136 追及
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「不愉快だ。よもや貴様、私を偽物だと言いたいのか!」
俺は大声を出した。
疾しいことがある人間がする動きだ。
人は追いつめられるととにかく騒ぐというが、それ、本当だった。
「身分証は間違いなく本物でした。軍の規則としてはこれ以上の詮索は不要。しかし、少しでも疑いがあるなら、という私の私的な行動です」
だが、そんな場当たり的な態度が海軍将校の秘書相手に通じるはずもなく、グスタホは、至極冷静に応じた。
俺は立ち上がり、なおも高圧的に、彼を見下ろした。
「身分証が本物なのに、なぜ疑う。軍人ではない、というのは貴様の思い込みだろうが。単なる状況証拠に過ぎない。いいや、例え軍人あがりではなくとも、それが何だというのだ。他の経歴から、特殊組織に属する可能性もゼロでは無いはずだ」
「確かにそうですな。しかし、私にはあなたが土竜にな見えない」
「何故だ」
「さて。なぜでしょうか。直感、とでも言いましょうか」
「巫山戯るな」
俺はさらにグスタホに詰め寄った。
グスタホは一歩後ずさり、距離を取った。
「ともかく、私どもはあなたたちの顔すら知らされていない。名簿にある名もコードネームで、本名ではないでしょう。あなたは汗を異常にかいていたり、びくりと体を震わせたㇼ、どうにも様子がおかしい。“胸騒ぎ”というやつです」
「胸騒ぎ……そんなあやふやな根拠で私を疑うのか」
「経歴を教えてくださいと言っているだけです。あなたはどのような経緯で重犯局に入ったのか。納得が行けば、私も退きましょう」
俺は出来るだけ虚勢を張って見せたが、グスタホはまるで意に介さず冷静に返した。
「納得できれば、もうそれ以上は追及はしません」
グスタホはもう一度繰り返した。
俺は短く首を振り、嘆息した。
心の中ではパニック状態であった。
どうすればいい。
何を話せばいい。
ぐるぐると思考が回った。
とにかく、ここで自分の非を認めるわけにはいかない。
冷静になるんだ。
ポラを思い出すんだ。
どんなに劣勢でも、強気に返す彼女の姿を。
そう言い聞かせて、俺はグスタホを見た。
「はっきり言って不愉快だ。だが、まあいいだろう。それが貴様の仕事だ」
俺は椅子に戻り、どかりと座った。
「お前の言う通り、私は軍隊でも警察学校でも訓練を受けていない」
「はい」
「だがそれは、私が戦闘の素人だと言うことにはならない」
俺は腕を組み、背もたれに体を預けるようにふんぞり返った。
グスタホは右の眉をピクリと上げた。
「と、言いますと」
「私は海賊出身だ」
と、俺は言った。
「……海賊?」
「そうだ。幼いころから悪ガキでな。巨大海賊に紛れ込み、そこで小金を稼ぐようになった。イントネーションがおかしいのはそのせいだ。船には色んな人種がいたからな。私は長い間、掃除夫として船の上で過ごした。掃除夫と言っても奴隷のようなものだったがな、とにかく、色々と悪事を働いたよ。しかし、身体能力と戦闘センスを見込まれて出世したんだ。長じるころには立派な悪党になっていた」
「それが何故、公人に」
「お前、白木綿という海賊を知っているか」
「白木綿?」
「そうだ」
「もちろん、知っています。軍隊や政治にも干渉してくる、生意気な奴らだ」
「そこの船長のミスティエに拾われたんだよ」
「どういうことですか」
「ある日、島の縄張りのことで奴らと揉めたんだ。戦闘状態に突入した。はっきり言って驚いたよ。あいつらは僅か3名の戦闘員で、私たちの海賊を壊滅させた。その中で、生き残ったのは私と数名の非戦闘員の海賊だけ。戦った人間で生きていたのは私だけだ」
俺は肩を竦めた。
「ミスティエはこう聞いた。このまま死ぬか、それともあたしの判決に従うか。意味が分からなかったが、死にたくはなかったからな。私はミスティエに拾われた。そして紹介されたのが――サヴァル中将だったというわけだ。そして過去を抹消され、配置転換を繰り返し、挙げ句の果てに重犯局に行きついた。経歴のない私は、秘密組織にうってつけだったわけだ」
「……なるほど。海賊出身だったわけですか」
「そうだ。貴様も中将殿の秘書をしているなら知っているだろう。サヴァルとミスティエの関係を」
俺が聞くと、グスタホははい、と小さく頷いた。
「ふむ。一応、整合性の取れた話だ」
「納得したか」
「ええ。リアリティのある話でした」
俺はホッと胸をなで下ろした。
なんとか切り抜けた。
嘘を吐くときは、肝心な所以外は出来るだけ経験したことを話す。
そうすると話が詰まらず、口調にも自信が出てリアリティが出ます。
いつか聞いた、ポラの言葉が生きた。
と、そのように考えていたのだが――
「しかし、やはりどうもある一点が気にかかる」
グスタホという男は、それで引き下がるような男ではなかった。
「ある一点?」
俺は眉を顰めた。
「どういうことだ」
「今の話では納得できない点がある」
「納得出来ない点?」
「それは――あなたがアーリア人ではないところだ」
グスタホは語気を強めてハッキリと言うと、まるで俺の心を読もうかと言うように、目線を強めた。
「アーヴィング少佐は血を重んじる人だった。自分の隊には肌の白い人間、つまり純血のアーリア人しか入れたがらなかった。重犯局もそうだという噂を聞いたことがある。私はやっぱりなと酷く納得したものだった。そしてあなたのその顔の造作。失礼だが、どう見てもこの国の人間の面相ではない」
グスタホは俺に一歩、近づいた。
「何か訳があるのかと思って経歴を聞いてみたが、どうも特別な理由は無さそうだ。大体、サヴァル殿が差別主義者のアーヴィングの所へ、非アーリア人を推薦するはずがないのだ」
「ああいや、それは――アーヴィング局長も考えを改められたのだ。人種で人を選別すべきではないと」
俺はあたふたと言い訳を取り繕った。
すると、グスタホはそこで初めて、微かに笑った。
「……ボロが出たな」
「な、なんだと」
「あの少佐が、信念を曲げるはずがないのだよ。あの人は完全なる優生思想の持ち主だ。そのような戯言を平気で言えること自体が、少佐のことを知らない証拠だ」
いいか、とグスタホは言葉を強めた。
「あの男は生粋のレイシストだ。アーリア人が世界で最も優秀な遺伝子を持っており、それ以外の劣等遺伝子は排除すべきだと考えている。アーリア人以外は人間ですらないと思っているのだ。あのような偏執狂が、おいそれと考えを捨てるわけがない」
「そ、そんなことは分からんだろう。時間は人を変える」
「時間は人を変える? くっく。なんだその白茶けた書割のような文句は。徳義の教科書にそう書いてあったか? やはり貴様はただの経験の浅い若輩だ。いいか。人間はな、時間をかけるほどに変わることが出来なくなるのだ。信念を曲げることが出来なくなるのだ。なぜなら、そんなことをすればそれまで自分が生きてきた道程が、人生が、全て否定されるからだ。老いた人間にとって、それは死よりも辛いことだ。例えそれが間違いであると証明されても、もはやその間違いを貫いて生きるしかないのだ。老人は、もう引き返すことなど出来ない」
そこで、グスタホはようやく感情を露わにした。
怒りだった。
それは、偽装工作をした俺に対する怒りか、それとも――
「ちょ、ちょっと待て」
俺はしどろもどろになり、体を硬直させた。
すると、その様子を見て、グスタホは人差し指を立てた。
それから俺の顔を人差し指でなぞり、油性の塗粉をこそぎ落とした。
「やはり肌の色を偽装しているな」
指にこびりついた白い化粧粉を見ながら、グスタホはふんと鼻を鳴らした。
「さあ、説明をしてもらおうか。あなたは非アーリア人でありながら、何故、重犯局に入れたのか。いいや、もっと直裁的に聞いてやろう。お前は一体――」
何者なのだ?
グスタホが詰め寄る。
俺はここに至り、完全に言葉を失った。
もう、何を言っていいのか、分からなくなってしまった。
――と、その時である。
奥の扉ががちゃりと開き、背の低い老人が出てきた。
高級そうなスーツを着た、目つきの悪い禿頭の爺さんだ。
「大臣がお帰りだ。外までお送りしろ」
奥からサヴァルの声が聞こえた。
グスタホはまず、老人に敬礼をして見せた。
それから、俺から目線を外さないようにしながら、サヴァルの方へ近づいた。
「中将殿、お伝えしたいことが」
「なんだ」
「実は、緊急に面会を申し出ている男が来ておりまして」
「面会? なんだそれは」
「はい。ブラッド=ウィルという名を名乗っているのですが、どうにも様子がおかしい」
「ブラッド=ウィル?」
「ええ。本人は、重大犯罪局の人間だと――」
「重犯局だと」
そこで、サヴァルが扉から出てきた。
そして俺を視認すると、目を見開いて息をのんだ。
「き、貴様は――」
まさかの出来事に、絶句しているようだった。
俺はゆっくりと立ち上がり、深くお辞儀をした。
「サヴァル殿。急の訪問、申し訳ありません。お時間は取らせませんので、少しお話を」
サヴァルは刹那、とても不愉快そうな顔をした。
「怪しい男です。どうしましょうか。緊急拘束しますか」
グスタホが小声で問う。
ここが運命の分岐点だ。
俺は息を呑んだ。
サヴァルが次に言うセリフが、俺の運命を決める。
俺は命乞いをするような眼で、サヴァルを見た。
助けてください、サヴァルさん!
もはや演技などする余裕はなく、俺はほとんど涙目で祈った。
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サヴァルはしばし沈黙した。
そしてやがて、口を開いた。
「……グスタホ」
「はい」
「とりあえず、お前は大臣をお送りしろ」
「え?」
「この男は私が預かる」
「し、しかし」
「聞こえなかったのか。私はこの男と話があると言ったのだ」
「よ、よろしいんですか」
「ああ。それから、このことは、くれぐれも他言無用だ」
「このこと、とは」
「この男が私の元へ会いに来たこと自体だ。ブラッド=ウィルという人物の名も、訪問記録から消去しろ」
「な、なんですと」
「いいから言うことを聞け」
サヴァルはグスタホをねめつけた。
するとグスタホは何かを察したように短く頷き、「……了解です、サー」と敬礼をした。
グスタホは踵を返し、きびきびとした動きで大臣を外の扉へとエスコートした。
そうして俺の前を通り過ぎるとき、グスタホはもう俺を見なかった。
代わりに、老人の方が俺をちらりと見た。
俺は丁寧に腰を折ってお辞儀をした。
老人はふんと鼻を鳴らし、それを無視して行ってしまった。
た、助かった。
二人が部屋から出ると、全身の力が抜け、俺は思わずその場にへたり込んだ。
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「……どういうことだ。説明しろ、タナカ」
準備室に二人きりになると、サヴァルが口を開いた。
「どうしてこんなところにお前がいる」
「サ、サヴァルさぁん」
俺は情けない声を出し、縋るようにサヴァルを見上げた。
「はあ、マジで助かりました。あー、ほんと、危なかった」
「一体、なんなんだ。何が起きている」
「あのグスタホって人、恐すぎますよ」
「いいから事情を聞かせろ。ミスティエはどうした」
サヴァルは眉を顰めた。
俺はすいません、と頭を下げ、はあ、と一息ついてから、やっと立ち上がった。
「船長は今、仕事で海外にいます」
「まさか、お前、あいつ抜きでここまでやってきたのか?」
「ええ。大変でしたよ、マジで」
「では、重犯局とは一体なんのことだ。貴様が何故、“土竜”を名乗っている」
「色々あったんス。話せば長くなります。これから先は――よろしければ、中で」
サヴァルは目を細めて顎を上げた。
それから小さく息を吐くと、「入れ」と言って、顎をしゃくった。