111 再び地下道へ
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フリジアの地下を走る坑道跡。
そこを根城とする、未成年で構成された“地下道の子ら”。
フリジアのタブロイド紙“ペイパーカット”のビル舎から出た後、俺たちはそこのボスであるヨシュアの元へとやってきた。
ポラの言っていた「餅は餅屋」とは彼のことだった。
この街の地下社会のことなら、この男が一番詳しいはずである。
「悪いな。ちょっとこれから出かけなきゃいけねえんだ」
ヨシュアはよれよれの黄色いTシャツの上にスーツのジャケットを羽織りながら言った。
下はハーフパンツ。
これが彼なりの正装なんだろう。
どうやら、あいにくこれから用事があるようだった。
なんでも新聞社の人間と会うらしい。
ただ、プリムの会社とは別のようだ。
「頼むよ、10分で済むから」
「一分も待てない。ポラさんの願いでも無理だ。夕方には戻るから、それからにしてくれ」
ヨシュアはそう言い、髪油を両手につけ、前髪をオールバックに撫でつける。
「どうしましょうか、ポラさん」
俺はポラの方へと振り返った。
「仕方ないですね……夕方まで待ちましょうか」
ポラは残念そうに言った。
俺ははあ息を吐いた。
しかしまあ、悪いことばかりではないか。
ポラは昨夜、一睡もしていない。
ここで休息をとるのも悪くないか――
と、そんな風に思っていた時。
「し、シーシーさん!?」
ヨシュアが大声を出した。
俺は首だけヨシュアの方を向いた。
すると――彼は、俺の背中に張り付いたまま熟睡しているシーシーを見つけたようだった。
「こら、このポチ野郎! シーシーさんがいるならいるって言いやがれ」
「は、はあ」
「どうぞどうぞ! 入れ、飲み物はソーダでいいか?」
「いやでも、これから用事があるとか」
「ねえよ! あるけど、ねえよ! さあ、ゆっくりしていきやが――」
「んー……みゅみゅ」
と、その時。
背中のシーシーが目を覚ました。
そして、俺の顔の横からひょっこりと顔を出し、
「あ、ヨシュアだ。おはよ」
シーシーは眠そうな目をこすりながら、にこりと微笑んだ。
「ああ……神よ」
ヨシュアは頭を抱えて、膝から崩れ落ちた。
「あなたはなんて――なんて可愛い生き物をお創りになられたんだ。この世界に天使がいるとしたら、まさに今、ここに降臨しておられる」
ヨシュアはそのまま四つん這いになり、「何て可愛いんだ、チクショウ!」と叫びながら地面を叩き、地面にポタポタと涙を流した。
ガチ泣きである。
いつもの、マジ泣きである。
しかしこの男――どうしてこんなに毎度毎度、感動できるんだろうか。
何はともあれ。
とりあえず、本日、シーシーを連れてきた甲斐はあったな、と俺は思った。
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「マエストロ商会のジノビリね」
事情を話すと、ヨシュアはふむ、と唸った。
「懐かしい名前だな。まさか今頃、奴の名を聞くとは」
「知っているのか」
「もちろん。忘れようったって忘れられねえよ。胸糞わりぃ野郎だったからな」
ヨシュアは嫌そうに顔を顰め、不味そうにタバコを吸った。
「とにかく無茶苦茶なやつだった。チンピラを無理やり組織に引き入れて、犬っころみたいにコキ使ってやがった。自分がパクられそうになったら俺たちみてーな身寄りのないガキを誑かし、身代わりにして警察に突き出してよ。帰ってきても報酬はなし。逆にボコボコに殴られて、逆らえねえように教育しやがる。とにかく糞でカスで、何よりケチな野郎だった」
「かなり稼いでいたそうですね」
「そりゃああれだけあざとくやってりゃな。あんな薄汚ェ吝嗇家はいねえよ。部下にもとにかく金を払わねえ。逆に、うわっぱねは跳ねる。マフィアも驚くほどの無法野郎だった」
「なるほど。根っからの商売人だったわけですか」
「そんないいもんじゃねえけど、まあ、商売の才覚はあったろうよ」
ヨシュアはチッと舌打ちをした。
話を聞けば聞くほど、ジノビリというやつは最低の人間だ。
ポラは顎をさすり、ははあ、と短くうなずいた。
「で、そのジノビリは今、どこで何をしているんでしょうか」
「死んだよ」
「え?」
「2年くらい前に不治の病気にかかったって言ってたな。そして去年くらいだったか、くたばったという話を噂で聞いた」
ざまあみろ、とヨシュアは顔に皺を作ってくつくつ笑った。
歪んだ笑みだ。
彼は、なにかジノビリから実害を被ったのかもしれない。
「では、“マイアム・バイヤーズ・クラブ”のオーナーは、ジノビリではない、ということでしょうか」
俺はポラに聞いた。
そうでしょうね、とポラは大きな息を吐いた。
「亡くなっているなら、さすがに組織を築くことは出来ないですからね」
「そうか……そうですよね。では、これで振り出しに戻ったわけか」
「どうやら、見当違いだったようです」
ポラは淡々と答えた。
まるで疲弊した様子はない。
しかし、俺はどっと疲れが出た。
野球と同じだ。
空振りというのは一番疲労する。
「ちょっと待てよ。お前ら、ジノビリを探してたのか? 違うだろ?」
つと、ヨシュアが口を挟んだ。
俺は首を傾げた。
「どういう意味だ? ヨシュア」
「だから、お前らの目的はあくまでそのなんちゃらクラブ」
「マイアム・バイヤーズ・クラブ」
「そのマイアムバイなんちゃらクラブであって、ジノビリ本人ってわけじゃねーんだろ?」
「そうだよ。俺たちは奴が経営してたかもしれない組織の方を探してた」
「それなら、まだ可能性はあるぜ」
「ないだろ。ジノビリが死んでしまってる以上、彼が経営をしている店もない」
「いや、そうとは限らん」
「なに?」
「本人が死んでても、会社が生きてりゃいいんだろ」
「どういうことだよそれ」
俺は眉を寄せた。
ヨシュアはバーカ、と呆れたように言った。
「分かんねえ野郎だな。だからよ、話は最後まで聞けよ。いいか。ジノビリ本人は死んじまってるだろうが、ジノビリの作った闇会社は、ごく最近まで続いていた。そういってんだよ」
「本当ですか」
ポラが少し興奮気味に、やや上ずった声を出した。
本当だ、とヨシュアはポラを指さした。
「その組織は、“マイアム・バイヤーズ・クラブ”という名でしたか?」
「それが、社名の方はどうも思い出せねえ。ジノビリの野郎の名前はムカついてるからよく覚えてんだけどよ。だが――」
「だが?」
「言われてみりゃ、そんな名前だったような気もする」
「やった!」
俺は思わず声を出した。
「繋がりましたよ、ポラさん」
「だから慌てるなって。さっきも言ったが、こりゃ可能性の話だ。確かな情報ではない」
ヨシュアは鼻の下を擦った。
「ジノビリには“マヌエル=ピアソラ”という部下がいたんだ。ジノビリが率いていたギャングのナンバー2だ。そいつが、今もジノビリの会社を引き継いでるって話を聞いたことがある」
マヌエル=ピアソラ、か。
ならば、今はそいつが“マイアム・バイヤーズ・クラブ”のボスということなんだろうか。
「その場所はどこに」
ポラが聞いた。
「第38地区の貧民窟。そこで今も武器やドラッグの闇市場を開いていると聞いたぜ」
「第38地区、ですか」
「ああ。通称“スイープ・スラム・ストリート”。フリジア・ゲットーの中でも最下層地区だよ。治安が悪すぎて、地元警察も近寄らねえ掃き溜めの中の掃き溜めだ。俺たちでも、あんまり近寄りたくねえ場所だ」
ポラは俺の方を見て、こくり、と頷いた。
行ってみましょう、ということだろう。
俺は「はい」と言って頷いた。
「しかし、ポラさん。俺ぁ、あんまりオススメしないな。あそこは本当にイカレた野郎がうじゃうじゃいる。女が行くような所じゃない」
「平気ですよ。シーシーちゃんもいるし」
「まあ、確かに、シーシーさんの戦闘能力があれば、力づくで乱暴されるこたぁねえだろうが」
「ポチ君もいるし」
「そっちはクソ心配」
「ともかく、うちの副船長の行方がかかってますから。場所がどこだろうが、どれだけリスクがあろうが、私たちは白木綿のメンツにかけて必ず探し出します」
「大丈夫かよ。土竜も絡んでやがるんだろ? あいつらはヤバいぜ、マジな話」
「彼らには私たちのやり方で戦います。それが不当逮捕であるなら、相手が秘密警察だろうが元陸軍の大物だろうが、きっちりと落とし前はつけさせます」
「だが――すでにエリーさんも無事じゃねえかもしれねえぞ」
「その場合は仕方ないですね。土竜のメンバーと、指示を出した人間、それからその家族・恋人・友人を全て皆殺しにします。手段を選ばず何でもありの手法で、ね」
ポラはにこりと笑い、いつもと変わらない調子で淡々と言った。
だっていうのに、俺の全身には戦慄が走り、ぷつぷつと鳥肌が立った。
なんという恐ろしいセリフをさらりと言うんだろう。
いつもニコニコしていて優しいから忘れがちだが――彼女も海賊なのだ。
「お、おう、そうか」
ヨシュアは息を吞み、「すまねえ。余計なお世話だったな」と頭を下げた。
その額には、じっとりと汗が滲んでいた。