132 微睡み
Ж
今日の計画が決まり、俺はマリアが用意してくれた部屋に戻った。
行動開始は午前8時。
起床は7時だ。
動き出す前にシーシーに事情を話し、計画について意識をすり合わせておかなければならない。
それまで数時間は束の間の休息だ。
俺は熱いシャワーを浴びて、天蓋のついた豪華なベッドに横になった。
布団は清潔で信じられないほどふかふかだった。
最高の寝心地と疲労ですぐに寝られる気がした。
だが実際には、興奮状態にあるのかどうも上手く眠れなかった。
それでも無理やり目を瞑り、何度も寝返りを打っていた。
それから数十分経った頃。
ようやくウトウトし始めたとき、急に扉が開くような気配がした。
夢うつつに微睡んでいると、今度は誰かがベッドの上に上がってきた。
だが、人にしては沈みが浅い。
俺は寝ぼけ眼で寝返りを打った。
「よ」
目の前に見覚えのある顔があった。
シーシーだ。
可愛らしいパジャマを着たシーシーが目の前でぺたんと女の子座りしている。
「あ、シーシーさん。こんなとこで何してるんですか」
朦朧としてはっきりしない意識のまま、俺は言った。
「眠れねーからよ、一緒に寝ようと思って」
「ああ、そうですか」
「うん。なんか胸が寂しいんだ」
「そうですか。じゃ、一緒に寝ましょう」
「うん」
俺は寝転んだまま手を広げた。
すると、シーシーはそこに飛び込んできた。
俺はそのまま、彼女をぎゅっと抱きしめた。
シーシーはちっちゃくて柔らかくて、まるで小動物のようだった。
あまりに抱き心地がよくて、俺はぬいるぐみを抱くようにさらに力を入れた。
彼女もお風呂に入ったのか、髪の毛から石鹸の甘い香りがした。
そこから、どんどん頭の中が曖昧模糊としてきた。
「ポチ。苦しい」
「あ、すいません」
注意を受けて、思わず腕の力を緩めた。
すると今度は、シーシーの方が俺に抱きついてきた。
胸の辺りに顔を埋めて、いやいやをするように顔を擦りつけた。
俺たちはそうして抱き合ったまま。
夢と現実の狭間で話を始めた。
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「傷の方はもういいんですか」
「うん。よゆーだ」
「よかった」
「うん」
「シーシーさん」
「なんだ」
「昨日は、なんであんなことしたんです」
「あんなことって?」
「その……不死者に自分を齧らせる、なんて」
「言っただろ。腹いっぱいにしてやりたかったんだ」
「……そうですか」
「うん」
「でも、次からは、あんな無茶は止めてくださいね」
「なんで」
「なんでって……痛いでしょう」
「痛いくらいなんだ。失敗作は、痛みすらないんだ」
「サブジェクト?」
「あいつらは手足をバラバラにされても、脳みそを改造されても、身体が腐って化け物になっても、それでも死ぬことを許されない」
「シーシーさん、サブジェクトってのは何なんです」
「うちらのことだ」
「シーシーさんのこと?」
「うちとあいつらには、何にも違いがなかった。同じだった。それなのにあいつらは死んで、うちは生き残った。別に反対でもよかった。うちが死んでもよかった。それなのに」
「シーシーさん」
「ん?」
「もう」
「ん?」
「もう、止めましょう」
「ん。わかった」
「……シーシーさん」
「うん?」
「俺、シーシーさんに生きててほしいです」
「それ前に聞いた」
「シーシーさんが生きててくれて、嬉しいです」
「それも聞いた」
「何度でも言います。俺はシーシーさんが好きですから」
「そうか」
「はい」
「ポチ」
「なんですか」
「くすぐったい」
「ごめんなさい」
「うむ」
「でも」
「あん?」
「シーシーさんも悪いです」
「なんで」
「抱き心地が良すぎるから」
「スケベ」
「もっかい、ぎゅっとしていいですか」
「だめ」
「ほっぺにキスとか」
「やだ」
「いいじゃないですか。夢なんだから」
「夢?」
「はい」
「これ夢か」
「はい」
「じゃあ許してやる」
「ありがとうございます」
「ポチ」
「なんですか」
「このロリコン野郎」
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次の日。
俺は目を覚ますと、むくりと起き上がった。
すぐに時間を確認すると、午前7時前。
3時間ほどは眠れたようだ。
少しの時間でも、かなり体力が戻った気がした。
身体はやや気だるいものの、頭の方はだいぶスッキリしている。
ぶんぶんと頭を振って、布団をはがした。
そしてそのままの格好で、俺はフリーズした。
徐々に顔が赤くなっていく。
……なんつー夢を見たんだ。
俺は赤面した顔を両手で覆った。
ベッドの上でシーシーとイチャつきながら眠る夢なんて――どうかしてる。
国立教会図書庫でのジノビリに影響を受けたのだろうか。
ほとんど覚えていないが、かなり変態的なことを言っていた気がする。
コンコン、とノックがした。
「ポチ様。起きてらっしゃいますか。朝食の用意が出来ました」
マリアの声だ。
俺は「すぐに行きます」とだけ答えて、ベッドを降りた。
しかし――マジでリアルな夢だった。
ふと、俺は自分の手を見つめた。
目が覚めた今でも、シーシーのあの美しい髪を撫でた感触が残っている。
と、次の瞬間。
俺は凍り付いた。
指に一本だけ――朝日を浴びてキラキラと光る長い髪が絡まっていた。
間違いない。
それは、シーシーの髪の色だった。
な、なんだこれ。
なんでここにシーシーの髪があるんだ。
――いや、ちょっと待て。
ま、まさか……深夜のあの出来事。
あれは――夢じゃなかったのか?
だとしたら――
凍り付いた体から、今度は汗が噴き出した。
俺。
かなり恥ずかしいセリフとか言った気がする。
いいや。
セリフだけじゃない。
かなり記憶が曖昧だが、なにか犯罪まがいのこともしてしまったような気が――
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慌てて部屋を出てダイニングへと向かうと、既にみんなが揃って食事を開始していた。
思わず目で探すと、長机の一番端っこに、シーシーも座っていた。
パンやら肉やらゆで卵やらを一心不乱に食いまくっている。
「お、おはようございます」
俺はシーシーの隣に座り、声をかけた。
シーシーは口の周りをケチャップだらけにしながら、「おー」と右手をあげた。
「ポチ! やべーぞ、ここの飯! 信じられねーくれーくそうめー!」
そう言って、白い歯を見せて嬉しそうに笑う。
太陽のような笑顔。
どうやら――いつものシーシーのようだ。
「あの、シーシーさん」
「なんだ?」
「……昨日、俺の寝室に来ませんでした?」
思い切って聞いた。
するとシーシーはきょとんとした顔つきで、
「なんの話だ?」
と、小首を傾げた。
「え?」
「なんの話だよ?」
「いやあの」
「なに?」
「ああいえ、なんでも……ないです」
ああ……よかった。
助かった。
やっぱりあれは夢だったんだ。
俺は心から胸を撫で下ろした。
「そ、そうっすよね。俺、シーシーさんに何もしてないっすよね」
よかったよかった、と俺はパンを一つ手に取った。
するとシーシーは口の周りを袖でゴシゴシと拭ってから、ニッカと笑いながら、こう言った。
「うん。安心しろ。あれはぜんぶ、夢の出来事だからな。スケベも許してやる」
俺は持っていたパンを、その場にぼとりと落とした。