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125 伝言


 Ж


「それで、具体的にはどうする。何かあてはあるのか」


 頬杖を突きながら、ジノビリは言った。

 ええ、と俺は顎を引いた。


「実は、ポラさんが土竜モグラに捕まる瞬間、最後に受け取ったメッセージがあるんです」

「メッセージ?」

「はい。それは『アリアム』という女性を訪ねろ、というものでした」

「アリアム、か」


 ジノビリはふむ、と頷いた。


「誰だそいつは。白木綿の知り合いか?」

「いえ。全然、聞いたことのない名前です」

「は? お前も知らねーの?」

「ええ。しかしあの時、あの場には官憲てきがいた。そのまんまを伝えると勘付かれてしまう。つまり、あれは俺にだけ分かるように伝えた簡易の暗号だったわけです」

「はあ、なるほどな。で、その“アリアム”ってのは誰のことか、分かったのか?」

「はい。実は、ずっとそのことを考えてて――ここに来る前に、ようやく分かりました」


 俺はジノビリを見た。


「最初はマヌエルさんのことかと思ったんです。ほら、「アリアム」と「マイアム」は響きが似てるから。ジノビリさんに会うことは既に指示を出されてましたし、それ以外だとマヌエルさんのことかなと」

「は。今さらアイツに会ってどうする。マヌエルは使える男だが、ただの研究者くずれの町医者だ。海軍にも政治にも、プリメーラにもてんで疎いぞ」

「そうなんです。だから考えたんです。マイアム・バイヤーズ・クラブではないとすれば何なのか。ポラさんの優しさを考えると、答えが閃きました」

「優しさ?」

「はい。ポラさんは、俺がポラさんのように賢くないことを知っています。つまり、小難しいことを言われても、俺には絶対に解けない。というか、暗号と聞いて俺が思いつくものは一つしかないですから。つまり――」


 アナグラムです、と俺は言った。

 ほぉ、とジノビリは言った。


「確かに、暗号学の基本のキだな」

「ええ。ポラさんは恐らく、数日時間が稼げればいいと踏んだんでしょう」

「それよりも、お前が理解出来なくて危険に晒される可能性の方が高いと」

「はい」

「そりゃ優しいじゃなくて甘いと言うんだ」


 ジノビリはふんと鼻を鳴らした。


「それで、アナグラムを解くとどうなった」

「はい。アリアム(ここではAriamと書くと仮定します)の綴字スペルを並び替えると、出てくる名前は――」


 “マリア”になります、と俺は言った。


「マリア、ね。この国には山ほどいる名前だ。お前、その名に心当たりはあるのか」

「ジノビリさんは、オペラ歌劇は好きですか」

「あん? なんだよ、いきなり」

「すいません。教えてください、どうでしょう」

「……別に。嫌いじゃねえけど」

「なら、マリア=ホーネット、という名前をご存じないでしょうか」

「ちょっと待て」


 その名を聞いた途端、ジノビリは右の手のひらを俺に向けた。

 左手は額に手を当てている。


「お、お前もしかして――その“マリア”ってのは、歌劇女優ディーヴァのマリア=ホーネットのことだって言うんじゃねえだろうな」

「あ、やっぱ知ってますか」

「質問に答えろ。どうしてここでその名前が出てくるんだ」

「どうしてって――マリアさんは、俺の友達ですから」

「友達ィ?」


 ジノビリは口を曲げ、右の眉を上げた。


「ええ。だから、ポラさんの言うマリアさんってのは彼女のことだと思うんです。確かに言われてみれば、この富裕層地域プリメーラで俺たちを匿ってくれそうな人は、マリアさんしかいない」

「てめえっ!」


 ジノビリは急に怒鳴るとやおら立ち上がり、肩を怒らせて俺の方へとつかつかと近寄った。

 俺は目を白黒させた。

 なぜ、いきなり怒り出したのか理解できなかった。


 それからジノビリは俺の胸倉を掴み、


「てめえ! 友達ってのはどういう了見だ。なんでてめぇなんかがあのマリア様と――」


 拳をわなわなと震わせた。


「マ、マリア、様?」


 俺が言うと、ジノビリは急にハッとした顔になり、俺を解放してこほんと空咳をした。


「ま、まあ、この街でマリア=ホーネットを知らねえ奴はいねえわな」


 ぽんぽん、と俺の胸を叩く。

 なんだこのテンションの起伏は。

 よく分からないがとりあえず、そうなんですよ、と俺は言った。


「でも俺、あの人の家の住所、知らないんですよね。よくうちに遊びに来てくれるんですが、こっちからは行ったことなくて」

「遊びに来る!? マリア様が?」


 ジノビリは興奮を抑えきれぬというようにんふー、と鼻から大量の息を吐いた。


「ええまあ」

「何するんだよ。あ? あの人、一体なにをして遊ぶんだ」

「大したことはしませんけど。トランプとか」

「トランプ!」

「なんで驚くんですか」

「そのトランプ、サイン書いてもらったか?」

「もらってませんよ。遊びに来た友達にサインもらわないっすよ」

「勿体ねえ! お前は大馬鹿野郎だ」

「ジノビリさん、もしかしてマリアさんのファンなんですか?」

「ファンじゃねえよ。ファンじゃねえけど、有名人だろ」

「それじゃあ、マリアさんのことは詳しくないですか」

「詳しくない」

「そうですか……それじゃあ、どうやってマリアさんの家を調べようかな。いくらこの広大な図書館でも、個人の住所は分からないだろうし」

「マリアの邸宅は図書庫内にある住所録に載っている」

「え?」

「一般人は入れない場所だがな。政府が管理しやすいように、大きな私邸はそうやって纏めてあるんだ」

「本当ですか」


 俺は思わず声を大きくした。

 しかし、一般人が入れないのか。

 そうすると、やはり金でなんとかするしかないか――


「プリメーラ第11地区(ウンデカ)の5番地、ポストコードSA31-7」


 思案していると、ジノビリが口を開いた。


「え?」

「だから、プリメーラ第11地区(ウンデカ)の5番地、ポストコードSA31-7」

「え?」

「勘の悪ぃやつだな。マリア様の家の住所だよ」

「ああいえ、そうじゃなくて。ジノビリさん、何で知ってるんです?」

「たまたまだよ」

「たまたまって」

「たまたま知ってたんだ。で、どうするんだ? まさか今から――」


 マリア様の家に行こうってのか?


 そう言ったジノビリの目はらんらんと輝いていた。


「ジノビリさん、ファンなんですか?」


 最後に俺はもう一度、聞いた。

 だが、ジノビリは俺から目を逸らし、頑なに「ファンじゃねえ」と答え続けた。


 この人――絶対マリアさんの家を見に行ったことあるな、と俺は思った。


 Ж


 それから。

 俺たちはラックスの言った第21棟の美術室エリアへと向かった。

 正面から出られないだろと言ったジノビリに、俺はラックスの話をした。

 すると、彼女は俺の頭を撫でながら「偉いぞ小僧」と言った。

 子ども扱いされたことに対する苛立ちはなかった。

 ジノビリが俺のことが分かってきたといったように、俺も彼女のことが分かってきた。


 すでに図書庫は閉館しており、静まり返っていた。

 本来なら俺たちも追い出されるはずなんだが、ジノビリは色んな部署の学芸員たちに金をばら撒き、ある程度は自由に動けるようになっているらしい。


「ま、考えてみれば、ずっとここに居座るわけにも行かねーよな」


 不気味なほど静かな館内を歩きながら、ジノビリは言った。


「この中にいたんじゃ外の情報は全く入って来ねーし、もしかしたら土竜の野郎どもも、フリジア裁判所から正式に許可を取って強引にこの中に入って来ないとも限らねえ。あとは熱い風呂にも入りてえし、ふかふかのベッドで寝たい。美味い飯も食いてえな」


 どんどんと願望があふれ出る。

 どうやら長い軟禁状態に、実はかなり滅入っていたらしい。

 俺はくすりと笑った。


「そう思います。けど――マリアさんのところへ行くメリットは恐らく、他にもあります」

「あん?」

「マリアさんは、海軍の将官たちとも繋がりがあると思います」

「なんだと?」

「この間のオペラ劇場が焼け落ちた事件、知ってますよね。あの時、マリアさんはクロップさんと何か取引をしたみたいなんです」

「そう言えば、あの日、クロップが3大海賊の船長を一人追い返したと言っていたな。あそこにマリア=ホーネットがいたのか」

「はい。具体的なことは分からないんですが、とにかく、あの事件はマリアさんがいなければ解決しなかった。ポラさんは多分――そこまで見越していた」


 そう。

 ポラは、この事件の首謀者になんとなく気付いていたのだ。

 今思えば、そのような素振りもあった。


「しかし、お前は一体、何者なんだ。正直、ちょっと舐めてたぜ。海軍のトップや世界的なディーヴァと知り合いなんてよ」

「普通に仕事していたら知り合っただけです。別に俺がすごい訳じゃない」

「はん。謙虚だね、どーも。それもニホンジンの特徴か?」

「日本を知っているんですか?」

「エリーから聞いたんだよ。お前の出身地なんだろ。アイツには珍しく、笑いながら面白い子だって言ってたぜ」

「エリーさん、笑ってましたか」

「ああ。まあ、笑うと言っても、苦笑まじりだけどな」


 皮肉のように言って、ジノビリはシシシと笑った。

 そうですか、と俺は俯いた。


 それでもなんだか嬉しかった。

 エリーとはほとんどまともに会話をしたことが無かった。

 プライベートの話になると皆無だ。

 だから、あの人が自分のことをどう思ってるのかも、知らなかった。

 エリーさんの笑顔、か。

 俺も見たかったな。


 早く――彼女を見つけないと。

 俺は改めてそう思った。


「お、着いたぜ。ここだ」


 急にジノビリが立ち止まった。

 目を上げると、そこには「第21棟美術展示準備室」と書かれてあった。



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