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135 潜入


  Ж


 富裕層地域プリメーラ第一モノ地区。

 アデル湾を遥かに臨むラグアダ海岸沿いにある海軍省参謀本部。

 フリジアを一望できる小高い丘の上に、その高閣の群れはあった。


 俺たちはまず、駐車場へと至る門の前で守衛からチェックを受けた。

 駐屯地は敷地が広大で、本部の公舎は遥か向こうに見えた。

 遠くから見ると、それはまるでこの国を支配する白い巨大な塔のようだった。


 海軍職員の制服を着た、腹の突き出た中年の男が検問を担当した。

 男が車内を覗き込みながら、今日はどのような用事でしょうか、と問うた。

 するとマリアは「慰問会の打ち合わせ日ですわ」と微笑んだ。


「いつもご苦労様です」

「はい。ニデルさんこそ、こんな暑いのに」

「本当に暑いですな。茹蛸になりそうだ。しかし、マリアさんが見れるなんてラッキーだ。美人を見ると、涼やかな気分になりますからね」


 世辞を言いながらニデルは帽子を脱いでそれを脇に抱えると、やや嬉しそうに「少しいいですか」と言った。


「ところで、今日はそのような予定は入っていないようですが」

「あら。それは困りましたわね。手違いかしら」

「どなたに面会予定でしたか」

「サヴァルさんです。お付きにアポイントを取るように命じていたのですけれど」

「こちらには話が下りてませんね」

「困ったわ。サヴァルさん本人とは話がついているんですけど……しょうがないですわね。出直して参ります」


 マリアはいかにも悲しそうに眉を下げた。

 するとニデルは自らの胸をどん、と叩き、


「やあ、いいですよ。サヴァル殿に直接約束を取り付けているなら問題ないでしょう。マリアさんなら主任も文句は言わないでしょうし」

「それは、はあ、助かりますわ。今度、お二人にもお礼をしなくては」

「はっは。そんな、結構ですよ」


 ニデルは有名な女優と話が出来ることが嬉しくて仕方がないという風だった。

 それから彼は、後部座席の方に目線を移した。

 

「通例ですので、念のため中を確認してよろしいですか」

「もちろん」


 マリアは躊躇いなく、優雅に頷いた。

 いつもの訪問だという風を振舞った。

 自然で、ありふれていた。

 これが“演技力”というものか。

 結局、男は荷台に乗ることなく、外から簡易に視認するだけで検問を終えた。

 マリアはご苦労様ですとたおやかに微笑み、その場を切り抜けた。

 車はそのまま、すんなりと敷地内へと入っていった。

 

 Ж


 俺とシーシーは二重底から這い出ると、身嗜みを整えた。

 正確にはマリアが整えてくれた。

 櫛で髪型を撫でつけ、曲がったネクタイを結びなおし、甲斐甲斐しく乱れた服を直した。


 シーシーは運転手と共にトラックの中で待機だ。


「いってらっしゃいませ」


 マリアはそう言うと、新妻のように胸をぽんと叩いた。

 俺は「行ってきます」と言って顎を引いた。


 ここからは完全に俺一人の行動となる。

 建物内部に詳しいマリアが一緒だと心強いのだが、彼女は「本部では私と行動しない方が良い」と言われた。

 海軍の中には反クロップ派も大勢おり、彼らの中には事件を起こしたマリアをよく思っていない人間も少なからずいるらしい。


 俺はトラックから降りると、一人でエントランスに向かって歩き出した。

 短い時間だが、地位の高い男に見えるように、姿勢の良い歩き方をジノビリとマリアに教えてもらった。

 肩幅程度に足を開いて、重心をやや後ろに。

 顔は真正面を見て、胸を張り、着地は踵からを意識する。

 ここから俺は秘密組織の人間だ。

 決しておどおどしていてはいけない。

 

 海軍も街の警備に駆り出されているのか、それほど人気は少なかった。 

 制服を着て出入りする人間はまばらだった。

 だが逆に、警備は普段通りに完ぺきだった。

 武器を携帯し、軍服を着た本物の兵士が至る所に配置されていた。

 俺の手のひらは汗でぐっしょり濡れていた。

 心臓がバクバク言っている。

 本当に――侵入できるのだろうか。


 サヴァルがいるのは第一舎第5入り口。

 将校など重要人物が会議をする建物だ。


 エントランスに立つ衛視から念入りにボディチェックを受けた。

 身分を問われて偽の職と要件を簡単に説明した。

 すると中にいる応接口で案内を受けろと言われた。

 いよいよ本部舎の中へと入る。

 するとすぐに左側に半円形の受付台があり、その奥に眼鏡をかけた制服の女性がいた。

 目が合うと、踵を鳴らして丁寧に敬礼をした。


「失礼。サヴァル中将はいらっしゃいますかな」


 俺は近づいてから声をかけた。


「サヴァルですか」

「突然の来訪で申し訳ないが、今すぐに会いたいんだが」

「アポイントは」

「ない」

「失礼ですが、お名前は」

「ブラッドだ。ブラッド=ウィル」

「ご用件の方は」

「機密事項だ」

 

 短く答えると、女性は微かに眉根を寄せた。


「……ブラッド様、どちらからいらした方でしょうか」

「重大犯罪捜査局のものだ」


 女性の顔色が変わった。

 少々お待ちくださいと言い置いて、奥の扉へと消えて行った。

 

 俺は口元に手を当て、バレないように小さく深呼吸した。

 緊張はピークだ。

 怪しまれてはいないか。

 妙なことを口走っていないか。

 短い間に色々と考えた。


 からん、という音がして振り返った。

 姿勢の良い守衛がてんでに3人おり、その一番右の男がこちらを見ていた。

 この男は屈強な兵士の中でも特別に強そうだった。


「お待たせしました」


 しばらくすると、女性が年配の男を連れて出てきた。

 油の抜けた髪の毛に、皺の浮いた奥まった瞼。

 いかにもベテランの古参職員と言った風体である。


「ブラッド様。身分証のご提示をお願いできますか」


 と、その男が言った。


 俺は「ああ」と返事をして、スーツの内ポケットから偽造証明書を取り出した。

 男は失礼、と言ってそれを受け取ると、まずはまじまじと視認した。

 それから何やら煙草の箱程度の大きさの発光する石を取り出し、それを証明書に沿わせ、照らし始めた。

 すると、何も書かれていない空白の部分に、複雑な幾何学模様の捺印が浮かび上がった。

 彼はルーペを取り出し、じっくりとその意匠を念入りに確認した。


 なんだ、この仕掛けは。

 特別な光を浴びると浮かび上がる蛍光塗料のようなものが塗ってあるんだろうか。

 即ちそれが、偽造防止の装置であるわけだ。

 だとするなら――マーク自体は本物だから大丈夫だ。

 しかし、写真は偽物であり、張り替えられている。

 もしもそこにまでそのマークが及んでいたら――非常にまずい。


 平生を装いながらも、心臓は早鐘を打っていた。


「ありがとうございます。確認を終えました。間違いなく本物です」


 やがて、男は身分証を返してきた。


生憎あいにく、サヴァルは現在、来客中でして」

「すぐ会いたい。イザヤ局長からの緊急の指示だ」

「イザヤ殿の……そうですか。中将殿の応接はあと10分ほどで終わると思いますが」

「仕方ない。分かった。それからでいい」

「ありがとうございます。ではご案内します」


 こちらへどうぞ、と男は先んじて歩き出した。

 俺は密かにはあと息を吐いた。

 ほっと胸を撫で下ろしながら、彼について歩き出した。


 Ж


 幾度か角を曲がり、旧式の滑車式エレベータに乗り込んだ。

 籠には扉が付いておらず、代わりに網目状の鉄糸網が入り口に設えられていた。

 男がレバーを押すと、どこかで動力が動き、がくん、という音がした直後に箱が上昇していった。

 男は余計な口をきかず、終始無言だった。

 昇降機は5階で止まり、金網が開くと、彼は俺を促して再び歩き出した。


 ここから、床が絨毯敷きになった。

 飾り気のない長い廊下を進むと、突き当りに国旗を掲げた大仰な部屋が現れた。

 将校に与えられる特別な執務室だ。

 その前に長いソファがあり、男は「こちらでお待ちください」と言って、一人で中に入っていった。

 なんとなく座るのは躊躇われたので、そのまま立って待っていると、すぐに先ほどの男が出てきた。

 確認が取れました、中にお入りください、と言い、一礼をして男は戻っていった。


 言われた通り中に入ると、予備室には別の男が座っていた。

 室内は10畳ほどの大きさで、目の前に仕切り台があり、そのすぐ右側に大きなラングレー国旗の描かれた軍艦旗が掲げられてあった。

 俺が中ほどまで進むと立ち上がり、男は立ち上がりきびきびと敬礼をした。


「サヴァル中将は現在、来客中です。しばらくここでお待ちください」

「分かった」

「その前に、もう一度、身分証の提示をお願いします」

「もう一度?」

「申し訳ありません。規則ですので」


 俺はふうと息を吐いて、身分証をもう一度出した。

 すると男はそちらでお待ちください、と言い、俺の後方を手のひらで指した。

 促されるまま、俺は一人用のソファに座った。

 

 室内に沈黙が落ちた。

 防音の処理が施されているのか、中の声は一切聞こえない。


 静かになると、また緊張が襲って来る。

 心臓の音がドクドク五月蠅い。


「今日は暑いですね」


 突然、男が口を開いた。

 驚いて、身体がびくりと震えてしまった。

 慌ててみると声のしたほうを見やると、彼は既に手元に目を落としていてこちらは見ていなかった。

 

 今の動揺。

 見られてしまっただろうか。

 

「あ、ああ、そうだな」


 俺は内心の乱れを誤魔化すようにこほんと空咳をした。


「随分と汗をかいておられますね。窓を開けましょうか」

「いや、構わん」

「そうですか」

「ああ」

「しかし、お若いですね」

「なんだ、いきなり」

「いえ。重犯局は国のエリート組織。そのような特殊部隊に属している方は、もう少し年嵩の方かと」

「なんの話だ」

「失礼。ブラッド巡査。実は私、重大犯罪局の方を見るのは初めてでして」


 いつの間にか、男はじろりとこちらを見ていた。

 俺はじっとりと背中に汗をかいた。


「別に若くはない。そう見えるだけだ」


 俺は努めて不機嫌に見えるように言った。

 俺は袖で汗を拭い、目線を逸らした。


 男は「それは申し訳ありませんでした」と言いながら席を立った。

 それからこちらに歩み寄り、


「こちらはお返しします。間違いなく本物でした。ありがとうございました」


 そう言って、証明書を差し出した。

 俺は短い間それを見つめた後、受け取り、再び内ポケットへ戻した。


 男はひどく無表情だった。

 何を考えているのか――さっぱり読めない。


「出身はどちらですか」


 そのまま元の場所に戻ると思っていたが、男は、その場に留まってそんなことを聞いた。


「出身?」

「訛りが独特ですよね。イントネーションがフリジアのものじゃない」

「……他人に話すことじゃない」

「ああ、そうですね。秘密組織がベラベラと出自を話すわけには行かない」

「当然だ」

「かつて陸軍にいらっしゃったんですか」

「貴様。いい加減にしろ」

「いえ、実は私も陸軍の出身でして。たしか、重犯局の局長は元陸軍の中将殿でしたよね。アーヴィング中将」

「……そうだが」

「私のいたころは少佐でしたね。これがまた厳しくて。散々、鍛えられました」


 俺は眉根を寄せた。

 なんだ、この男。

 どうしてこんな話を俺にするのか。


「かれこれ20年前になりますか。少佐はお元気にされてますか」

「ああ」

「では、よろしくお伝えください。海軍のグスタホがお世話になったと」

「ああ」

「それから」

「おい」

「なんでしょうか」

「ちょっと静かにしてくれ」

「はい?」

「今は誰かと話をする気分じゃないんだ」


 俺が言うと、男――グスタホはそうですか、と目を細めた。


「それは申し訳ありません」

「悪いな」

「いえ」


 失礼します、と言いグスタホは踵を返した。

 だが、どういうわけか、数歩進んだところですぐに足を止めた。


「あなたはどういう経緯で、“土竜”に入ったんでしょう」


 グスタホは背を向けたまま言った。


 どくん、と心臓が跳ねた。


「……な、なんだそれは。どういう意味だ」

「あなたは軍隊の人間じゃない。軍に従事した経験がない」

「無礼者。一体、何を根拠に」

「歩き方ですよ。フリジアの軍隊では、まず歩き方を教えられる。あなたは歩幅が一定ではないし、土踏まずを避けるような独特な歩行の仕方をしている。これは軍人の歩行ではなく、まるでモデルか何かのようだ。軍の教育ではそのような癖は全て矯正される」


 グスタホはそこまで言うと、ゆっくりと、肩越しに俺を見た。


「つまり、あなたは正式な訓練を受けたことのない、戦闘の素人だということだ。そんな人間が、秘密警察・特殊工作員である“土竜”に選ばれるわけがない」


 俺はごくり、と喉を鳴らした。


「なんだこれは。尋問か? 一体、なんの権限があってそのような口をきいている」

「ただの個人的な興味です」

「くだらん。それなら、答える義務はない」

「ブラッド殿」

「なんだ」

「勘違いをされては困る」

「どういう意味だ」

「分かりませんか。ならばこう言い換えましょう」


 グスタホは完全にこちらを向いた。


「今すぐ出自を正確に話しなさい。でないと、個人的な詰問などではなく、海軍の人間として正式に尋問にかける。いや、本来なら今すぐ警備員を呼んでもいいんだ。これは情けだ。念のため、話を聞いてからにしてやろうというのだ。さあ、ブラッド巡査――速やかに質問に答えなさい」


 グスタホはぴしゃりというと、俺を睨みつけた。


 彼の目を見て、俺はぐっしょりと汗をかいた。

 グスタホの瞳は疑念よりも、信念の色の方が強く、恐ろしく見えた。



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