134 車内にて
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中型トラックのような大きな蒸気自動車に乗り、俺たちはマリア邸を出発した。
俺とシーシーは急場で設えた二重床の中に隠れた。
床が剥き出しの鉄になっていて、揺れるたびに膝や脛が痛かった。
なんだか楽しいなとシーシーはシシシと嬉しそうに笑った。
遊びじゃありませんよ、しっかり隠れていてくださいねと言っても、彼女は両手で口元を抑えながらも、終始ウキウキした様子で目を輝かせていた。
そういえば――シーシーはかくれんぼが大好きだった。
海軍本部へと向かう途中、窓から顔を出して街の様子を伺った。
富裕層地域の様子は昨夜から一変しており、俺は驚いた。
街中を警官や衛視がうろついていた。
警察の公用車らしき蒸気自動車とも多くすれ違った。
どうやら――いよいよゾンビ騒ぎが本格化してきたようだ。
マリアを頼って本当によかった。
こんな厳戒態勢では、ろくに動けなかったに違いない。
「昨夜、アンデッドの目撃例が急激に増えたらしいですよ」
前に座るマリアが言った。
「なるほど……それでこの騒ぎってわけですか」
「はい。夜間だけでなく、昼間の外出も控えるようにと政府からお達しが出ています」
「そうですか。いや、本当に助かった。この分じゃ、マリアさんの力が無ければ、俺たちは身動きがとれなかった」
「いえいえ。お力になれて嬉しいです」
「本当にすいません。ご迷惑をかけて」
俺が謝罪をすると、マリアは少しの間、返事をしなかった。
「ポチ様」
「前々から気になっていたんですが」
「はい」
「悪いことをしていない時に謝るのは止めてください。私は、誇りを以て助力しているのですから」
マリアはバックミラー越しに俺を見て、にこりと笑った。
俺は彼女の覚悟を軽んじていたのかもしれない。
俺は自分を恥じた。
だが同時に、胸の奥がじんとした。
ポチ様、とマリアは言った。
「あなたは正義のために動いている。素晴らしいことですわ。この穢れた街で、ポチ様のような人間は滅多におりません。胸を張ってください。私は――私は、そんなポチ様が」
好きなんです。
マリアはやや顔を赤らめて言った。
俺は下唇を噛んだ。
それは「はい」と大きく頷くと、
「マリアさん。この借りは必ず返します。白木綿の名において約束します」
と言った。
マリアはふふと上品に微笑み、「楽しみにしていますわ」と言った。
「ですが」
と、マリアがさらに続けた。
「その前に、少し確認しておきたいことが」
「なんですか」
「ポチ様のご性癖について」
「は?」
急に何を言い出すんだ。
俺は眉を寄せた。
マリアは相変わらずニコニコしている。
「明け方」
「え?」
「今朝の、明け方のことなんですが」
「明け方?」
俺は小首をかしげた。
マリアは「ええ」と頷いた。
気のせいか――声音が一段落ち、言葉が冷たくなったような。
「実は私、明け方に一度、ポチ様の部屋へお伺いしたんです」
「え?」
「すると、ポチ様のベッドにはもう一人、女の方がいらっしゃって」
「あ、あの、それってもしかして」
「その方と、抱き合って眠ってらして」
「いや、それはその」
「それで、ポチ様は……ポチ様は、もしかしてその、子供しか愛せない――成人した女性は愛せないような癖を持ってらっしゃるのかなと」
体中の汗が一気に冷えた。
あれを――見られていたのか。
俺が寝ぼけてしまい、シーシーと抱き合って眠った現場を――
「あ、いえ、あれはその、完全に寝ぼけてまして」
「寝ぼけていたにしては、熱く抱擁なさっていましたけど」
マリアはニコニコしたままだ。
しかし――よく見ると、秀でたおでこにビキビキと青筋が浮かんでいる見えた。
こ、怖ぇ。
「おいちょっと待て」
と、その時。
それまで黙っていたシーシーが口をはさんだ。
「それはうちのことか?」
「……はい」
「ちょっと待て。うちは子供じゃないぞ」
「そうでしたね。しかし、少なくともビジュアルは幼い」
シーシーは「まあな」と口を尖らせた。
「つまりお前は、ポチがロリコンだって言いて―のか」
「はい。あの場面は――そのようにしか見えませんでした」
「実はうちもそう思うんだ」
「え?」
「こいつよ、なんかうちをめちゃめちゃ触りまくるんだよ。腹とかほっぺとか、ここじゃ言えないようなスケベなとこまで」
「え?」
「しかもよ。挙げ句に、うちのことが好きだって告白してきたしよ」
「は?」
「ちょっと待ってください!」
俺は二人を遮った。
「誤解ですよ! 昨日は俺、マジで夢だと思ったんです! 本物のシーシーさんだとは思わなかったんです! 夢だと思っていたから、好き放題やっちゃったんです!」
「同じじゃねーか」
「え?」
「そりゃあたまたま夢だと勘違いしただけで、触りたかった、というのは本当の本心なんだろ?」
う。
シーシーはこういう時だけ妙に鋭い。
俺は汗だくになりながら、違うんですっ、と首を振った。
「それはその、エロい気持ちとかじゃなくって、ほら、猫とか犬とか、可愛いものって抱きしめたくなるでしょ? そんな感じ。そんな感じなんです」
俺は身振り手振りを加えて説明した。
しかし――
「では、“好き”だと言ったのはどういうことでしょうか。犬や猫を愛でるとき、愛の告白などしないはずでしょう」
今度はマリアが口を挟んできた。
「納得のいく説明をお願いできますでしょうか」
「そうだぞ。説明しろ、この異常性愛者」
ぽんこつ検察官が二人になった。
そこから、俺は彼女たち二人に追及を受けた。
「それはその、人間として“好き”という意味です。異性としてじゃなくって、上司として、仲間として、尊敬の念を込めて好きだと言ったんです」
そのように主張すると、シーシーはチッチッチ、と人差し指を揺らした。
「苦しいな、ポチ。うちも女だ。本気かどうかくらい分かる」
「本気じゃないっすよ! ああいや、本気は本気だけど、告白とかそういうんじゃないっすって」
「いいや、あれはマジだった。愛の告白だった。うち、キュンとしたもん」
「シーシーさん! だからそうやって、話がややこしくなるようなこと言わないでください」
「どうなんですか、ポチ様。本当のことを教えてくださいまし。私、ポラさんやミスティエさんなら戦っても勝てる自信があります。あなたの愛を勝ち取る自信が」
「あ……愛?」
「でも――でも! ポチ様が、万が一ド変態のロリコンペド野郎だったら、すでに成熟してしまった私に勝ち目はないんです!」
マリアは大きな目を見開いて、体をよじって俺を見た。
その瞳が潤んでいた。
「あきらめろ、マリア」
と、シーシーが肩を竦めた。
そして憐れむような、可哀そうなものを見るような、そんな目で俺を見た。
「こいつは変態だ。それも真正の変態なんだよ。おそらく同年代の女にイジメられて、それから小さな女の子しか愛せなくなったんだ。そうして性癖がすっかり歪んじゃったんだ」
「まあ!」
マリアは顔を両手で覆った。
俺はどこから突っ込んでいいのか分からず、頭を抱えた。
マリアさんも、何故かシーシーのいうことを全て真に受けてるし。
まあ! じゃねーよ。
「昨日とか、眠りに落ちるまで、うちの太ももをずっとすりすり触ってたからな」
「太ももすりすり!」
「髪の毛に鼻をつけて髪の匂いをずっとクンカクンカ嗅いでた」
「クンカクンカ!」
「ほっぺに頬ずりされた」
「不潔! 不潔ですわ!」
「もういいですから! とにかく、俺の話も聞いてください!」
俺は二人を止めた。
それから、俺は海軍本部に着くまで弁明を続けた。
それでも――マリアの誤解を完全に解けたとは言い難かった。