない。今回はただ、私が甘かっただけ」
「カッカ。そうだったな」
ヨシュアが肩を揺らして笑う。
「しかし、俺は女には優しいんだ。プリム、お前が男どもにやられてるのを見るのはしのびないんでね」
ヨシュアは待ち構えていた男たちの方を見た。
「それじゃあ、約束の金を頂こうか」
男たちがゆっくりと近づいてくる。
これまでの奴らとは、明らかに雰囲気が違った。
こいつら――ただのチンピラじゃない。
「リュカ」
と、俺は背中におぶっているリュカに言った。
「この男たちは、どっちだ? “アタリ”か――それとも“ハズレ”か」
リュカは答えなかった。
その代わりに――
「リクタ。今何時だ?」
と、聞いた。
「何時?」
「時間の話だ」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「いいから申せ」
「6時過ぎたところよ」
俺の代わりに、プリムが言った。
「6時か。ふむ。では、まだ遊べるの」
リュカはそう言うと、俺の背中から降りた。
それから、ヨシュアの方を向いた。
「貴様、ヨシュアと言ったな」
「なんだ? どうした、小僧」
リュカの予想外の行動に、ヨシュアは眉根を寄せた。
「貴様は先ほど、金がすべてだと、そう言っておったな」
「ああ、言ったぜ」
「その言葉に二言はないな?」
「なんだそりゃ」
「答えろ」
リュカがぴしゃりと言う。
その時、ヨシュアは一瞬だけ怯んだ。
意外なリアクションに、俺は眉を寄せた。
あの傍若無人なヨシュアが――気圧された?
だがそれも刹那の出来事で、ヨシュアはすぐに表情を戻し「ないぜ」と答えた。
「俺たちはいつだって、金のいい方に転がる。正義も悪もねえ」
そうか、とリュカは頷いた。
それから懐中をまさぐり、中からキラキラと光る意匠の指輪を取り出した。
暗闇でも分かった。
指輪につけられた、いっそはしたないほど大きい宝石。
あれは――ダイヤモンドだ。
「それなら、どうだ? これで余の側につかんか?」
リュカはそう言い、ヨシュアの目の前にそれを突き出した。
ヨシュアは疑り深げに、指輪とリュカを交互に見た。
そして、ごくりと息をのむ。
「ガキ……お前、本気で言ってるのか?」
「無論だ」
「お前たちを裏切った俺に、さらにもう一度裏切れと」
「そういうことだ」
リュカは顎を上げ、ヨシュアを睥睨した。
「お前たちは金の多寡が全てなのであろう? 言っておくが、この宝石を売れば3年は労働せずに済むぞ」
「さ、3年?」
ヨシュアは刹那、驚いたように目を見開いた。
この宝石の価値。
それは、現在のフリジアの状況が完璧に担保している。
リュカは間違いなく本物だ。
その本物が持っている宝石が――偽物であるはずがない。
「こいつぁ……見損なっていたぜ。どうやら、リュカ。テメーは、ただのボンボンじゃねえ」
ヨシュアは口の端をあげた。
「気に入ったぜ、ガキ」
そして少し嬉しそうにそう言うと、リュカから宝石をふんだくるように取ったのだった。
Ж
「わりいな、おっさんども。どうにも事情が変わっちまった」
ヨシュアは振り返ると、黒服を来た男たちに向かって啖呵を切った。
「これから、俺ぁこいつらにつく。だから報酬はいらねえ」
その言葉を聞いた黒服たちは一瞬顔をしかめ、それからこちらに向かって走り出した。
「野郎共、こいつらを足止めしろ!」
ヨシュアが命じると、少年たちが黒服の前に立ち塞がった。
「さあ、行くぞ!」
ヨシュアは俺とリュカの腕を掴んだ。
「で、でも、この子たちは」
「足止めするくらいならそいつらでも出来る。いいから、早く来い」
「でも――」
「ゴチャゴチャうるせえ! いくぞ!」
ヨシュアはリュカを抱えて、地下道に飛び込んだ。
俺とプリムは一瞬目を合わせ、互いにうんと頷いた後、ヨシュアの後を追った。
Ж
再び地下道に入ると、ヨシュアは、今度は先ほどと打って変わって小走りで駆け出した。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
足場の悪い道を、リュカを抱えたまま何かに追われるように走っていく。
俺とプリムは躓きながら、壁にぶつかりながら、必死にヨシュアについて行った。
「よ、ヨシュア、どうしてそんなに急ぐんだ」
俺は前を行くヨシュアに聞いた。
「この地下道は複雑だ。ここまで来たら、さっきの奴らは追ってこれないよ」
ヨシュアは顔だけ振り返り、短く首を振った。
「さっきの奴らはどうでもいいんだよ。だが、俺たちがこの辺りにいると知れたら、今から行く13地区の出口で待ち伏せされるだろ。人が集まる前に行くほうが良い」
「ま、待ち伏せ――?」
「しかもお前は顔が割れてる。ということは、お前と縁のある地域はすでに張られてる可能性もある」
な、なるほど。
そういうことなら、急がないといけない。
「プリム、大丈夫か?」
息も絶え絶えに走るプリムを慮る。
彼女はやつれた顔つきで首を振った。
「も、もう限界かも」
しょうがねえ。
俺は彼女を抱き上げ、ふんがー、と喚きながら走った。
Ж
10分ほど走ったところで、ヨシュアが立ち止まった。
なにもない場所だと思ったが、よく見ると壁に隙間が空いていた。
「ここから出よう」
と、ヨシュアが言った。
「こ、ここから?」
「ああ。13地区の出口はすぐそこだ。しかし、恐らくは待ち伏せがいる」
「し、しかし、この穴は小さすぎるよ」
「無理やり入るんだよ!」
そう言って、ヨシュアは細身の体を無理やり穴に突っ込んでいった。
ぐりぐりと身を捩りながら強引に進んでいく。
他方、プリムとリュカは体を横にして蟹歩けば余裕で歩いて行けた。
問題は――一番ガタイの良い俺だ。
「ぬおおおおおおおお」
俺は顔を真っ赤にしながら根性で脱出した。
その姿がよほど間抜けだったんだろう。
ヨシュアとプリムは腹を抱えて笑っていた。
Ж
「リクタ。今のは中々面白い芸だったぞ」
ほうほうの体でなんとか地上に出ると、リュカが俺をそのように褒めてくれた。
「……いや、別に笑わせようと思ってたわけじゃないんだけど」
俺は体についた砂塵を振り払いながら口を尖らせた。
「おしゃべりしてる暇はない。さっさと行こう」
ヨシュアに諭されて、俺たちはシーシーの家へと向かって歩き出した。
いや……お前もさっきまでゲラゲラ笑ってたじゃん。
俺たちはヨシュアの指示に合わせて、街灯やネオンと言った灯りを避けるように、裏路地を選んで移動した。
街は静かだったが、大通には見るからに堅気ではない男たちがウロウロしていた。
ヨシュアの言った通り、警察の姿はどこにもなかった。
いつもは制服を着た不良警官どもが、夜のパトロールと称して安クラブやバルの前を偉そうに闊歩しているのに。
やがて、見覚えのある通りに出てきた。
13地区のメラーモブストリート。
シーシーの住むアパートのある通りだ。
俺たちは一旦、道をまたいだ向かい側のダイナーへ渡り、その路地から様子を伺った。
誰もいない。
ところどころ電球の切れた安アパートの看板がチラチラと点滅しているが、人影はどこにも見当たらない。
どうやら杞憂だったようだ。
やっぱりな、と俺は思った。
キャラコのクルーというだけでみんなは俺のことを有名人みたいに言っているが、俺のような三下の顔なんて誰も覚えているわけがない。
俺たちは辺りを警戒しながら、アパートに入った。
それから階段を上がり、2階の踊り場からシーシーの部屋を目指す。
つと、外廊下から月が見えた。
夜空に開いた穴のように、真円。
今日は満月だ。
「……おい、タナカ」
しばし目を奪われていると、前を歩くヨシュアが小さく声を出した。
「誰かいるぞ。あれ、お前の知り合いか?」
言われて、目を向ける。
すると、道路に面した共用廊下の先には細身の女性が立っていた。
すわ追っ手か、と思ったが、どうやらそんな感じではない。
彼女はシーシーの部屋の前で佇立し、ビービー、と一定のリズムで呼び鈴を押していた。
と、そこで俺は眉根を寄せた。
月夜に映える、美しい銀髪。
ものすごい美人なのに、生気のない横顔。
あれは――
「エリーさん!」
思わず、大きな声を出してしまう。
するとエリーは気だるげにこちらの方を向き、
「あら。タナカ君」
といって、小首をかしげた。