110 懸念
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「ゲットーに2体、そしてなんと、プリメーラにも1体。第12港で亡くなった漁師と同じように、全身を噛み殺された遺体が発見されたんです」
ようやく落ち着いたプリムが、仕入れてきたばかりのスクープを話し始めた。
この事件は始まりに過ぎないかもしれない。
ポラの予測が、またしても当たってしまった。
「で、そのゾンビは捕獲されたのか?」
と、俺は聞いた。
「ううん。やはり、死体だけ残されてた」
「それじゃあ、まだゾンビの仕業とは言い切れないんじゃないか」
「今度は現場の目撃情報もあるの」
ポラは懐からメモ帳のようなものを取り出した。
「まだ不確かな情報だけどね、たまたま現場に居合わせたゲットーで夜鷹やってた女性と、それからプリメーラのカジノボーイが、今日の深夜未明に、顔の腐った人間が人間を食っていたと証言してるみたい」
「目撃証言はあるのに、ゾンビ自体は捕まってないのか」
「二人ともすぐにその場から逃げ出したみたいなのよ。そして警官と共に帰ってきたら、もうゾンビはいなかった」
死体とゾンビ。
今度の目撃者は、両方を同時に見たわけか。
俺は眉根を寄せ、思わずポラを見た。
ポラはふむ、と唸った。
「どうやら、単純な劇場型犯罪ではないようですね」
「と、言うと」
「犯罪そのものを楽しむような犯罪の場合、その多くは単独犯です。サイコパスの人間は群れることを嫌う傾向があり、自己顕示欲の強い人間は手柄を独り占めしたがる。さらに、統計上彼らは手柄を1度に披露することはほとんど無いんです。犯罪行為には一定の間隔をあけ、警察やマスコミの反応を楽しむわけです。今回、一晩に3ヵ所で被害者が出たこと、犯行現場を目撃されていることを鑑みると――どうやら犯人は複数である可能性が高い」
確かに、サイコ野郎が徒党を組んでテロのようなことをするとは思えない。
組織的に無差別殺人をするような人間は、何らかの理念やプロパガンダがあるものだ。
しかし、そうなると。
今回の連続殺人事件は、一体どういう組織が、どういう意図のもと行っているんだろう。
まさか、本当にゾンビが実在する、なんてことはないだろうし。
「ポラさんは……それでもまだ生ける屍の存在は信じませんか」
プリムが直裁に聞いた。
「それは――」
ポラは口を閉じ、少し目線を強めた。
それからたっぷりと時間を取り、「可能性はあると思います」と呟いた。
「マジっすか」
思わず声が出た。
ええ、とポラは顎を引いた。
「そもそも、最初から私はゾンビの存在を全否定していたわけではありませんよ。単に、可能性の話をしていただけです。生ける屍よりは、それを模倣した人間の犯罪者である確率の方が高いだろうと考えただけで」
驚いた。
あの合理主義者で現実主義のポラが、ついにオカルト話を肯定した。
「それじゃあ、この世にゾンビは存在し得るんですか。そんなオカルト話があり得るんですか」
「オカルトとは限りません」
ポラは額をほりほりと掻いた。
「科学的にもゾンビというのはあり得る話です」
「か、科学的に?」
「ええ。かつては、そう言った研究も行われていましたしね」
「そう言った研究?」
「例えば、不老不死とか、ね。永遠に生きたい、いつまでも若くありたい、というのは、人間の根源的な欲求の一つです。現在は国際法で禁止されていますが、まだ人権という概念がなかった時代には、科学者がその研究に躍起になっていたこともあります」
そういうことかと、俺はゴクリと喉を鳴らした。
不老不死。
なるほど、その研究の結果としてのゾンビか。
この世界では、そういう研究がなされていたのか。
いや、もしかすると、俺の世界でも俺の知らないところでそういう話はあったのかもしれない。
どうあれ、そう考えると――
なんだか一気にリアリティーが増した気がする。
オカルト、などという言葉では済ませられまい。
「まあ、どちらにしても、この事件には黒幕がいるような気はしています」
「黒幕。つまり、ゾンビだろうがそうでなかろうが、この騒ぎを意図的に作り出している首謀者がいると」
「そうです。そして、本当にそうだとすると、恐らくそれは――」
ポラはそこで言葉を止め、しばらく口を閉じた。
「それは? もしかして、心当たりでもあるんですか」
「ああいえ、何でもないです」
ポラは首を振った。
何故だろうか、いつになく歯切れが悪い。
ポラはこほん、と空咳をした。
あえて話題を変えるような、少しあざとい仕草だった。
ポラの珍しい行動に、俺はそれ以上追及できなかった。
「何にしても、これだけ大ごとになってしまえば、マスコミも記事にせざるを得なくなったでしょう」
ポラはふうと大きく息を吐いた。
「そうすると、警察も手のひらを返して注意喚起を促すはずです。夜中は出歩くな、怪しい人影を見たら通報しろ、とね。それにより、市民は大騒ぎし始めることでしょう。これから、フリジアはゾンビ・パニックが起こるものと思われます」
「そうなるだろうね」
リージョが頷いた。
「編集長のゴーサインが出次第、俺たちも一斉に書きまくることになる」
「そうこなくっちゃ!」
プリムの目がキラキラと輝く。
どうやら、この事件のことを書きたくて仕方なかったようだ。
「プリムちゃん」
と、ポラが一段声を低くした。
「なんでしょう?」
プリムは目を輝かせて返事をする。
「私たちは別件で忙しくて、当分あなたの力にはなれないと思います」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで嬉しいです」
「気を付けてくださいね」
「へ?」
「この事件、かなり危ないです。警察もどこまで信じていいか分かりません。深入りすると命を落とすことにもなり兼ねない」
「ポラさん。その言葉は、記者には逆効果ですよ」
プリムはぺろりと唇を舐めた。
「ジャーナリストは、ヤバイ事件ほど心が躍るんですから」
「生意気言ってるんじゃねえ。この腕白が」
リージョが頭をぺしり、と叩いた。
俺たちは少し笑った。
だが、ポラだけは、最後まで真剣な面持ちのままだった。




